領地はチートでも、私にはチートは無い!
ちょっと内政っぽい事に触れています。
メアリー スカイスクレイパーです。
ごーり、ごーり、ごーり。
ひたすら薬研で白檀の木片を粉にする作業が続いてるわ。ああ、腕が痛い。
今になって、室町時代まで日本で蒸留酒が作られなかったり、香水があまり広まらなかった訳が分かる気がするわ。
ウイスキーで有名なイギリスは泥炭があって掘れば燃料になるのよ。なんなら泥炭の独特な香りづけが良いと評判よね?フランスも石炭や森から薪や木炭を使ってブランデーを蒸留していたそうよ。蒸留のノウハウがあったから香水文化が発達したのでしょうね。
翻って我がアルウッド領には薪や木炭に適している木が少ないの。さすがに領民の薪を奪ってまでして香水を作ろうとは思わないわ。
で。今、私がやっているのが練り香の材料作り。素材を干した物を薬研で細かく砕いて粉にしているの。練り香が上手くいかなくても匂い袋や線香に活用できるかなと思って。
だって、蒸留する燃料が無いなら練り香を作るしか無いじゃない?
そもそも。
領地に蒸留器無いし!
燃料も無いし!
投資するだけの資金が無い!
できる事からやらないと。
異世界あるある皆が大好きな魔法は、ですって? 私、魔法使えないのよ。元々、この世界では魔法使える人自体が少ないの。
蒸留できる位の長時間、一定温度で火魔法が使えるレベルの魔法使いや錬金術師は国や上位貴族が囲い込んでるのよね。男爵成り立ての私にはとてもとても。
あ~あ、私も無尽蔵の魔力でワタクシつええとかやりたかったわ~。前世が歴史好きなだけの喪女だったからチートが無いのかしら。
ちらっとまだ公爵家にいたらとか、レイモンド王子経由で王家の伝が使えたらとか思わなくもないけど。
―――やっぱり、無いわ。
公爵家の不毛な馬車馬になりたくないし。婚約者は要らない。つい最近、レイモンド王子とは円満にお話させて頂いたばかりだしね。
あら、話がそれたわね。
源氏物語の梅枝に出てくる香の調合に憧れていたけど。調合までの道のりがこんなに大変だったとは。そう言えば材料を粉にする音が〜とかさらっと書かれてたわ。平安の女君達は意外とパワフルだったのね。
ごーり、ごーーり。
薬研を回す手が遅くなっていく。はあ、はあ。薬研の取っ手がこんなに重いなんて思わなかった。
「メアリー様!私におまかせください。公爵令嬢だった貴女がやる作業ではありませんよ。(全く、元とはいえ公爵家のお嬢様がいきなりこんな仕事されるなんて。見ていられないわ……)」
「まあ、マーサ。ありがとう」
アルウッド領出身の侍女、マーサにお願いしたらあっという間に細かい粉になって。手早く粉を瓶に詰めてくれたわ。ありがたいわ。
「マーサ、慣れてない?」
「風邪をひく家族がいるとシナモンを粉にして飲ませてましたから。この領地の者は皆、そうしてます。」
「そうなのね……」
男爵領に来て痛感したのが私には出来ない事が多いって事。
香木探しは長年アルウッド領の代官をしていたサミュエル(マーサの夫よ)の協力無しにできなかった。森の奥地に行くだけで私、ひいひい言ってたもの。
香木を使った商品の試作もサミュエルやマーサ達が領地の職人に声がけして協力して貰った。
私ができたのは。
お母様が「薔薇の香水が欲しいわ!え?ラベンダーとオレンジで育てる場所が無い?なら土地が余っている南側で育てれば良いじゃない!」と無理矢理やらせていた薔薇の栽培を止めて、アンナマリーお祖母様が奨励していた苧麻(こちらではラミーと呼んでるわ)の織物を復活させたこと。
知ってた?
薔薇の精油3g作るのに花びら15kg必要だって。サミュエルに聞いたら「1輪あたり花びら30枚とすると500輪ですね」だって。私は知らなかったわ。
領地には五百人ぐらいしか領民がいないのに。コスパ悪すぎだわ!さらに蒸留とか、蒸留とか。領民が煮炊きできなくて飢え死にしてしまうわよ。
確かに森はあるわよ?
残念ながらすぐに栄養が森の木や麓に流れてしまうので土が少ないの。古老に聞いてみたら二十年前に薪を取りすぎて地滑りを起こしたとか。危なすぎだわ、人死には出したくないわよ。
さらにね。自生しているラミーに薔薇が駆逐されたり病害虫にあうし肥料も要るわで手間とお金ばかりかかっていたそうなの。
南の薔薇園を視察したら花は小さいし、アブラムシだの虫が集り、病気の葉ばかり。死んだ目で皆、延々と薔薇の手入れをしていたわ。駄目でしょう、これは。時間と労力の無駄よ。選択と集中はこういう時に使うべきだわ。
で、織物に舵を切ることにしたの。ラミーは領地に自生していて、いくらでも取れるし。繁殖力が強いから乱獲の心配が要らない。
織物にするノウハウが残っていて良かったわ。繊維をほぐして青苧(糸にする前の繊維の束ね)にした物を布にして、日にさらすの。
万葉集の歌にでてくる「手作り」は苧麻布を日光にさらして漂白した手作布だったらしいわね。手作布のように、布を日光にさらすと真っ白になるのよ。
そうして出来上がる生地はさらりとして光沢があり透け感があるのに丈夫なのよ。量産できれば夏の衣装やベールにぴったりではないかしら。
仕事の出来る代官サミュエルがばしばし転作を進めてくれたわ。領民は薔薇栽培に嫌気がさしていたのか、とてもスムーズに進んだの。
「あのアイリス様のお嬢様……」で婚約解消して公爵家を出た私。しかも昔の日本なら領地割譲して貰うなんて「田分け者」な娘の私がどんな訳あり令嬢かと訝しげに見ていた領民達も、転作は領主の私の意向だとサミュエルが広めてくれたら。
今では領地を見回りに行くたびに挨拶をしてくれるし、オレンジやジャムも頂くのよ。ひよっこ領主に心を開いてくれたの。ありがたいわね。
サミュエルは強かでもあったわ。
よくよく聞けばラミー織もポプリを入れる袋用に細々と続けていたって。「地下茎で増えるから除草に手間がかかるのですよ。青苧や織物にすれば小金になりますからね。アイリス様の話はころころ変わりますから。」
小領地でも元公爵家の代官は違ったわ。
有能代官サミュエルと村の有力者のの根回しで香木の白檀とラミー織を使った試作品も驚くほどあっという間に出来上がったの。
何かしらね。理不尽な上司の下にいる部下は成長して高スペックになるって話を前世で聞いた覚えがあるけど。
母がサミュエル達を育てたかと思うと複雑だわ。私はホワイトな領主になるように心がけよう。
練り香を試作している作業場から引き上げて執務室兼書斎に移動して執務をしばし。お茶の時間に、試作して貰った扇子を光にかざしてみると。
光沢のある生地が透け、私が施した薔薇の刺繍が映えて美しい。
扇子で扇ぐと骨組みに使った白檀の香りがふわりと広がる。
これ、夏の貴婦人方のアイテムにぴったりだと思うのよね。
これで無理に薔薇を作って苦しくなった財政に一息つけるかしら。ゆくゆくは資金を貯めて蒸留器や燃料になる木炭も購入したいわ。
問題は販路と貴族婦人方への販促ね。
植生とかについては異世界という事でお許しください。