間違っているものは、間違っている
設定ゆるゆるです。
誤字脱字報告ありがとうございます。
またランキングに入りとてもとても喜んでおります。貴重なお時間を私めの作品に割いてくださり、感謝致します。
「アイナさん!!ちょっと、こちらにいらして!!」
「アイナ君!!これはなんだ!?どう言う事だー!?」
今日も私は義両親からの小言を浴びる。本当に、毎日毎日そんなにカリカリしていたら、頭沸かない?
「どうしましたか?お義父様、お義母様?」
「どうしたもこうしたもじゃないわ。またステファンが帰って来ていないじゃないの。あなたが、しっかりしていないから。仕事仕事って王宮から出てこないのよ」
「アイナ君、これはどういうことかね?ここの書類だ。なぜ、支出が利益を上回っているのだ?間違っているぞ、修正しなさい」
同時に話すな。全くもう。
私は深呼吸を6秒かけて行う。こうすると、衝動的なイライラを治めることができるのだ。
「お義母様、ステファン様の引きこもりは今に始まった事ではありません。あの方は王宮が家なのです。帰って来たくないから帰って来ない、それだけです。いつもの事ではないですか、何を今更言うのです?」
「でも、この前は」
「この前は必要な荷物を取りに来ただけです。この家にステファン様が帰る理由がないのではありませんか?」
「そ、そんな」
「だってそうではありませんか。王宮から馬車で15分、一等地にある屋敷。それでも帰らぬのは恐らく、王宮が好きなのです」
義母が何か話す前に私は義父に向かって言う。
「それに、お義父様。これは間違いではありません。利益より支出が上回っているのです、つまり赤字です。侯爵家の財産は底を付く手前です」
「何を馬鹿な事を!!治療院の利益が下回るはずなかろう!?それにステファンの給金も入ってるだろう?さては、君がくすねてるのか?」
「冗談はよして下さい。治療院は以前、お義父様が私が止めたのも聞かずに、新しい薬を導入したからですよ」
「効果も高い薬を導入して何が悪い!?患者のため必要じゃろうが!!」
「患者が払えなきゃ意味ないでしょう?患者層と世の中が年々変化しているのです。いつまでもお義父様の古いやり方は通用しないのです」
「何をぉ!?嫁のくせして生意気な!」
「その生意気な嫁がいなけりゃ治療院も畳んでおります」
私は義理の両親がまだ喚いているのを無視して部屋を出た。
全く、歳なのか言ってもきかないだから。
私の名はアイナ・マグダリア、19歳。マグダリア侯爵家が経営する治療院の治療師でもあり、そして、マグダリア侯爵家の後継のステファンの妻である。
それなのに、ステファンはこの口うるさい老人二人を私に任せ、自分は王宮にこもりっきりなのだ。
私は子爵家の生まれで、昔から魔法に長けていたため、結婚もせずに働いていた。特に裕福でもなく貧乏でもなく平々凡々の貴族だった。貴族にしては、両親は堅実でややお人好しな所があるが、普通に仲の良い夫婦だった。そして、兄も真面目で今は当主になり結婚し子もいる。それだからか、私は結婚も急かされずに、魔術師として働けていたのだ。何より、働く方が好きで、傷病人を治療する仕事にやりがいを感じていた。
そんな時、出会ったのがステファンだった。ステファンは騎士団に所属しており、討伐で負傷した時に治療して知り合った。それから、度々、治療をする機会があり話すようになった。ステファンから「結婚して、僕の家を助けてくれないか」と言われた時は胸が高鳴った。
マグダリア侯爵家の先祖は優れた治癒魔術師であり、国王陛下の治療師も務めたことがある由緒ある家系だ。しかし、義父は魔力の低さから治癒魔法が使えず、治療師としての技術も知識も継承できていなかった。ただ金儲けとしか考えておらず、そのため、徐々に治療院の評判は落ちた。また、魔術の進歩によって、治療魔術師が増加したことで、それまで家に治療師を呼べなかった下級貴族の来院は遠のき、今ではほとんどの患者が平民だ。そんな状況で経営が傾きつつあった治療院のために、結婚してくれと言われたも同然だった。
治療魔術師の卵である私からしたら、マグダリア侯爵家は憧れだった。私もその一員になって治療院で働ける、そう思い求婚された時は小躍りした。
そこに、甘い恋はない。それは、私もステファンも承知していた。私がマグダリア侯爵家の魔術書や歴史に興味を示していたのを分かっていて、持ちかけた政略結婚なのだから。
でも、そこにクセの強い老人がいることは、聞いていない。
私たち二人の間には甘いくすぐったいような雰囲気もなかったから、結婚式が終わり、普通なら当たり前にある甘い甘い初夜がなくても、特に気にしなかったし、政略結婚だから追々かな、なんて呑気に思っていた。
結婚式翌日にもステファンが仕事だと王宮へ向かった後に義母は言った。
「アイナさん、ステファンとは何を話したの?ステファンとは、無事、初夜を終えたのかしら?貴方をどんな風に扱ったのかしら?」
何を話したか、はまだいい。けれど、初夜というデリケートな部分に突っ込んでくるのはどうかと思った。
一ヶ月もすれば、ステファンは夜勤がない日は帰宅していたのだが、次第に帰らなくなった。つまり、夫婦生活なんて物は皆無だった。
「アイナさん?あの子が帰らない理由はあなたに原因があるのでは?あなたが、あの子を夜に満足させられないからではなくて?まだ新婚なのに帰らないのは異常よ」
「お義母様、この件は夫婦の問題ですので。ご心配なさらなくても大丈夫です」
「あら、だって夜を共にしなければ子は出来ないわ。後継はどうするの?」
知らないよ、自分の子に聞きなさいな。
私だって聞きたい、どういうつもりだって。
「アイナ君!!来なさい!!」
治療院で患者の治療後に義父に呼ばれた。義父は治癒魔法は使えないが、経営者だからか院長だからか、治療記録に口を出す。
「アイナ君!これはなんだ?なぜ、この患者に緩和魔法しか使っていない?」
「お義父様、これは」
「ここでは院長と呼べ!」
「申し訳ございません。院長、この患者様の症状は頭痛ですが、荷運びによる肩こりからくる物です。なので、頭痛に対して緩和魔法で症状を軽減し、肩こりに対してアプローチしなければ頭痛は継続します。原因の肩こりに関しては効果的なストレッチとマッサージ方法をお教えして、ひとまず経過を診る予定です。それでも改善しなければ、次の治療に入ります」
「そんな事、金儲けにならんだろう。頭痛だと言っているのだから、魔法薬を定期的に渡せばいいだろうが!」
「症状のみ診たらそうです。ですが、患者を治すのが私の仕事ですから」
「それに、なぜ肩こりが頭痛になるのだ、誰がそう言った!?」
「私です」
「君は、半人前のくせして、一人前の治療師になったつもりか!?」
「私のできる最善の治療をしているだけです。それに、お金儲けが先に来る院長よりは何倍も患者様のことを考えています」
私はイライラして勢いよく踵を返し部屋を出た。後ろではプルプルと拳を握って怒る義父。廊下に出ると、バンっと義父が出て来た。
「アイナ君、院長のわしに歯向かうとは何事だ!」
とズンズン早足で向かって来たので、私も足を早めて逃げる。
「アイナ君!待ちなさい!アイナ君!!」
こ、こわっ!追いかけてくるし。
義父と鬼ごっこのように廊下を小走りし、私は休憩室へ逃げた。廊下では義父の苛立つ声が聞こえていたが、そんなの無視。
そんな私を見て同僚が言った。
「あの院長にはっきり言うアイナ様は凄い」
え、だって間違っているのは義父だよね?
家にいれば義母が、治療院にいれば義父が私に小言を言いに来る。とっても、過干渉すぎて鬱陶しい。さては、ステファンは私を盾にして逃げたな。そう確信していたのだ。
*
「ステファン様、そろそろ一度、邸宅にお戻りにはなりませんの?」
「アイナ……職場まで来るから何事かと思ったが、そんな事か。仕事が忙しいのだ、こちらの方がすぐに対応できる。余程の事がない限り戻らぬ」
ふーん、忙しいのね、仕事が。
急な訪問だったにしろ、2時間も待たされ、身体からふわりと石鹸の香りがした。訓練の後?まさか、その香りはジャスミンとムスクの香りも混じっていて、今巷で話題の入浴剤よ。女性達が恋人と楽しむためにこっそり買う媚薬入りの奴ね。患者様情報舐めんじゃないわよ。さぞ、お楽しみだったことでしょう。
「余程の事ですのよ、ステファン様。私とっても困っていますの、お義母様に」
「……なぜだ?」
「後継、後継って毎日言われて。あなたが帰って来ないのは、私が満足させてあげられないからだって」
「ばっ、そんな事を軽く言うな」
「だって本当に困っていますの。帰って来なければ夫婦生活もできません。子もできません。そうなると、お義母様はしつこく、どうするのかと聞いて来ます」
「適当に今は忙しいとあしらえばいいだろう?」
「ふふっ、自分の母のことは貴方が一番分かっているでしょうに」
あしらって済めば私はここまで来ていない。
「それに、お義父様はお金儲けだけしか頭になくて、治療院を潰す気ですわ」
「そこを何とかするのが、治療魔術師の君だろう?家のことは嫁となった君がすべきだ」
「私だけではどうにもなりません」
「人と関わるのが上手な君のことだ。きっと上手くやってくれるだろう?」
「あなたが上手く出来ないからと、嫁に丸投げはよくないですわ」
「なんだと?」
知っていますよ。使用人の家族を好意で治療していたら、話してくれましたもの。
治療魔法の才能がないと知ると、義父は自分のことは棚に上げ、ステファンを役立たずだと責め、義母はそんなステファンが不憫だとより過保護になった。義父の罵りと義母の過度な溺愛と過干渉、思春期の頃にはステファンは嫌気が刺して、騎士寮へ入りほとんど邸宅には戻らなかった。
だから、ちょうど良い私を選んだ。魔術師として治療院で働けて、義父母にも恐れず物言いでき、マグダリア侯爵家に憧れを持つ私を。私は実家でのびのびと育ったから、割とはっきり物を言う。だから、男性の多い職場でもやっていけてたのだけど。
「ひとまず、一度帰ってください。嫁の顔を毎日見るより、息子の顔を少しでも見たいのが、親心って物ですよ。特に母親は。お義母様も安心しますので。待っていますよ」
渋い顔をするステファン。そんなに自分の親が苦手なのか。だったら、さっさと子を作って爵位を継ぎ、両親を隠居でもさせればいいのに。その方が治療院だって、義父の金儲けの犠牲にならずに済む。
私は、まだ頷かないステファンに言った。
「そうだ、ステファン様。その香り、とても良い香りですが、あまり人前に出る時は気をつけた方が良いですよ。周りの恋人達が刺激されてしまうかもですので」
ステファンは目を開き気まずそうに視線を逸らした。
そっちがそうなら、私だってそれなりの準備はさせて頂きますからね。
*
そして、その週末にステファンは帰宅したのだが。
一度、帰ってほしいとは言ったけど、まさか愛人とだなんて聞いていない。
「お帰りなさい。その方は?」
「彼女は、ベルだ……その、なんだ。私の子を、妊娠した」
「あらまぁ」
やる事をやっているのは分かっていたが、すべき事を飛ばすなんて、本当に情けない。それでも次期侯爵になる奴のすることか。
「避妊は?」
「……」
してないのね、本当に若気の至りでもないでしょうに。
「中には」
「出してないと。馬鹿ですの?そんな事で避妊が可能なら世の中に避妊道具はできてませんわ」
全く何もかも中途半端すぎるわ、この男。
「それで、あなたは?どうしたいの?」
私はステファンの隣で涙目になっている不倫相手に聞いた。
「私は、ステファン様を愛しています。お、堕ろせなどと言わないで下さい……お願いします」
しくしく肩をふるわせながら泣く彼女。
「堕ろせなど言いませんわ。治療師の私がそんな簡単に言いませんよ。子は宝、奇跡です。2人が愛し合った結晶なら尚更です」
「……いいのか?産んで?」
「なぜ、駄目なのです?産みたいのでしょう?」
2人は手を握り喜ぶ。ただ、
「ただ、残念ですわね。マグダリア治療院は続けたかった……ここでもう終わりなんて非常に残念でした」
「は?どういうことだ?」
「だって、私はベル様にとって邪魔な存在でしょう?早めに揉め事の種はもぎ取るべきです。私は潔く手を引きましょう」
「つまり」
「離婚ですね」
口を開けるステファン。なぜそう驚くのか。
「おかしいわ。なぜそんなに驚くのです。愛する人を妻に迎え幸せな家族を築けるのですよ。ベル様だって嫌でしょう?私がいるのは」
「だ、だが……」
「ステファン様、よくよくお考えになって。私がここに籍を置いとけば、正妻は私です。そして、ベル様、あなたは妾です。ベル様の産む子は庶子となり肩身狭い人生を送る事になるでしょう。でも、一つだけそうならない手はあります。私の子として育てるのです。あなたが産んで私が育てる、どうでしょうか?」
「い、いやよ!!私の子をなぜあなたに渡さないといけないの?頭おかしいわこの女!」
「お、おい、ベル落ち着け……アイナ、そんな言い方は良くない。ベルも妊娠して不安定なんだ、治療師なら察してくれ」
察してやって提案したやってるんだ、こっちは。
「ですから、離婚が一番良いと思うのです」
「そうなれば、治療院は……うちの収益は」
「あなたのお給金だけですね」
ステファンの目の前で散財する母とろくに働きもしない父の姿が映っているのか、苦い表情をしていた。
「まぁ、そうですね。もし治療院を売るのであれば、そのお金であと数年は過ごせるのではないですか?」
「ほ、本当か?」
「ええ、細々とですが。お喋りなご両親のお世話をベル様が請け負って下さるのであれば、使用人も必要ないでしょう」
「それは、子供の世話もあって無理だろう?」
「大丈夫です、まだまだお元気なお二人ですから、すぐではないですし」
「ま、まぁそうだな。ベルと子を考えると離婚が1番か……」
「ステファン様、私、侯爵夫人になるのですか?どうしましょう、挨拶回りのドレスなど準備をしないとですよね?」
お金が散っていく様が見える。けれど、脳足りんな奴に言っても無駄だ。
私はパンっと手を叩いて、意気揚々と言った。
「さぁ、では早い方がいいですから。お父様達へご挨拶に行きましょう」
*
「あらあら、まぁまぁまぁぁぁ!!」
「ほ、本当か?ステファン!?後継が出来るのか心配していたんだぞ」
手を叩き喜ぶじじばば2人。
よくやったと、義父はステファンの肩を叩き、義母はベルを抱きしめた。
「あぁ、良かったわ。本当に心配だったのよ、いつ孫の顔を見れるのかと……アイナさんは仕事ばかりでステファンも帰ってこなくて。あなたがあの子の本命だったのね」
「ステファン様の子を授かれて、私とても幸せです。あの、お父様、お母様。私を家族の一員にしてください」
「まぁ、当たり前じゃない!なんて素直で可愛らしい子なの。こんな娘が欲しかったのよ、生意気ではなくて」
「女は可愛くてなんぼだ。頭でっかちな嫁はいらんからな」
ひどい言われようだが、最後だから大目に見ましょうか。
「では、私は今日をもちまして、ステファン様とは離婚し、マグダリア家から籍を抜き、治療院は辞めさせて頂きますね」
「治療院を辞めるだと?」
「はい、もう関係ありませんので」
「だが、お前が辞めると……」
「治療院は経ち行かなくなりますね」
「それはまずいだろう。ひどい奴だ、お前は情もないのか?患者や治療院で働く奴らも困るのだぞ?」
義父に睨まれるが全く怖くない。
「まさか。情ばかりですわ。だって、もし離婚した私がマグダリア治療院を続けていたら、元妻を離婚後も働かせる血も涙もない家だと噂のネタですよ?」
「き、君が好きで働いていると言えばいいだろう?」
「そんな事したら、私の株だけ上がって、侯爵家のイメージはガタ落ちでしょうね」
「……何か方法はないのか」
私はステファンに視線を送る。
「治療院を売るしかないのでは、父上」
「ばっ、バカな事を!!歴史ある我が治療院を手放すなどできるものか」
「アイナが実質、治療院を立て直し経営していた今、アイナがいなければ無理だろう?」
「ぐぬ……」
「私の親戚に治療師がいますわ。その方に頼んでは?」
「どこの奴かも分からん者に任せられるかっ」
「ご、ごめんなさい」
ベルが涙を溜める。義母とステファンが義父をそろって非難する。
「父上、妊婦に怒鳴らないでください。意見を出しただけですから。そういえば、父上にはご兄弟がいたと昔聞いた事があり」
「大丈夫よ、ベルさん。気にしないでね」
なんだかステファンを遮るような義母のフォローが気になった。
親族がいるなら、そこに任せるのが1番だがこの状態なら時間がかかるだろう。そしてすぐに潰れるのが目に見えている。
「こういうのは、どうでしょう?私が慰謝料として治療院を頂くのです」
「お、お前、本当はそれが狙いか!」
「まぁぁ、なんて図々しいの!やっぱり、企んでいたのね」
「まぁまぁ、最後までお聞きになって。お父様、血圧上がりますよ?落ち着いて、聞いてください、ね?」
2人の顔が苛ついているがそのまま無視する。
「私は結婚してから、マグダリア侯爵家のために治療院で精一杯働いてきました。それなのに、夫はよそで恋人を作り気持ちいい思いをして、子まで成しました。訴えてもおかしくない事案です。私が不倫したわけでもないし、夫婦生活を拒否していたわけでもない、そうですよね?」
ステファンは気まずそうに目を逸らした。
「なので、一旦、私が経営者として治療院を引き継ぎ、ステファン様のお子様が大きくなるまでの期間、お預かりいたしますわ」
「しかし、それは、あー、その売る事にはならないよな?」
ステファンが珍しく鋭いことを言う。お金は大事だものね、子供を育てるのにもお金は必要だもの。
「ええ、売買ではなくなりますね。私への慰謝料、これには精神的苦痛や急な離婚による当面の生活費も含まれます……そしてこれは、マグダリア治療院の価値に見合いません」
「それはそうだろう、歴史ある治療院だ」
「はい、売れば相当な額です。けれど、私もそれを払える余力などありません。ただ、私は慰謝料がほしいわけではなくて、マグダリア治療院でこれからも働きたいのです、本当は」
「あ、アイナ……君は」
「ステファン様。私、あなたから結婚の話が出た時は心の中で小躍りしていたのですよ」
勿論、治療院で働ける事にね。
「先程も言いましたが、マグダリア治療院は存続させるべきです。そのために私は今後もお役に立ちたい……けれど、不倫された元妻がそこにいれば、世間はどんな噂を流すか。治療院を頼る人達に迷惑もかけられません。なので、こう考えてはどうでしょう。私は慰謝料として治療院を引き継げば、マグダリア侯爵家とは関係なく、私は治療院のために働くこともできますし、歴史ある治療院を存続させる事もできます。名目上、慰謝料としてですが、実際はその権利を頂く代わりに、私は治療院を5000ペインで購入致します」
「ご、5000ペイン……」
「マグダリア治療院の価値を考えれば、だいぶ低い価格ではありますが」
「う、うむ」
「私はどちらでも構いませんのよ?治療院ごと土地建造物の売買に出して完全に売ってしまえば、それなりのお金になりますし、当面、お金には困らないでしょう。ただ、完全に手放してしまうと戻ってこないと考えてもいいでしょう」
「孫は継げないじゃないか!!」
「ええ、非常に残念です。マグダリア侯爵家の歴史もここで終わりですわね。ですが、もし私が慰謝料という形で一時預かっていれば、その時にはお返しするつもりです。それに、今ある治療院の借金もそのまま請け負いますわ」
これは大きいのではないか。
「それを約束できるのか?」
「当たり前です。私はマグダリア侯爵家の治療院に憧れを持っておりました。治療院がなくなるのは、私も本望ではありません」
「だが、しかし……」
「不倫をなさったのは、そちらです。不貞は不貞。慰謝料は頂くつもりです。その慰謝料を払う余裕がお有りですか?」
ないだろう。ほとんど侯爵家の貯金は空だ。
「だ、だが、本当に孫が継ぐ頃には、手放してくれるのか?そのまま、自分のものにするつもりじゃないのか!わしは、騙されんぞっ」
「正当なマグダリア侯爵家の者であれば、勿論、その方が治療院を受け継いだほうがいいに決まっているじゃないですか。歴史ある治療院です、残すべきです」
「だったら、このままマグダリア侯爵家のわしらが続けて経営すればいい。治療師など幾らでもいる。他に優秀な人材を探せばいいだけだ、君だけが治療師ではないんだ、自惚れるな」
義父がふんっと鼻で笑い、その横で義母が意地悪な顔をしている。
「そうですか。残念です、では後日、慰謝料の請求をします。一般的に不倫による離婚、子まで成した際の慰謝料は、だいたい……」
「わ、分かった。ひとまず、君に所有権を渡す。慰謝料は治療院だ」
私があっさり引いた事に焦ったのか、義父は慌てて意見を返した。急ぎでお金が必要らしい。
「だが、必ず孫が継ぐまでに返してもらおう。それか、わしらがその慰謝料分をお前に支払った際は、潔く返してもらうからな」
「それは、勿論です。書面上で示しましょう」
「う、うむ、まぁそれなら」
私は善は急げと、使用人に紙とペンを持ってこさせて書き始めた。
―――――――――――――――――――――――――
アイナ・マグダリアは585暦5月20日を持って、ステファン・マグダリアと離婚し、マグダリア家から籍を外すことをここに証明する。
そして、慰謝料としてマグダリア治療院をアイナ・テディスに譲渡する。名目上は慰謝料として譲渡するが、マグダリア治療院の価値とした5000ペインをマグダリア侯爵に支払い、アイナ・テディスが治療院の経営権と土地建物の所有者となって、その権利を得る。
マグダリア治療院は、マグダリア家の後継が継ぐ時までアイナ・テディスが所有者であるが、その際は潔く上記所有権をマグダリア侯爵家に返還する。
後継に関しては、マグダリア侯爵家の血筋に限り、今後、そのような人物が現れなかった際は、所有権はアイナ・テディスのものとなる。
―――――――――――――――――――――――――
「こんな所でしょうか?何か追加点はありますか?」
「いや、ないが。君は5000ペインをどこから」
「私のポケットマネーですね」
独身時代からこつこつ貯めたお給金と私財だ。それを手放しても、治療院は継続したい。
「ここまでしても、情がないと仰いますか?お義父様?」
「い、いや、そんな事ない」
「では、これで契約成立ですね」
「あ、あぁ。これで当分の生活は大丈夫か?」
5000ペインあれば、まぁ数年は余裕で生活できるだろう。散財しなければね。
「ステファン様、私、小規模でいいので結婚式を挙げたいです」
「勿論だ、ベル。君の希望を全て聞いて挙げよう!」
「あなた、家具が古くなっているのです。侯爵家の威厳を保つため、生まれてくる孫のため、家具の入れ替えが必要だわ」
「あぁ、ベビーベッドなども必要だものな」
「ありがとうございます」
大金が手に入ると知って浮き足立って。頭の中お花畑もいいところね。
「では、私は離婚手続きと土地の売買手続きなどのため、役所に行って来ますので。私の荷物は子爵家の者に取りに来させますわ……では、皆様、お元気で」
私の挨拶など気にもしない様子で、今後の未来プランのため話し合っている能天気な4人を置き、私は侯爵家を出た。
でも、急な事だったから、一枚の書類を机の引き出しに忘れていたなんて、許してくれるわよね?
*
翌日、私は銀行へ来ていた。昨日はそのまま役所に離婚届を提出して滞りなく手続き終了し、私はアイナ・テディスに戻った。
「結婚して半年のスピード離婚。貴婦人達の噂のネタねこれは」
小部屋である人物を待ちながら今後について考えた。不安がないと言えば嘘になる。だが、マグダリア治療院を私が経営できる事実に楽しみがあった。
ドアが開き、背の高い男性が入って来た。
「お世話になっております、アイナ様」
「こんにちは、急にごめんなさいね、イーサン」
「そんな、全然気にしてませんよ。むしろお礼を言いたいくらいですから」
「なぜ?」
「あなたの依頼でこうやってお会いできますからね」
「相変わらずね。それも新たな客の心を掴む戦法かしら?」
「大真面目ですよ」
「イーサンったら」
彼はここ銀行員の営業を担当しており、以前もマグダリア治療院の借金返済の件でお世話になったのだ。言い忘れていたが、私が嫁ぐ前には借金が既にある事が分かり、こうやって相談に来て力になってくれたのがイーサンだったわけ。
「あれから一年近く経ちますね」
「本当にあなたに相談できて良かったわ。治療院の借金もなんとかできそうだわ」
「アイナ様の実力ですよ。それで、今日はどうして?」
「私、昨日、離婚してきたの。それで、慰謝料として治療院をもらったの」
「はい?待ってください、状況の急変化についていけてません」
「そして、治療院のために、融資をお願いしたいの」
「アイナ様、何があったのか、そこから説明して下さい」
「そうよね、ごめんなさい」
私はイーサンに事情を説明した。個人情報に関してはピカイチの銀行。客の秘密など漏洩は徹底されているためそこは信頼している。
「はぁ、アイナ様。お優しすぎます。不倫野郎がどうなろうとほっとけば良かったのです」
「でもこれが、1番早くスムーズに離婚して治療院を潰さずにすむと思ったのよ」
「それはそうかもしれませんが……まぁ、私からしたらアイナ様を口説けるチャンスですね」
「本当に人たらしね。そうやって、何人の顧客を得たのか」
「冗談じゃないのに」
「ふふ、それで、イーサン。無理そうかしら?」
「うーん。アイナ様の今後の治療院の展望などあれば……」
「あるわ、昨日、帰ってすぐに企画書を作ったのよ」
「さすがです」
融資がなければ、平民ばかりが患者の治療院を続けていくのは不可能だ。彼らは治療費を支払える余裕もなければ、治療費を稼ぐ余裕もない。
けれど、町医者は必要なのだ。
貴族達は自分達で治療師を呼べば済むが、平民は違う。今も病気で苦しみ亡くなっていくお年寄りや子供がたくさんいるのだ。
彼らを助けたい。でも、お金のない彼らから搾り取るのは気が引ける。なるべく、生活に支障が出ないラインでの治療費に下げてやっていきたい。
そのための初期費用が必要なのだ。
だから、融資を絶対に得るために、今後の治療院のあり方とどれだけ利益を得る事ができるのかをまとめた企画書を徹夜で作ったのだ。
「ふむ。なるほど……これはまた新しい発想ですね。あなたの閃きには感嘆します」
「ありがとう」
「どちらにしろ、上に通してみましょう。これだけ考えられていたなら、可能かもしれません」
「ほんとに?ありがとう!」
「何より私個人があなたの力になりたいですからね」
「良い相談者に巡り会えて運がいいわ」
私はイーサンにもう一度お礼を言った。先ずは一歩ずつ、進んでいかなければ。
後日、イーサンから連絡が来た。二つ返事で融資が決定したという。
「奇跡だわ。イーサンありがとう!あなたのプレゼンなしじゃきっと不可能だったに違いないわ」
「僕はほぼ何もしていません。あなたの実力です」
「そんな事ない。イーサンの優秀さは知っているもの。本当にありがとう」
私は彼の手を握り何度もお礼を言った。固まる彼を気にする余裕などなく舞い上がっていた。これで、ひとまず治療院は続けられる。
*
その後、離婚というイメージを払拭するかのように、私はがむしゃらに働いた。それに、離婚が自身へのダメージがなかったと言えば嘘になる。少なからず、期待に胸を膨らませて嫁いだのにステファンに裏切られたショックはあったのだ。
だから、あの人たちの事は考えまいと必死に働いた。
まず最初に行ったのが、集団健康診断と健康指導だった。やはり、治療院に行くお金がない人は病気であっても放置する。それに気付かずに病気が悪化して手遅れに、なんて事もあるのだ。
町の皆んなの健康意識向上のために、私は補助員を雇い教育した。その都度、日雇いも雇えばその者達は小遣い稼ぎにもなる。
勿論、初めは人が集まらなかったり、悪戯をされたり簡単ではなかった。
けれど、私の治療を受けてくれた人が周りに呼びかけてくれた事で、だんだんと人が集まるようになり、町の人たちの健康具合や疾患の特徴などを把握しやすくなり、治療や薬の調合に活かせるようになった。
この健康診断や教育を行うために融資がなければできなかっただろう。イーサンには改めて感謝した。
今日も広場には、お年寄りから子供まで人が集まって来ていた。私は一人一人と話しながら健康具合を把握して、必要があれば薬や治癒魔法で治療した。
「アイナ、今日もありがとう!これ、母ちゃんから!」
「トーマス、ありがとう。ちゃんとお家まで寄り道せずに帰るのよ」
「分かってるよ!!」
少年が手を振り駆け出していく。トーマスの母親はほとんど寝たきりで病の原因も分からなかった。2人暮らしで8歳の子供が稼ぐこともできず治療も受けることができずにいた。
夜遅くにトーマスが戸を叩き、『母ちゃんを助けてくれ、死んじまう』と涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔で、彼の手に握りしめられた僅かなお金を見た時は胸が締め付けられた。
急いで駆けつければ、息も絶え絶えな女性。ひとまずできる治療を施して一命を取り留めた。
『なぜ助けたの?治療費も払えないこんな私を……トーマスに言ったの。私はいいからそのお金で住み込みの働き場所を探しなさいって。じゃなければ、あの子も……』
そう言って涙を流す。トーマスはそれを見て言った。
『死んだ父ちゃんと約束した。母ちゃんを守るのは俺だって。だから、先生とこに走ったんだ。先生、俺、母ちゃんのためならなんだってする。汚物処理だって、掃除だってなんだって。治療費は必ず払う。だから、お願いだ……1人は、いやだ』
8歳の少年が感じた絶望と恐怖。それでも母親が目の前で弱っていく姿を見て、見せた勇気。
それを聞き私は堪らずトーマスを抱きしめて、必ず私がなんとかすると約束した。
母親は『ごめんなさい、トーマス。弱くてごめんね』とシーツを震える手で固く握りしめていた。けれど、その瞳には生きようという強い意志を見た。
私はトーマスから庭の薬草を貰う代わりに、母親の治療をした。少しずつではあるが、ベッドで起き上がる時間が増えて笑顔も出て来た。彼らはもう大丈夫。
私の手には、貴重な薬草とトーマスの母親が作った手袋。これから寒い季節に入るからとてもありがたい。
私の治療には、お金もだが、食べ物や日常生活必需品などを貰うことで請け負っていた。そんな事したら赤字になるし、お金をちゃんと支払っている人からすれば不平等に感じるだろう。
でも、意外と平民達が持ってくる物や話の中にはたくさんのお宝が眠っているのだ。治療に役立ちそうな薬草や自家製レシピ、あまり美味しくない食べ物を工夫して料理にするような知恵、特にご高齢の方の知恵は本当に凄い。
だから、健康診断でそれらの情報を得つつ、使えそうな物は取引する。私はお金の代わりに、人々の生活の知恵を買っているのだ。
それが、すぐではないが徐々に徐々に、商品につながり、それに携わる人々の生活が豊かになり、経済が回っていく。もちろん、簡単な事ではない。だが、町全体で助け合っていけるような循環型社会を治療院中心に回っていけたらいいなと思っている。
トーマスが持ってくる薬草だって、私と東洋出身の薬師と一緒に開発した薬に変わっている。
そうやって皆で助け合っていければいい。
「順調そうですね」
「イーサン。また来たの?」
「またと言わないで下さい。融資先の現状把握も私の仕事ですから」
「忙しいでしょうに」
「優秀なので」
こうやって、顔を出してはイーサンも私の手伝いをして行く。町の人達もそうだ。治療のお礼といって健康診断や日々の治療院の手伝いをしてくれる。
本当にありがたい。私は恵まれている。
「皆んなの表情がとても良く見えます。アイナ様のおかげですね」
「ありがとう。でも、まだまだよ。問題は山積みだし、今のままでは続かないわ」
「でも何か考えがあるんですよね?」
「そうね、ゆくゆくは貴族の夫人方をターゲットにして美容に特化した治療のようなものもできたら、治療院の経営も楽になるかなって」
健康診断も終わり、夕方には治療院を閉めていた。書類整理をしながら私は話す。ちらりと彼を見たら、ぱちっと目が合い慌てて逸らした。最近はなんだか、彼を信頼とは、違うもので意識してしまうから困るのだ。
「貴方は本当に治療院のことばかりですね。って、まだするのですか?」
「うん、事務的な処理がね……あまり得意じゃないんだけど、お金の事は他の人に任せられないし」
「治療院が回るようになった今、アイナ様がそれもこなすのは大変では?」
「仕方ないわ。でも、そうね、実は事務要員を募集しようか考えていたところなの」
「募集……ですか?」
「うん、人が来るか謎だけれど」
「あの、」
その時、玄関の方から何かが割れる大きな音がした。
「え?何……」
ドンドン、ガシャンとそれは酷くなる。慌てて行ってみれば、玄関はこじ開けられ、髪は振り乱し顔は血糊がつき、手には剣を握りしめた男が立っていた。
「ステファン……」
「アイナ、覚えていてくれたのか?」
ステファンはそう言うと、剣を引きずりながら素早い動きで私に近づいた。だが、イーサンがそれより素早く私の前に動き間に立った。
「誰だ、こいつは」
「……治療院を手伝ってくれている方よ」
「はん、こんな夜中までか?もう男が出来たのか、良いご身分だな。職場で逢瀬か?」
「馬鹿言わないで。侮辱よ、帰って」
殺気立つステファン。イーサンが私を背後に隠す。
「マグダリア侯爵子息様、お引き取り下さい。不法侵入ですよ、器物損害で訴えることも出来ます」
「うるせぇ、お前と話してない。邪魔だ、アイナを寄越せ」
「無理です」
「……随分、上質な服を着てるな。腹が立つ」
そう言ってステファンは剣をイーサンの顔に向けた。その血糊は誰の?
「アイナ、お前のせいで何もかもぐちゃぐちゃだ。知っていてやったんだろ?わざと、置いてったんだろ?」
「……遺伝子解析のこと?」
「そうだ、それだよ。小賢しい女だ」
「事実しか書かれてないわ」
「そうだ、事実だ。俺はマグダリア侯爵の血なんか一滴も流れてない、そうだろ?」
ステファンは、マグダリア侯爵の子ではない。侯爵夫人がよその男と作った子だ。つまり、托卵だった。
「書類を見た親父がよ、発狂して家がめちゃくちゃになったんだ。それで、親父は母さんを殺した、俺の目の前でな。昔から不思議だったんだよな、なんで俺には魔力がないんだって、治癒魔法が使えないんだって」
彼の生い立ちを聞いた時に違和感を感じたのだ。マグダリア侯爵家は代々優秀な治療師を排出しており、その魔力は必ず受け継いでいた。
だが、ステファンの場合は平民とほぼ同等の魔力、つまり、それはほとんどないに等しかった。そして、マグダリア侯爵も僅かしか魔力がなかった。
私は内密に遺伝子解析をした。特殊な魔法溶液に採取した粘液をつけると、その家系の魔法の色と紋様が現れる。私の場合は、テディス子爵家の淡い緑と母方の青、そしてテディス子爵家の紋様だ。
貴族の紋様は、この魔力解析により浮かび上がる色と形が使われる。だから、これは本当にその家系の子かを知るために使われてきた古い方法であり、今ではあまり使われなくなっていた。魔法溶液を作るのがとても難しいのだ。
この魔法解析は、子供の性別で現れる物が違う。男なら父と全く一緒、女なら父の色と紋様と母の色の3つだ。なぜ、性別で違うかと言うと、男性は女性より血が濃い、所謂強いと言われる。そのため、血に刻まれた女性側の紋様は、受精の際にそれが吸収され、生まれる女児は、男性の紋様に変わるのだ。
ステファンはマグダリア侯爵とは全く違う色と紋様をしていた。しかも、紋様はなく色は黒。それは平民を現す特徴だった。
しかも、マグダリア侯爵自体も紋様と色が違っていたのは驚きであった。
つまり、マグダリア侯爵家は、義父の代からその血が途絶えていたということになる。
「親父も自分がまさか庶子の方だったとは思わなかっただろうよ。腹違いの弟が本物で自分が庶子。ほんと、何やってんだろーな、うちの家系の男達は。嫁に騙されてやんのって」
狂気じみた顔で嘲笑うステファン。前の面影はなく顔はもう人殺しの目をしていた。
「それをわざと置いてったアイナ、お前も相当な悪女だな。それを知っていて治療院を貰ったんだろう?ははっ、お前の患者達にバラそうか。お前らの先生は姑息な手を使う悪女だって」
「言えばいい。事実なのだから仕方ないわ。それに、あのままだったら、もう既にこの治療院は潰れている。だって、貴方達、治療師として何も出来ないでしょう?」
「このっ、馬鹿にして!!」
剣が私に目掛けて動く。それをいとも簡単にイーサンが手でいなした。
「八つ当たりは良くない。話を聞く限り、アイナはその解析書類を置いて来た。つまりは、その情報をどうするかは貴方たちマグダリア家に任せたということだ。言っていることが分かるか?事実を他人のせいにして暴れて自滅しているだけだ、なんて浅はかなんだ」
急にイーサンの態度が変わり驚く。
「なんだ偉そうに。平民が口出しするなっ」
「そんなお前が平民だ」
カッとなったステファンが剣を振りかざす。騎士団にいた彼の剣など避けられない。
「イーサン、逃げて!ステファンやめて!」
そんなこと言っても遅いのは分かっている。でも狂気じみたステファンはきっと、イーサンまでも殺すかもしれない。
私はイーサンの腰に手を回して避けさせようとした。が、そんな事すれば体制を崩す事は目に見えているのに、私は焦りで平常心を失っていた。
「うおっ!?」
「わっ!」
イーサンがバランスを崩して倒れ込む。それでも私を抱き抱えながら、ステファンの剣を左手で掴み足で剣を蹴り上げた。
剣が空中を舞いながら落ち乾いた音が鳴る。
「くそっ」
ステファンが殴り掛かろうとしたが、イーサンが手をかざすと後方は吹っ飛ぶステファン。
「うぅ……」
そのまま気を失うステファン。私は彼とイーサンを交互に見て、「え、」と絶句した。そして、彼の左手のひらから多量の出血を見て、慌てた。
「イーサン、手、血が!!」
自分の白衣で止血をしながら治癒魔法をかけようとしたのに、イーサンがそれを止める。
「何してるのよ、血糊がついた剣を握ったでしょう?感染する前に処置しないと」
「何してるのはこっちのセリフです。何でタックルするんですか、あの状況で」
「だ、だって、避けないとって」
「あんな腰の入っていない剣など何でもないのに、逆にタックルされて心臓止まりそうでしたよ」
「だ、だって、切られるかもって」
その時の恐怖を思い出し声が震えた。そんな私に気付いたのか、イーサンが優しく言った。
「あんなの何でもない。それに、好きな女の前ではかっこつけたいじゃないですか。それを貴方って人は。ズッコケる姿を見られた俺の気持ちにもなって下さい」
「そ、それは……へ?」
特に何でもなさそうな顔のまま、傷を確認するイーサン。「いてっ」なんて呑気に言っているが、今凄い爆弾を落としたような。
「好きって誰を?」
「馬鹿ですか?アイナしかいないでしょう?」
「だって」
「休日にせっせと治療院に通う理由なんて一つしかない」
「休日だったの?」
「そう」
「というか、あなた本当は誰?」
「失礼だな、イーサン・グリーミル」
「ぐ、グリーミル!?グリーミル公爵家!?な、なんで教えてくれなかったの!?」
「聞かれてないから」
「そんな馬鹿な」
「こっちが、そんな馬鹿なだよ」
「えぇ、」
「グリーミル銀行で働く優秀な若手なんてすぐ気付くと思ってたのに」
「じゃあ、融資は……あなたの一存で?」
「まさか、ちゃんと父と兄貴に通してるよ。まぁ、半分は強引に」
「そんなことって、あり得ないわ」
「こっちが、もうあり得ないほど分かりやすかったと思うんだけどね」
手を抑えながらステファンを見るイーサン。「もうそろそろなんだけど」と呟く彼を見上げた。
いつの間にか言葉遣いが変わっている彼に、ちょっとキュンとする私は頭がおかしいかも。
あぁ、確かによくよく考えたら、グリーミル公爵家特有の綺麗なパープルの瞳をしているわ。でも、光によっては青に見えるから全然気づかなかった。
「えっと、グリーミル公爵子息、さま?」
「ねぇ、やめてくれよ。今更だろう?」
「で、でも……」
「じゃないと、今ここでキスする」
「えっ」
イーサンが近づき座り込む私を両腕で囲む。後はカウンター、前にはイーサン。
「どれだけ我慢したと思ってるんだ。人妻を好きになってしまった俺の罪悪感分かる?」
「わ、分かる」
「いいや、分かってない。嘘は良くない、うん。だからキスしよう」
「や、それはちょっと」
「どうして?嫌?」
「や、じゃない、けど……」
ちらりと彼を見たら、意地悪く微笑むイーサン。そんなキャラだったの?
でもそんな彼にドキドキして期待している私。
「いいの?するよ、キス」
「……」
嫌なんて言わない。
彼が覗き込むように見て、下から啄むようにキスされた。一度離れて、もう一度触れる彼の唇。熱くて甘い。
目が合いイーサンの瞳が怪しく光る。やばい。
今度は上から唇が振って来そうな体勢、私は目を閉じた。
「まだやるのか?イーサン」
「!!??」
玄関エントランスには数名の騎士達と1人の男性がいて、気づかなかった驚きと見られた恥ずかしさで、心臓が跳ねて縮んだ。
「邪魔するな、兄貴」
イーサンは振り返りもせず、そのまま続けようとする。
「い、イーサン!」
「ちっ」
イーサンが離れて安心する。でも顔を上げられない。
「こいつが通報されたイかれた元マグダリア侯爵子息か」
イーサンの兄が騎士達へ指示を出してステファンを拘束し連行して行った。そして私に言った。
「アイナ殿、申し訳ないが一連の事情をお聞きしたい。一緒に来てもらってもいいか?」
私はこくりと頷く。そんな緊張した私を見て、イーサンは言った。
「俺も行くから、大丈夫」
「お前は父上の所に行って、仕事をサボった事と一連の事件について簡潔に説明してこい」
「仕事サボってたの?」
「今日はね」
悪戯に片目を瞑れば、兄に叩かれるイーサン。なんだか、だいぶお茶目な性格なのね。
私達はそれぞれの場所へ向かったのだった。
*
マグダリア侯爵家は、義父だった元侯爵の腹違いの弟のヨハンが継承することになった。その際は、私の魔法遺伝子解析を使って、ヨハンがマグダリアの血筋だと証明された。
ヨハンは、若い頃に庶子だと侯爵家を追い出された後、転々と治癒魔法師として活動していたらしい。
そして、マグダリア侯爵邸は悲惨な事になっていたらしい。発狂した義父が義母を殺し、それを見たステファンが実父を殺した、それも顔が分からないほどの残酷さを残して。
ベルは騒ぎを聞き、身の危険を感じて使用人より早く逃げた。そして、近くの貴族邸に駆け込み通報していたらしい。
ステファンはその罪にて死刑。平民の血だと知っていながら、私やイーサンに手を出した事が、死刑の決め手になった。獄中、「アイナを殺す」を繰り返しているらしく、その精神状態はまともではないらしい。
通報したベルは、不倫のあげく妊娠までした事実が明るみになり、実家からは煙たがられた存在になった。腹の子が大きく、流石に勘当されはしていないが、今後生きていく中で、その代償は大きかった。
そして、私はというと、マグダリア侯爵邸に呼ばれて、現マグダリア侯爵様と面会していた。
「この歳にまさかここに戻って侯爵になるとはな、ははは」
元義父とは違い快活に笑うマグダリア侯爵様。
「こんな貴族なんて辞められるいい機会だって喜んで飛び出したのに、いざ戻ってくると懐かしいなぁ」
「マグダリア侯爵様。治療院は侯爵様にお返し致します。あの解析結果を知ってから、本物のマグダリア侯爵の方の手に渡るのが1番だと考えていました。それまで、潰れないようにするのが私の使命だと」
「アイナ君、君はこのまま治療院で働きなさい。君が院長として、今後も治療院を発展させるんだ。勿論、オーナーは私の名になるがな」
「あ、あの、それは、いずれマグダリア侯爵様の親族が来るまでの期間って事ですか?」
「うん?そうだなぁ」
マグダリア侯爵は閃いた顔で続けた。
「マグダリア侯爵家の血筋の者が継ぐのがやっぱりいいか。うん、よし、アイナ君。私と結婚しよう!」
ガタガタ、バタンと扉が開いた。
「は、はい?」
「何言ってやがる、この変態じじぃ!!」
え、いや、マグダリア侯爵に向かってなんて口の利き方するの!?
「勝手に入るなど失礼だぞ、グリーミル公爵子息君?」
「ふざけるな。侯爵いくつだ」
「65、まだまだ下も元気だ、若いの。君よりな、ぐふふ。可愛い孫、いや我が子を見るのが楽しみだなっ」
「猥せつ罪だ、拘束しろ」
「おいおい、年寄りには優しくしなさい」
「元気だと言ったり、年寄りだと言ったりめんどくさいな!」
「さぁ、アイナ君。私達の寝室へ案内しよう」
「駄目だ、ぜったい、だめ!!アイナから離れろ」
イーサンが私を後ろから抱きしめる、じゃなくて羽交締めのようにきつく腕を絡めた。
マグダリア侯爵が楽しそうに目を揺らす。完全にイーサンがおもちゃにされている。
とても、貴族らしくないマグダリア侯爵が、私はこの時からとても好きになった。それに、陽気なマグダリア侯爵様だったら、今後の治療院の展望は明るいだろう。
「わしと結婚しても展望が明るいぞ」
「黙れ、まだ言うか、エロじじい」
イーサンの腕に力が入る。さすがにきつい。
腕を叩いてアピールするが、イーサンの警戒態勢は緩まない。仕方ない。
「マグダリア侯爵様、あの、じきにイーサン似の可愛い子を連れて参りますので、よろしくお願いしますねっ!」
「ほほーう、逆プロポーズだと。良いもの見た」
ポロリとイーサンの腕が離れた。
後ろを向き顔を覆うイーサンが可愛くて仕方なかった。首と耳が真っ赤なのはバレバレだからね、イーサン?
でも、私間違ってないでしょう?
その後、アイナは治療院の院長として、イーサンは事務長として、町1番のおしどり夫婦として有名になったとさ。
もちろん、子宝に恵まれて。
おしまい。
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