第9話 いないいない、ばあ
「美優、何ジロジロ見てるんだ」
「べーつーにー」
「おねだり、でもなさそうだな。気持ち悪いぞ」
「失礼ね」
廣野家へ行って以来、
私の、パパを見る目が変わった。
私の態度は変わらないけど。
へえー。
このパパが、ヤクザ、ねえ。
どこからどう見ても、普通のオジサンだと思うけど。
それを言うならあの組長さんもそうだな。
ここ数日、いつもに増してパパは忙しそうだ。
そりゃ実家の事務所が倒産の危機ともなれば、
いくら自分達の生活には関係ないとは言え、放っておくわけにはいかないよね。
ふふふ。
大丈夫よ、パパ。
組長さんがなんとかしてくれるから。
「なんだ、そのイタチ目は」
「パパ。今のうちに私にお礼を準備しといた方がいいわよ」
「何のお礼だ?2学期に保健体育で5を取るお礼か?」
「それもあるわね」
「まったく・・・誰に似たのか・・・」
「こーゆーところはパパよ」
そう。パパの教育の賜物よ。
「おねーちゃっ!あしょんでえ」
また龍太が接近してきた。
「いや」
「あしょんでぇ」
「いやだって」
「美優。遊んでやれよ」
「パパが遊んでやればいいでしょ?」
「龍太はお姉ちゃんと遊びたいんだよな?」
「うん」
龍太は満面の笑みで頷く。
・・・この子は。
私は龍太が生まれた時、すでに中学1年で、
なんの面白味もない新生児に全く興味がなかった。
笑いもせず、ただ泣くかオッパイ飲んでるかウンチしてるか、だけだもん。
それに、こんな歳の離れた兄弟、恥ずかしい。
そしてこの2年、私はロクに龍太に構ってこなかった。
一緒に遊んだこともないし、
一緒に出かけたこともないし、
一緒にお風呂に入ったこともない。
それなのに、どうしてこんなに私と遊びたがるんだろう?
「いや」って言われるのわからないのかな?
もはや理解不能な宇宙人だ。
「おねーちゃ、こえ、よんで」
「・・・龍太、その絵本好きよね。いっつもそれ持ってくるもん」
「うん。ちゅき」
「・・・」
ついに私は根負けして、龍太を膝に乗せて絵本を開いた。
「いない いない ばあ」という絵本。
動物が「いない、いないー」と顔を隠しているページがあり、
次のページで、その動物が「ばあ」と言って顔を見せるというもの。
ひたすらそれの繰り返し。
何が面白いの?
「いない、いないー」
「キャッキャッ!」
「ばあ」
「きゃあー!」
「いない、いないー」
「きゃー!」
「ばあ」
「きゃああああー!」
龍太はもう大ハッスル。
どこに喜ぶ要素があるのかサッパリわからない。
「美優もその絵本、大好きだったな」
「え!?嘘!?こんなのが!?」
「ああ。いっつもこの絵本持ち歩いて、すきあらば俺に『よんでー!』ってねだってたぞ」
「・・・覚えてない」
「せいぜい3歳までだったからな」
信じられない。
「こんな絵本のどこが好きだったのかしら?」
「絵本は、小さな子供にとっては内容よりも、好きな人の声を聞くのが楽しいんだ。
父親とか母親の声で、何かを読んでもらう。それが大事なんだよ」
「・・・ふーん」
「内容を理解できるようになるのは、もう少し大きくなってからだなー。
だから、この『いない いない ばあ』はよくできてると思うよ。
ストーリーも何もないけど、子供の好きな動物が顔を隠したり、見せたり・・・
しかも親の声も聞ける。小さい子供にとっては最高の絵本なんじゃないか?」
「・・・」
「だから、もうちょっと抑揚をつけたり、大きな動物だったら声を低くしたり、
小さな動物だったら声を高くしたりして、工夫して読んでやれよ」
「・・・」
パパはどうしてこんなに絵本に詳しいんだろう?
答えは簡単。
私の記憶にはないけど、私に絵本を読んでくれてたからだ。
きっとパパも最初は「こんなののどこが面白いんだろう?」と思ってたに違いない。
でも私が喜ぶから、読む。
読んでいるうちに、「あ、こういう読み方したら、もっと喜ぶな」というのがわかってくる。
そうやって、上手に絵本を読めるようになってくるんだ。
確かに、パパとママが龍太に絵本を読んでるときの声はすごく優しいし、
聞いててこっちが恥ずかしくなるくらいオーバーに読んだりする。
でも龍太はそれが楽しいらしく、狂喜乱舞してる。
親っていうのは、何をしたら子供が喜ぶのかを
つねに手探りで探しているのかもしれない。
じゃあ、どうしてパパは、絶対に私が喜ぶ携帯を買ってくれないんだろう?
私がパパの子じゃないから?
・・・そうじゃない気がする。
だって、パパは私に絵本を読んでくれていた。
だけど携帯は買ってくれない。
何が違うんだろう?
絵本を最後まで読み終えると、
(ひたすら「いない、いない」「ばあ」を繰り返してただけだけど)
龍太が「もいっかい」とせがんできた。
ストーリーがあるものならともかく、
こんなんじゃ、読んでるこっちがつまらない。
自然と、なんとか1回目とは違うことをしようとする。
「龍太、最初の動物はなんだっけ?」
「にゃんにゃん」
「そうねー。いない、いないー」
「きゃあ!」
「ばあ!」
「うきゃあ!」
猿みたい。
「次の動物は?」
「わんわん」
「本当?いない、いないー」
「うううー!」
「ばあ!」
「くまちゃんだったぁ」
「そうねー。次は?」
「みっきーまうちゅ」
「ミッキーマウス!?あははは!」
ネズミだから間違ってないけど、
このネズミを見てミッキーマウスを連想するの!?
面白いなあ、子供の思考回路って。
結局、ヤクザのことなんてすっかり忘れて、
ひたすら「いない、いない」「ばあ」でこの夜は更けていった。