70話 絆されざる痛み
大戦準備一日目の深い夜。精霊の海、極秘の大海。陸地が存在しないアトランティス帝国と酷似した地形の海底に設置された深海宮殿。遠い昔に取り残された宮殿は、輝きを維持したまま、聳えているだけだ。
『もう大丈夫そ?』
内密に訪れたセアが尋ねた。相手は、”詞”の元祖鷹司兼平と”刻”の元祖一条実経である。
実経はイレミアとの交戦で、頂点魔法の連発により死んでしまった。
『久しぶりに才なんてもん使ったぜ!』
『細胞も根こそぎ組み替えたようだ。守ってくれたこと感謝する』
『…やったのはイニティウムだ。本題に入ろうか』
『いいぜ』
セアが本題を言う前に、実経が頷いた。彼女は首を傾げた。
『何も言ってないじゃない』
『言わなくても分かる。オベロンが選んだんだろ?』
『まあな。イニティウムがお前の死体を造って、偽造した。他の奴らは疑いもしなかったが、オベロンだけは見抜いていたよ。お前の生存を言われたときは肝を冷やした』
『御託はいい。私たちはどこに行けばいい…?』
兼平の焦った様子に、セアは素直に答えた。
『私が統括する神殺しの海だ。クヴァレ帝国本土を破壊する。バイラールの予想では、城内の地下にノーヴァがいるらしい』
『兄貴を討つってのか?』
『ああ、だがオベロンの未来予知では邪魔が入るらしい。曰く、お前達二人が適材適所という推測だ』
指揮の見解に頷いて、実経が言った。
『俺はお前のことを希望だってことで信じてる。魔法の腕も信じてるし、失敗しないってことも信じてる。でも、俺たちが足手まといになる可能性も信じてる』
がさつな性格の彼だが、今は慎重に物事を図っている。透けた髪の下に潜む緑から、並々ならぬ深い自信が伝わってくる。
『私はお前達が悪い結果を残す可能性を信じていない』
「おらぁぁ!!」
実経は巨大な鎌を振り下ろして、ソロモンを狙う。軽々と避ける彼を待ち受ける兼平は、魔力の一つである”気”を解放する。紙垂が結晶化し、鱗撃を仕掛ける。微細な紙垂結晶を意のままに操って、ソロモンの行動範囲を制限する。彼は苛立つことなく、予備動作と詠唱を省いて悪魔を召喚した。瞬時に反応した兼平が鱗撃し、実経のところには行かせないようにする。
(硬い!)
だが、鱗撃の一部が悪魔に跳ね返される。他の鱗撃も当たりこそすれど、深く刺さっていない。兼平は麟撃で渦を巻き、悪魔を紙垂結晶の檻に閉じ込める。大規模な攻撃に神経を尖らせていると、いつの間にかソロモンが間合いに侵入していた。拳を握られている光景を見て、氷の防壁を合間に挟む。ソロモンが拳を放つと、氷の防壁は脆く崩れて、兼平に接触する。
「がっ!!」
重い衝撃が体に走る。びりびりとした神経を痙攣させる痛みに兼平は意識が遠のいていく。ソロモンが追随する拳。シュンという風を切り裂く音とともに、背後に周っていた実経が鎌を振り、拳を切り離した。実経が二人の間に割って入った。それと同時に、ソロモンが距離を取る。
「おい!」
「うるさい、頭に響く」
二人はつかの間の休息で状況を整理する。
(倒しても倒しても無限に湧く。悪魔の耐久力もかなり高い。一発一発を本気にしたいが、そうなってくるとソロモンに使える力が残らなくなる。まあ、それも)
兼平は実経を見た。相手が相手だけに完全な勝利は見込めそうにないが、言いようのない自信が湧いてくる。勝利はなくとも、敗北もないと。
「ピンピンしてんなら、良かったぜ。兼平、倒せそうか?」
「戯言を」
にこりと悪巧みする二人の顔。ソロモンは悠然とした態度で、召喚魔法を酷使した。地下に蔓延する悪魔の瘴気。悪魔だけでなく、魔物も顕現する。明らかに狂った数の化け物を召喚しても、ソロモンは憔悴していない。とびきり大きな魔法陣が展開され、かつて魔王と恐れられていた存在が召喚された。
「喜べ、これを出すのは悪魔大戦以来だ」
魔王の召喚という絶望的な状況でも、実経と兼平は笑っている。
「くそ化け物野郎」
「粗暴な。まあ、だが同感だ」
兼平が床に手を置いて、凍結を推進していく。それは空気中に存在する分子を振動させ、霜の空気を生成した。空気を吸った魔物は内部から凍り付いて動かなくなる。それを実経が鎌を振り回して、粉々に粉砕する。道が開いた。全速力で疾走する。野心に満ちた眼差しで鎌を振り下ろす。緊張で汗が滲む手で鎌を握る。
膨大な魔力が放出される。洗練され、淀みがない流麗な魔力から編み出される魔法にソロモンは興味がわく。等身大で重量のある鎌を振りかぶって、魔王と相対する。兼平が紙垂結晶をより凝華させ、動きを封じた。兼平の切っ先を魔王の体に食い込ませ、実経が魔法を発動させる。
「マナ魔法時空系…最終完凝アーベントロート」
鎌を媒介として、兼平は不可避の魔法を魔王に展開する。その直後に魔王の肉体はゆっくりと崩れていき、構造が露呈し、最終的には消滅した。その光景を食い入るように眺めるソロモンは絶望でもなく、駒が減った憤怒でもなく、ただの興味が勝っていた。
「おいおいおいおい、気になって仕方がねえって顔してんぜ。ソロモン!!」
着地した実経が語りかける。ソロモンの予想を上回ったことに対する喜びを全身で感じている。
「魔王が反応せんな。時間とくれば、進めるか、戻すか。それと停止。今のを見るに甦りに近いか?
時間の経過ならば、老死で”致死量”の発動条件に対応する。となれば、甦り。時間逆向なる時空魔法の極みだろう。死とは程遠き、誕生の概念。確かに、汝に通用する。発動条件というよりかは行使条件は、鎌が触れていること、それを媒介にしていることか…難儀なものだな」
的を射た見解に、実経は肩を震わせる。
(怖がるな。これくらいのこと想定してただろっ!)
言い聞かせて、悪態を貫き通す。
「随分な自信だなあ!」
「当たらなければ、いい話だ」
紙垂結晶の鱗が僅かに掠めて、ソロモンの頬を斬る。兼平がソロモンの背後に立ち、凝華を促進している。気のコントロールを放り出して、攻撃に全振りしている。殺意高まる判断に、ソロモンは尚平然としている。
「言い方を変えてやろう。近づかせなければいいだけのこと」
ソロモンは人差し指を口に当てて、とある呪文を詠唱する。それは一元素を操作する者ではなく、全般に普及した魔法を展開する詠唱。
「出で来たれ。我が宝物よ。
其、輝きを跳躍せよ。其、蹂躙せよ。
汝、昏き黄泉に踏み入れたる。
汝、永久に囚われよ」
眼を焼くような激しい光が地下の部屋に横断幕を敷いて、逃がさまいと包囲網を作った。光の正体は今まで見たこともない魔法術式を組み入れた陣が展開されていた。何重にも重なる単独の魔法に、実経と兼平は軽い絶望を覚える。準備の整ったソロモンは言い放つ。
「汝が召喚魔法しか使わぬと思い込んでいるようだが、少し教えてやろう。今、貴様らの前にいるのはマナ魔法の創始者たる魔法の開祖が一人。
───蹲え、愚者共よ!」
魔法が投下された。全色が揃う魔法の連発と、空間の隙間が生まれないように、埋め尽くす魔法の弾幕。防御魔法を展開し、鎌を払ってソロモンの魔法を跳ね返す実経。紙垂結晶で衝撃を伝達し、結晶化させ、魔法を防ぐ兼平。二人は各々の手段で魔法を掻い潜るが、それに順応するように拡大していく魔法の数々。
(なんだよ、これ!?)
実経はソロモンに近づこうと直進するも、どこからか壁を跳弾して軌道を変えた魔法が侵攻を邪魔してくる。苦戦する二人を見て、ソロモンはさらに魔法の出力を上げ、加速させた。音が速度を超え、甲高い鈴のような音色を奏でている。圧倒的物量の前に、二人は防御に徹することしかできない。摩擦で起こる熱と魔法が駆ける反動で生まれた風が相乗して、熱波が肉体を切り裂く。気づけば血だらけになっている。そんな中でも、ソロモンは魔法を増やし続け、殺戮を止める予兆すらない。
(くそっ! これ以上は捌ききれねえ!)
実経は時空魔法を駆使していく。彼の魔法発動は魔法の開祖と遜色ないほど磨かれているが、その実力を持ってしても選別に追いつかない速度を誇るソロモンの魔法展開速度に、彼は鬱陶しさよりも尊敬の念が勝る。
(速さもそうだが、操作練度も高ぇ。一つ一つの純度がオド魔法のそれと同じくらいに高ぇ。マナ魔法の汎用性が組み合わさって、とんでもねえ魔法数を実現してやがる!
初めての魔法弾圧だ。手数と練度なら魔法の開祖随一だ。兼平が凍結してくれてなきゃ、早々に死んでる!)
思考を繰り返している最中でも、回避と防御の思考を継続しなければならない。でなければ、魔法が急所に当たり、再起不能に陥る可能性が高いからだ。
屈折や魔法同士のぶつかり合いで、突然、軌道を変える魔法に、演算で予測した防御が崩れ落ちる。あまりの猛攻に、実経は後退せざるを得ない。兼平が紙垂結晶を拡張させ、冷気の量を増やした。鈍る魔法。順応しているのは魔法だけではないことに、実経は活路を見出す。
「…」
兼平は膝をついて、その場を動かず、ずっと気を巡らせていた。凍結の促進で、魔法の粒子の活動を抑える。彼女は魔法のことについてはよく分からないが、実経とは違った観点で勝負を見定めていた。それはソロモン自身。ソロモンの肩から腹にかけてを切り裂いた殺傷が膿に侵され、化膿していることに気づいたのだ。与えたのは、ソロモンの相手をしていたセアの嬲り下ろし。即死させない程度に致命傷を与えたセアの的確な制御技術で実現した傷。
(ソロモンは魔法範囲を小規模に抑え、格闘で戦いを続行する。だが、今は格闘戦に乗り気ではない。実経に触れない予防線もあるだろうが、一番はあの傷だ。恐らく、片腕の神経に根強く衝動を与え続けている。治癒魔法でも回復できない剣術を処理できていない。なら、勝機を逃すわけにはいくまい)
兼平は思い出す。全てを託してくれた基実と良元の言葉。そして、今まで守ってきた近衛家と二条家の思い。増えていった彼らとの思い出を忘れないように、生きなければいけない使命が本能を刺激する。
(思い出の光景を、言葉にしよう。そして、また光景に戻す…)
ぱきぱきと飛散していた氷の粒子同士が結合して、雹を生み出す。ソロモンの展開した魔法の渦の外側で吹き荒れる氷の嵐。ブリザードだ。ばきばきと地を削り、凍結の速度を限界まで高める。紙垂結晶の透明度がより高くなり、霜が降りる。氷の生成速度と雪景色の再現性が向上していく。
ソロモンは気づいた。兼平がついに、”詞”の元祖としての才を発動させたこと。高まる好奇心が鈴の甲高くも清い音を連想させる。
「追想は火を灯す一片の薪。”響絆”、ここに在り」
―”詞”の元祖、縁を重んじる者也
かの者、追想の火は絶えず燃え、
かの者、高原の凩を御霊う
かの者、氷結の霜を停泊させ、
かの者、海洋の漣に胸打つ
出会う光景を再現し、思い出を甦す
故、彼女、再生の祈祷師と称す




