64話前編 ヘシオドスの痛み
永遠なる神秘に響く剣劇。熾天使の剱を解除して、アンテロスを振るうセアは最終調整に移っていた。神器アンテロスを造ったイニティウムが動きを観察している。遠目で観察するのは集められた主要戦力であり、紅帝族序列を冠する面々だ。中には守護者を経験した猛者もいる。神との闘争が予想される戦況で、活躍が期待されるもの達と解釈した方がいい。
目と鼻の先で行われる貴重な舞踊を見逃さまいと目を大きく開く。それだけではないだろう。本心は、セア・アぺイロンの磨き上げた姿を記憶に焼き付けたいのだ。映像越しでも感動で心が震えた。いざ心眼で見ると、その姿と高すぎる技法に言葉が出ない。
ヒュンヒュンと風をかき分ける音。ステップを刻む靴音。交錯する手足の伸び。何の変哲もない基礎でさえ、揺らぐ何かに心は必然的に奪われる。
(これをいつもやっているのか。演技なんて戦場では意味がない。虚栄にもならない傀儡を大事にしている。規格外のパフォーマンスだ…)
桂は戦慄した。
着地したセアに近づいていくイニティウムは、彼女の手を握って脈を測る。会話が聞こえてくる。
「軽量化しましょう」
「お前の腕に間違いはない。できていないのは私だ。お前に妥協させた剱で戦いたくない」
「…舞いと独立したステップを結ぶ回転がぎこちないです。重くなければ、あそこでテュポンに遅れは取らなかったはずです。これも全て私の不祥事」
「六百年も眠っていたつけを払わされているだけだ。このくらいなら調整の範囲内だ」
身体能力について打ち合わせをしている二人を横目に、ぽつぽつと話が始まる。
「寝起きに脳は働かないでしょ」
「それより筋肉も衰えてるはずだ。先天的なセンスがあろうが、一線を退いてたんなら感覚なんて忘れる」
「準備運動が神なのはまあ、この際どうでもいい。まさか私たちの技術も取り入れるなんて…」
「通常では考えられませんね。常人には不可能な構成を紡ぐ。それがセア最大の強み」
「…ほんに可笑しな奴じゃのう。じゃが、それでこそ」
「希っただけはある」
感情の起伏が乏しいアストラが言った。行方知らずの彼女は颯爽と現れる。以前とは少し雰囲気が違う。情報では、母である”星”の元祖の血を自覚し、開花させたらしい。アストラと同じ夜の一族であるライラに関しては、実の父親ノーヴァの裏切りで傷心の身にある。召集された者達は異なる感情を持つ。共通するのは、徒党を組む種族として負けたということ。
「煙草」
暗然とした空気が漂う中で、最終調整を終えたセアが言った。型破りな発言。アストラは持っていた煙草を投げ渡す。手慣れた動きで煙草を咥える。指先に小さな炎を灯して、煙草に火を点けた。副流煙でセアの顔が覆われる。その中で異彩を放つ緑の宇宙の瞳。セアではない異物が錯綜している。不思議と不快ではない。目線が向けられる。吸い込まれそうな眼力は、セアが清らかな英雄でないことを表している。
通常であれば、序列一位のゲニウスが議会の中心であり、議決権を持っている。しかし、今回は緊急事態であり、異例の出来事。最終議決権を持つ紅帝族殿堂者セア・アぺイロンが担う。
(人類の存亡を決する大戦の指揮権がセアにある。七洋最強神テュポンとリヴァイアサンに独断でやり合えた戦闘を見せられては、反対するわけがない)
召集をかけられた魔法使い桂はそう思った。隣には天皇である大紫蝶。竜族棟梁杠。原初一族始祖プロエレとエドガー、ラウルスも集められている。
数は圧倒的にこちらが少ない。共通点は紅帝族序列に名を連ねる者だということ。勝敗を決する要素に味方が少ないと、心許ない。だが、セア・アぺイロンの帰還で机上の空論となる。
宇宙の神秘に触れ、宇宙の最高到達地点を見た清々しい気分。このレベルの戦いが繰り広げられることに、実感が湧かない。
煙草を粗方吸い終わったセアが口を開いた。
「私のお手本、見たよね?」
紅帝族序列者は頷くなどの反応を見せる。
「なら、もうできるね」
セアの発言に誰も反応できない。無茶ぶりに桂が眉をひそめる。できるはずがないと言えばいい。だが、自分よりも戦闘経験が浅い神皇がそれを可能にしてしまった。
(神皇は、この場にいる誰よりも若い。戦闘経験の質や密度は濃いが、量で言えば圧倒的に格下。だが、辿り着いた。
できないからやらないじゃない。できないのがやらない理由にならないって教えている…)
沈黙の中で、ゲニウスが口を開く。
「朝飯前です」
「…上出来」
「セア、一つ頼みがあります」
「ん?」
「あなたが木鐸となってでも、警鐘を鳴らす厄災の存在を教えていただきたい」
頼みを聞いて、セアは少し考えた。すぐに立ち上がる。
「この宇宙は原初神三十二柱によって創られた。神々は子孫を残し、人類を生み出した。アザトース神とその他の神々」
「それが紅魔族と明帝族…」
「問題は、神が神に執着したこと。執着心の強い神は、自身に目を向けられないことと異なる人類を生み出したことに激怒した。天界宇宙に存在していた神々を虐殺し、地上宇宙に人類を送り支配下に置こうとした」
「…その人類が元祖ということか」
「ええ、でも元祖は人の心を持つ。神の思惑は外れ、こうして派閥争いに発展している。だから、神は七洋を送り、機会を待った」
「六百年前がその機会。悪魔大戦と七洋の襲来に、そんな思惑が…」
「それも失敗に終わり、ノーヴァが眠りから覚めるのを待ったということでしょうか。まだ疑問があります。アストラは神々の監獄に囚われていたのでしょう。その処罰も、釈放も権利は神々にある。七代天使を動かすことも…
貴殿は一体何者なのですか?」
ゲニウスの問いに、セアは拒むことなく答える。彼女は権能を使って、自身の体からコアを抽出する。真球状のコアは、宇宙に散らばる星々を閉じ込めたような異彩を放ち、圧倒的なエネルギーを感じる。
暗い大聖堂に光を放つ。
「六百年前、神は怒りを抑えられなかった。限界を迎えた神は他の原初神を滅ぼし、人類を蹂躙しようと動き出した。
それを察した原初神は神を封印した。けれど、それは有限の平和。封印が綻んで、復活した神はもう一度人類を蹂躙するために動く。私はその神を厄災と呼ぶ。
名をアザトース。かの神が愛した者の名をカオスと言う。私は二柱の神々から生まれ堕ちた半神半人。
アザトースによる人類の滅びを阻止するために原初神の教育を受けた人間。三十二の権能を託され、全ての因果を終わらせようとする神々の願いを遂行する使者。
それが私セア・アぺイロンだ」
セアは何者なのかを口にする。信じがたい真実を裏付けるように、コアは光を増している。出生を知ったが、俄かには信じられない。神の胎から生まれた人類は、神々の権能を曝け出し、存在を肯定する。壮大なスケール。だが、セアにはそのくらい大きくないと味気ない。そのスケールが丁度いい。
「これを信じずとも、それは自由。だけど、序列者としての責務だけは成し遂げること。逃げるなんて許さない。これは絶対命令よ」
「逃げるだなんて…そんな人間は序列者にはいません」
セアの答えに、ゲニウスが平然と言い放った。
「天使の権能はイル神。監獄はタルタロス神で合ってる?」
ライラの言葉に、セアが初めて感情を出した。
「イル様のこと知ってるの?」
「皆には内緒にしてたけど、私は地上宇宙で産まれてない。私は天界宇宙で産まれ育ったの」
同じく天界宇宙生まれのイニティウムとラウルスが頷いて、ライラの発言を真実とした。
「お、じゃあ…お前って結構年上?」
バイラールが指差して言った。ライラは彼の指を強く掴んで怒りを示した。地雷を踏んだらしい。ライラは向き直って、セアに思いを伝える。
「私はアザトースを見たこともあるし、話したこともある。本気で人類を蹂躙しようと考えていたのも知ってる。それを実行できるのも分かるの。
本当に止めなくちゃ争いは続いていく。アザトースの恐ろしさも知ってるから。
あなたと初めて出会ったプトレマイオス会議で無理だと思った。けど、今のセアは神を越境できるって信じてるから。私は支持する」
「!」
「あの時酷いことを言って、ごめんなさい」
ライラの謝罪に、セアはむず痒い気持ちだ。煙草を消して、ライラに近づく。彼女の頬を触って、キスをした。
「あら」
セアの行動に賛否は分かれる。ライラは頬を赤らめる。
「うん、勝つよ」
「アザトースは強いのか?」
「原初神でも別格。私は一度負けてる」
セアの敗北に、相手が強敵だと認識を改める。危機感を抱いてくれたことに、セアは安堵して指示を出す。
「大戦は序列者のみで応戦する。神に成りざる者がいる。恐れることは何もない」
「油断は大敵。作戦は…」
「戦略はオベロンに任せる」
「貴が?」
セアの人選を引き継ぎ、指揮を執る役目がオベロンに移る。彼は驚く。
「人類随一の頭脳の持ち主ならできるでしょう。責任は全て私が持つ」
「…」
「ただし、無難な作戦は取らないで。ハイリスクローリターンが理想だけど。特化した力だけが活かされる賭け狂った戦法。お前がやりたい駒を動かせ」
セアの言葉に、オベロンは心が躍る。彼女はアストラを見た。
「アストラも暴れたいだろうしね」
「!」
セアの気遣いの言葉に、アストラは表情が和らぐ。
「大戦は三日後。揃えよう。一片の悔いなく終わるように。万事滞りなく終焉を迎えるため、三日で準備を整えましょう」
セアの指導の下、準備が進む中、元祖も大戦に向けて、各々の因果を感じていた。
「まさか、セアちゃんが魔法使いだったなんて…」
ロワが言った。
「くそったれだ!」
「キルケ、怒らないの…あなたの技術は、凄いから」
アグネスが宥める。
「興味深い…汝が相手してもいいだろう?」
「下手こくなよ」
ソロモンが提案すると、メルキゼデクが反応する。
「にしても、あちらの王の提案をなぜ受け入れた?」
ソロモンが、ロワに尋ねた。
「好都合だったからだよ。勝てば、好きなものを手にいれられる。神にとってもね」
「あっちはどう動くんだろうな?」
「さあね~。オベロン兄ちゃんの采配でしょ。入念に練られた作戦。オレ様達は自由に動こう」
「いいのか?」
「だって、皆聞かないでしょ〜?」
「聞かせる気もないくせに」
「…神、単独で倒せない」
「それも考慮して、作戦を立てるはずだ。でも、どれだけ用意しようと戦う相手はある程度決まってる」
「なぜ?」
「これは因果を終結させる戦いだから」
「…」
「オレ様達に作戦は要らない。のびのびとやろう。そして、思い知らせよう。最後に勝つのは、オレ様達だ」
ロワの意気込みに、賛同して頷く。寛いでいた彼らの室内に、レヴィアタンとキフェが部屋に入る。
「作戦会議中かい?」
「終わったぞ」
「嘘」
「お兄ちゃんは~~?」
「ラミアと最終調整に入っている」
ノーヴァは今地下室にいる。彼の死後、対立が激しくなった頃合いで、城を改造した。フォーセリアとバイラールの侵入を許してしまったが、二人は城の変わりように順応できず、全てを解明していない。その一つに、隠し通路の先に造られた地下室がある。
ノーヴァの死後、明帝族を集め、血を採取し、来る日まで保管していた。最後の手順はノーヴァが終えるその日まで。
「ノーヴァの宿願がもうすぐ叶う。そうなった暁には私たちに従うそうだ」
レヴィアタンの報告に、ロワは満足気な笑みを浮かべる。それは感情の変化に乏しい兄に代わっての笑みでもある。
「それにしても意外だね。ロワがセアとやり合わないなんて」
「確かに…お前なら、神皇殺せるだろ」
「そりゃあ負けないよ?」
「勝てもしないだろ」
ロワの答えに、キフェが反応する。彼は訝しげに笑い、言った。
「良くも悪くもないんだよね、相性が。セアちゃんの戦う姿が歴史に残ってるのは、あの娘との戦闘を避けた成れの果てだよ。七洋や原初神でなかったら、たとえ神であっても一瞬さ。イニティウム姉ちゃんの最高傑作を変幻自在に扱える人類は、後にも先にもセアちゃんだけだから」
「そんな化物と戦えるお前もお前だ」
「あの娘も分かってるからね、不毛な戦いだって。でも、あの娘がそう思える人類がもう一人増えた。それなら、俺様も渡り合えるし、今度は殺し合える。やっと、オレ様と対等に殺り合える人間がいたんだ。
今、生きてて楽しい」
顔を紅潮させて、心底愉快そうにするロワに恐怖を覚える。彼の相手は十中八九、この大戦を申し入れた人類最強の王ゲニウスだ。ロワに対抗できる竜の存在。
「まあ、いいよ。みんな好きにしよう。欲しいなら、勝って奪えばいい。
大戦が宇宙を巻き込んだ混沌になること、深く祈るよ」




