60話 太陽を越えた漢
必ずしも誰かの役に立たないといけないとは限らない。だが、自分も守れて、他人を気にすることができる奴は、そういったことを強要される宇宙だ。
俺は良い生まれだ。竜族青龍に生まれて、俺の姉は既に竜王として即位が約束されていた。つまり、生まれた瞬間から皇弟の地位にいた。竜族が尊ぶ武力に秀でていた俺も、姉同様に一族を背負う運命を持っていた。
過去の英雄から、クリスチャン・ローゼンクロイツと名付けられた。誰かを想える竜になってほしいという願いが込められている。
(気に入らねえ。全部どうでもいい)
幼いながらにそう思った。嫌なことがあったわけでもない。誰かの為にっていうことを馬鹿にしているわけでもない。寧ろ、育ててもらった恩だけは返したい。
だが、漠然と欲が生まれてこない。感情がないわけではない。本当にどうでもいいという感情が、自分の体を侵食している。
周りからは理解されないから、吐き出せない。他人が思うままに、時代に流される生き方を選んだ。
姉が死んでから、竜王と守護者の座を引き継いで、甥っ子を育てて、王位を譲れば、終わりだと思っていた。だが、現実はそうじゃない。強い者が限られる宇宙で、おいそれと最強の座を降りることは叶わない。逃げるように、竜族を出て強者を育成した。だが、生まれない。
何もかも投げ出したくなった時、俺はセアと出会った。年端もいかぬ子供だ。だが、セアの奥底でどす黒く孕んでいる悪意を見て、確信した。こいつが俺よりも強いと。ちょうどいい。こいつを最強にしてやる。
それから、俺はセアとタッグを組んだ。いつしか、背中を預け合う仲になっていた。そして芽生える庇護欲。
『なんで、守護者なんかになりたいんだ?』
いつの日か、俺はセアに尋ねた。もう彼女は最強になっても遜色ないほどに研鑽されていた。不意に気になった。
『ならないと、私はスタートラインに立てないから』
『お前の家族か…』
『うん、やっと、ここまで来た。約束に近づけてる気がする。にしても、クリスは良かったの?』
『成り行きだ。何の感情もねえ』
『そう…』
セアが横に座る。クリスは何の因果か、言葉を連ねた。
『最強の座を譲れば、俺は何者でもなくなる。ほんっとに、くそったれだ。用意された椅子と与えられすぎた天賦。物足りなくて、俺自身で得たものがない。空虚なもんだよ。お前はこうなるんじゃねえぞ。誰かに否定されても、お前はなすべきことを貫け』
『…でも、竜族の責務はまだあるんでしょ?』
『もしもの時にだ。俺一人で背負えるもんじゃねえ』
『ならさあ…クリスの背負わせてよ』
セアの提案に、クリスは固まった。セアは続ける。
『愛し合うだけが伴侶の形とは限らないんじゃないの?』
『…俺は強い女がいい』
『私は強くないの?』
『まだ、な?』
クリスが揶揄うと、セアは苦笑する。だが、その苦しみはすぐに解かれた。クリスがベットに仰向けになる。覗き込むように、セアはクリスに跨る。そして、前髪を弄り、微笑みかけた。
『じゃあ、クリスの記憶に残るような死に様…演じてあげる。何も無いなら、私を記憶に入れて。私を言い訳にしてもいいからさ…クリスの乱れた姿、私に見せてよ』
(悪いな、その姿見せてやれねえ。でも、歴史には残してやる。お前がしてくれたように…!)
クリスは全身の筋肉に命令する。壊れるまで、稼働させろと。クリスの本気ぶりに空気は熱くなる。熱に感化された竜が輝きを取り戻そうと、空を這う。
ガンッ!!
目にも止まらぬ速度で拳を振りかざす竜と、軽く受け止める神。杠はアスタロト神を、
ゲニウスはロワ、ルキフグス神とベルゼブブ神を、ウェルテクスはイーヴィル神とルシファー神を相手にする。それは明確に区分された対戦ではない。戦力差を縮めようとする竜の策略であるが、神に対して無意味であると知っている。どんなに離れていようが、神の刃傷は届く。
(身を案じていては命に届いてしまう。なら、もう…)
(程度の低い魔法では届きもせんか。ただの装飾で終わる。使いたくはないが…)
(交戦した時よりも格段に強くなっておる。契約で構造を弄ったのやもしれぬが、これに太刀打ちできる策は…)
「麒麟」
「禁忌魔法」
「魃」
竜の声が重なり、人類最高峰にも近しい能力が余すことなく開放される。ゲニウスは魂に宿る神を呼び起こし、理不尽を逆境の源に変換する。激しく交錯する光と、炎の衝突。ちかちかと目が眩む光量。その途端にゲニウスの動きが最高潮に達する。攻撃を受け止めれば、足が一歩引いてしまうほどの爆発的威力。
ウェルテクスは詠唱をすっ飛ばしたまま、禁忌魔法を使う。紅獄に染まる腕。ウェルテクスがイーヴィル神を殴る。すると、イーヴィル神は地面に叩きつけられる。下に引っ張られる強大な力。ウェルテクスがもう一本ぶちかまそうとするも、イーヴィル神の七色の瞳に睨まれたことに気づき、後退する。引力から解放されたイーヴィル神が全てを分解しようと魔眼を発動させた刹那、杠がその力を吸収していく。まるで蟻地獄の如く、煩わしく続く束縛の呪いに、神の目は阻まれる。杠は吸い取った力を無鉄砲に放出させ、一帯に重苦しい呪いをかける。動きが止まった神に、クリスが拳を落とす。広範囲にクレーターを形成する破壊の権化。
『かったいね~~~、壊し甲斐ある人間だ!!』
ルキフグス神が興味を沸かせた途端に、かの神が地殻を揺るわす。体幹が鍛えられている竜らは依然として戦場を駆け抜けるが、振動で思うように力が入らない。予想外な力の入り方で、隙を晒してしまう。
ベルゼブブ神が翅を四方に羽ばたかせると、翅が錯乱する。そして、目に見えない拘束の軌道を描いて、竜を切断する。切断されても一瞬のことで痛みは感じないが、翅の威力は凄まじく、強靭な肉体を持つ竜の鱗を通り越し、いとも簡単に四肢を切断する。ウェルテクスがすぐに治癒魔法を展開し、四肢を修復する。が、一度崩れた姿勢を激化の中で取り戻すことは難しい。完全にペースの崩れた竜に追い打ちをかける。
アスタロト神が絵画を取り出すと、描かれた化け物が絵の中から這い出て、杠の喉元を掻きっ切る。喉を押さえる彼女は息ができず、酸欠状態に陥る。治癒魔法を施すウェルテクスだが、ロワが聖剣を向け、魔法を中断させた。中途半端な治癒で、杠の意識だけが浮上する。それでも権能を吸収し続け、何とか戦場に立つ杠。ノーヴァが奇襲するが、クリスが直前で止め、阻止した。
ゲニウスが竜名で蹴りを着けようとすると、イーヴィル神が睨んだ。その瞬間に、ゲニウスは虚空を感じる。自信に宿る神が練れない。イーヴィル神を見ると、かの神の瞳は十一芒星を宿す。
(芒星眼!)
状況を察したゲニウスは、この場で無力になったと早々に判断した。だが、持ち前の身体能力で神にこぎつく。
ルシファー神が杖を振る。すると、神にエネルギーが集結する。それにより生じる光の熱が肉体に重い負担を課す。灼熱の空間に体力の底が見えてきた竜。だが、困難はさらに続く。集結したエネルギーが熱となり、光となり、惑星を形成する。
「…太陽」
ウェルテクスの黒点に、橙色の点が映る。滞空する小規模の太陽。だが、衝突すれば、この場が焦土と化す。死線を何度も潜り抜けてきたゲニウスも焦る。何とか、この最悪な事態を脱却しようと無意識に力む。
ルシファー神が杖を振り下ろすと、小太陽が隕石のように落ちる。
「―索冥璇!」
「!」
ゲニウスが声を張り上げると、地面に衝突する寸前で小太陽が跡形もなく消滅した。何が起きたか、その原理を理解したい七洋の勢いに拍車がかかる。その光景を見ていたロワはほくそ笑んだ。
(あ〜あ、やっちゃったね。神の好奇心を燻ぶった君が悪いよ。にしても、やっぱ凄いな。手負いとか、いろいろ考慮しても、全盛期に戻った七洋に食らいつけてる。でも、理解したよ。神を殺せる技術はあるけど、神を殺す条件を知らない。条件を理解しない限り、君たちの攻撃は決して神に届かない!)
ロワの解釈は、ゲニウス達の安否を委ねるもので、この場を打開するための必要不可欠なものである。その違和感に竜は薄々勘づいているが、その正体が何であるかを未だに探し求めている。
(愚弟も本気を出している。杠殿も深手ながら、長寿の威厳を持って耐えている。不利であり、多少押されるのは想定内。ですが、我々の攻撃が通用しないのは話と違う。これが神の全盛ならば、何が足りないのでしょう?)
ゲニウスが思考を巡らせている最中でも、神の手は止まらず、循環する。竜を屠るために。ルシファー神がもう一度、エネルギーを集約する。滞空する大規模な太陽がまた形成される。先程の小太陽とは比にならないものに、思考回路が停止する。
そんな中で、クリスだけは果敢に挑む。竜の羽を出現させ、太陽に直進していく。その愚行に、旧友であるノーヴァは嘆いた。敵ながらも、友として慕っていたクリスが呆気ない終わり方をするのは、どうしても受け入れられない。
だが、クリスだけは終わりを考えていない。直進する刹那に、感情がよぎる。
(セア、お前はすげえよ。たった一人で、こんな怪物を相手にしてたんだな。怖かっただろう。勝てないことよりも、死ぬことよりも、お前が大切だと思う誰かに顔向けできないことが。痛いほどわかる。でも、大丈夫だ。このくそったれどもの中で、お前は脅威になっている。
だから、俺も誰かの脅威になってやる!!)
クリスは竜名を自覚して、感情を乗せた拳を太陽にぶっ放した。太陽は轟音を響かせながら、粉砕する。太陽を構成していた物質が雨のように地上に降り注ぐ。突如の篭絡に神は動きを止めた。
クリスは止まらない。着地したと同時に、全身を使い、神に蹴り業を入れる。武器に頼らない肉体のみで戦うクリス。力強い動きだと言うのに、俊敏な動作移行。粗が目立つが、それも修正して隙を見せない。
一歩歩むごとに、息を吐くごとに、目を泳がすごとに強くなる。
神は固唾を飲んで、クリスに応戦する。重なるのだ。神を屠った脅威と。
クリスの動作一つ一つが、脅威そのものと同一の動きをしている。幻覚が見える。戦場に不一致の銀髪を靡かせ、何色にも変化する緑の瞳で射抜く眼力。そして、余裕に満ちた脅威の笑みが、神に戦慄を走らせる。
ノーヴァがクリスに急接近して、代わりに相対する。クリスの流れるような動作に翻弄されながらも、ノーヴァは彼の急所である胸を貫いた。
『お前が竜名を使ったという過去を消した。わかるだろう? お前はここで退場だ』
「退場者は俺だけだ」
クリスがそう言うと、他の竜がノーヴァを襲う。舌打ちをするノーヴァだが、ロワが援護に入る。それに続いて、七洋がそれぞれの攻撃を出す。だが、その全てをゲニウスと杠が無効化し、ウェルテクスが魔法を展開する。相変わらず、攻撃は届かない。だが、クリスの拳だけは神に届いている。だからこそ、今、クリスを退場させるには惜しい。最後の最後まで戦わせる気だ。
「叔父上」
「わかってる。最後まで、俺は戦ってやる」
クリスの了承を得る。
ベルゼブブ神の空間を切断する透明な斬撃。アスタロト神の絵画の怪物召喚。ルキフグス神の物質他干渉操作。イーヴィル神の運命掠奪。そして、ルシファー神の熱放射と太陽生成。一度に生成する太陽の数が増えていく。
そして、ノーヴァとロワの絶対火力を誇る刺突。どれもこれもが、命を屠るための通常攻撃。対して、竜は今の本気を曝け出す。周りの攻撃をクリス以外が全て受け入れ、太陽に向かわせる。
『随分、無茶をさせるのだな』
ベルゼブブ神がゲニウスに言った。それを聞いたゲニウスはにっと口角を上げて、返す。
「叔父上はセアの伴侶です。最強を育て上げた元最強。よく見ておきなさい。あの男は…クリスチャン・ローゼンクロイツは、その名に恥じぬ英雄となる。
クリスは太陽を超えた漢です」
(お前がいなくなってから、俺は本当に空虚だった。やっと分かったぜ。怠惰な俺にある唯一の欲。奪われても、馬鹿にされても、全てがどうでもよかった。でも、お前だけは…)
クリスの脳内に響く愛しの声。
『おはよう』
日常にある一つの挨拶。当たり前が、ここへきて特別に変わる。その特別さが、クリスの想いを構築する。
(―誰にも譲らねえ!!)
クリスは生身で突進して、二度目の太陽を破壊した。偶然で片付けるには無茶な事案。クリスは次いで、アスタロト神の召喚した怪物を一撃で屠る。火傷を負い、痛覚がおかしくなったクリスを見て、アスタロト神は銃を取り出す。そして、脳天に一発撃ちこんだ。肉体の限界で倒れるクリスを、ロワが確実に仕留めるため、聖剣を向ける。
倒れ行く中で、クリスは薄らとした幻想に浸る。
(ここで終わるのか。最後に、お前の声を聞きたかった…)
クリスは幻想を見る。背中を預けて戦った過去の記憶。戦場では、いつも背中を見て、いつの間にか焦がれていた。だが、日常に戻り、手を伸ばすと、セアがいる。
おはようと言えば、無垢に返してくれる。薄暮は子供になり、共に過ごす。酔いが覚め、太陽が昇ると、セアは大人になる。夜が彼女の本性で、それを曝け出してくれることが嬉しかった。
無常は、霜よりも冷たい。だが、氷の結晶よりも規則正しく、光を吸収し、バチバチと反射する。誰かに希望を与える。俺はセアを無常だと思っている。
(俺が寝てれば、お前は寝坊助だと怒って、でも笑ってくれるだろう。些細な日常を求めたら、応えてくれる。それが演技でないことは、よく知ってるから。その姿を俺だけに見せてくれ。だから、くそったれどもの前では絶対を演じろ。今度は、俺を言い訳にしていいから!)
クリスは瀕死の状況で、ロワの片腕を掴む。
「え、?」
火事場の馬鹿力。恐怖を覚える怪力に、ロワは不愉快という感情が芽生えない。あるのは、人間ならではの恐怖心。目がいっているクリスの顔。額から血を流しボロボロであるのに、掴んだ手を離さない。ぐちぐちと、関節が外れる音がする。
「ゔ、あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ロワの断末魔が聞こえる。クリスが彼の腕を怪力だけで胴から引き抜いたのだ。狂った形相のクリスは、今、誰よりも狂気に満ち溢れている。その姿も重なる。戦場で、無常を生み出すセア・アぺイロンに。
片腕を失って憤るロワは聖剣を振り上げる。誰も助けには入れない。そんな時に空が光線に包まれる。あまりの光度に、神も竜も人も動きを止める。光を見た。その中で、翼に反射させて、地に降り立つ七欲の天使の姿を。
『七大天使め』
イーヴィル神が気だるげに言う。それに構わず、天使ガブリエルがクリスを介抱する。他の七大天使もゲニウス達を庇う。その中で、青年のような凛々しい天使が、神の前に現れる。
『なんだ。生きていたのか、ミカエル』
「原初神様の功績です」
『忌々しい神共か』
原初神を侮辱したノーヴァをミカエルは睨む。
『ふふっ、主神の仇討ちかしら。先攻は譲って差し上げてよ』
「ご冗談を。我々は神を守護する者。神に仇名す存在ではありません。セア姫の命を遂行することに意義があります」
ミカエルの言い分を聞いて、神は眉をひそめる。息を引き取ったクリスを介抱するガブリエルを見て、鼻で笑う。
『愛していると妄言を吐く割には、伴侶の最後を見届けぬとは。愚かだな』
「それが姫とクリスチャンの命盟でございます。彼を殺した相手を、姫は必ず復讐します」
ミカエルが手を空にかざす。すると、天には巨大な扉が出現する。その扉の行き先が何なのかを知っていた七洋は険悪なムードに陥る。
「姫はお怒りです。他の一族を使ってでも、貴様らを殺してやりたいと仰っています」
ぎぃぃぃと錆びた音を轟かせ、扉が開く。黒に染まる空間に、一点の淡桃が異物として混入する。淡桃の髪が靡いて、冷酷な霜を宿す瞳が神を見下ろす。携えていたウォーハンマーを大きく振りかぶる。自由落下の衝撃を存分に利用して、頭上から叩き落す。
『アストラ・スパティウム!』
イーヴィル神が名を叫ぶ。アストラは顔色を変えず、態勢を整えて、ハンマーを地面に直接叩きこむ。地鳴りと地震。それだけでなく、振動の衝撃波で神の肉体に亀裂が生じる。届かない人の攻撃が届いていることに、ロワとノーヴァは驚く。アストラの栄えある帰還に胸を躍らせる竜。加えて、神に通用する戦力が増えたことを喜ぶ節もある。
「久しいな」
竜の下に駆け寄るアストラは変わらずポーカーフェイスだ。
「強くなりました?」
「いや…神と戦うコツを教えてもらっただけだ」
「誰だ?」
ゲニウスの質問にはすんなりと答えるが、ウェルテクスの質問には一瞬詰まる。ゆっくりと口を開く。
「先代殿堂者」
「なんじゃ、あやつも監獄を出たのか。して、何処へ?」
「分からない。面白いものが見たいと、どこかに行った」
「自由人だな」
緊張が少し解けた。だが、ロワとノーヴァは先代殿堂級という異名を聞いて、不快感を示す。ミカエルは僅かに微笑む。だが、神を前にすると毅然とし、かつ横暴な態度に戻る。
「姫はこうも仰っていました。”獣の血が無くなった貴様らを相手するのは、私だけではない。私が教えた最強が、貴様らをどん底に叩き落とす。その時まで、怯えていろ”」




