58話 ポワティエの痛み
今から約千五百年前、朱雀に三十人余りの赤子が生まれた。それぞれが棟梁の継承権を有してしまったため、竜族史上最も苛烈な跡目争いが繰り広げられた。その中で、宇風羽は三位に位置づき、当時最年少であった。野心家が集う家門の代表らは苛烈な訓練を自身の子らに強いて、結果が残せなければ、他の継承者を葬り去る謀略も行った。
(十三ノ時ニハ、十人ガ後継者争イニ破レテ、死ンダ。ソレデモ大人ハ醜イ争イヲ続ケル)
武力を尊ぶ竜族では、体術が一番近い者が序列を高くする。体術の格差が序列間でほとんどなくなり、後継者争いは大詰めに達した。
大人たちは後継者を集め、殺し合いをさせた。
(宇ハ殺シ合イデ竜名ヲ会得シタ。ソコマデハヨカッタ。デモ、ソノ竜名ハ一族ノ中デ崇拝サレル”星”ノ名ヲ冠シ、ソノ上”賭”の元祖ヲ継グ者ニ相応シイ名ダッタ)
周囲の反応が一転したことを覚えている。竜名を発現させていた兄や姉は他にもいた。だが、その全てが中途半端なもので、”賭”の元祖を継ぐに値しない。竜名で適合率が決まる。そんな判断基準の中で、宇風羽は適合してしまった。その瞬間に棟梁は決定し、継承式が恙なく決行された。それとともに選ばれなかった後継者を処刑する式も決行された。処刑を下すのは、誰でもなく選ばれた宇風羽だった。
(地獄ダッタヨ。処刑直後ノ兄姉ノ顔ハ一生忘レナイ。デモ、棟梁ニナッテ分カッタ。地獄ハコレカラダッテコト…)
棟梁になった後になって生まれた子供たちは、弟妹となり、棟梁になるべく修練を積んでいた。だが、どの子たちも適合率が合格に達せず、処罰することになった。勿論、処罰を下すのは棟梁である宇風羽である。
彼女の後を継ぐために生まれた朱雀の子は全員彼女の手によって摘み取られた。千年近くで五百人の後継者を殺した。そのことから、宇風羽は子孫殺しと言われ、畏怖される。だが、彼女は後継者を処罰する。なぜなら、それが朱雀唯一の掟であるから。
「―”襷星”奥義乾坤一擲!」
傷が癒えた宇風羽は掩月刀を回転させる。回転するたびに増す炎の軌道が宙に散乱し、暫し揺蕩い、そして、火球に変化する。刹那の光景に、イーヴィルは心奪われる。その瞬間に天秤が傾く音が鳴り響いた。
〈神の心を掴む…条件達成〉
バーデンがそう告げると、宇風羽の動きに変化が見受けられた。宇風羽の戦闘スタイルは剛力を活かした粘りのあるもの。一撃一撃は重いものの、速さが伴っていなかった。だが、今この瞬間、バーデンによって、彼女に速さという能力が付与された。それにより、速さと剛力の均衡が取れ、並みの水準をはるかに凌駕した宇風羽の身体能力で繰り出される刺突は想像を絶するものとなる。
『~~っ!』
本能からか体を仰け反らせたイーヴィルの脳を抉った。感覚を掴んだ宇風羽は止まらない。掩月刀を地面に突き刺して、強く地面を蹴り、宙にいるにもかかわらず、剛力で掩月刀を抜く。体全体を回転させて、そのまま掩月刀を振りかざす。鈍い音が鳴り響く。宇風羽の攻撃は、イーヴィルの頭蓋骨にひびを入れ、神へ脳震盪を食らわせる。
〈神の負傷…条件達成〉
天秤が傾く音。バーデンの声。また同様に宇風羽に変化が現れる。筋肉の収縮が格段に速まり、爆発的な威力の刺突や薙ぎを実現し、尚且つ、持ち前の筋持久力を発揮し、連発的に行う。反撃の余地を与えない宇風羽の攻めの姿勢は止まることを知らず、約三分ほど、彼女の独壇場となる。
〈完全なる独壇場…条件達成〉
またも傾く天秤と、バーデンの声。宇風羽は大きく息を吐き、突進してくる。彼女を取り巻く炎が、宇風羽が歩むごとに形を成し、最終的には炎の龍となる。彼女が掩月刀を振るうと、太刀筋に則り動く炎龍が、イーヴィルの体に侵入し、猛烈な痛みを与える。
『…』
異なる痛みを味わったイーヴィルだが、平然としている。もちろん、痛いのは痛いし、致命傷に値するが、治癒能力で一瞬で治していく。そして、三度の変化を見て、宇風羽の奥義の全貌を理解した。
(バーデンとあの人間との間だけで行われている賭け。バーデンの賭け内容を、満足のいくように実現することだろうが、その挑戦権は一回のみ。同じ賭け内容に二度挑戦することは不可能だろう。標本眼の真骨頂か。一見意味のない確率でも、それが真の目的に通ずるものとなるとは、随分奇怪な…だが、運命は巡ると言う。そうおかしなことではない。運を掴む豪運と、恐れぬ豪胆な性格。やはり…)
『いいな』
ここにきて漸くイーヴィルが反撃に出る。賭けで褒美を貰っている宇風羽は通常時よりも格段に身体能力が向上している。そんな宇風羽を軽く力を出しただけで押さえつける。
彼女の頭を鷲掴みにしたイーヴィルは、近くにあった岩に押し付ける。
「ァ、ガ…!」
脳に与えられる激しい衝撃に、宇風羽は全身の力が抜ける。しかし、イーヴィルは追い打ちをかけるように、頭を鷲掴みにしたまま、地面に叩きつける。頭から吐血する宇風羽だが、辛うじて意識があるのか、微かに動いている。それを見たイーヴィルは頭から手を離すと、彼女の上に跨り、拳で殴りかかる。
ガン、どすっ!!
ドコッ、めきっ!!
鈍い音が立て続けに鳴り響く。宇風羽の意識は脆弱なものとなり、深海に沈んでいく。宇風羽から伝達される力が途切れたことで、イーヴィルは手を止める。そして、無言で腕を大きく振りかざす。
『これで終いだ』
最後の一手だと言わんばかりの神の発言。
(終ワレルワケガナイ…マダ、宇ノ博奕ハ続イテイル!)
意識が沈んでいた宇風羽が突如として動き、彼女の拳が、イーヴィルの胸に当たった。鮮血が彼女の瞳に降り注ぐ。
『まだ、できるのか!』
吐血したイーヴィルは振りかぶっていた拳を下ろす。だが、それは運悪く宇風羽には当たらなかった。彼女は一瞬の隙を見出し、イーヴィルの拘束から抜け出す。そして、岩盤に突き刺さった掩月刀を抜き取り、力のままに投げ飛ばす。刃は運よく、イーヴィルの下半身を撃ちぬいて、動きを止めた。宇風羽は力み声を出しながら、肉弾戦で追い打ちをかける。イーヴィルに顔を殴られ続けたように、彼女も何度も何度も拳を振るい、そのたびに鈍い音が鳴る。
〈神映し…条件達成。博奕を続行しますか?〉
天秤が傾く音と同時に、バーデンに尋ねられた。宇風羽は一度大きく息を吸い戻し、高らかに宣言する。
「続行ダッ!!」
宇風羽は炎を操作し、弓を造り、射る。勢いよく射られた弓矢は燦燦と燃え、神の胸を引き裂こうと躍起に飛ぶ。だが、その矢は受け止められ、跡形もなく消える。イーヴィルの目が十一芒星を宿し、永久の輝きを放つ。
『望星運命』
神の発言で、神自身の身体能力が向上する。その途端に、神の威圧が加わる。宇風羽に重圧が圧し掛かり、息が苦しくなる。だが、それは不思議と興奮に変わり、宇風羽の原動力となった。彼女は勇気を振り絞って一歩を踏み出すと、本能のままに体が戦闘の姿勢へと動いた。恐怖は生まれず、拳と拳との諍いが勃発する。
「!」
賭けで貰った剛力も、神の前では紙切れに等しく、すぐに押し負けてしまう。渾身の一撃だと思った攻撃も、イーヴィルはいつのまにかカウンターで返し、その直後に全身を使い、蹴り返しを食らわせてくる。痛みのせいで呻き声が出る。だが、それ以上に必死だ。神に一つでも対抗できる手札があると確信しているから、宇風羽自身、闘いという挑戦を、挑戦というギャンブルを選んでいる。
(宇ノ跡ヲ継グタメニ生マレタ子供達。生涯デ起コル奇跡ニ出会ワヌママ、宇ガ殺シタ。宇ノ豪運ハ彼ラヘノ贖罪。彼ラノ命ガ消エタコト、ソレニ意味ヲ与エル為ニ、宇ハ運ヲ信ジル!)
ぼぉぉううん!!
宇風羽の鮮血の目が輝き、彼女は炎を操る。それは火球ではなく、彼女が背負っているものを形どる。炎の断片が集まり、大きな羽を造った。宇風羽の動作に連動して、尾、顔、羽、顎、背が段々と整えられていく。
『!?』
その光景を見ていたイーヴィルは、最後の切り札であると感じ取っていた。だが、宇風羽は最後の切り札を完成させるために、全神経を集中させるのかと思えば、無造作に突進して肉弾戦を強いてくる。それには流石の神も戸惑う。
(足リン。宇ノ最後ニ不完全ナ神獣ハ駄目ダ。ダガ、今ノ宇ニ炎操作ヲ行ウ気力ハナイ。ダカラ、バーデン…オマエヲ頼ル。褒美ノ為ニ、今カラ前例ナキ豪運ヲ見セル。枯レテモ、運ハ続ケル。期待値ヲ宇ガ壊ス!)
宇風羽は決意を胸に、最後の武闘を始めた。それは命を燃やす武闘。持ち前の剛力を活かした粘り強い一閃。全身を回転させ、攪乱する長年の経験。それを可能にする一切ぶれのない体幹は、彼女が棟梁として恥じぬように鍛え続けてきた成果。それらを維持する体力と、今まで殺してきた子孫に報いるための多大なストレス。それによる野望を覚悟して、宇風羽は運を振るう。
能力に頼らず、ただただ鍛え上げた肉体のみで神と互角に戦っていく。
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
〈条件達成〉
天秤が傾く音が絶えず響き、宇風羽が賭けに勝ったことを告げるバーデンの声が壊れた機械のように繰り返される。一つの褒美を獲得するごとに増していく宇風羽の勢いに、イーヴィルは圧倒されていった。
『煩わしい』
そのことに憤慨したイーヴィルは、芒星眼を使い、直接宇風羽に働きかける。彼女の体は強制的に制止された。だが、宇風羽は驚かない。
「整ッタ」
そういう宇風羽の背後には燦燦と燃え盛る朱雀が待ち受けていた。イーヴィルが宇風羽の猛攻を腹立たしく思っていた時間に、炎の断片は全て揃っていた。宇風羽は掩月刀を掲げた。
「―”襷星”奥義乾坤一擲…劫火」
宇風羽が合図すると、朱雀は絢爛に羽ばたき、イーヴィルに直撃した。爆発音とともに、火の粉が舞う。一帯を炎は無差別に燃え広がらせ、火の嵐を生む。耐えがたい熱風と、恨めしい不快感に包まれる。炎の主人である宇風羽にも侵食する劫火。宇風羽はそれを撫でる。死地となった目の前の光景を語らず、ただ呆けている。
『人間っ!!』
唐突に呼ばれたことに宇風羽は反応できなかった。劫火から伸びた手が宇風羽の首を掴んで絞める。イーヴィルの手を宇風羽は拒むことなく、見据えた。神は全身が焦げて、見るも無残な姿だ。荘厳な面影はなく、滑稽だ。備わっている治癒能力で、再生が追いつかない焦土の劫火。
「不細工ダナ。神トイウニハ空虚デ、怪物ノ方ガ似合ッテイルゾ。最後ニ、コレガ見レタダケ体ヲ張ッタ甲斐ガアッタ」
宇風羽は、イーヴィルの神経を逆撫でする文言を並べる。彼女は清々しい顔をしている。
「雀宇風羽ノ時代ハ終ワッタ。次ナル棟梁ヲ呼ンデヤロウ」
宇風羽が冷徹な瞳で見下す。怒りに狂ったイーヴィルに一陣の風が吹く。神は振り向いた。
そこには花緑青色の髪を揺らした少年が棒を構えていた。少年の頭に生える一対の黒き角は意志の堅さを表す。赤く縁取った柳色の瞳が玲瓏に、イーヴィルを突き刺す。
「盤古開天闢地盤瓠」
少年がそう唱える。それは竜族の実力者が扱える竜名。イーヴィルは瞬時に、その少年が竜族の兵であると理解した。抵抗の拳を紡ぐ。しかし、それよりも圧倒的に速い棒の薙ぎが、少年によって放たれた。
がんっ!!
『―!?』
再生が追いつかぬ全身火傷のイーヴィルに致命的な一手が与えられた。二匹の竜によって、神は失神し、無造作に打ち付けられる。
「最モ活発ナ朱棟梁雀謝氾。今ヨリ、コノ者ガ棟梁ダ」
宇風羽の言葉が蒼穹に轟く。




