54話後編 キンブリ・テウニトの痛み
魔法の帝国に集う魔法の逸材。そして、二人の元祖。その元祖らは指折りの実力を持ち、もしかすると一人の魔法使いと、三人の大魔法使いを持ってしても勝てるかどうか分からない。警戒が高まる中、イレミアが腕を上げると、彼女の背後から、またも黒樹が刺突を繰り出した。
「守る」
刺突を受けて、オリゴが前に出る。そして手のひらを向けて、防御壁を出現させる。防御壁と黒樹が衝突して、相殺が起き始める。
「桂、策はあるか!?」
オリゴが防御壁を展開して応戦するが、徐々に押され始めた。相殺によって青白い光と熱が起き、熱波が四人に当たる。防御壁はどちらにしろ壊される。その猶予に実経が最年長である桂に聞いた。彼は少しどもって実経に言った。
「頂点魔法、もう一度使えないでしょうか?」
「キフェを倒すんだったら…」
「いえ、倒すのは”穏”の元祖イレミア殿です」
「!」
桂の発言に驚く。だが、彼は続ける。
「命を担保にした契約命盟をご存じでしょう。その命盟を人類で初めて行ったのが、あの二人です。その契約内容は分かりませんが、あの二人が近くにいると、元祖から溢れる力が増大しているように感じます。恐らく、それが命盟を結んだ対価なのでしょう。そして両者を殺すことは不可能に近い。ならば、能力の全貌が解明できたイレミア殿をここで倒し、次に繋げます。それが最善策!」
桂の一息に言った発言を受けて、三人は納得する。だが、この策の考案者である桂は不安そうに実経を見た。彼の体はかなり損傷が激しい。
(頂点魔法の一つ、”法則閑卻”。あらゆる法則と事象を無視する頂点魔法。術者の力量に問われはしますが、この魔法の前では、あらゆる魔法・才・権能や自然災害であっても無力化する。それ故に肉体への負荷は尋常ではない。本来ならば、たった一度使っただけで戦闘不能になってもおかしくはないでしょう。
そんな頂点魔法をもう一度使用すれば、きっと実経は…)
「やってやるよ!」
桂の心配そうな目に気づいた実経だが、彼を戦闘に集中させるために、決意を固めた。そんな中、後方からの絶大な軍勢にカトレアは顔を向けた。カトレアに続いて、大魔法使いもその軍勢に気がつく。もたもたしている時間は無い。だが、肝心なところが決まらないのでは連携が取れない。魔法同士の反発や融合によって、仲間にまでも被害が出る。誰かが指揮をとらなければならない。
「カトレア、今の指揮官はお前のはずだ」
オリゴは振り返らずに、カトレアを指名した。
「いくら私たちの実力が高かろうが、魔塔での序列はお前が上だ。魔塔主のもとで、魔法が高みへと昇っていく場面を最も多く見ていた者ならば、今ここで、どうすればいいのか。それが分かるはずだ。私は始祖だが、今は座天使級魔法使いとして来ている。お前の描く幻想の戦いを、私たちは座天使級魔法使いの名に懸けて遂行する!」
オリゴの言葉を聞いて、カトレアは一瞬目を閉じる。息を整え、一歩踏み出す。
「では、その言葉に甘えさせていただきます。オリゴ様、”封”の元祖の足止めお願い致します。妾を含めた御二人は全開の魔法を”穏”の元祖にぶちこんでください。最後は妾が飾ります!」
「簡単に言ってくれるな…」
「だからいいんだろうが!」
「お喋りはここまでのようですね」
カトレアの大雑把だが、的を射ている指示に三人は笑いを浮かべて了承した。話がまとまったところで、防御壁に亀裂が生まれる。そして、最大限に圧縮された高密度の”黒樹”が押し寄せる。
「あの二人は私めが引き剥がします! 一瞬です! 無駄になさらないように!」
桂の発言が言い終わった瞬間、オリゴの防御壁が突破された。桂を除いた三人は魔法で回避して、一瞬の隙を待つ。
「マナ魔法禁忌奇術撃滅の轍を辿る骸」
桂が禁忌奇術を展開すると、空から巨大な隕石が落ちてくる。仲間を巻き込む可能性を秘めた広大な攻撃範囲の魔法は、後方にいたクヴァレ帝国の軍勢を跡形もなく消滅させる結果をもたらす。隕石がイレミアとキフェの間を座標として落ちる。それを回避するために、二人は離れた。その一瞬の隙を待っていた3人が動く。その中でも、キフェとオリゴの衝突は次元が違う。二人は拳を交える。
「貴様、どうやってここまで来た?」
キフェが尋ねた。それもそのはず。この地上宇宙は十の海に分かれている。一つ一つの海は広大で、海と海との境界に行くまでに多くの時間を消費しなければならないのだ。そしてオリゴは夜の海にいたのだ。ここは魔法の海。だから、オリゴのように短時間で移動できるのはおかしいのだ。
「ああ、遠かった。自分でも呆れるほど、無茶な手段を取るしかなかった」
オリゴが当てつけにものをいう。二人は拳を同時に引き、また同時に拳を交える。スピードではオリゴが若干上回り、キフェの肩に重たい拳を落とす。キフェは、差し出されたオリゴの腕を掴み固定し、彼女の足を払い、姿勢を崩した。地面に落ちるオリゴに向かって、地面と垂直に拳を落とすが、受け身を取ったオリゴは寸で回避する。そして地面に当たる衝撃を利用して、体を自然に跳ね返して、その反動すらも利用して、拳を振るう。
(変わらぬ組み手だが、動きが粗雑。精密を好む性分のオリゴには似つかわしくない。)
「貴様、原子魔法を自身に使ったな」
キフェの核心を突いた言葉をオリゴは否定しなかった。そして、才を発動させる。オリゴの無茶を見たキフェは声を上げた。
「原子分解を自身の体に使い、夜の海から、ここ魔法の海に原子構築を使ったのだろう? 一度原子にした体内を、また再構築することは禁忌に近い」
「その通りだ。オレは魔法の反動でうまく原子魔法を扱えない。体もうまいこと動かないが、ここで引けばオレは始祖の名折れだ」
オリゴが繰り出す拳を突然止めて、距離を取る。そして、彼女の才である”極夜眼”を本格的に作動させた。
(オリゴの纏う雰囲気が変わった…!)
近くで構えていたキフェがそう感じたように、オリゴを中心にその場の空気に重厚感が増した。変化に驚くキフェが、オリゴを見る。彼女の薄氷のような眼が、七色の虹を彷彿とさせる瞳に変化する。そして、オリゴは自身の瞳に手を当てて、呟く。
『汝、尊きものにあらず。オレの守護には値しない』
片方の手をキフェへと向ける。そしてキフェを包み込むように指して、今度は大きな声で言った。
『目覚め、廻れ!』
オリゴの黒橡の髪の先端が橙色に変化して揺れる。さながら、燃える夕日のように、激しく、どこか哀感を覚える。キフェがその変化に警戒していると、自身に指さされたオリゴの指から火球が形成される。巨大化した火球が勢いよく発射された。
「…それが貴様の権能か」
結界術で火球を防いだキフェが呟いた。防いだと言っても、自身に降りかかる火球をせき止めたに過ぎなく、結界術を解除すれば、一巻の終わりだ。結界術で結界壁を隔ててなお、火球の熱が伝わってくる。
『オレの属する原初一族の権能は全て始まりの概念を持つ。文明の始まりが火である人類にとって、火とは始まりの概念の一つだ』
「無を焼き尽くす概念の火は存在しない。何を媒介として焼いている?」
キフェが尋ねた。すると、オリゴは自身の胸に手を当てて、
『オレだ』
そう言った。そのにわかには信じられない発言にキフェは眉をひそめる。だが、オリゴは続けざまに言う。
『オレの権能で創造した炎は少しでも掠めれば、それを朽ちさせる。文明すらも。キフェ、先刻言っただろう。貴様の口から…』
「まさか、自身の肉体が燃やされた直後から原子魔法で構築しているのか!? 理解できんな。一つ違えば燃え尽きよう」
キフェの至極真っ当な言葉が刺さるが、オリゴは鼻で笑って答えた。
『愛する者の未来を守ることがオレの宿命。それはお前もよく分かっている感情だ』
「自身を燃やしてでも、俺を食い止める道理があるのか? 共闘している魔法使いは貴様の守護には値しないだろう!」
『言ったはずだ。オレが守護する対象は愛する者の未来。ここでお前を食い止めれば、イレミアという脅威を葬り去れる。それはクヴァレ帝国を弱体化させる狼煙となり、人類の闘争で、オレ達に軍配が上がる。それは巡り巡って、オレの愛するセアの未来につながる。
―権能”燃焼”…完全開放!』
オリゴの七色に輝く極夜眼に、彼女の権能の象徴である火が宿る。オリゴからは巨万のエネルギーが溢れ出す。そのエネルギーは二人のいる一帯を燃焼させる。まるで砂漠にいるような極暑を生み出す。
(権能が増大した! 結界術が燃焼された! 始まりの賢者の禁忌奇術を軽く凌駕する火球!)
キフェが驚く。彼は結界術の出力を拡大させ、熱に対応していく。結界術で守られたキフェ以外では、炎の海ができる。その熱気にキフェは汗が止まらず、また、結界術を張る手のひらに炎が掠める。結界術で隔てているのに。キフェは炎で揺らめく視界の中で、オリゴを見た。彼女の後ろにはさらに火球が形成されている。火球の主人であるオリゴは悠々と佇み、自身を燃え続けさせていた。その行動に、キフェは恐怖を覚えた。
(これが神に与えられた人類最高峰の権能! そして、これが始まりを司る七大一族の一翼”原初一族”の実力か!)
必死にもがくキフェが、オリゴの極夜眼にはずっと映っている。”眼”の元祖としての才と座天使級魔法使いとしてのマナ魔法原子系の酷使に加え、原初一族の始祖としての権能を幾分なく開放している。すべてを曝け出す快感をオリゴは999年ぶりに味わい、少し溺れている。だが、自分よりも格上の元祖を相手しているという事実に、正気を保つ。そして、オリゴはまたキフェを包むように、優しい手つきで彼を指さし、高らかに言った。
『オレは”始まりの炎”。オレは”セア・アぺイロンの炎”。拒みすらも焼き尽くす!』
オリゴが一人でキフェの足止めをしている少し離れた場所では、魔法の乱発が続く。魔法が散る際に、勁烈な光が反射する。その中を無盡に蠢く”黒樹”。本体の大樹から繰り出される枝の刺突と、そこから伸びる蔦。その蔦が忍び寄り、地面に足をつけるカトレアや桂の足に巻きついて、彼らの魔力を吸い、成長していく。その魔力は本体の大樹に送られ、”黒樹”の威力や頑強さが跳ね上がる。それを受けてか、彼らは地面に足をつけぬように浮遊魔法や身体能力を駆使する。カトレアが古代魔法で囮になり、桂が禁忌奇術で粉砕を試みるも、爆発的成長を続ける黒樹には目立った戦果がない。だが、攻撃の手を止めてしまえば、ここはイレミアの独壇場となってしまう。苦戦を強いられる戦場。攻撃を続けざるを得ない不本意な戦況。
(…キフェが来てから、イレミアの才が変化した。もしかしたら、命盟の対価かも知れねえが、一つ言えることは長期戦に持ち込まれると、勝ち目が無くなるぞ)
戦場を飛び回る実経が、イレミアを見る。黒樹の本体の大樹の、さらなる本体であるイレミアから収まりきらないほどの強い力を感じる。彼女の力は増幅を続けて、自分たちでは既に太刀打ちできないかもしれない。実経がイレミアの背後に周り、拳に力を入れた直後、横から黒樹の刺突が入る。
「がっ…!!!」
刺突をもろに食らった実経の体は後方へと吹き飛ばされる。その先には粗目の岩があり、運悪く実経は激突してしまった。
「あら、ごめんなさいね」
鈍い音を聞いたイレミアがとってつけたような謝罪を口走る。謝罪の理由である実経は、岩に激突してから動いていない。彼の頭から流血して、段々と魔力が弱まっている。イレミアの注意が逸れた隙に、カトレアと桂が各々魔法を展開する。その魔法は黒樹の隙間をくぐり、イレミア本体に届いたものの、彼女の”中和”で掻き消されてしまう。
(やはり、イレミア殿の才”中和”を打ち破るには実経の頂点魔法が必須。実経が気兼ねなく頂点魔法を展開するには”黒樹”をどうにかして破壊しないといけません。ですが、”黒樹”の進化によって、一度打った魔法は無効化される。飽和攻撃魔法はどの攻撃にも相性がいいというのに)
桂が魔法の種類を増やして、有効な手段を探る。だが、どれも不発。火に関する魔法も対応された。
「古代魔法・氷の牌衣開錠!」
カトレアが魔力を練り、氷の刃を操る。威力を上げて、矢のように先端が鋭い。氷の刃に纏う冷気が黒樹の動きを鈍らせる。そして、刃が刺さった箇所が凍りつく。しか、黒樹が少し動けば、薄氷は壊れた。その些細なことを見た桂はほくそ笑み、手を掲げて、空に光の玉を放つ。
「?」
その行動にイレミアは驚く。それはカトレアも同じだ。だが、カトレアは確信した。桂[ケイ]が現状を打開する魔法を生み出したと。桂[ケイ]の放った光は意識が遠のいていた実経にも届き、彼の指が微かに動き、魔力の巡りも回復し始めた。それを感じ取った桂が目くらましで、辺り一帯を包む光を魔法で実現した。
「…小賢しいわね!」
手を覆い、失明を防ぐ。イレミアが声を上げた瞬間、彼女の間合いに、実経が侵入した。意識を取り戻したが、脳震盪により、痙攣症状が起こっている。そんな体で拳を繰り出そうとするが、やはり軸がぶれる。だが、その拳は明確にイレミアだけを狙っている。それを見たイレミアは、またも黒樹で攻撃をする。回避する力の残っていない実経は、攻撃に当たり、受け身を取り損ねた。ゆっくりと立ち上がる彼の表情は、好奇心に彩られている。そして、実経は咆哮を上げる。
「加速するぞぉ!!!」
彼の言葉を合図に、カトレアと桂が魔法術式を構築し始める。先に魔法を展開したのは、始まりの賢者である桂であった。
「オド魔法禁忌奇術遵奉を奉じる氷河」
黒樹の活動が停止する氷が一帯を覆う。凍結した”黒樹”を見たイレミアは驚くが、彼女が真に驚いた点は異なる。彼女が驚いた点は、自身の才が魔法で阻まれたことではない。桂の言った”オド魔法”という単語だ。
(失われた魔法技術をなぜ使えるの!?)
イレミアが驚きつつも、操作を復帰させることに切り替える。だが、それを看過するほど、相対する魔法使いは寛大ではない。次に魔法術式の構築と処理が完了したカトレアが杖を向けて、魔法を展開する。
「古代魔法・恒星躑躅」
鮮やかな無数の真球は、無造作に動き回る。カトレアが杖を振り上げると、それらの真球が意志を持って動き出し、凍結した黒樹を破壊する。枝のみならず、その真球は本体の大樹へと突進して、薙ぎ倒した。
「!」
「重力魔法ですわ」
険しい顔つきで睨むイレミアに、カトレアはしてやったりという自慢気な表情で煽った。だが、本体の大樹を薙ぎ倒しても、消滅したわけではない。今の事象で、イレミアは操作権を復帰させることに成功。その勢いのまま、地面に倒木されたものから枝を成長させる。成長すると、その枝は黒く変色して、煌く。
「まだ…そんな余力が…」
成長した黒樹がカトレアの耳を、実経の腕を、桂の腹を掠め取る。一つ滅ぼしても威力が衰えない。だが、カトレアの功績に続くのは、始まりの賢者である。
「一度超えられた技術を、越えられない技術にしてこそ、私めは始まりの賢者と名乗れるのです。
マナ魔法禁忌奇術仙人下す不変の雷霆!」
空に浮かぶ灰色の雲に、何本もの筋が走る。紫の筋が雲から落下する。何本もの雷が降り注ぎ、爆発音を奏でる。その威力は一度対応し、進化したにも関わらず、”黒樹”の無効化が発揮しない。完全に操作権が失われたイレミアが驚愕して、桂を見た。
(まさか…この一瞬で魔法術式を改変したというの? そんなことキルケだってできないはず!)
イレミアが見つめる中、桂は指差した。
「足元すくわれますよ」
その言葉に、辺りを見ると、自身を守っていた黒樹が無惨な有様で成長を止めていた。それはつまり、イレミアの才の一つである”黒樹”が完封されたことを意味している。待ちに待った好機に動き出すものは、桂と同じ大魔法使いである実経であった。彼は、イレミアの前に立ちはだかり、拳に力を蓄積させていた。言葉を発さず、ただただ見つめる実経に、イレミアは既視感を抱く。それは自身の才”中和”を打ち破る前の姿勢。
「壊れろっ!! 頂点魔法法則閑卻!!」
力の蓄積された拳が、音を飲み放たれる。そして”中和”の正体である銀色の膜が、実経の拳を中和しようと目に現れる。自動的に酷使する”中和”だが、その結果はすでに分かっている。あらゆる法則と事象を完全に無視する頂点魔法の前では、永久に続いていたイレミアの防御の手段も崩壊する。
「まって…」
結果を思い出したイレミアが弱音を吐いた。だが、その声は実経に届くことはない。彼の拳は、銀色の膜を貫通した。やはりそれは、イレミアの才”中和”を完封したことを意味する。役目を終えた実経は拳を引いて、その場を離れる。なぜなら、次の一手がすでに紡がれていることを魔力探知で見切っていたからだ。
「後は任せたぞっ…カトレア!!」
「ええ」
実経の呼びかけに、最後の一手を飾る役目を担うカトレアが返事をした。カトレアは魔力を最大限に圧縮し、そして魔法術式を構築していく。彼女には風が吹き集まる。
(もう体に残る魔力が少ない。次の魔法を撃てば、妾は足手まといになる。だから思い出しなさい。一族の口伝を。必ず、一族の復讐と、魔法使いの悲願を果たして見せる!)
カトレアは魔法術式を構築している間に、昔のことを思い出す。それはまだ、クヴァレ帝国の侵略が起きていない研究に没頭する嶄なる一族の日常の一コマ。母が教えてくれた口伝。嶄なる一族の思想。
『自然の頂点が空。覇者が植物。破壊者が水。安寧者が大地。王者が海。そして革命家が風。嶄なる一族は自然を尊敬し、研究していく一族。その中でも、特に操り、抑制するのが困難なものが”風”。隙間を見つけては吹き荒れ、水や海の中には存在しないのに、それらが動き出せば必ず現れ付き添う神出鬼没な自然。
時には、生物を慰め、飛行を手助けする気まぐれな自然。だけれど、風という単体が暴走すれば、文明を吹き飛ばす脅威となる。解明が難しい自然。だから、嶄なる一族が戦うときは、風で始まり、風で終わることを美徳としているの。
カトレア。どんな隙間も見逃さず、吹く風を我が物としなさい。古代魔法は、そうして完成に近づく』
「完成しますわ。古代魔法は、今この瞬間。そして悲願は報われます」
カトレアは口伝を全て思い出し、ここに流れる風だけでなく、この帝国に吹き流れる風を全て集める。大げさに言ってしまえば、今のカトレアは地上宇宙全土に吹く風を支配してしまいそうだ。そのくらい、彼女は没頭している。風を操ることに。かたんと、杖をイレミアに向け、強い意志を抱く眼で凝視する。
「あなたとの戦いは火を纏った風で始まりました。妾は嶄なる一族。一族の思想に則り、風で終わらせます。有終之美はこの手の中に。
―古代魔法・風の那比逝き山吹蝶の標本!」
一点に集めた風の中に混じる極小の刃。刃が蝶を形どる。無機物の刃から成った蝶だが、生物のように羽ばたく。一度羽ばたけば、竜巻が発生する。竜巻と刃の魔法。その魔法はカトレアが何度も放ち、何度もイレミアが防いだ魔法である。だが、二つの装甲が失われたイレミアでは、攻撃を防ぐ術など残っていない。カトレアの原点の魔法が最後を飾る。
風に乗った蝶がイレミアに衝突する。イレミアは腕で体を覆い隠すこともなく、断末魔もあげることもなく、蝶をその身で受けた。抵抗しないイレミアに容赦なく風は吹き荒れ、彼女の体を刻んでいく。肉片がさらに細かく刻まれて、原形をとどめていない。広範囲と高威力な魔法だが、術者のカトレアの精神が限界のため、段々と弱まっていた。それを感じたのか、攻撃を一身に受けていたイレミアが指さす。
(…なんだ?)
実経が不審に思った直後、イレミアの体柄黒い樹が一瞬にして生え、360度全方位に”黒樹”の刺突を放った。その刺突は目に捉えられる速度に収まらず、3人の魔法使いを襲った。
魔力切れを起こした反動で動けないカトレアの前に、桂が防御魔法を張った状態で立った。始まりの賢者の防御魔法を上回るほどの質量攻撃の黒樹の刺突で、部分的に突破されてしまった。そして、1人逃げ遅れたが、イレミアとはそれなりに距離を取っていた実経だが、刺突が心臓近くを射止めた。
「づ…は゛!! くそ姉貴…さっさと死ねよ!!」
そう言って、実経は心臓を貫通した黒樹を触れて、魔法を構築した。
「時よ止まれ! 時空の色褪せ!!」
実経が”黒樹”に時空魔法を使用した。すると、本能のまま暴走していた黒樹の活動が停止した。そして、黒樹を操作していたイレミアだが、彼女は最後の力を振り絞って駆使させた才で、絶望を与えたことを実感して、酷く美しく微笑んだ。
「カトレア殿。待っていてください」
攻撃の手が完全に止んだことを受けて、桂がイレミアに近づく。いつでも対応できるように魔力を練り、警戒して近づく。そして微笑むイレミアを正面から見て、問うた。
「…死んでくださいますか?」
桂の質問に、一拍置いて、イレミアは答えた。
「…私が死ぬ要因が、あなた達であっても、最期を看取るのは、キフェ御兄様よ…ねえ、そうでしょう?」
優美な声でイレミアが問いかける。だが、それは桂に言った言葉ではない。だが、そのことに気づくまでに桂は少しの時間を要した。その分の注意力が散漫し、もう一つの脅威が近づいていることを認識できなかった。その脅威は、桂の腕を掴む。そうして、ようやっと桂の意識がもう一つの脅威に向いた。彼の目に映るのは、オリゴが足止めをしていたはずのキフェだった。
(オリゴ殿が破られたのか!?)
そのキフェを見た桂は驚きのあまり、魔法を使うことを忘れてしまった。その一つの迷いが、キフェの好機になってしまった。
「俺のものに何度貴様らは触れ、死に犯した…」
彼の言葉には殺気が漲り、それと同時に憤怒が宿っている。それは最も愛したイレミアが、死の危機に瀕しているからだ。だが、まだ死んではいない。その事実で辛うじて、理性が残っている。だが、その理性とは、殺戮という爆弾が爆発するまでの導火線である。桂は見回して、戦力を考えた。実経は完全に動いていない。カトレアは魔力切れで気絶している。だが、イレミアを倒した功績を考えるとこれ以上、魔法で酷使させるのは非人道的だ。そして、オリゴの魔力を探る。探知ができない。恐らくは権能を使っているため、それ以下の能力である魔法は、権能の偉大さで感知することが不可能なのだろう。
そうしていると、キフェが殺意のこもった瞳を桂に向けた。それは鮮烈な赤。その殺意はどうやっても消火できることは叶わないだろう。
「貴様らの生きる意味などない」
「…っ!!」
「俺が殺してやる!!」




