53話 マカバイの痛み
マカバイ戦争は紀元前160年頃に勃発した戦争で、指導者ユダ・マカバイにちなんでいるそうです。
「芒星眼が教えてくれるの。地上宇宙を揺るがす一大事が起きる運命にあるってこと。それがもしかしたら、私たちの戦いかもしれないわよ?」
ライラが血の涙を流しながら、どこか余裕のある言葉でベルゼブブ神を煽る。それは恐らく本気を望む木聯の心の声を代弁しているのだ。その意図に気づいたベルゼブブもまた余裕のある言葉で返す。
「余の全力を欲するか。貴様の言葉を借りるとするならば、それも運命にあるというのか」
ベルゼブブは手を空に向かってあげる。すると、ベルゼブブの翅から大量の無支奇が放出される。何が起きるのかと三人が警戒していると、無支奇が一本の木に当たる。すると、無支奇が木を覆いつくし、その木の物体に匹敵する量に増えた。増えた無支奇が隣へと続く木々や草、それに加え地面にも触れると、それ全てを呑み込み、飲み込んだ分だけ増幅した。
「なっ」
「…!?」
「ふーん」
驚く木聯とタチアオイ。冷静に分析をするが、分析を進めるだけ、その脅威が脳裏に刻まれる。
(触れたものが無支奇になっとる!? しかも地面も?)
(違う。土の質量だけ無支奇になっとるんや! 範囲が拡大してるだけじゃない。その威力と速度も跳ね上がっとる。下手すれば…)
木聯は遥か遠くを向いた。その先には魔塔や教会があるヴェスタ帝国がある。帝国では現在、悪魔の侵略を受け、多くの魔法使いや神官が最前線に立っている。このまま、無支奇がその前線にまで及べば、対処できる魔力も、気力も何もかもない。あるのは全滅という運命だけ。
「運命の強制。最強を冠するだけはあるが、二度の運命の強制で貴様は芒星眼を使えん。そして、この量の無支奇を対処するには、権能を使わねばならんが…」
ベルゼブブは木聯とタチアオイに一瞬視線を移し、すぐにライラを見据えた。
「その者らを巻き込むことになりそうだな」
「そうね。私もそれは望んじゃいないわ。でも、神が相手ですもの。出してもいいわ…権能の極致!」
「長殿!!」
ライラの発言に反応したのは木聯。その剣幕は険しく、ライラの言葉が冗談であると分かっていても、それが愚策であることを伝えている。冗談よと呟くライラに、今度はタチアオイが話しかける。
「無支奇はわいがどうにかします。ですから、神の相手を任せます」
「信じるわよ」
「勿論」
ライラは油断しているベルゼブブに、鎌で斬りかかる。続くように、木聯も数多の武器で、接近戦に持ち込む。その隙にタチアオイは無支奇の方へと移動する。タチアオイに翅や棘の無支奇を向けるが、ライラに全て阻まれる。
「悪いけど、聖女の願いは聞き届けなきゃいけないのよ」
ライラはそう言いながら、隙の生まれたベルゼブブに銃を向け、撃つ。弾丸は命中するも、無支奇によって、ベルゼブブの傷は完治する。完全に治癒ができない腹部の傷は、ライラが運命を強制させた影響を受けているからであろう。それだけが致命傷として、ベルゼブブの肉体を蝕んでいる。通常は遠距離攻撃に秀でているライフル。それをほぼゼロ距離でライラは扱う。だが、真っ直ぐな軌道で撃つのではなく、ベルゼブブの翅や、そこから放出と飛散する無支奇に跳弾させ、複雑な軌道を結びながら、確実に当てていく。そして神を襲うものはそれだけではない。二つの魔法を持つ木聯だ。ライラの隙を塗りつくすように、武器を作り出して、ベルゼブブの行動に制限をかける。木聯自身は精霊を付与させた両剣で応戦する。
二人の時間稼ぎにベルゼブブが足止めされている中、タチアオイは脅威の払拭に当たる。砂や岩だけでなく、それらに宿っている自然的仮想物質をも飲み込み、無支奇は増幅していく。その脅威がタチアオイの恐怖を駆りたてるが、彼女は諦めていない。
「骨くらいは残るやろか」
タチアオイは跪いて、手を結ぶ。彼女は、自身に宿る聖力を開放する。
(師匠さんに見せてもろうた魔法研究史実。そん中には歴代聖女だけやのうて、魔法の根源たる3つの魔術・霊異魔術を研究した魔法研究史実もあった)
―魔法の根源の魔術は通常であれば、魔法の開祖ではなく、始まりの賢者が創造した
しかし、霊異魔術だけは魔法の開祖が創造した
霊異魔術の尊大なる御力を発揮するが、その御力に耐えきれない者は後を絶たず…
その者らが策と知能、努力を重ね、開発させたものこそが、聖術である
云わば、劣等の魔法…
しかしながら、私はこの聖術と霊異魔術の魔法術式を長年研究していて気づいたことがある
それは、魔法術式が同じであること
霊異魔術と聖術との魔法術式は細部に至るまで同じであること…
これが何を意味するか…
聖術とは霊異魔術の威力を制限した魔法であること…
つまり、人類は魔法の基礎たる偉大な魔術を使える可能性にある
私の生涯は、その発見に全てを捧げたために、これを証明することは叶わぬ
だが、私の文献を読んだ才ある者が、これに感化し、いつの日にか、人類の可能性を証明してくれると信じている
必ずや、その時が―!
タチアオイは、霊異魔術が記された魔法研究史実の内容を思い出す。その文献は、文字自体も掠れて読みづらかった。紙もぼろぼろで、頁を捲るだけで破れてしまいそうな音がした。始めは綺麗に書かれてあった文献だったが、終わりに近づくにつれ、殴り書きのものになっていた。だが、それだけ必死だったのだ。魔法を発展させようと懸けた文献。その言葉にあるように、タチアオイは感化された。
(名も知らん先祖の魔法使いは、霊異魔術の使用を諦めておらんかった。そして、人類がその決意を忘れ去ろうとした頃、霊異魔術の研究に捧げ、決意の灯火を絶やすことなく繋げてくれた偉大なる魔法使い。
たくさんの人と魔力と時間が、想像もできんくらい聖術に込められとる。その思いに触れたわいは、偉大なる彼らに敬意を示し、成し遂げんといけん!)
タチアオイの内なる思いに連動するように、彼女を中心に魔法陣が描かれる。それは普段の聖術を使用する際に出現する魔法陣よりも遥かに強力な魔力が放たれ、優しくも神々しい光が輝く。
「人類の可能性を今一度、ご照覧あれ…
―霊異魔術聖母の月神」
空から降り注がれる光の柱とともに、辺りに浄化の力を齎す。無支奇でさえも飲み込めないタチアオイの魔力は、一介の聖女に収まらず、魔法の開祖と同等の力を放っていた。増幅していた無支奇が、その行動を止め、タチアオイの聖力を呑み込もうと真っ向面からぶつかる。その度に、タチアオイの魔力が飛散して、そこいらにある無機物を手当たり次第に破壊していく。
「タチアオイ…」
木聯が妹の名を呼ぶ。遠巻きからでも感知できる絶大なる聖女の魔力。その魔力が風に乗って、ベルゼブブやライラにまで影響を与える。
「…(魔法には詳しくないけど、聖術があんなにも絶大なのはおかしい。いえ、もう一介の魔法ではないのかも)」
ライラが不思議そうに考えながら、攻撃をしかける。その攻撃をいなすベルゼブブも考えていた。
「(霊異魔術か。ただの小娘に使える代物ではないと高をくくっていたが、こうもなると…) 殺すか」
ベルゼブブが冷徹な声でそう言った。その言葉に難色を示した木聯がベルゼブブとの間合いを一気に詰めて、神の息の根を止めようと動く。
「!」
だが、彼の目の前に銀白色に揺れる球体が現れる。その正体がなんであるかを、木聯には見当がつかなかったが、彼を庇うようにライラがその球体の前に立ちはだかる。
「長殿…」
ライラは球体に背を向けて、木聯を抱擁する。ライラの行動が意味すること。それがベルゼブブの攻撃であるということ。その束の間に球体が爆殺するように勢いよく飛散する。細やかに飛び散った無支奇の多くがライラに激しく突き当たり、彼女に猛烈な痛みを及ぼす。抱擁してライラに守られている木聯にも、少量ながらも無支奇が当たる。一滴だけでも、熱く焼かれた武器で刺されているような感覚に襲われる。その痛みに木聯は悲鳴を上げる。木聯よりも、その痛みを多く受けているライラは一切の悲鳴も、呻きも上げずに、彼を守っている。だが、ベルゼブブの攻撃に衰えなどない。一つの無支奇の球体が飛散すれば、また新たなる無支奇の球体が構築され、飛散する。爆発から生じる強風。強風に混ざった粒子の無支奇に、ライラの肉体は爛れ、彼女自身の気力も失われ始めた。十一星芒の瞳が、神々しい光の柱を捉えた。そして傷だらけの腕を上げて、腰に携えてある拳銃を強く握りしめる。
「最強が死ぬことはないのよ!」
そう言ってライラは引き金に手をかけ、無支奇を貫き、その弾丸をベルゼブブの肩を撃ちぬいた。
「賛美に値する」
その一手に力尽きたのか、ライラは倒れた。激痛で地面でのたうち回る木聯を後目にベルゼブブが光柱の降り注ぐ箇所へと、高速で向かう。神の目に止まる人間は、金髪が重力に逆らったように靡く。祈りを捧げ、ベルゼブブの権能が介入したというのに、それには反応を示さず、ずっと霊異魔術を放っている。その姿に一瞬恐怖を覚えたベルゼブブは、翅から無支奇を放出する。その無支奇を巨大な弓として、大きく引く。魔力とは異なる仮想物質にやっと反応したタチアオイが目を開き、ベルゼブブを見据えた。
(なんだ? 聖女であるのに、今目の前にいるこの小娘からは研鑽を積んだ大魔法使いと同等の異質な気配がする…)
タチアオイの瞳に、何か不吉で不気味なものを感じたベルゼブブがたじろいだ。そんな神に、タチアオイが一方的に問うた。
「ずっと考えていた。護るための聖術に爆撃魔法を付与してよかったんやろうか。人類を守る聖女が破壊を司るなんて稀代を冠してええんやろうか。
何度も、何度も、悔いて、悩んで、捨てて、己を咎めて。だけど、やめんでよかった。わいの聖術は霊異魔術へと進化して、神を懲らしめた。そして、爆撃魔法は、今、霊異魔術との連携に成功した!」
タチアオイの言葉が、この先の未来にどう生きようとも、ベルゼブブは矢を射ることに変わりはない。神である自神に危害がなされようとも、それは蠅と同意義。些細な煩わしさだけなのだ。神の容赦のなさと、絶対的なる力。それによる驕りが、タチアオイの魔法を完成させる。
「射れ。神よ!」
タチアオイがそう叫ぶと同時に、ベルゼブブは巨大な矢を射る。誰の介入も許さぬ弓矢は、真っ直ぐにタチアオイの心臓を貫いた。
聖女タチアオイを、自らの手で屠ったことをベルゼブブは確認するため、彼女に近寄った。無惨に倒れ、完全に動かない。確実に死んでいる。だが、ベルゼブブは感じ取った。死んだはずのタチアオイの体の中を勢いよく駆け巡っている。それはまるで手綱を失った暴れ馬のように激しく、制御が効かない。そして、ベルゼブブはもう一つのことに気づく。それはタチアオイの展開した魔法陣が消えていないことだ。消滅するどころか、魔法陣は尚一層光を増している。その光は、死んだタチアオイの聖力と共鳴するように、激しさを増している。
「爆撃魔法と、聖力の暴走…小娘!」
ベルゼブブが何かに気づいて、急いで翅を羽ばたかせて、その場から逃げ出そうとする。だが、時すでに遅し。聖力の主であるタチアオイの死亡により、聖力と、それらが構築していた魔法陣の手綱を引く者が淘汰された。主のいなくなった魔力は無造作に動き回り、暴走を引き起こす。その暴走は霊異魔術にまで及び、浄化の力に舵を切っていた魔術が崩れ去る。莫大な御力が浄化ではなく、”破壊の力”へと振り切ったのだ。
辺り一帯、いや、広範囲に聖力が行き届き、回避不可能な大爆発を引き起こした。
「ぐっ…!」
できるだけ、距離を取っていたベルゼブブも、その爆破に巻き込まれる。局所的で一度の爆発かと思えば、聖力はまだ暴走を続け、第二次の爆撃が起こっている。
(自身が死ぬことで魔力暴走を引き起こし、無支奇もろとも余を殺す算段だと…余が殺したが、それはあの小娘にとって自害したのと同意義。余は使われたのだ! 小娘の苦し紛れの謀略に…)
爆発の威力が衰えたことを確認したベルゼブブは地に降り立ち、一息つく。翅への負荷が大きく、これ以上の戦いは無理である。そして、ライラに撃ちぬかれた腹部の銃傷が体に響く。今の爆破を直で受けたことで、自身を構築する核にも相当なダメージがかかっている。
「ここまでとは。退くか。いや、止めを刺さねば…」
不名誉なことに瀕死に追いこまれたベルゼブブだが、守護者であるライラを、タチアオイと同様に自らの手で屠りたいと考えた。だが、その考えが驕りとなり、ベルゼブブの運命を破滅させる要因となる。
「!?」
ベルゼブブの前に現れる人間。それは無支奇の攻撃で負った痛みでのたうち回っていた木聯であった。戦うことなど不可能だと判断し、後回しにしていた人間が颯爽と駆けつけた。彼の手に持っているものは、ベルゼブブに初めて見せた精霊術と武器魔法を融合させた新たなる魔法で構築したナタだ。灰廉石で覆われた取っ手に、不揃いの岩石の造形。醜いそれとは反対に、刃は氷を素材とした鮮碧の光沢を宿す。異質な武器に変わりないが、その気配にどこか親近感が芽生える。木聯は重心を低くして、刃を上に向け、手を交差して、構える。
「人間の武器は神に傷を与えられても、殺すことはできん。それがあんさんの驕りと絶対的な自信の正体」
そう言って、木聯は大きな一歩を取ると、その一瞬でベルゼブブの肉体に取り返しのつかないほどの一筋の斬りを加えた。高速で流れるナタの刃先が、神の細胞にまでも侵入して、深く抉る。異質な魔力が神の体を全身に駆け巡る。異物に反応を示した体の機能が急激に低下する。それが木聯の目にもわかるほど、ベルゼブブの動きが遅く、鈍くなった。木聯がその威力に驚く中、ベルゼブブは親近感の正体が分かり、激怒した。
「神の血が流れておらぬ者が! なぜ、権能などを使っている!?」
ベルゼブブの怒りが、神の権能の制御を壊し、殺気と共に辺りに放出される。ビリビリと肌に強く刺さるような権能と殺気に、木聯が怯んだ。腹の底からこみ上げる恐怖と警戒音が全身に鳴り響くが、木聯は勇猛果敢に、ベルゼブブに立ち向かう。彼の握る灰廉石のナタには、精霊だけでなく、権能が宿っている。その権能を再確認したベルゼブブの怒りは最高潮に達した。
「権能は余ら神が許した者にしか使えぬ御業。それをただの人間が!!」
「その神さんが許した御業を、うちに貸してくれた方がおるんや! よお、知っとるやろ!」
「…やはり、殺してから聖女のもとへ行くべきだったか。どこまでも執念深い人間共が!!」
「―!?」
すでに死んでしまってもおかしくないベルゼブブは両手を広げる。翅が再構築を一瞬で遂げる。その翅は目覚ましい速度で、木聯に斬撃を送った。それだけでなく、ベルゼブブの全身から放たれる権能が無支奇へと具現化し始めた。次の一手が木聯には読めた。爆発する、と。木聯の読み通りに無支奇はある一定の大きさの球体になると勢いよく破裂した。その爆発は凄まじく、強風を起こし、それらの風が集まり、強力な辻風へと変貌する。権能はベルゼブブの怒りのままに蠢き、ただただ人間を害し、滅しようとするだけだ。それは権能の主であるベルゼブブにすら止めることはできない。いや、神の怒りが収まるまで、この悪夢は終わらない。
(まずい。ナタが…!?)
無支奇と権能の抑圧により、木聯も限界が近いが、武器の限界が近づいている。木聯は危惧した。このままでは、負けてしまうのではないかと。
(元々、なけなしの魔力とエレメンタルを無茶して構築した武器や。いつもの純度の高い武器になってない。それに長殿に付与してもろうた権能の負荷もかかっとる。今あるんは精霊の召喚の可能性!)
木聯は一瞬考え込むが、彼の中にある何かが、この可能性を実行に移した。それは紛れもない前任の精霊使いアロエの言葉だった。過去に言われた言葉が、木聯の脳内で再生され始めた。
『精霊は信じている人にしか現れないんじゃない。目の前に現れてほしいと思っているから、現れてくれるんだ。でも、それは人間の一方的な愛。精霊からの愛じゃない。
でも、精霊にもお気に入りはあるよ。そのお気に入りは並大抵、精霊を嫌っている現実主義者。君みたいだね。
だから、何か困ったことがあれば、大きな声で呼びかけてあげて』
「信じるで、アロエ」
木聯は決意を宿した目をして、ナタに今あるエレメンタルを流し込む。大きすぎる負荷に武器が、ぴきぴきと音を立てる。
「誰でもいい。うちに力をくれ!!」
辻風で荒れ吹く無支奇が肌に付着して、木聯の体に激痛を与える。限界が露呈する木聯は悲痛な声を上げる。
『遂に…』
その悲痛な声に、ベルゼブブでない第三者の声が聞こえた。
「!」
「また、余の邪魔をする虫けらが!!」
邪魔と弊害が増えたことに怒りを露呈させるベルゼブブと、自分の呼びかけに応じてくれたという奇跡に開いた口が塞がらない木聯。そんな彼の背後に立つ者は、精霊。その精霊は灰廉石のナタを握る木聯に、手を添える。
「ほんまに来てくれたんか!? 火の精霊サラマンダー…」
『貴様の呼びかけを、余らはずっと待っていた』
ドラゴンではなく、人の姿のサラマンダーの援軍に木聯は、自分で呼んでおきながら、責め立てるように問うた。
「なんでや、うちはあんさんらを恨んどるんやで!!」
『それがよいのではないか。信望の信仰ではなく、憎悪の信仰。げに美しい。さて、木聯よ。余は其の言葉に応じた。其の宿願を成し遂げよ』
サラマンダーの言葉に、木聯は震える手に力を再度籠め、ベルゼブブ神を真正面から迎え撃つ姿勢を取る。ベルゼブブ神からは揺らぐことのない絶対的な神としての権威が感じ取れ、一生超えることができない壁を前にしているような絶望がある。ベルゼブブ神は翅を大きく羽ばたかせて、その鋭利さを見せつける。そして、一薙ぎ。木聯はベルゼブブ神の攻撃を避けず、体に受け入れた。
「貴様は愚かだ。精霊の愛を受け、魔力に長け、権能すらも宿されているに関わらず、余を殺せぬ。なぜ、いつの世も雑魚ばかりが力を持ち、廃れさせるのか…」
「何言ってん?」
「!」
「人間てのは、持ちすぎると弱くなる。何もかも持ってる奴がみな強いわけちゃう。ただ強く見せとる可能性もある。やけど、うちはその全てに該当せん。強く見せることも、強くなることも、弱くなることもできん。やからこそ、廃れさせることもできん」
木聯の言葉は、彼の本心。それにサラマンダーは眉間にしわを寄せる。だが、その言葉の結末が机上の空論だと察したベルゼブブ神は足に力をこめる。
「ならば、逝くがよい」
神速で木聯の間合いどころか、触れそうな距離に移動したベルゼブブ神は高らかに拳を上げる。木聯がその拳を受け止める方法はない。だが、防がねば神を屠れる千載一遇のチャンスが淘汰される。
そのチャンスの淘汰を許さぬのは、精霊でも、魔法使いでもない。この地上宇宙において最強を冠する守護者である。
木聯を庇い、全身全霊で神の攻撃を受け止めたライラ。気を失ったこと、木聯の介入により、彼女の存在は完全にベルゼブブ神の想像から排除されている。全身に火傷を負ったような痛々しい姿のライラだが、彼女の瞳は辻風が吹き荒れるその中の標的を捉えていた。彼女の手には、彼女の真骨頂であるライフルがあり、その銃口も標的に向いている。
「言ったでしょう。全て戻すと。そして思い出す。神を殺す感覚を。今一度、やってみせる」
ライラの瞳に光が増し、十一星芒が夜を照らすように辺りを呑み込む。血の涙を流しながら、ライラは言った。
「運命の祝福があらんことを」
その言葉の宿った弾丸が撃たれる。弾丸は辻風の防壁を打ち破り、ベルゼブブ神の腕を伝い、神の怒りを撃ちぬいた。完全なる想像外の範疇で起こったことに状況の整理が追い付かず、ベルゼブブ神の思考は完全に停止した。木聯の顔面に当たる直前の拳が灰のように飛散していく。それは七洋としての終わりを迎えていた。
絶好の機会という弱者には、これ以上にない名誉な状況に出会えたことを木聯は心の底から感謝する。その感謝が、権能と共鳴して、灰廉石のナタに新たな力を齎した。それを知らせるように、サラマンダーが木聯の手を強く握る。
「十徳武器魔法最高奥義・神器灰廉石のナタ!」
木聯は今まで溜めていた精霊への憎しみと、仇討ちのために培っていた復讐心を、この神器に乗せる。その感情は悪を滅するというには、傲慢で自分勝手なものだと分かっているが、今の彼を動かす感情と、神を屠る心意気はそれだけでよかった。
木聯は、また一歩と踏み込み、ベルゼブブ神の体全てを斬る程に大きな一刀両断をしてみせた。
「…!?」
深く与えられた傷。そして、木聯の一刀両断は、ベルゼブブ神の核を綺麗に真っ二つにした。それは完全なベルゼブブ神の終焉を物語っていた。
「アザトース様、申し訳ございません。余はここまで…」
全身が灰となって、自身で起こした辻風に巻き込まれていく様子を、ベルゼブブは虚ろとなっていく意識で見た。そして最後の言葉には、自身が仕えたアザトースへの謝罪を言って、完全に灰となって消滅した。その光景を見届けたサラマンダーは、踵を翻して、木聯を視界に入れる。彼は丸焦げになった死体へと駆け寄り、抱きかかえる。
自身が火薬となり、神を最後まで翻弄したタチアオイの姿は無惨で、顔の原型をとどめていない。もう話すこともできないし、一緒にご飯を食べる日常さえも送ることができない。その事実が、神を殺した代償だと木聯は現実的に捉えた。助けると、絶対守ると決めていたのに、現実は容赦なく、その誓いを壊す。その残酷さを無意味に模索している木聯には、蘇生と言う思考が生まれなかった。
「……終わったで」
木聯が一言で完結させる。すると、彼の頭を誰かが撫でた。木聯はばっと顔を上げて、誰かを見た。
「アロエ…タチアオイ…」
それは先の戦いと、今回の戦いで戦死した木聯にとって大事な二人。二人は木聯に微笑みかけるが、その体には実体がない。まるで亡霊のような存在の二人に、木聯は言葉を飲んだ。木聯の幻覚かと思ったが、二人はサラマンダーに一礼したことで、それが現実で、神秘的なことだと理解した。
「ごめんな。うちの我儘のせいで。いつも二人に迷惑かけて、守れんで。うちは、天才でもないのに…」
木聯は懺悔した。劣等感からの情けなく、弱い声が二人にかけられる。一方的に眺めていたアロエが、木聯に近寄って、腰をかがめる。そして木聯の額と、自身の額とを触れさせる。それは懺悔を聞き入れて、また、アロエ自身の罪を木聯に共有させたのだ。そんな中で、木聯には記憶が、今鮮烈に浮かんだ。
その記憶は、木聯とタチアオイ、アロエが座天使級魔法使いに見事昇格したときのこと。魔塔でも限られた者しか出入りできないという場所に立ち入った。そこは一本の木に、余すことなく太陽が降り注がれている神秘的な場所。その場所が精霊のための場であると三人は一瞬で分かった。ばつが悪そうな顔をしている木聯を、妹のタチアオイが手を掴み、その木に触れさせた。
『温いやろ』
彼女の言葉に木聯は反応に困った。続けざまに、
『この地上宇宙には精霊だけが住む領域ユートピアがある。そこでは死者と話ができるらしいんや。もし、わいが死んだら会いに来てや』
『タチアオイ、ずるいよ。それに死ぬなんてこと言っちゃあダメでしょ』
『なんやねん、アロエ。こうでもせえへんと、兄さんの精霊克服に貢献できへんで』
アロエとタチアオイが言い合いになり始めたところで、木聯が声を上げて笑った。それに驚いた二人は彼を見る。
『何言ってん。ユートピアがあるんなら、三人で行こうや。そん時は、うちに精霊の凄さを教えてくれたらええ』
木聯の本心からの提案に二人は首を縦に振る。そして、小指と小指とを三人は結ぶ。
『ええ、ユートピアを絶対に拝みましょう。いいな、兄さん』
『約束や。三人で…』
『うん。絶対に生き残ろうね』
その約束のために今まで生きてきたと言っても過言ではない。その約束が木聯の生きる糧だった。亡霊のアロエが立ち、木聯から離れた。二人の姿が、一層薄くなっていくことに気づいた木聯は必死に、二人に話しかけた。
「会いに行くから。絶対!!
また、話そうや!!
約束通り…理想で会って…声を聴きに行くから! 二人の愚痴でもなんでも、なんぼでも聞くから!!
だから、待ってて!!
必ず!!」
今にも泣きそうな顔で木聯が誓うと、アロエとタチアオイは彼を見る。そして、全てが消える前に、二人はそれぞれ口を動かした。そして、また安らかな笑みを浮かべて消えた。二人の言葉を木聯は、再生する。
『待ってるよ』
『約束やからな!』
その言葉が虚空となった木聯の心に響き、三人で過ごした日常が急に再生される。それは二度と叶うことのない理想であること。そして、本当に二人がいなくなってしまったのだと。その現実を、木聯は涙で受け入れた。大粒の涙が彼の頬を伝い、丸焦げになったタチアオイの死体に零れ落ちる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
魔法使いの号哭が、神との戦いの勝利を完結させた。
一生分の涙を流した木聯は、傷の具合も相まってか、泣きつかれて眠りに落ちた。それを優しく抱きかかえるサラマンダー。
「サラマンダー」
高台から歩いてきたライラがサラマンダーの名を呼んで、引き留める。
「その魔法使いを宇宙戦艦に乗せて。始祖からの通達よ。魔法の海は捨てる。だけど、この海に住む人類はできる限り救う」
『連れ帰ろうと思っていたのだがな』
サラマンダーの冗談が、本気にしか聞こえなかったライラは鋭い目つきで睨み言った。
「そうすることで困るのは、お前たちの精霊王よ。まあ、今はいがみ合ってる場合じゃないでしょうけど。だとしても、その魔法使いは諦めて!」
ライラの圧力に気圧されたサラマンダーは渋々頷いて諦めた。サラマンダーが諦めた要因はそれだけではない。この戦場の上空に押し寄せる大きな気配。1000という単位に収まり切れないほどの圧倒的な数が、サラマンダーにも、ライラにも感じ取れた。恐らくというよりかは、明確に正体を理解していた。七洋ベルゼブブ神の侵攻の後に続くクヴァレ帝国の正式な軍隊。滞空する軍隊は、ライラを確認すると様子を窺うように気配を抑えた。
「臆病なのか、聡いのか。どちらにしろ私一人で事足りるわね」
自身の存在で怯んでいることを勘づいたライラがライフルを構えて、戦いの準備をする。それを横目にサラマンダーは翼を生やして、縫い目を探る。
「穴は作るわ。一瞬だけど。そこを抜けて」
そう言ってライラが上空にライフルを向ける。そんな彼女にサラマンダーが問うた。
『何故、この魔法使いに神殺しを譲った? 貴方ならば、あの一撃で全てを終わらせることができたはずだ』
「…さあね」
ライラが引き金を引いて、銃弾を放つ。その銃弾は一匹の敵兵に命中すると同時に、跳弾を繰り返して、ライラの狙ったところに穴を作った。その穴を高速で通り抜け、敵の包囲門からサラマンダーは脱出する。それを見届けたライラは、1人で戦場に残った。
「譲った、ねえ。お前にはそう見えてたのね。あの魔法使いを見ていたら、私には消えたものばかり。宿敵を倒す宿願も、誰かのために泣くことも、私にはできない。今も、昔も。」
ライラは権能を全身に纏わせて、時間逆行を行う。火傷のようなものは消えぬが、ライラには活力が漲る。
「運命は変わらない。私が変えさせない。さあ、仕事の時間よ」
魔塔のあるヴェスタ帝国では、悪魔の動きが過熱しているのに対して、魔法使いや神官には疲れが露わとなっている。人間の限界を見出した悪魔という化け物が、調子に乗り、攻撃を仕掛けてくる。だが、悪魔どもを一掃する魔法が放たれる。その魔法を放った者は、この地区の防波堤の役目を担う魔塔No,2である座天使級魔法使いカトレアである。彼女の応戦で、そこいらの悪魔は一瞬にして討伐された。
「ここは妾が担うわ。宇宙戦艦に早く乗りなさい!」
彼女の指示に、多くの魔法使いが動く。手と手を取り合って一目散に、宇宙戦艦のある場所へと避難する。辺りに人がいなくなった帝国は閑散としている。が、これがカトレアの望んだ状況である。
(遠くでタチアオイの魔力が爆発して消えた。微かに権能を感じ取れた。消滅と生成。だけれど、クヴァレ帝国の軍隊の魔力が微細に感じ取れる。)
「七洋に勝ったともなれば、誉れ高いことね。そうは思いませんか?」
カトレアがひとり言のように誰かに尋ねた。彼女とは違う瓦礫の動く音がした。カトレアはそれを聞くなり、杖を向けて魔法を放った。威力と速度を確保した魔法が正確に、音を狙うが、対象には当たらなかった。その対象が、カトレアの前に現れる。
「なにか訳ありのような顔ですわね。”穏”の元祖イレミア」
その対象はイレミアの宿敵と言っても過言ではないイレミアであった。だが、彼女はどこか疲弊しているような顔をしている。どこか様子がおかしいイレミアだが、カトレアは油断も手加減もない眼差しで見つめた。
「一度逃し、しかしまた邂逅する相手。そして倒さなくてならない相手。それを宿敵と呼ぶ。」
「まるで、私とお前が同等の存在だと言っているようじゃないの?」
カトレアの挑発を、イレミアが軽くいなした。だが、カトレアの挑発に乗った時点で戦いはすでに始まってしまったのだ。
「同等ですわ。戦いに立つ権利は等しく人類に与えられた権利ですもの。さあ、ここでの戦いに花を咲かせて魅せましょう」
カトレアの大きな魔力と、イレミアの樹木が帝国に跋扈する。




