52話 シュボタの痛み
この戦いになるまではペルシア戦争が台頭するのですが、その後にあった戦争がシュボタとされています。古代アテナイの歴史家トゥキュディボスによればギリシア人同士の海戦では最大規模とされています。
セア・アぺイロンの結界を解除する少し前。侵略の打ち合わせが終了して、ベルゼブブがクヴァレ城内を歩いていると、後ろから誰かに声をかけられる。
『やあやあ』
『…』
ベルゼブブを呼び止めた者は、クヴァレ帝国の軍師のような立ち位置にいるレヴィアタンだった。彼に対して、ベルゼブブは不愉快な意思を感じさせる。
『すまないね。先の会議で、君が魔法の海に行くとは思わなかった。少し伝えたいことがあって』
ベルゼブブに物怖じしない態度で、レヴィアタンが神に話す。
『守護者のことか』
『今の魔法の海に大した戦力はないよ。情報だと、魔塔主ウェルテクスは英傑の海に向かったらしいから。戦力としての座天使級魔法使いだが、神には遠く及ばない。だが、一つ懸念がある』
『?』
『1人の守護者の行方が掴めないでいる。その守護者は、能力上、殺気と気配、闘気を消すことが体に染みついている。だから、一度見失えば、見つけるのに苦労する』
忠告というよりは、愚痴のように聞こえてしまうレヴィアタンの言葉。ベルゼブブが彼を無視して去ろうとする。その反応にレヴィアタンは「端的に言うよ」と観念したような物言いで続ける。
『もし、その守護者が接触してきたのなら油断するな。なにせ、彼女は君の天敵だからね』
ルシファーを殺した人間。いや、人間と呼称するには惜しいな。
貫通した目を押さえながら、ベルゼブブは、ここに赴く前の記憶を思い出す。その記憶において、レヴィアタンが懸念していた守護者が、その懸念通りに、ベルゼブブに立ちはだかる。いつのまにか、木聯とタチアオイの姿は見当たらなかったが、そんなこと眼中にないベルゼブブは思い起こす。人類に数多ある種族・人種の最高に立つ七大一族というものについて。
(夜の一族と原初一族は表裏一体の一族だ。始まりを司る原初神の血を引く原初一族と、終わりを司る夜の神の血を引く夜の一族。七大一族として君臨する理由は、両者共に権能。
数多ある能力の中の頂点と言っても過言ではない権能を、人間でありながら使用することができる血族故。しかし、原初一族とは決定的に違うもの。それは天使の加護を受けているということ)
ベルゼブブは舌なめずりをする。
「神と天使の力を使う人間か。心が躍るな」
その光景を遠くで見ている木聯とタチアオイ。遠くというのは、その言葉通りで、ベルゼブブを中心とするならば、約五キロメートル近くは離れている。五キロメートル先のことなど見えないので、魔法道具で戦場を映しながら、戦線離脱という形をとっていた。
「よく守護者なんて呼べたなぁ、兄さん」
敵がいないことに、緊張の抜けた声でタチアオイが話しかける。木聯は体に刺さったダガーを抜き、妹の治療を受ける。
「うちが呼んだんやない。カトレアの姐さんや」
「御姉様が?」
「あの人がオリゴ様に頼み事するって言うた時に、一緒にお願いしたんや。オリゴ様経由で守護者の誰かを出動できへんかって…」
木聯の言葉に、タチアオイは開いた口が塞がらない。
「オリゴ様が? 始祖と言っても、経験が浅いのに?」
「オリゴ様の得意分野は交渉らしい。せやから、そういうことには滅法強いんやろ。それに、オリゴ様と夜の一族長って言うんなら納得や」
元々、オリゴは魔法石を題材にした研究を進めているため、その研究材料である魔法石が大量に採掘される夜の海を統括している守護者ライラとも交流があっても不思議ではない。
「魔法石を研究する夜の一族長殿なら、稀に採取される魔法鉱石の液体”無支奇”でも、知識がある。あの神は無支奇の使い方がうまい。せやから、ライラが出てきたんはうちらにとっては良い誤算や」
「…賭けていいんやろか」
心配そうな声を上げ、塞ぎこむタチアオイに木聯は言った。
「守護者に全て賭けるわけないやろ。うちらがとどめ刺すんや」
「オファニエル」
ライラがそう言うと、彼女の後ろに天使が出現する。
『ここに』
高台から移動したライラはベルゼブブを見据えながら、質問した。
「あれは神で間違いないかしら?」
『まごう事なく』
オファニエルは間髪入れずに答えた。そう…ともの悲し気に反応するライラは、銃を全身で固定して、重心を下ろした態勢をとる。
「セアの結界の下では、神でさえも防げないのね。私が屠ったルシファーは神であって、神ではなかった。だけど、今目の前の神は、本当に神なのね」
ライラはスコープを覗き込み、銃口をベルゼブブに向ける。引き金にかけるライラの手に、オファニエルは手を重ねる。
『御身に…』
「ええ、全快で行きましょう」
オファニエルの言葉に、ライラは同調の意気込みを語ると同時に、引き金に力を込めた。その構造上、銃口から放たれた弾丸は、捕捉することが困難な速度で、空気を分け入り、一直線に突き進んでいく。弾丸はベルゼブブを捉え、害そうと飛んでいくが、ベルゼブブは無支奇で防御する。弾丸の軌道を見たベルゼブブが、およそ三キロメートルは離れているライラの目の前にまで移動した。
「随分な挨拶ね!」
居場所が特定されるとは想定していたライラだったが、まさか一瞬で接近されるとは想定外だったため、驚いた声でベルゼブブを嬉しそうに睨んだ。ライラは構えを解き、ライフルを一回転させる。すると、銃が鎌に変形した。鎌はライラよりも大振りなもので、存在するだけで異様なオーラを醸し出している。まるで呪いのように。
「ほう。それが貴様の神器か」
禍々しい鎌にベルゼブブは興味を示す。ライラはにこりと微笑み、容赦なく鎌を振り下ろす。その攻撃範囲は広く、木々にも傷を負わせる。鎌に当たった木々が毒のせいで腐食する。
「神器権天使の鎌刃は、私の権能”夜”と私を守護する天使の一翼である神の毒を結合させた神器。鎌と銃の二つの武器に自在に変形できるの」
ライラは安直に鎌を振るい続ける。他に比べると隙が多いが、それを補うように、鎌に備わっているもの。それが毒である。恐らくは、神の毒の力で毒が自動的に附随されているのだろう。神の毒というだけあって、その毒は神の危機感を揺さぶるものであるようだ。ベルゼブブは毒に警戒を持ちながらも、無支奇でその毒を防ぎ、ライラに近づいていく。彼女の間合いに侵入するや否や、瞬きの間に翅を重ねた斬撃を放つ。
「…っ」
その斬撃はいとも簡単にライラの腹部を斬りつけた。彼女の腹部から、血が流れ出た。しかしその束の間、ベルゼブブの前からライラは姿を消した。
「やはりそうなるか」
ベルゼブブが声を上げながら、後ろを振り返ると、そこには空中から鎌を振り下ろすライラの姿があった。ベルゼブブの無支奇の防壁を鎌が貫通するも勢いが殺された。両者共に好戦的な態度を隠せないでいる。ライラはベルゼブブから距離を取る。
「その十一芒星の瞳。それが希少な魔眼の中で最も有名な芒星眼か。能力は知らんが、今のを見る限り、”視覚の多元化”か?」
「ええ。多元化した視覚から得た時間の情報を収集して、何分何秒経ったかを正確に計算してくれるわ。”演算能力”といった方が伝わりやすいかしら」
「その求めた時間に、月の支配者基時間の支配者たる座天使の力を利用し、局所的な時間逆行を行ったというわけか」
「まあね。演算能力なら、人類最高の頭脳を誇るオベロンより上だけど、長期戦には向いていないわ。それでも、まだ利点はあるの」
そう言うと、ライラは腰に携帯していた拳銃を自身の背後に向けて発砲する。奇行とも捉えられるライラの行動だが、彼女の背後には棘の形をした無支奇が潜んでいた。十中八九ベルゼブブの奇襲だろうが、それを無効化したのだ。その光景に、ベルゼブブは緩んだ口を手で覆い隠し、歓喜を抑えられぬ声で言った。
「未来視か!」
「気に入っていただいたようね。得策ではないでしょうけど、見せる価値があるわ。私が命じれば、未来視も稼働させることができる」
ライラの言葉に、ベルゼブブは闘気を包み隠さず、全て曝け出す。闘気は殺気へと無意識のうちに変貌していき、その殺気は大地を揺らす。殺気を全身に受けるライラだが、今から九九九年前に勃発した元祖との全面戦争を経験した彼女には当たり前で、心地よいものだった。殺気を帯びた風がライラの頬をくすぐり、彼女が息を吸った直後に、ベルゼブブは攻撃をしかけた。それは先程奇襲を試みた棘の無支奇が、何本も飛んでくる。鞭のように、柔軟で変則的な棘の軌道だが、ライラは未来視を活用して避けていく。だが、避けた矢先に変動する棘をライラは完全に回避することは無理だった。その棘が触れた箇所が爛れた。そして火傷をした時のような痛みがライラを襲うが、動きを止めれば、死が待ち構えている。
(自然の万能薬とも揶揄される無支奇。私も無支奇を研究して、人類に活かせるような手段を開発をしたかったけど、それは叶わなかった。なぜなら、無支奇には意志があるから)
ライラはベルゼブブの操る無支奇の特性と生態を思い出す。
(液体は通常意志を持たない物質だけれど、液体に分類される”無支奇”は特例の特例。無支奇の本能に宿る意志。それは…)
ライラは木を蹴り、高く飛び上がり、拳銃で棘の無支奇を撃つ。弾丸は全て命中したが、自身を攻撃してきたことに憤慨した無支奇が、液体ながら、空中に上り、まるで滝のように流れ下る。未来視で予測できても、身体能力の限界上、ライラは左腕に無支奇をかぶった。ライラの左腕は見るにも耐えない惨たらしい傷ができており、かすり傷とは比べ物にならないほどの激痛が襲う。
(人類を害そうとする意志!!
無支奇という液体の住処である魔法鉱石を人類が採掘したことに怒っているのでしょうね。だからこそ、こんなにも敵意増し増しの攻撃ができるのね)
ライラは左腕の時間を戻して、治療を完了する。回避することで手一杯のライラは、お得意の狙撃ができないでいる。視覚の多元化、演算能力、未来視という人間の身には余る能力を絶えず稼働するライラの限界は刻一刻と迫ってきている。だが、それを見越してか、ベルゼブブも肉弾戦で勝負を仕掛けてきた。木々を利用した広範囲の回避で事なきを得ていたが、ベルゼブブ神という圧倒的戦力が加わったことで、ライラの成すべきことが増えた。
手札と手段が増えると自ずと思考数は増え、限界はすぐに迎えることになる。今のライラはまさにその状況に陥っている。
「無支奇の手綱を握る。さすがは神ね」
「貴様こそ、余の前にいながら倒れぬその精神力と強さ。祝福に値するが、この程度か」
ベルゼブブがライラの腕を掴み、そのまま体を投げ飛ばす。飛ばされるライラを追尾する棘の無支奇。その先には大きな樹木がある。
「ほう…」
そのまま樹木に体を打ち付け、無支奇で死ぬと想像していたベルゼブブが感心の声を上げる。それは樹木に当たる直前で、ライラが体をひねり、足で全身を受け止め、鎌で追尾してきた無支奇を破壊する。十一芒星の瞳が輝きを燦爛と放つ。まるで、闇を照らす月。だが、獰猛な瞳にベルゼブブの肝が冷えた。
「戻れ」
ライラがそう言うと、彼女は一瞬にしてベルゼブブの間合いに入った。いや、時間逆行をしたという方が正しい。その挙動は、この時を待ちわびていたように感じられる。鎌だった神器権天使の鎌銃が、ライフルに変化する。ベルゼブブの間合いよりも少し離れたところで、ライラは銃口を向ける。
「人の未来は予め決まっている。努力しようとも変えられない。それを人類は運命と言い、さらには運命論と呼ぶ」
「―?」
ライラの突発的な話題にベルゼブブは目が点になるも、聞き入った。いや、聞かなければならないという使命が急に芽生えたのだ。
「その運命が神によって定められたと知れば、人は抗うことをやめる。でも、もし人が運命をさらに覆す運命を使えるとしたのなら、抗いは決して止めないでしょう」
ライラの目からは血の涙があふれる。それは魔眼の酷使が原因だろう。しかし、ライラは止まることはしない。なぜなら、ライラが決めたのだから。
「芒星…運命」
ライラは言葉を紡ぎ、引き金を引く。銃声が間近で鳴り響く。銃口から放たれた弾丸を防ごうと、ベルゼブブは手前に無支奇で防壁を作る。しかし、弾丸は別の無支奇へと当たり、あらぬ方向へと軌道を変える。跳弾が続く弾丸をベルゼブブは完全に見失った。その理解が追いつかぬまま、ベルゼブブの心臓に弾丸が貫通した。
「ぐっ!」
貫かれた心臓を無支奇で治療しようとするが、それが何故だができない。まるで何かに妨げられているようだ。ベルゼブブはライラに顔を向けた。ライラの顔は不敵に満ち溢れた笑顔で、それが普通だと物語っていた。
「私の弾丸は必ず当たり、それは災厄を喚ぶ運命。その災厄は必ず死を齎す。治癒など不可能。これは神ですら覆せない運命。”運命を強制させる魔眼”。これが私の神をも穿つ理不尽な強さ。
気に入っていただけたかしら!?」
「戯けっ!!」
ライラの煽りに、ベルゼブブは叱責で返した。彼女の周りを覆う無支奇。これは防ぐことができない、そして抜け出すことが不可能な完全な牢獄。ベルゼブブが命令をすれば、一瞬でライラは死に至る。それはライラ自身もよく知っていた。だが、それは掻き消される運命にある。ライラが守護者としての圧倒的な力を披露したことにより、ベルゼブブの感心は全て注がれていた。しかし、ここは魔法の海。魔法が発展している空間。ここでの主役はライラではなく、魔法使いである。
「精霊術改変十徳武器魔法元祖…蛇紋石の万針」
頭上から降って湧く大量の針。その一つ一つには精霊の力が付与されている。通常の武器よりも攻撃力が高いことが一瞬で見て取れた。それを行った者は言うまでもなく、木聯であった。そして何処からか神聖な魔力が感じられる。それは無支奇で囲まれた完全な牢獄の近くから感じられる。ベルゼブブがそちらに目を向けると、聖女タチアオイが手をかけていた。
「貴様、何をしようとしている…?」
想定がついているもののベルゼブブは問いただした。タチアオイの顔は晴れやかな顔で言い返した。
「聖女の本分に戻るだけや」
そう言って、タチアオイは無支奇の牢獄を浄化し、完全に解除した。浄化された無支奇からは銀白色が抜け落ち、粘質さが失われ、完全な水へと変貌する。それはベルゼブブのもう一人の天敵の誕生を意味する。しかし、それと同等、あるいはそれ以上の恐怖がベルゼブブ神の瞳には確と映っていた。
無支奇から姿を見せるライラは、片膝をついて、完全にベルゼブブ神を捕捉していた。合図無しである頭上の針と、真正面の銃撃が放たれる。
先にベルゼブブ神に到達したのは、やはりライラの弾丸。それはもう一度、ベルゼブブ神の目を貫通した。刹那の隙も生まれない次には、頭上から木聯の針が無慈悲に降り注ぐ。それが幾つかは刺さったが、致命傷には至らなかった。さすがは神というべきだろうが、始めの余裕が失われていることを木聯はこの攻撃で直感した。
彼は、タチアオイ同様に、ライラの一歩後ろに控える。ライラは立ち上がり、毅然とした態度で振る舞う。それは守護者としての見事なものである。木聯もタチアオイも、ライラの振る舞いに勇気づけられてか、恐怖のない堂々とした振る舞いを取る。
一柱の神と、人間が相対する。
「佳境を経て、運命は完結する。狼煙はライラ・エンプレスが担ったわ。
矛を収める担い手は誰か。さあ、決めましょう。運命の語り手は誰であるかを!」




