49話 マラトンの痛み
紀元前約500年頃にギリシアのマラトンという場所で勃発したマラトンの戦いは、ペルシア戦争とも言われています。アケメネス朝の遠征軍に対して、アテナイとプラタイアの連合軍が応戦し、見事連合軍が勝利したと言われています。
この戦いは後の創作にも使われ、なんでも第一回オリンピックにも影響を与えたとか…
「深海に沈めるかぁ。嬉しい誘い文句だねぇ。でも、剣持ってない全盲ちゃん。さして脅威じゃないよ」
「ハハッ、なら…よかったよ!」
カデナの言葉を合図にオーシャンが自身の武器である速さで、彼に近づく。傷だらけの拳を軌道に乗せ、一気に放つ。常人では対応できない速度と、それからの副産物のパンチを、カデナは両手で受け止める。その行動にオーシャンは驚くが、一切退くことはない。
「あははは。やっぱ、いいね!」
オーシャンのパンチを一方的に受け入れているカデナは、反撃をすることはなく、ただただオーシャンとじゃれ合っているように見える。一向に攻撃してこないことにオーシャンは屈辱を味わうが、今は目の前の標的に集中する。
(これじゃあ一方的すぎる。一見あいつがやられてるようだけど、ボクの体力が着々と失われていっている)
息が荒くなってきたオーシャンは、地形を存分に利用して、建物に隠れ、息を整えていた。その間も攻撃を仕掛けてこないカデナに嫌気がさしていた時、遠くから悲鳴が聞こえた。オーシャンは足に力を集中させ、悲鳴の起こった場所まで駆けつける。そこには冒険者を次々と襲う巨大な怪物が力を振るっていた。建物の倒壊で、その被害が更に拡大していく。オーシャンはその怪物の頸をもぎ取り、討伐する。
「族長様!!!」
「城に逃げな…守れる命を、少しでも」
ボロボロのオーシャンを見て、助けられた冒険者や海族の者は涙ぐむが、彼の言葉に従い、城へと走る。それを見届けたオーシャンはそこら一帯で暴れている悪魔どもを皆殺しにする。
「はぁ、はぁ…ぐっ!!」
自身の速度に耐えられなくなったのか、体が悲鳴を上げる。オーシャンは膝から崩れ落ち、血反吐を吐く。
「よそ見しないでよぉ」
そんなオーシャンの背後に、カデナが近寄ってくる。瀕死の彼を見て、カデナは容赦なく、オーシャンの体を蹴り飛ばす。地面に倒れこんで、痛みに悶絶するオーシャン。だが、敵の手前、すぐに立ち上がろうともがく。その姿に、カデナは不穏な笑顔を浮かべる。
「ここで頑張っても意味ないよ〜。だって、全ての海にクヴァレ帝国は進軍してるんだから。悪魔はお飾りみたいなもんだよ」
「お飾り?」
「うん!!」
「何を云ってるのかな?」
「さっきも言ったじゃあん。俺っち達は強者だけの地上宇宙を創る。悪魔は小手調べ、始めの選別。まあ、お兄ちゃんたちが教えてくれたんだけど~、大抵の宇宙国家の征服は当たり前だってぇ」
「悪魔だけで多くの宇宙国家が無くなるのか?」
「うん。全部クヴァレ帝国のものさ」
「悪魔の残虐非道な行為に、さらにクヴァレの兵が加わるのか?」
「そうだねぇ。指示じゃあ投降しても殺せ、って言われたかなぁ」
カデナの言葉にオーシャンは眉を動かして、怒りを通り越して、彼の顔は無になる。それには哀しみと同情と情けなさが織り交ざっている。
「お前たちが尊ぶ紅魔族の血が混ざっている人類なのに、か?」
「だから種族は関係ってぇ。強いか、弱いかだけ。それが今の生死を決めるだ」
オーシャンがカデナの顔に迷いなく、殴りかかる。おっと小さく声を上げ、カデナが防御する。オーシャンの肉体からは、血の生々しい匂いが染みついている。大量の血を流し、尚、戦う彼の姿は亡霊だとカデナは強く思い、押し倒した。カデナがオーシャンに馬乗りをしている状態。そして、オーシャンの足を掴む。
「え、は…なにを?」
理解の追いつかないオーシャンに構わず、カデナは足に力をこめる。骨のきしむ音と、オーシャンの断末魔が鳴り響く。体の内部で骨が砕ける感覚が、痛みとなりオーシャンの全身に駆け巡る。
「お゛い!!」
必死に抵抗するオーシャンだが、カデナの万力には一切通用しない。カデナの体重が、自身の傷だらけの体に圧し掛かり、腕ですら動かすことができない。カデナは足から手を離して、今度はオーシャンの首に手をかける。
「これじゃあ、お得意の速さ出せないね。だから言ったじゃん。剣を持ってない君は脅威じゃない。ましてや、体刺された五体満足じゃない君なら、ね?」
悪魔のような微笑みのカデナ。オーシャンからは彼の表情全てに影が落ちているように見える。
「最後に教えてあげる。俺っちの才は”万物”じゃない。それは74男”海”の元祖メガトロンの才。全盲ちゃんと同じ海族出自」
「なんで…今更、そんなこと…」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、苦しむオーシャンを見て、カデナが悪巧みを浮かべる。
「俺っちの才”掠奪”は、俺っちが殺した相手のものを一つだけ、俺っちのものとする能力。この体も、顔も、声も、力の強さも、全部…全部”掠奪”したものだよ」
「―?」
「いいこと思いついたんだ。オーシャン・クラトスの姿をした俺っちがいずれ復活するであろうセアちゃんの前に現れる。そして言うんだ」
カデナはオーシャンの耳元で囁く。
「”お前が人類を破滅に追い込んだ”」
カデナの言葉に、オーシャンはきつく彼を睨む。カデナは言葉の真意を明かした。
「セアちゃんの結界は凄かったよ。あのロワでさえ、才を制限されてたんだから。才を制限されてちゃあ、侵略もうまく行えない。だから、待った。結界が解除できるまで、六百年間。さぞや、気持ちよかったでしょ。
だけど脅威がない歴史が長引いて、人類の大半は忘れてた。争うことの重要性と脅威性。自分は大丈夫、誰かが守ってくれる。そんな他力本願な奴は奪われる。
そして、人類の多くの希望を背負った者も容易く壊され、奪われる。
何もかも。明日を生きる権利でさえ!!
今の人類はそういった奴ばっかだ。だけど、そうしたのは誰でもない君たちが望んでいる希望の人間セア・アぺイロンだ。
人類を滅亡に追い込んだセアちゃんを壊す。だから、君の体貰うね?」
「なにそれ…アハハハハッ!!!」
カデナの言葉にオーシャンは声を上げて、笑い始めた。その行動にカデナは驚いて、彼を見下ろしたまま動かない。
「何を云うかと思えば、面白い冗談だね」
先程までの怒りが消えた彼の顔には、心底満足気で夢見心地の笑顔が浮かんでいる。
「姐さんはね、そんなことじゃへこたれないよ。もしそうなっても、笑顔でボクを殺してくれる。あの人の剱でね。
ボクらが望むセア・アペイロンて云う人間はそんな人だ」
そう言うと、オーシャンは力強くカデナに拳を放ち、怯んだ彼を背負い投げして、馬乗りの状態から抜け出した。
「聞いてて思ったよ。君たちの思想は極端だけど、一番生きやすい世の中だ。その思想の遂行のために多くの命が、今この瞬間失われている。
だけど、ボクは…守護者は全て守ることができない。なんて屈辱的で、最高の不名誉なんだろう。
そして、増えていく。守れなかった命と思い。それに報いる方法は守れるものを、絶対に守りきること。
一つも取り溢すことなく。そして、守れた者達が、また笑えるような地上宇宙を創ること。
それが守れなかった者達への手向けと、今できること」
オーシャンの言葉に、カデナは不服だと感じた。
そんな瀕死の体で出来ることなんてないだろう。バカなこと言うなよ。
「聞こえない? 結界の外側の声」
オーシャンがそう言うので、カデナは耳を澄ませる。外側では相変わらず、人々が激しく動き回り、荒い声で何かを話している。大して脅威でも何でもない雑音。カデナは首をかしげる。
だが、オーシャンには聞こえていた。カデナが雑音と蔑む人類の闘志に満ち溢れた声。その中で一際異彩を放つ音。的を定め、じっと耐える音。極限にまで矢を引き絞る音。
「久しぶりに響かせて」
オーシャンの声が外側にも聞こえているのか、彼の聞こえていた音がついに本領を発揮する。十分に引き絞られた弓矢が、アトランティス帝国全土に張られていたキフェの強靭な結界を諸共せず貫通した。貫通した矢は止まることを知らず、一直線に飛んでいく。そして結界が破壊されたと同時に、外側に鳴り響いていた雑音が侵入して、悪魔どもに斬りかかっていく姿がカデナの目にも、しかと映っていた。その雑音とは援軍だった。
「はあ? ありえない!!!」
驚きの声を上げるカデナにオーシャンが笑って答える。
「弱くても戦う意志がボクたちにはあるんだ!」
オーシャンはもう一度果敢に突進する。彼に骨を砕かれた足が痛く、上手いように速度が出せないが、共に戦う仲間が増えたことで、その拳にも力が戻っている。殴り合いに応戦するカデナは、焦りをみせる。
「もうなんでもいい。さっさと君の体貰うから!!」
カデナがオーシャンの首に手をかけた瞬間、背後から背筋が凍ってしまうほどの殺気に襲われる。その正体が分からず、本能のままに振り返ると、三叉戟を携えたゼーユングファーが睨んでいた。
「私の子に手に危害を与える者は、逃さない!」
その言葉に恐怖を抱いたカデナだったが、オーシャンとゼーユングファーとで挟み撃ちに遭っているため、逃げ出すことは不可能。前方からの拳と、後方からの三叉戟の鋭利な太刀。それをカデナは一身に受けた。
「なんであんたがいるんだよ!?」
カデナがゼーユングファーに暴言を放った。その暴言は威圧的というより、物事がうまくいかずに泣き喚く子供の言葉に近かった。
「兼平が送り出してくれたのよ!」
「…アトランティス帝国襲撃の原因になったあんたが、のこのこと…」
「ええ、私が愚かに捕まり、洗脳され、倒されざる状況を作ってしまった。せめてもの償い。守れるものは守りきるわ!!」
結界が破壊されたことを皮切りに、援軍が突撃する。そして、避難してきた者は用意されていた宇宙戦艦に乗り込み、安全地帯に送り込まれていった。しかし、それを良しとしない悪魔が非難する人間らに襲い掛かるが、それを許すことはない。
「慌てるな」
恐怖により混乱する現場だったが、守護者であるオベロンの言葉と実力に、人々は安堵して、宇宙戦艦へと乗り込んでいく。
「姐殿の復活の行動を逆手に取られるとは…」
結界を壊した張本人であるオベロンが弓を片手に空に浮かぶ魔法陣を観察する。キフェの結界を破壊したところで、魔法陣が破壊できるわけではない。援軍が悪魔を討伐しようと躍起になっているが、悪魔の圧倒的な力には長くないと、オベロンは分かっていた。早く対処しなければ、冒険者の二の舞を踏むことになる。
オベロンは濁った空気を吸い込み、弓を天に掲げる。その鏃の先には、神々しく脅威に輝きを放つ魔の象徴の魔法陣が捉えられていた。
「元凶は貴が撃ち落としてやる」
魔法の海各地にも、悪魔の出現やクヴァレ帝国の人間の侵略に遭っていた。セア・アぺイロンの結界が解除され、地上宇宙全土に悪魔が出現し、クヴァレ帝国の侵略が始まって、早一時間が経った。
魔塔のあるヴェスタ帝国では、ウェルテクスに代わって、司令塔であるカトレアは今の戦況に少しでも希望を持たせようと奮闘するが、それも難しい。
八人しかいない座天使級魔法使いで最も強く、魔塔のNO.2であり、魔塔主ウェルテクスの右腕であるカトレア。そんな彼女の経験でも前代未聞の戦い。カトレアは教会の回廊を早足で歩きながら、頭の中を整理する。
魔法の海各地にある魔塔支部からの情報だと、投降を余儀なくされた宇宙国家を含め、八割の領土がクヴァレ帝国の傘下となった。他の海とも情報を共有したいけど、返信に応じないということは…
カツカツと足音を響かせて、窓を通して、空を見る。そこには、多くの悪魔と怪物。それに対抗する魔法使い。マナ魔法と言っても、属性の異なる多種多様な魔法が飛び交っている。その光景を見て、カトレアの焦りがより顕著に動きに出る。
(…)
あの悪魔は恐らく誰かの召喚魔法によって出現したもの。召喚魔法特有の魔力が悪魔から感じ取れる。だけど、召喚魔法なら、どこかに魔法陣が出現するはずだけれど、その出現報告がない。妾たちが召喚魔法を閉じることは不可能。だけど、敵の数は有限。
カトレアは精霊の力に満ち溢れた庭園を抜け、いつもなら神官が常勤している職務室へと歩く。戦闘の過熱化を悟り、ウェルテクスが出動要請を送ったところ、教会の者が全て出払った。もぬけの殻となった執務室を通過して、奥の書庫と記された場所で足を止める。
鍵を魔法で無理やりこじ開け、書庫へと侵入する。その棚にある資料にまたも魔法で火をつける。カトレアの瞳を表すかのような、鮮やかに燃える炎は紙から紙へと燃え移って、一瞬にして、辺りが火の海となる。
「ヴェスタ帝国だけが助かるわけがないわ。クヴァレ帝国に妾たちの魔法が奪われるくらいなら燃やしてしまいましょう。
魔塔主様…精霊王様…そして先人の魔法使い…どうかお許しくださいませ」
カトレアは神聖なる場所で、これまでの魔法使いの努力の産物である資料を燃やしたことを懺悔する。
そして踵を翻して、戦場へと赴く。そして一つの杞憂が胸の中に蔓延る。
「無茶するんじゃないわよ、木聯」
カトレアの杞憂の元凶である座天使級魔法使いである木聯はヴェスタ帝国とは離れた辺境の地へと浮遊魔法で移動していた。彼の剣幕は険しく、拳に力がこめられる。
「安心しぃ、アロエ。お前の仇と思い、果たしてちゃる」
その思いを持つ木聯が一つの莫大な力が感じられる所に足を下ろす。彼は、怒りの矛先をその力へと向ける。
「また…お前か」
その力の主は、木聯の宿敵である七洋ベルゼブブであった。あの時とは比べ物にならない権能が充満する。ベルゼブブ神の放つ殺気に体が震えるが、木聯は変わらず話す。
「精霊王さんに挑戦状出されてますんで、うちも退けんのや。あんたをほっとくと、部下にも迷惑かかる。せやから…」
いけしゃあしゃあと話す木聯は、玉髄の両剣を魔法で創り、帯刀する。そして殺意を隠すことなく、言葉と武器にその思いを込め、ベルゼブブ神に宣戦布告をする。
「魔法でしばき回したる!」




