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NO PAIN~女神は眠りの中に~  作者: おじゃっち
7章 知識の海
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44話参 アルパヌの痛み

「母上!!」

’主人’の殲滅が完了した杠と謝氾が、蝶に駆け寄る。二人は辺りを見回して、その圧倒的な力の痕跡に動揺する。熱を失いかけても、熱が放出される火球が花畑のように地上を埋め尽くしている。その上を風雅に舞う蝶の圧倒的強者の表れに圧倒される。

「終わったか?」

「ああ、終わったぞ。これで’主人’を気にせず戦えるじゃろう」

「来たッス」

謝氾が気配を察知して、二人に伝える。

「あらあら〜。そこにいるのは元竜王と、現竜王のお気に入りじゃない」

火球を崩して顔を強ばらせるアスタロトは、先程とは比べ物にならない権能の気配が神から漂う。蝶は小さな声で指示を出す。

「貴様らの動きやすい状況にする。気をつけよ」

「ッス」「うむ」

蝶が二人の前に立ち、扇子を仰ぐ。

「12代目は溢水すべし世を祈る。

―穢れより清らかに」

次は彼女の背後から水が滝のように流れ下る。それは圧倒的物量でアスタロトを混沌と化す。しかし、蝶の目的はそれだけでなく、火球の残る熱を利用して水蒸気にし、菊氷の冷気で水蒸気を冷やして、辺りを霧で覆う。視界の悪い中、ここでは目だけでなく、気配を探れる竜族が強い。また、武闘に慣れている彼らには足場が悪いなど日常茶飯事である。音もなく、気配もなく、殺気もなく、霧の中を駆ける竜が同時にアスタロトに辿り着く。棒の一点集中の突きと杠の鉄扇の一薙ぎが繰り出されるが、アスタロトは二人を見て心底残念そうな顔をして、軽い力で二人の攻撃を振りほどく。そして、次の瞬間には二人の蓑には大量の切り傷が負わされた。

「ふん!」

状況が追い付かぬが、杠が鉄扇でアスタロトを追撃する。謝氾も旋回の右に一振りをお見舞いするが、どちらも効果がない。二人が呆気に取られていると、アスタロトは鼻で笑う。上からは殲滅したはずの’主人’が出現して、二人の行く手を阻む。そうしている間にも神が蝶に接近する。蝶が神器を使い、一薙ぎの見えぬ斬撃を繰り出すが、アスタロトは軽いステップで避ける。それも意図的な回避ではなく、踊り子が夢中で舞い踊るだけで、斬撃が人知れずに踊りを邪魔せぬよう避けたような不可解さが露呈する。

「さきの舞い、とても美しかったわ。私がもっと…美しくしてあげる」

アスタロトが優雅に微笑むと、突如として蝶の尊顔に一筋の傷が与えられた。飛沫で視界が眩む蝶に、アスタロトは不気味に笑って、蝶の顔を掴む。

「吹き飛びなさい」

アスタロトの悪意無き微笑みを引き金に、アスタロトの掌で爆発が起きる。小規模ながらも、それが尊顔に直撃したことで、蝶は失神する。アスタロトは口を開いて、鋭い歯をむき出しにして、蝶を食べようと、彼女の腕を掴む。

退()け」

間一髪のところで杠が間に入って、アスタロトに一撃。その間に謝氾が蝶を抱きかかえて、傷の具合を見る。額から頬にかけての傷と、爆発の影響で顔全体の火傷がひどい。軽い嗚咽で蝶が意識を戻す。

「大丈夫ッスカ」

謝氾が心配そうに覗き込むと、蝶は彼の肩を借りて立ち上がる。そして扇子を一度仰いで、一つの火球を落として、アスタロトと杠を無理やり引き剥がす。

「しくじったのう」

蝶の発言に二人は首をかしげる。

「ここは現実世界ではない。ここは現実を描いた七洋アスタロト神の権能で創られた領域絵の世界(マーレライ)じゃ」

「でも、オレたちの攻撃はアスタロトに効いてるッスよ!」

「それがアスタロト神の厄介なところじゃ。攻撃が効くと信じて異変に気付かん。唯一の判断材料はアスタロト(あやつ)じゃ」

杠はアスタロトに目を向ける。意味深な笑みを浮かべる神は、こちらの状況を探っている素振りはなく、ただ単に猶予を与えているだけだ。つまりは、3人を相手してでも勝てるという強さを持っているのだ。

「現実世界においてアスタロトは権能を制限される。しかし、あやつが敵から一度でも攻撃を受けることで、あやつの領域の展開条件が満たされる」

「ご明察!」

華美な声でアスタロトが蝶に代わって、話を続ける。

「私の神域絵の世界(マーレライ)は、私が妄想した芸術を具現化できるの」

「さっきの爆発は貴様の権能か」

「ええ、感謝なさって? 私がより美しくしてさしあげたんだから」

アスタロトが酷い火傷を負った蝶を嘲笑う。その態度に杠がただならぬ闘気が空気と混じり、重々しい殺気に変貌する。謝氾はその気迫に背筋が凍り、一歩下がる。

「…母上」

荒ぶる衝動に身を任せようとも、隣にいる蝶に訴えかける。

「13代目は蠢く闇に祈る。

―穢れを照らせ」

蝶が詠唱すると、空に数千匹もの蝶がはためく。それは小さな光のように、風に乗って彷徨う。

「美しくしたじゃと?」

蝶は扇子で口元を隠して、アスタロトをゴミでも見るかのような蔑んだ目で睨む。

「烏滸がましい。言うたじゃろうが。貴様ら神の尺度で朕をはかるなと…朕への無礼、竜の牙の餌食と生れ」

扇子を一薙ぎすると、彼女が想像した斬撃が竜巻として具現化して、アスタロトを急襲する。しかし、アスタロトはそれを片手で払う。小さな虫を取り払うかのように。もう一薙ぎすると、絵の世界(マーレライ)が暗転する。唯一の目印は蝶の出した彷徨う蝶の灯火。

「あら」

次に彼女の視界に入るのは、杠である。しかし、彼女の姿は変貌する。鹿のような角は狂人たる竜族の角と同じように成長して、先鋭の竜の手から放たれる握力は、先の比にならぬ馬鹿力。足も竜みたく、踏ん張りがきき、恐らく持久戦や力での勝負になれば分が悪い。アスタロトはそう察した。

(ドラゴン)ね」

杠の力のこもる爪の打撃に片腕を負傷するが、四方八方に伸縮する鎖を具現化させて、鞭のように操る。鞭よりはしなることはせずとも、鉄からなる鎖は物量で辺りを薙ぎ倒す。その鎖は一薙ぎするたびに、増えていく。際限のない武器。竜族としての力を一部開放した杠は、竜としての強靭な肉体を最大限に活かして、アスタロト神から織り成される鎖の弾幕を躱して、一本の鎖を掴むと、怪力で一部分を壊してアスタロト神に投げつける。一瞬の目くらましが功を奏したことを確認する前に、杠は加速して、アスタロト神の間合いに入る。そして右腕に力をこめる。

「盤古開天闢地(ばつ)

すると、杠の右腕がバキバキと氷を砕く時の爽快な音を上げたかと思うと、氷のような竜の鱗に変化した。荒ぶる波を拳に乗せたような重い一撃がアスタロト神の腹を抉る。神の玉体に傷がついたことにアスタロトは不快な笑みを溢す。

「竜族棟梁は人としての(ミン)ともう一つ、()()()()(ミン)を宿す。竜族にとって名は特別じゃからのう。妾に宿りし竜名ロンミン(ひでりがみ)は、旱魃(かんばつ)を齎す」

その言葉を皮切りに、アスタロトは自身の身体から力が抜けていっていることを悟った。自然が水の恵みに望まれず朽ちるように、砂漠の洗礼で人も植物も動物も渇きを欲するように、力が空虚に失われていく。そうなっている要因である杠は凶悪な笑みであるのに、無表情に感じる人類が作る笑顔にしては異様さを醸し出す。

「貴様の権能搾り取って見せよう」

権能が杠に吸収されている時は、猛烈な痛みに襲われる。それにより身体が動かなくなるが、アスタロトは芸術を重んじる神として、その憧憬を、人類の強さを、その瞳に焼き付けて、反撃をしない。

「盤古開天闢地盤瓠(ばんこ)

神の気まぐれではあるが、またとない好機に謝氾も棒を構えて、杠の後ろから攻撃を仕掛ける。杠もそれに気づいて、アスタロトから手を離す。痛みから解き放たれたアスタロトは謝氾の相手をする。右に払う一撃を受けると、重たく感じてしまうアスタロトは杠に権能を吸われすぎたと判断して彼の実力ではないと油断していた。しかし、右払い、左払い、旋回により加速する攻撃。一段突くごとに、一段払うごとに重く、範囲も大きくなっていく。突きと払いの単純な攻撃であるからこそ、それは単調に強大になっていく。

(まずいわね。権能を吸われすぎたし、回復に権能を回しているのよね)

アスタロトは危機を感じて、権能を集中させる。儚い空気を纏うアスタロトから、気配が消えたことに杠は驚く。いや、気配ではなく、殺気が消えた。

「あなた達の綺麗な鱗、私の芸術に相応しい」

そう言ったアスタロトの背後から花吹雪の如く舞う鱗が杠と謝氾に襲う。硝子の破片のように、彷徨う蝶の光を反射して、七色に煌く。遠目から眺めれば、それは神の齎す芸術となるが、それを味わえば、神の齎す試練となる。二人の四肢に鱗が刺さる。それは動く度に身体の肉に食い込み、思うように動けない。二人が後ろに下がると、アスタロトは手を挙げた。それは蝶を包み込むように優しい手つきだが、それに伴う鱗は神の周りを舞い、天に飛翔する。それは列をなし、集まり、大きなものに変貌する。寄りよった鱗は大蛇のように長く、四足に五本爪、そして長いひげ。

「あなたが(ドラゴン)なら、私は龍の芸術を…」

龍の咆哮が絵の世界(マーレライ)に轟く途端に地面は大きくひび割れ、豪雨に見舞われる。大粒の雨は、一粒当たるだけで激痛が走る。杠と謝氾は雨が凌げる岩陰に隠れ、様子を窺う。しかし、蝶は隠れる素振りを見せない。慄然たる龍を従え、凶悪たる笑みすら浮かべるアスタロト神に、威風堂々と臨んでいる。どこか誇らしげで、どこか期待しているような蝶に、アスタロトは訝しげに笑う。

「十三代目は鍛冶職人じゃった。十三代目の作った代物は朕ら天皇が大切に使っておるのじゃ。十三代目の”祈祷”は自身の武器を確実に後世に伝えるものじゃ」

「?」

「この蝶が闇をもたらすだけじゃと思うたか?光るだけじゃと思うたか?それは残念じゃのう」

蝶が神にも引けを取らないほどの凶悪な笑みを浮かべて、扇子を向ける。

「しくじるな、我が娘よ」

蝶の言葉と同時に、アスタロトに向けて、豪雨が向く。偶然かと思ったが、アスタロトは捉えていた。彷徨う蝶が、列をなして、一つの刀のように集まる。それが整った動きで、鋭い太刀筋を描く。そして、次の瞬間、従えていた龍が一刀両断された。

「!?」

「…!」

龍の呻き声が辺りに響き渡ると、豪雨は嘘かのように、さっぱりと無くなり、澄んだ青空が広がる。蝶の暗転も無くなり、龍を倒した張本人がアスタロトの視界に入る。黒髪を一本に束ね、下げ髪を曲げて、団子のような輪を作り、笄と簪で止めている着物を着崩した妖艶な体つきの女。花魁下駄で素早い動きをする女は、一刀両断された龍が崩れ、鱗として花吹雪の前に立ち、あからさまな大振りの構えを取る。アスタロトは内心で悪態をついて、その行く末を見る。

「十三代目が”祈祷”してまで後世に伝えた刀。それは想像を断ち切る刀、名を天羽々斬(あめのはばきり)。それを使うは朕の娘であり、幻想を売る地上宇宙(バース)一の花魁桜雲(おううん)じゃ」

蝶の娘を語る誇らしげな声が、娘である桜雲にも届いたのか、はにかむように笑って見せた。

キィィ――ン!!

天羽々斬の研ぎ澄まされた太刀の音と、樋鳴りが鱗を斬ったことを告げる。

「あちきの前では全てが幻像の愚の骨頂。あちきの美しさの前に、全ては骸に埋め尽くされる」

妖艶の声が、満月のように金色に燦爛と輝く天羽々斬に響き、アスタロトの注意を引く。

「よいのかえ、あちきに見惚れて。あちきの見物料は高いぞ。そうじゃなぁ、竜の犬に取り立てて貰おう」

綺麗に飾られた爪をアスタロトに向け、悠然と桜雲が言い放つと、今度は生身で風を切る音がアスタロトの耳に入る。そこには体中血だらけの謝氾が無感情のまま、棒を払う。アスタロトは咄嗟に避けるが、避けたそばから、謝氾は棒で攻撃してくる。払いが動きに連動しているからか、一撃一撃の硬直も溜めもいらない。それ故にアスタロトは腰に隠し持っていた短刀を出して、受け止めざるをえなくなった。

驚異的な集中力と、攻撃が入ろうとも怯むどころか速まるばかりの攻撃にアスタロトは恐怖を通り越して、鬱陶しいと思ってしまう。

「その小僧に宿りし竜名(ロンミン)犬戎(けんじゅう)は妾と違い、他人に影響を与える竜名(ロンミン)ではない」

アスタロトの攻撃から謝氾を守る杠が、彼についてアスタロトに話してきた。その顔は勝利を確信していた。

「竜王に与えられた使命を果たすまで、身体能力が永遠に向上する。つまりは自身に忠義を齎す!」

杠が全てを話し尽くすと、アスタロト神に鉄扇で居合切りをしてみせた。たった一度の隙を作った杠がすぐに後退する。しかし、それは最上の攻撃への誘導で、杠が下がるとともに謝氾が前に大きく踏み出す。意識が最高潮に達したことにより、熱気が全身の筋肉を赫赫と活性化させる。武術を重んじる竜族として、己の肉体で勝負する謝氾の今の姿は最高の姿である。彼は全ての意識を、神経に伝達させて、アスタロトの腹に一点集中の突きを放つ。その突きを受けて、アスタロトは遥か後ろに吹き飛ぶ。今の一撃を受けたアスタロトが失神したことで、神が展開した領域絵の世界(マーレライ)を無条件で解除した。

この戦いが始まって、どこか緊張していた蝶は、望ましい状況に事が運び、実質的な勝利に朗らかで、はにかむような笑顔で笑う。

「貴様の姿美しいぞ、アスタロト神よ」

蝶、杠、謝氾の3人を圧倒するアスタロトだったが、蝶の手札を用いた機転の良い策と蝶の娘である桜雲の参戦、苦戦!

一体どうなってしまうのか!?

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