44話弐 アルパヌの痛み
三百にも及ぶ元祖は通常長男ノーヴァ、長女ラウルス、次女イニティウムによって教育される。しかし、150男ロワと150女大紫蝶は、その三人に教育されたことはない。面識はあっても、教育を施されることを許されなかった。そう、彼ら元祖の父アザトース神が禁じたのだ。二人はアザトース神の側近であり、直属の配下である七洋の教育の下、育ってきた。末弟末妹というアザトース神の気まぐれにより、二人には、かの神から祝福として神器を授かった。
蝶が握っていた扇子は鉄でできた武器ではない。古来より位を示すための、いわば御洒落のために愛用されている扇面が紙でできている扇子。しかしながら、それから放出される力は紙とは思えぬ斬れ味と、鉄のような重量。その武器を見て、アスタロトは興味深そうに話す。
「神器布都御魂、アザトース様があなたに送った極上の代物ね。その扇子は紙であれど紙でない。それもそうよね。その紙は、アザトース様の権能を抽出して創り出した御業の代物だもの」
アスタロトはアザトースの名を口にするたび、うっとりと頬を赤らませる。その態度に蝶は嫌悪感を覚える。その胸を抑え、黒曜石の瞳にギラギラと燃える意志を宿らせて、動く。扇子を大きく縦に仰ぐ。それは風の斬撃が吹き起こり、仰いだ一直線の土地に獣の爪でひっかかれたような痕ができる。
「それは貴女が直前で想像した斬撃を実現させる神器よねぇ。とっても便利で実用的。でも、貴女の考えは合理そのもの。どんなに凄い代物でも主人がそれなら…ね?」
宙に浮いて逃げるアスタロトに追撃を仕掛けるが、彼女はアスタロトに煽られたことに怒る。
「セアの方が凄かったわ」
不貞腐れたアスタロトは冷たい瞳を向け、腹を立ててもいるのか鋭いカウンターで蝶を地面に叩きつける。
「セアの神器熾天使の剣はイニティウムが創り出した神器だというのに、私たち七洋を滅ぼす御業を見せてくれたわ」
アスタロトは真剣な表情で天を仰ぐと、蝶の神器布都御魂に目を向ける。
「アザトース様が創り出した神器なのに、私に一切の傷を負わせられない。これはどういった了見なのかしら?」
「なんじゃ、朕に説教垂れ流す気か? セアに一度負けよったくせに、偉そうに言いよって」
「は?」
「アザトースの側近が聞いて呆れる」
蝶の煽りに、今度はアスタロトがキレる。灼熱の瞳がゆらりと揺れる。と、同時に蝶が扇子を投げる。アスタロトはすっと体を反らして、投げられた扇子を視界に入れる。
(神器を手放した?神に対抗できる最善な道具だっていうのに…!)
アスタロトが空中で体を起こした瞬間、地上にいた蝶が一瞬で空中に飛翔して、金棒を持っていた。
「な…」
「百四代続く天皇の祈り、刮目せよ」
蝶は金棒を振り下ろして、アスタロトを落とす。鈍い音の次は、地面に落ちる汚い音。アスタロトはすぐに起き上がるが、自慢の顔が腫れたことにショックを隠せない。
「三代目は混沌続く乱世を祈る。
―穢れを両断せよ」
アスタロトの深く深くまで侵入した蝶は直刀を一振りする。が、神に深い傷は負わすことはできない。蝶はまたも、神の懐に潜り込んだ。
「四代目は危殆から逃げ祈る。
―穢れよりも速く」
その言葉を皮切りに、直刀に光が灯る。非現実的なそれにアスタロトは心を奪われたが、次の瞬間、それが仇となる。
「五代目は技術を求め祈る。
―穢れよりも鋭く」
そう、言い放つ蝶が大振りな突きをすると、アスタロトの蓑に突きだけでなく、刃で斬った痕が残る。一秒にも満たぬ出来事にアスタロトは痛みを感じるのではなく、見惚れていた。にたぁと、またも不敵に口角を上げる彼女に、強い殺戮心を持つ蝶は止まらない。
「六代目は色褪せる記憶を祈る。
―穢れよりも鮮明に」
蝶の息が白くなり、それは氷となり、その氷は菊となり、その菊は集まり、アスタロトの身体に錘のようにのしかかる。
「…っ」
その強大すぎる上からの重さにアスタロトは全身に力を入れ、踏ん張ることしかできない。だが、彼女に容赦はない。
「七代目は水死の危機を祈る。
―穢れよりも重く」
蝶がそう言うと、菊がさらに重くのしかかる。いや、菊自体が重くなっているのではなく、菊の上に何かがのしかかっているのだとアスタロトは判断する。
「重力じゃよ」
限界だと、見ていた蝶は、アスタロトの考えを読み、攻撃への詫びとして、菊ともう一つのものの答えを言う。
「反則よねっ!!!!」
その答えにアスタロトは咄嗟に口を走らせるが、次の瞬間には重力に負けて地面に埋もれた。そこには神に勝った褒美か、氷細工の菊が一輪だけ、より絢爛に咲いていた。蝶は少し離れたところで、埋もれたアスタロトに話しかけていた。
「”祈祷”は強き望みを叶える”才”じゃ。強き望みとは真に心に現る一生の願い故、実現できる望みは一つのみ。この”祈祷”は面白ぅてのぅ、代を継ぐことに、それは強く受け継がれ、後世の天皇は歴代の祈りを”祈祷”で使用することができるのじゃ」
絢爛に咲いていた菊が轟音と共に舞った。アスタロトが浮遊して、蝶を天から拝む。
「初代は弱かったわ。才を持たない元祖だって妄想してたけど、代を重ねる毎に強くなるの? それって…とっっても………愉しいわ」
何秒も間を空けて言うアスタロトからは高揚が見てとれる。
「でも、天皇? あなたが地位に縛られることはないと思っていたけど」
蝶の存在を逆撫でするその発言には悪意しか読み取れないが、この話題に蝶は勝ち誇った尊顔を見せる。
「天皇という名はこの地を統べる権力者としての呼び名ではない。”鳳”の元祖としての歴史を有しての名じゃ。この名は我らが”鳳”の元祖を継承する限り続き、歴代の使命はこの地に生きる民を守ること…」
アスタロトは無言で蝶を見据える。
「そして、もう一つの使命は風雅に生きること…そなたも朕の風となるがよい」
「なら、あなたは私の雅となりましょう」
互いが互いを睨み、見下し、挑発し合い、己の勝利だけを確信し、敵の無様な姿を実現させようと笑みを浮かべる。先に動くのは蝶。手にある直刀を一直線に投擲して、アスタロトの注意を逸らして、神速の足で直刀よりも先に神に到達する。重力付与の拳でアスタロトの胸を貫く。しかし、その魂胆は神にはお見通しで、蝶の拳を軽くいなして、飛んでくる直刀の持ち手を掴み、無茶な振りで蝶の肩を掠める。それを見た蝶は三代目の”祈祷”を解除して、直刀を消滅させる。
「八代目は戦死を祈る。
―穢れよりも勇ましく」
蝶は拳を引く反動で、足蹴りを食らわせる。予想外のそれにアスタロトも防御が間に合わず、後退する。アスタロトは髪飾りの宝石を天に投げ、神の言葉で呪文を唱える。すると、その宝石には重々しい力が沸いている。それは砕け散ったと思った途端、自我が宿ったように散弾して、一目散に敵である蝶に押し寄せる。
アスタロトの散弾撃が蝶に直撃すると、土煙が起こる。アスタロトは無言でそれを見つめ、手出しをしない。
「九代目は果て無き安寧に祈る。
―穢れよりも堅く」
土煙の中、堂々と立ち、風雅な立ち振る舞いで髪を靡かせる。紙垂の結界に近しい防御壁で、アスタロトの散弾撃を防いだのだ。
(直刀、神に匹敵する速さ、鬼才の剣術、菊氷の圧力、そして重力。見た目にそぐわぬ爆発的な蹴りと結界のような防御。一生に一度だけ望むことを叶える一撃必殺の”才”は弱いと思ったけれど、後世の天皇がその祈りを再現することができるのなら、現天皇を含めて百四の祈りがある)
アスタロトは状況を読み、蝶の僅かな動きから動向を予測する。
(手札に特化しているだけじゃなくて、何が来るかわからない恐怖。その見た目も相まってなのかしら。どちらにしろ奇襲特化ね)
アスタロトは目を凝らす。神の燃える瞳が現実を絵の一部と捉える。見えないはずの蝶の吐息が地上に彷徨う魂のようにはっきりと見える。蝶の瞳はしっかりとアスタロトを見据えているが、彼女の吐息の向きは下ではなく、障害物であり、アスタロトの死角となっている岩に僅かに向いていた。それを感じ取ったアスタロトは髪飾りの宝石を先と同様に散弾撃と化して岩を砕く。
「!!」
菊氷が散弾撃により無惨に舞った。奇襲前提で動く蝶にとって、死角を突かれたアスタロトの行動には少々驚いてしまった。
「忘れたの? 私の権能の一能力には現実を絵画となして、お前の意識を視えるようにするものがあるわ」
「忘れておらん。何度その能力で殺されかけたと思うておる」
「なら、尚更あなたの行動は手に取るようにわかるわ」
「十代目は悪鬼を祈る。
―穢れよりも突け」
神速の蝶が一瞬で近寄り、また神速で見た目にそぐわぬ大柄な槍を走りながら体制で構えてアスタロトを突く。
「この程度!」
アスタロトは反応できずに、槍が自身の体に突き刺さる。ただし、反応できなかったのはアスタロトが意図してのことなのかも知れぬが、蝶は鼻で笑う。
「この程度じゃと?」
蝶の読めぬ意思にアスタロトは首をかしげる。
「!!」
と、同時にアスタロトは自身の体に何か別の痛みを感じて体が硬直する。槍ではない。槍を軸に新たな刃が棘のように、体の中に乱れ咲いている。肉体の神経が傷ついて、うまく体が動かない。
「ふっ…ええ、この程度よ」
だが、それは無意味なこと。神のアスタロトには些細な戯れでしかなく、槍を無理やり引き抜いて、蝶の体に突き刺そうとする。
「あら…」
その突きを神器布都御魂で防ぐ。いつ回収したのか分からぬが、アスタロトの目を盗んで回収に成功したのだろう。
「それじゃあ、私は死なないわ」
「まだ殺す気はない。まだ嬲ってないからのう!!」
彼女の瞳が大きく開き、黄櫨染は鮮明に、褪せることなく純情に光る。その顔は人々の常識にある天皇”鳳”の元祖としての在り方である。その顔を見た者は、かの者を、こう伝承する。
―”鳳”の元祖、かの者は風雅と生きる者也
かの者は時代の生ける証人
「十一代目は戦禍を交え祈る。
―穢れよりも烈火の如く」
蝶は扇子を開き、アスタロトの手から槍を落とさせる。
「神に逆らうなんて、傲慢ね!」
「それはこれを受けてから物申せ」
蝶の無礼な行動にアスタロトが声を荒らげ、それと対照にいるのか、蝶は冷徹な声で言い放つ。彼女の後ろには、とてつもない速さで無数の巨大な火球が迫りくる。
―心穢されることも悪しからず
かの者は時代を継承すべくして
穢れと共に歩みたまう
この戦いで初めて冷や汗をかいたアスタロトの目には、自身の目と同じように燃え盛る火球が映る。
「さあ、神よ。よく見よ」
火球は蝶の背後にあるが、彼女に当たらないように避け、アスタロトにぶつかってくる。その尊顔に影を落とし、風雅を謳う蝶にアスタロトは不気味さと矛盾が駆け巡り、だが、同時に言葉に表せない未知の美しさに出会った喜びに、紅潮する。
「綺麗ね」
アスタロトの小さな称賛の声は、灼熱の火球に焼かれる。一つ目の火球が地に落ちると、それに続くように火球が落ちる。その光景は神が人類に与える試練という名の天罰に相応しい。しかし、人類に伝えられし、神との関わりを体現している瞬間は、神からの褒美とも受け取れる。
火球が降りやんだところで、蝶は火球の上に立ち、優雅に、かつ風雅に、されど猛々しい猛獣のように、己の果敢さを讃え、灼熱の桜が咲く中、舞い踊る。
「朕を愚弄するならば、其の全ては天網恢恢疎にして失わず…」
鋭く磨かれた舞いの指は天を舞い、扇子は黒点の異物を示す。舞うごとに風を斬る音が、蝶の調べを奏でる。
「朕の逆鱗に触れれば、其の努力は水の泡…雅であろうとも、玉の巵当無きが如し…即ち…」
蝶は扇子で顔を隠して、黄櫨染の瞳で空を望む。そこには晴天の中、白く灰色に霞む月があった。それは白星のように、蝶の瞳に堕ちる。扇子の桜を覗かせて、火球の花畑に舞いを奉納する。
「脂に画き氷に鏤む有象無象乎」
―然れども、かの者は風雅と成し、
時代の穢れを消滅せん
蝶の才がついに明らかになった!
多彩な攻撃に翻弄されたアスタロト、そして、風雅に踊る蝶!
神にも毅然とした態度は続くのか…




