40話前編 アンテロスの痛み
チップテトラ中央部原初一族本部、空の大地、ここはイニティウムのいる別室製錬場兼鍛冶場に唯一通じる通路である。権能の永久付与によって作られた異空間であり、その舞台は空、空中戦を想定しての空間である。
「イニティウムは昔からモノ作りを好みやがってる、一度集中しちまうと二週間籠るなんてことは珍しくねえ…今回は巻きでやれって言ってるんだが…どーにもこーにも…ほんっとに困るよなぁ、そう思わねぇか?
スマラグディノス」
作業の邪魔を阻止するようにイニティウムからお願いされたラウルスが目を据えて話しかけるのは、スマラグディノスである。彼女はいつもと変わらぬ朗らかな笑みを浮かべている。これだけ見れば、心配になって様子を見に来た良い妹であるが、ラウルスは知っている。
「お前、オリゴに”才”使っただろ」
「………」
スマラグディノスは態度を変えず、首もとを指差して声が出せないことを伝える。ラウルスは大声で笑い、彼女に敵意の眼差しを向ける。
「それは自由だ、少しオレ様とお喋りでもしようぜ?」
飼い主と飼い犬。純粋で疑うことの無い忠誠心と慈しむ心によって、主従関係は初めて意味をなし得る。飼い犬の忠誠心が純粋であればあるほど、一度不純が混じれば、それは純粋な忠誠心と言えるのか。だからこそ、飼い主は飼い犬の思考を支配する。
もう一つの主従関係、それは飼い犬の一方的な依存。飼い犬は飼い主に依存している。それは”飼い主についていけば自分は必要とされる”、”飼い主なら自分を余すことなく使ってくれる”。
「お前とレヴィアタンの関係は後者だ、さて…ここでお前の元祖としての能力”才”の話だ」
「…」
「”色彩”、感情の色を塗り替える才…その発動条件は”声”で相手の心に付け入る、そして感情に侵入して色を塗り替える…お前はオリゴに近づき、あいつの親について、出生について嘘を混ぜ、言葉巧みにオリゴの感情を塗り替えた…理性を本能に…」
スマラグディノスは首を傾けて、じっと、じっと見つめる。彼女の感情は今何色なのだろうか、淡い好奇心がラウルスの感情に芽生えて推理が加速する。
「感情の黒くなったオリゴは本能のままに破壊衝動に陥る…その矛先は存在しねぇ」
ラウルスはこめかみに手を当てて、チップテトラ西部にいるプロエレから通信を受け取る。そしてニィと口角を上げて、スマラグディノスに語りかける。
「お前の計画はこうだ…オリゴと接触し、あいつの感情を操り、憤怒に狂う狂人に仕立て上げ、始祖に相手させる…そして、手薄になった隙を狙い、原初一族の機密情報を奪い…そして、セア・アペイロンの復活を阻止するため、イニティウム抹殺を企てた………残念だけどよぉ、裏切者鎮圧完了したぜ」
「…」
「話は終いだ、そろそろ覚悟できたか?」
ラウルスは立ち上がり、立てかけていた魔法鉱石で作られた武器、石パイプを手に取り、スマラグディノスを凝視した。とうの本人はがっかりしたような、それとも想定内の成り行きであるというような、複雑な顔をする。
「いつから…?」
やっと彼女が閉ざしていた口を開き、ラウルスの目を直視してきた。それはもう、諦めに近く、隠し事などしても意味がないという彼女なりの意思表示だとラウルスは理解している。
「声が出ないなんて嘘、お前をチップテトラに迎え入れた時から勘づいていたぜ?」
「それはおかしい…私はレヴィアタンお兄様の前以外では口をつむいでいたわ…徹底的に!」
「甘いな、オレ様は人間観察が趣味だ…人間ってのは咄嗟の事象には本性が露わになる生き物だ、お前は咄嗟の事象で声を出さなかったが声を出す素振りをしちまった」
「それだけ?」
「レヴィアタンは綿密な策を講じる、それには偽りを演じさせるための手段も視野に入れている…声が出ないと周りに認知させるため、わざわざクヴァレ陣営の奴らに声帯を切る小芝居をうった…あとは念のために制約を設け、嘘を演じ続けさせた…まっ、誤算は視野には無かったようだけどな?」
レヴィアタンの練った策に生じた誤算さえも、嘘さえも見破り、計画を破綻させ完全勝利を誇るラウルスの悪名高き笑みに静かに怒りを持つ。
「さすが長女、趣味の悪いこと…ええ、そうよ... スマラグディノスは話せない、それは嘘…ノーヴァお兄様がここに足を運んだことが誤算よ!この計画は駒さえ用意できれば…任務完遂は現実だった」
「そうか?」
「ええ、私の今回の任務は原初一族の壊滅の引き金を引くこと…御姉様たちは裏切者である私を無惨に殺すわ…それはオベロンの逆鱗に触れる行為よ、どうするの?」
すぅと力の抜けた瞳から訴えかけられるクヴァレが原初一族をどれほど厄介だと思っているのか。それゆえに六百年もの長い期間を耐え忍んでいた。しかし、その計画さえも軽い力で揉み消された。
「勘違いも甚だバカバカしいな」
「勘違いですって?」
ラウルスは二つを表すハンドサインをスマラグディノスに向ける。
「一つ、お前の計画を見破ったのはオレ様じゃねえ…てめえの保険であるオベロンだ」
「!」
驚くスマラグディノスをお構いなしに話を続ける。
「オレ様はいつでもお前を始末できたが、オベロンが敵の一掃を謀ると言い出してな?ノーヴァがここに来ることがオレ様達の開戦の狼煙だった」
「……あと、もう一つは…」
「お前は自分のことを裏切者と呼称した、それは誤りだ…裏切りっていうのは双方疑うことのない信頼を積んだ関係から生まれる亀裂…原初はお前を信頼していない」
「裏切者って…まさか!?」
「オレ様たちにとっての裏切者は、スマラグディノスに操られる一族の者だ!!」
石パイプを大きく振りかぶって、スマラグディノスの足元を抉る。その金色の瞳は獲物を逃がすまいという狩人の目のようにぎらぎらと閃光を放っている。
「始めようぜ!狩人と怪物との鬼ごっこを!!」
カァン!カァン!カァン!
チップテトラ中央部原初一族本部、別室製錬場兼鍛冶場にはイニティウム一人だけ。火床には赤々と燃え盛る炎が揺れ動いている。イニティウムは魔法鉱石を炎に入れて加熱する。鋼鉄が柔くなると、火から取り出して、金床に移動させて小槌で叩いて鍛錬を始める。叩く。
「…厚い」
イニティウムは平たくなり始めた魔法鉱石を玉箸で挟み、自身の目の高さまで持ってくる。断面は緑のグラデーションがかかっており、小さな粒があることが窺える。この状態は洗練されており、鍛冶職人にとって最良の状態である。通常なら、この状態で槍だの刀だの、成形の作業に移るのだが、イニティウムはどうにも納得できるものでないと不服である。イニティウムは鍛冶炉に炭を放り投げ、火床よりも高温の炎に調整する。彼女の額だけでなく、体全身から汗が滝のように流れる。
緋色の炎がほどほどに青色の炎に変化していくと、鍛錬をしていた魔法鉱石を鍛冶炉に入れて一気に加熱する。通常よりも短時間で、鍛冶炉から取り出して、小槌で叩く。
カァン!カァン!カァン!カァン!
それを何度か繰り返して、用意していた水に入れて冷却する。緑の鉱石板が黒くなったが、それは表面だけ。魔法鉱石は純粋な鉱石になる性質のため、外側にいくほど不純物である。イニティウムは表面の不純物を払い、より純粋なものとしていく。
「――」
じっ、と断面を凝視して、イニティウムは軽く頷いて次の行動に移す。今度は、赤色に燃える炎のある火床に鉱石板を入れて、長い時間を使ってゆっくりと加熱していく。その間炎と鉱石板を目をそらさずにじっと観察する。鉱石板の焦げた匂いが部屋に充満する。火の粉が盛んに飛び散る火床、部屋の温度は熱砂の砂漠と言われても、なんらおかしくはないくらい暑い。
「――」
イニティウムは鉱石板を炎から取り出して、小槌で叩き始める。小槌も、玉箸も、暑さの影響を受けて、熱気を帯びている。壁には厚手の手袋があるが、イニティウムは使う気はないようだ。
カァン!カァン!カァン!カァン!カァン!
イニティウムは丁寧に丁寧に鍛錬を続ける。時に断面を凝視、そして小槌を打つ、断面を凝視、加熱、小槌を打つ、断面の凝視、小槌を打つ、凝視、加熱、打つ、凝視、打つ。
単調な作業を何度も何度も繰り返し繰り返し行っていく。終わりなき作業、休養なき鍛錬、高温による火傷の数々、求めている水準に達しない現状。今のイニティウムに課せられているのはそれだけではない。それは人類の行く末を狂わせるセアの復活の鍵を握っているという地上宇宙が始まった時から生きている彼女が、今まで感じたことがないような体に何トンもの重圧がのしかかっている責任。
―もし、私が熾天使の剱を作れなければ、クヴァレに負ける…
カァン!
―クヴァレに負ければ、長の戻るべき場所が無くなる…長が必死で守ろうとしていた場所が色を失う…
カァァーン!
―そんなことどうだっていいの!…長に会えなければ、私の”愛”は誰が受け止めてくれるの?
カァァーーン!!!
小槌を打つ力が一層に強くなっていく。それはイニティウムが心に秘めた思いを独りでに曝け出していることを意味している。彼女の心に連動するかのように、火の粉は大きく舞い、アタッシュケースにある鉱石や鉱石板の輝きが太陽のごとく燦燦と照らしている。それはイニティウムを励ましているよう…彼女はそれを苦笑するとともに、自分の気持ちに素直になり、珍しく弱音を吐く。
「あの時の答え…今、やっと…愚かな私は答えられそうだわ…ねぇ?イアシオン…」




