節分篇
季節の変わり目、立春から邪気は動く。邪気は凝り固まると鬼になる。だから節分に、鬼を祓う習慣が生まれた。
「先生とは別れる。鬼が産まれそうなの」と咲愛が言う。「だから、先生を祓ってきて」
「またかよ」俺は舌打ちした。
咲愛は、傍から見るだけで先行きが読めてしまう女だ。一流の私立大学に入って“ミスなんとか”になる。卒業したらアナウンサーになる。
アナウンサーにならなくても、都心の小綺麗なエリアで何か華やかに仕切って、スポーツ選手か社長と結婚して子どもを産んで30歳を過ぎたらちょっとしたビジネスを始める。
要するに母親の人生の焼き直しだ。
この調子だと、来年の2月も咲愛のために働くことになりそうだ。
正確には、2月4日から13日の10日間。つまり、節分の翌日からバレンタインデーの前日までだ。
バレンタインデーは咲愛の独壇場であり、今年の本命チョコの相手が誰なのか、校内は大いに盛り上がる。
くだらない。
来年は高校生最後の2月だ。卒業が目前で忙しくなりそうなので勘弁してほしい。
俺は鬼祓いを生業とする“土牛童子”一族の端くれだ。本業は鬼祓いだが、人の邪気を狩ることもできる。
季節の変わり目、特に立春から邪気は動く。人ひとりの邪気はショボいが、凝り固まると鬼になる。だから2月3日の節分に、鬼を祓う習慣が生まれた。
今年の2月は、咲愛の頼みで、3人分の邪気を狩った。
サッカー部のキャプテン、咲愛の家庭教師、高校の英語教師、という3人だ。バレンタインに咲愛が“告る”相手の候補者だ。
複雑なエントリー制度になっているらしい。
サッカー部のクズはただのクズで、家庭教師はアルファロメオに乗った金持ちのクズで、しかし英語の先生は俺もお世話になった少し尊敬できる人だった。
鬼になる前の邪気なので、どれもこれもショボい。見た目は餓鬼道に落ちた飢えた亡者によく似ている。
俺は、邪気どもをそれぞれ虫籠に閉じ込めると、咲愛に髪の毛を3本もらい、籠の中に彼女の分身を吹き込んだ。
サッカー部のキャプテンは、咲愛の服をビリビリに引き裂き、家庭教師は咲愛の腹を殴り、少しでも俺が尊敬した先生は咲愛を縛り上げ、その後は同じく排泄行為にいそしんだ。
こういうとき咲愛は、俺のバイト先の現場監督みたいに、腕組みして口をへの字に曲げてじっと見ている。
この女の人を見る力は大したものだ。この俺でもその立ち姿についゾクッと見惚れてしまう。
咲愛の査定が終わると、邪気どもは解放する。鬼になる前の邪気を粉々にすり潰してしまうと、人格を損なうからだ。
ロボトミーは許されない。程よく汚れた欲望は、人を人たらしめる。
不思議なのは、今年、咲愛が学校の英語教師を選んだことだ。その先生が鬼になりかけているという。
こんな下らない女のために先生が邪鬼に堕ちる必要はない。
俺は牛鬼を召喚した。
室町時代の“公事根源”では「青色は春の色ひんかしにたつ」と謳われた。土の中から俺の牛鬼が立ち上がった。ヌラリと青い。喉奥から響く反芻は地獄の粉砕機のようだ。
さすがの咲愛も、俺の牛鬼には怯えた表情を見せる。不思議なことに、咲愛には俺の牛鬼が見えるのだ。
「今回のお礼はどうしたらいい?」と咲愛がおずおず聞いてきた。
「今夜、俺んちでいいよ」
「…私いま生理なの」
「いつでもいい」と答えた。俺は鬼牛の手綱捌きで忙しく、顔を上げられない。
突然、咲愛が俺の手を握った。
「来年もお世話になるかも…」
何故か俺はうろたえて、「今日来いよ」と応えてしまった。
「ありがとう」という声が小さく聞こえた。
俺の牛鬼は地をえぐる歯軋りを響かせている。体育館ほどの図体に成長した。
こいつも所詮、俺の邪鬼なのだ。