三十八の二 それが合図だ
「親愛なる矛よ。姿を見せられるか?」思玲が空へ問いかける。
俺はあたりを見まわす。異形を感じる。
「その気配はなんだ? 低級の連中の真似か?」
思玲が闇へと笑う。
――我が存在をごまかすために貉なる物の怪を拾い、身にまとっております。……しかし、その者に姿を露わにしてよろしいのでしょうか?
どこからか異形の声が心へと届く。
「その前に聞きたいことがある。まことに楊偉天が来たのか?」
――間違いなく。峻計とあの老人が合流するのも時間の問題かと
ひそんだままの声が答える。
「なるほどな。ではこの人間くずれを気にせずに(なんて言い分だ!)、物の怪を手放して姿を見せよ」
――仰せのとおりに
気配が一直線に俺達へと飛んでくる。護符は発動しない。
「哲人。こいつこそが楊一派に忍びこませた、我が式神だ。――琥珀よ、あらためて哲人におもてを見せよ」
思玲の前に異形がひざまずいていた……。琥珀と呼ばれる小鬼が俺を見上げる。
「王思玲様配下の末席を汚させていただく琥珀と申す。こたびは多少なりとも迷惑をおかけしたが、あやつらを欺くためゆえご容赦いただきたい」
フードを深めにかぶった小鬼が、申し訳のかけらもない顔で俺をにらみあげる。
「な、なんで、こいつが味方なのですか? こいつにみんな散々な目にあわされた」
横根を吹っ飛ばした。峻計に、川田を傀儡にしろとアドバイスしやがった。
「いずれも四神くずれを守るためであったが。説明できぬのが口惜しくもあった」
小鬼は俺をにらむだけだ。俺もにらみ返す。
「琥珀。哲人は仲間だ。もっとくだけて喋ろ。それから哲人。言いたいことが山ほどあるのは分かるが、時間がないゆえ我慢してくれ」
「承知しました」小鬼が即座に答える。「それにしても、いともたやすく扇を作りだすとは、さすがは我が主。私めも微力ながらあなた様の眼鏡を見つけてまいりました。なにとぞお納めください」
小鬼が両手で持った眼鏡をかかげる。……こいつが思玲の式神だと?
「思玲には式神が他にもいるのですか?」
怒りがたかぶらないように話題を変える。
「いや。琥珀だけだ」
さらりと答えやがる。なにが末席を汚すだ。琥珀が、また俺をにらむ。
「思玲様には伝令をつかさどる式神が二羽いたが、一羽は流範の使いの鴉などにやられやがった。大燕は死しても言を伝えるはずなのに、一羽はいまだ行方不明だ。奴らの伝令の飛び蛇どもは、俺がこっそり処分したけどな。
ところで、さすがにあいつは感づきはじめております」
小鬼が思玲と俺へ交互に顔を向ける。
「哲人を吹っ飛ばして逃がそうとしたのがばれただろ? あれは冷や汗ものだったな……。今後は背丈のことを口にするなよ」
峻計に殺された人達を飛ばしたり、俺の写真を撮ったあのときか。ドーンも大ケヤキから飛ばされたと言ったような。
すべては、あいつから俺達を逃れさせるためだったのか。黒羽扇を向けられた川田を、傀儡にしてでも生き延びさせた。思玲がこいつに何度も弾かれたのも、峻計から離れさせるためだったのか……。荒っぽすぎだ。
「あいつも馬鹿ではないからな。だとしたら、掠めた証拠をいつまでも持ち歩くな。ちょうどよい。哲人に渡せ」
「……御意」
小鬼がポケットからスマホを取りだし、操作を始める。
「これは深圳を手中にする広州道士団が製作した。僕は楊偉天にせがんで自分のものにした。広州とは不仲だから、かわいいけど鬱陶しい代理店経由で契約した。スパイウェアを除去したついでにカスタマイズもした。所有者は人も式神も含めて十体もいない。高額だからな」
琥珀が画面を片側の手にかざす。
「そしてこれはクラウドみたいなものだ。価格が倍になる代理店経由の唯一の特典だ。ドロシーって奴が遠隔で預かるだけなので不要だと思っていたけど、ようやく使い道があった。……思玲様は術を高めることのみにご精進なされるため、この手にご興味をおもちでない。だけど日本人でも若者なら分かるよな? スマホに入っていたわけじゃないぜ」
主そっくりに固有名詞の説明抜きでまくし立てられるが、小鬼の小さな手のひらに、ふわふわと白い煙が乗る。爪さきぐらいしかないけど、白虎の光の一部だと感づく。叩き割った玉の残骸だ。……クラウドサービスだかで、どこかに預けていたのか?
「しかし、でかくなりやがって。あいつは師傅から逃げたあと、横根ちゃんが一人になるのをずっと狙っていた。彼女をお前や桜井ちゃんの庇護においたのは正解だ。そして、この煙があれば、もしも瑞希ちゃんがピンチになったら人質に使えるかもな。その娘を消しても白虎くずれのくずれしか作れないぜってね」
これまた安直な発想だ。などと顔にださず、無意味ににらむ小鬼から屈んで受けとる。ポケットの奥深くに煙の残りかすを入れる。
「無造作に入れやがって、なくすなよ」
琥珀が苦々しげに言ったあと、思玲へとかしこまる。
「私めをお呼びになられたご理由は?」
「そうだった。哲人が文句を並べたせいで遅くなった。用件だけ述べる」
思玲が眼鏡をはずしながら言う。
「我が師傅の命令により私が盾となる。ゆえに琥珀は哲人の矛となれ」
なんだそりゃ?
「それは劉師傅でなく、あなた様からの下命でございますね?」
「そうだ」
「ならば、仰せのとおりに」
小鬼が俺の目線にまで浮かぶ。
「あんたと組むことになったな。うまくやれよ」
「ち、ちょっと待てよ。ずっと教えてくれなかったじゃないですか。なにをやらされるのですか?」
俺はジャージでレンズを拭く思玲へと問いかける。
「やっぱり、こいつも北七だな」
小鬼が笑ってやがる。十二磈に散々言っていた、馬鹿という意味の悪口だ。
「そう、北七だ」
眼鏡をかけなおした思玲まで言いだしやがる。
「それが合図だ」
次回「餃子の皮作戦とでも名づける?」




