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5-tune 四神獣達のカウントアップ  作者: 黒機鶴太
3.5-tune
74/437

三十六 三叉路の俺

「時間はない。起きてくれ」


 遠慮がちの一喝で、俺は悪夢から覚める。見おろす師傅の顔がぼんやりと見える。

 俺はあおむけにぶっ倒れていた。……ここはどこだ?


「護符を手放すとは愚の骨頂だ。四神のものどものために、おのれが犠牲となるつもりか?」


 師傅が木札を俺の胸もとに投げおとす。

 俺はアスファルトに手をついて腰をあげる。……あれだけの衝撃を受けたのに、頭がぼんやりするだけだ。いや、体がやけに重たい。周囲を見まわす。ブルーシートが点滅信号でかすかに赤く光っている。

 俺は交差点の真ん中に転がっていた。また母校の前へと戻ってきた。ここまで飛ばされたのか。


「護符を捨てた哲人君と対等になるために、私も拳に護布をかけた。……かの力が具現する前に、君を消すことができた。ゆえに剣は、また我が手に戻ってくるだろう」


 消しただと? もしかして俺は殺されたのか?

 あわてて立ちあがる。ジーンズについた砂をはたく。Tシャツに乗っていた木札が落ちたので、しゃがんで拾う。……木札を拾う自分の手が見える。あらためて全身を見る。

 俺はもとの人間に戻っている。


「元気そうだな。それならあいつらともまだ戦えるだろう」


 師傅は人である俺より背高いと知る。いや、人の魂である俺よりも。


「お、俺は霊になったのですか?」

 ここで死ぬなんてあきらめきれない。


「死んでなどいない。異形のままだ。布をまとった我が拳は、結果としてか弱き妖怪の光だけを撃破した。いずれは戻るとしても、今はほぼ消滅した」

 師傅が俺に背を向ける。街路樹へと歩み寄りながら「人に戻った姿がおのれに見えても、哲人君はまだ異形のままだ。人の目には見えぬ存在だ」


 車が夜道をとばしてきた。おもいきり照らされて、目を手でかざす。運転手は俺に気づかず、曲がるために速度をすこしゆるめるだけだ。車はそのまま突っこんできて、俺はひらりと横に流される。

 手のひらを開く。こんなに小さかったんだ……。手にしていた護符を前ポケットに突っこむ。宙に浮かぼうとするが、体が重いからか微動だにしない。

 俺は半分人に戻ったと言えるのだろうか? 喜ぶべきなのだろうか? 喜べるはずがない。


「そこの者達は峻計の術により寝たままだ。今宵は起こさぬほうがよいだろう。……図書館の魔物は逃げた。剣の復活を知ったのならば無理からぬな」


 師傅は街路樹の葉を吟味しながら言う。あいつらはコウモリとフクロウの魔物だ。深夜になり力がすこしは戻ったのか。最大の原因は思玲と俺にある。


「使い魔と悶着があったときに、封印していた短剣がなくなりました。でも本をしまい箱も閉じました。それにいばらで縛られて、朝になると消えるとも言っていました」


「幾重に封じられていたのだ? 抹殺されずに辺境へと遠ざけられ……。いかなる境遇の魔物だったのかな。だが檻からでた戒めを受けるならば、この世界には千年たとうが戻って来られまい」


 師傅の背中が答える。東洋随一の祓い師が征伐に来たら、逃げるしか道はないのかも。とはいえ、追いつめられて無鉄砲になる思慮なき魔物とは思えない。むしろ使い魔達は生きのびるために……。

「楊偉天に助けを求めるもあり得ますよね?」


 師傅が振り返る。俺へと歩む。


「人の姿に戻りし異形よ。その深き読みも、そなたの力のひとつであるな。奴らが受けた楔は、老師ほどの者ならばたやすく消せるかもしれぬ。だとしても魔物どもは後回しにするしかない」


 俺も正門前へと歩く。剣が無造作に置いてある。さきほどの決着は、俺の負けでおさまったのだろうか。


 *


「私は思玲とは合流しない」

 劉師傅が草鈴を織りながら言う。

「私も彼女もまだ離れて戦うべきだ。私は彼女の心配はしない。思玲には不確かながら矛がある。だが、そのためには哲人君の力が必要だ。願わくは彼女のもとへ行ってほしい」


 イチョウの葉の草鈴を手渡される。口にあてて吹こうとして押しどめられる。


「離れていても聞こえる笛だ。感の強いものには聞きとれる危険な鈴だ。その代わり、老師か峻計ほどのものが現れたなら、その笛は怯えておのずと私を呼ぶ。なにが起こるかは分からぬ。そのときは鳴らしてほしい。……我が耳に届かぬかもしれぬ。届いたとして動けぬかもしれぬ。笛だけを頼らぬようにな」


 俺は草鈴を握ったまま、師傅の目を強く見る。


「俺達はおとりですか? 老師……、楊偉天を呼び寄せるための」

 そう考えないと、この人が俺達や思玲と行動をともにしない理由がない。


「老師は深謀をめぐらす。私の浅慮にそうも乗るはずがない。だからこそ身をさらすべきだ」

 師傅は俺の視線を受けとめながら言う。

「青龍の娘に人の心があるうちに、一刻もはやく決着をつけるためにだ。それは、君達こそ望むことであろう」


 くそっ、おっしゃるとおりだ。みんなに人の意識があるのは、あとどれくらいだ。俺達にこそ時間がない。時間はないけど、

「なぜ桜井が人であるうちに、けりをつけたいのですか? 彼女を守るためですか?」


 そんなはずはないと気づいてはいる。師傅も俺から目をはずさない。


「青龍になるべきものが小鳥と化したのは、それこそが資質ゆえだ。青い光に耐え、みずからの力で弱きものと化したのだ。強き異形となるのをこらえたのだ。

……今のままで人の心が消えれば、彼女は荒ぶる蛮龍と化す。老師でさえ御せられぬだろう。明の時代の文献が事実を述べているのならば、もはや私一人で立ち向かえる存在ではなくなる」


 俺はただ桜井の笑みを思いだす。彼女がそんな存在であるはずがない。台湾の連中は勘違いしている。そう思いこみたい。

 なのに師傅が背を向ける。


「青龍の娘を殺さないでください。そうでないと協力できません」


 俺はその背に訴えるが、師傅は話は終わったかのように緋色のサテンを肩にかける。地面の剣に手を伸ばす。


「上弦の月といえども、丑の刻を迎える。いかなる人よりも異形が勝る一刻が来る」


 劉師傅は月神の剣を天にかかげる。煌々と輝く。百鬼夜行の時間が近づき、対すべき師傅の感も再び高まる。それでも、


「桜井を殺さないでください」

 それだけを、いまだ百鬼のひとつである俺が切願する。


「累卵のごとき危うい時間が来るのだぞ」

 師傅が剣を見つめながら言う。

「哲人君も私も思玲も死に絶え、青龍は今の世にふさわしからぬ存在となるかもしれぬ」


 もはや劉師傅の心にあるのは決戦のみだ。これ以上の問いかけに意味がないと気づく。

 どうしたらいいんだ? 師傅の剣で人に戻るお膳立てができたとしても、この人が望まなければ桜井をその場に迎えられない。俺は半分人に戻ったとしても、なにもできないのに変わりはなかった。

 ふいに師傅が、かかげていた剣をおろす。


「真横で落ちこまれては剣に気が満ちぬ」

 あきらめたように笑みをこぼす。

「私は異形からの取引に応じぬ。人であったものだとしてもな。ゆえに我が剣に聞いてもらう」


 師傅が刃さきを下にして剣を俺へと差しだす。剣は重厚な鋼色に染まっている。

 ……この柄を受けとれと言うのか? 俺はまだ妖怪だからか、すぐそばで見るこの剣は恐怖さえ与えてくる。


「剣を持てば、桜井を見逃してくれるのですか?」


「そなたの力がいかなるものか。剣に教えてもらう」

 師傅はただ俺の目を見つめる。

「追いつめられて牙を向ける鼠には、月神の剣はともにしない。荒れ狂う巨象に向かう獅子だけを求める」


 俺の心の強さをはかるというのか? それと桜井になんの関係があるのだろう。彼女を守る力を見せろと言うのか?

 それならば、俺は剣へと手を伸ばす――。


「無理です……」


 いくらなんでも、こんなものに触れられない。せっかく人の姿にまで戻れたのに、握るなり消し去られそうだ。師傅は俺に無理強いをして、彼女をあきらめさせるつもりか。


「この期に及んで臆するな」

 そう言いながら、師傅は剣を持つ手を自身へと戻す。

「君は秘めた力など必要なく、聖なる龍をも従えるかもしれぬのだぞ。あのときの迦楼羅のように」


 暴発した俺の怒りを受けたからって、師傅は俺を買いかぶりすぎだ。俺はただお天狗さんのおかげで、ライオンの真似事を器用にできたネズミだ。剣を間近で見て、それがよく分かった。

 なのに師傅はまだ俺を見つめている。


「剣は待ちかまえていたぞ。護符を投げ捨てる勇気を見たのだからな。だがもういい」

 師傅がまた剣をかかげる。

「この男に代わって聞く。剣が輝くならば、私は四神のものどもを護ることはあれ、討つことはない!」


 破邪の剣から強く光があふれだす。人の目に見えぬはずの光が、交差点を白昼のように照らす。


「……これほどとはな。今より我が剣は、楊偉天どもを誅するためだけにある」

 師傅が剣をおろす。

「哲人君。思玲を盾とせよ」


 劉師傅は、俺に一瞥も向けぬまま剣を片手に駆けだす。

 ひととき照らされた町なみは、また闇の中に戻っていく。暗闇に俺一人が存在する。幻である俺が、幻のような世界に立ちつくす。劉師傅は、青龍になるべくものをも救うと言ってくれた。

 剣はたしかに俺を待っていた。


 *


 アブラコウモリが上空を舞っている。超音波みたいなキーキー声がうっとうしい。

 俺は手にした草鈴もポケットへ突っこむ。なにかが入っているのに気づく。カラスに噛まれたぐしゃぐしゃの草鈴と、折りたたんだ一万円札――。思玲に渡された浄財だ。軽トラックの荷台で舌を垂らした狼を思いだして、なぜだか俺は笑みを浮かべる。

 仲間のもとに行かないと。浮かぶことができなくなった俺は、公園へと歩きはじめる。一刻もはやくみんなと合流したいのに、俺はまだ走りだせない。生まれかわったおのれの体を、ゆっくりと闇になじませるだけだ。百鬼のうごめきに連なるためだけに。

 やがて履きなれたスニーカーが地面を蹴る。もはや人の作ったアスファルトも苦にならない。俺は車道を音もなく駆けていく。都心の片隅にまがまがしい時がおとずれようと、人は誰も気づくはずがない。


 曙光が輝くまでのわずかな時間。異形としての最後の夜が今から始まる。もしくは人としての最後の夜が。

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