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5-tune 四神獣達のカウントアップ  作者: 黒機鶴太
3-tune
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遣らずの雨

3-tune



「ありがとう。でも、かまわないでくれ」


 この人は雨で濡れた体を拭きもせず、タオルを突きかえしてくる。白いシャツに濃紺のデニムなんて着こなしが様になる、背高く魅力的な人なのに、この人からは心を落ち着かせないものが漂う。

 それでも私は言い張らなければならない。


「お客様がどうおっしゃられようが、航空法により認められておりません。どうかお好きなお席にお座りください」


 この豪奢な内装と今から堪能できるサービスにも、この人は納得してくれない。あり得ない要望を並べるだけだ。


「頭をあげられないほど、世話になった人がいたとする」


 私をじっと見つめてくる。私の心に怯えが走る。


「その人が道をはずれたといえ、大恩ある人に刃を向けた者が、斯様な椅子に座るべきではないだろう」


 なんのたとえだろう。ここから逃げだしたくなる。


您好ニンハオ」と白人機長が客席にきて安堵する。チャーター専門小型ジェット機の金額に見あった実績ある人だ。

 唯一の乗客へと顔を向ける。

「きわめて遺憾としか言いようがありませんが、会社からも両国からも了承がおりました。なのでご要望に沿わせていただきます。安全なフライトを心がけますが、責任はすべてあなたにあることをお忘れずに」


 武骨な機長が踵を返す。ついてこいと英語で私に言う。


「おとといの桃園の騒ぎから始まって、ろくでもないことばかりだ」

「どういう人ですか?」私は小走りでうかがう。


「乗客名簿はブランクのままだ」

 機長は苦々しそうに言う。

「あの若造はとんでもない金を払った。くそがつくほどの額だ。しかもキャッシュでだ。本社のロビーを紙幣で満杯にして、役員どもが裸でダイブしたらしいな」


 機長は切りかえしに困る言いまわしを使う。


「おもて社会の人では……」

 私は言葉をにごしながら尋ねる。


「裏だか闇だか知らないが、そっちの人間だろうな。しかも、くそ顔がきく」

 機長はなおも忌々しげだ。

「さらには今回のフライトに日本からの了承がおりた。ことなかれで横柄で四角四面の、くそジャップがだぞ」


「では、あの方の言い分に従うのですか?」


 この国で一番贅沢なフライトを貨物室で過ごすなど、常人ではあり得ない。……あの人が常人であるはずがない。数分のやり取りだけでも、私には分かる。目をあわして会話をするだけで、背中に冷や汗を感じた。


「最初の一分で後悔するさ。向こうに着くまで俺の知ったことではない。だがあれだけは、くそがこびりつこうがしないと、よくよく言っておけ。閉じこもっていろとな」


 機長がコクピットへと消える。今回のフライトの唯一の客室乗務員である私は、やはり唯一の客であるあの人のもとに戻る。彼は自然体で立ったままだ。

 私は多くの著名人の搭乗に居合わせてきた。富豪、映画俳優、スポーツ選手……。この人からは、いずれにもないオーラが漂う。ただの人である私を怯えさせるオーラ。

 それでも私は、台湾で一番のCAの誇りをこめた笑みをかける。


「私は貨物室にご一緒できません。なにとぞご了承ください。……フライト中にハッチを開けることは、さすがに許可がおりませんでした」


「それは飛行機が落ちるからか? この雨で飛べないのと同様に」


 この人は子供のような目でまっすぐに見てくる。おそらくと、私は笑みで返す。きっとひきつった笑みだろう。


「……一瞬ならば大丈夫だろ」

 この人も笑みを返してくれる。「すぐに外から閉める」


 一緒にいるだけで息が詰まる人でも、疲れた笑みだとしても、冗談は言えるのだ。


「承知しました。ごゆっくりとお過ごしください」

 私も皮肉をこめた言葉を返す。


「ありがとう。……事件のあった地点は必ず飛んでくれ」


 この人は、政府の透かしが入ったネットニュースのコピーと航空図を機長に見せていた。東京の悪童に大学校の門や寺院の墓地が破壊された、というローカルニュースだった。


「近づけば、私には分かるから」


 ***


 この人は、立つこともできぬ小さな貨物室に向かうために機外へでていく。私は乗降口で見おくる。

 外はまだスコールだ。この人は叩きつける雨にも傘をささない。緋色のサテンで包まれた細長い荷物しかもっていない。あれは刀だと、いやでも分かってしまう。東京に到着したときにこの人はもう機内にいないだろうと、いやでも思ってしまう。

 私みたいなありふれた人間が関わってはいけない人だと、いやでも気づいてしまう。


 泣き喚き引き留めるような荒天がおさまれば、この小型ジェット機は優先的に離陸する。夜には日本に到着するだろう。


「帰路が二人だったら幸いだ」

 この人はタラップを降りながら言う。「そのときは彼女だけでも座らせてもらおう」





次回「火灯し頃」

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