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5-tune 四神獣達のカウントアップ  作者: 黒機鶴太
4.97-tune
427/437

七十三の二 陽に立ち向かう樹上の清廉な花

ザワザワザワザワ

ザワザワザワザワ

アノ女ハダイキライ

ダッテ、コワイモノ

ホシヲ、ホロボスモノ


森ノアルジ、タオシテヨ


「……まずい。哲人さん、町へ逃げよう」

 浮かぶドロシーが答える。その上には丸い月。


 前世のトラウマだったとしても、いまさら木霊なんかに怯えるなよ。しかもだ。


「人を盾にするためか?」俺は尋ねてしまう。


「ひえっ、哲人さんまで怒らないで」

『ドロシーちゃんがそんなのことするはずないだろ。白虎と戦いたくないからに決まっている』

「そ、そうだ。夏奈さんの言うとおりだ。だから怒らないでよ」


 花咲き誇る夏が二人そろって反論してくる。林の腐葉土が盛り上がり押し寄せてくる。暴雪はどこにいる?

 無力になってしまった元獣人も放置されたまま。木霊に捕まる。


「怒るに決まっている。思玲の剣を輝かせろよ」


 俺はつっけんどんに答えて、折坂さんのもとへ走る。大学生の姿の異形が大人の人間を抱きあげようとして、するりと滑る。


「おりゃ!」


 人の目に見えぬ化け物が気迫を込めて人を持ちあげる。


ザワザワ


 足もとが土に埋まった。這い上がろうとする。


どくん


 ……護符が発動しやがった。


「くわっ」


 折坂さんが目をむきだす。お天狗さんの木札は扱いづらい。抱えれば火伏せの巻き添え。おろせば木霊に喰われる。


「ドロシーはやく光らせろ!」

「焦らせないで、輝かない! あ、くそ、哲人さんのせいだ」


 振り向くと、藤川がドロシーへ跳躍していた。春南剣を弾き飛ばされて、地面に蹴り落とされる。


「成敗する」

 藤川匠が刃先を下にして彼女へ飛び降りる。


「噠!」


「なるい!」

 紅色の光も空中で避けて、月神の剣が彼女の胸を狙う。

「なに? くっ」


 逆に藤川匠が倒れる。


コワイコワイ

サワサワサワサワ……


「へへ、三つ重ねの護りだ。破邪の剣に勝った。……殺意を感じたよ」


 ドロシーが立ちあがる。その首もとには知らぬ間に師傅のサテン、その手には紅色に輝く天宮の護符。すべてが彼女を守ろうとする……。俺の手から火伏せの護符が消えていた。

 苦痛から解放された折坂さんが再び目を閉じる。今度は腐葉土が、守りなき俺を埋めにくる。折坂さんごと。

 おなかの中の夏奈ごと。


どくん


 俺の手に護符が戻る。土が砂と化し、意識なき折坂さんが血を吐く。


「俺を守るな。俺が愛する人だけを…………」


 俺の未来の妻の人が、右腕を押さえる藤川へ、剣と護符を交差させるのが見えてしまった。


『やめろ!』

「やめろ!」


 俺と夏奈の声が重なる。


「噠、怒るの遅い! ……よかった」

 ドロシーが発する螺旋から輝きが失せる。


「うっ」

 それでも藤川匠は力ない光を浴びる。


ゴチソウゴチソウ

イマノウチニ、ハヤク食ベヨウ

森ノアルジガヤッテクル

オコッテル


 俺と折坂さんは土に埋もれていく。歩くの大変。よろめくと護符がさらに怒る悪循環。


「うう……。松本か?」

 見えない俺に尋ねてくる。


「はい。あなたなら人になってもきっと強い」

 俺の声は聞こえないとしても、折坂さんを地面におろすしかない。さっそく木霊が集いだす。

「ドロシー! まずは木霊を追い払ってくれ!」


『ドロシーちゃんが苦手なの知ってるだろ。哲人がしろよ』


 そんなの知る必要ない。俺が知りたいのは、たとえば食べ物の好き嫌い。

 いつかそれを教えてもらうために、俺は独鈷杵をかかげる。……光らない。あれだけ怒るな怒るな言われたら、そう簡単に怒れない。


「……それだ」

 藤川が俺へ手を向ける。


 俺の手から法具が消える。

 藤川の手に憤怒の具現が現れる。


「ドロシー避けろ!」俺は叫ぶけど。


「眷属を削る」

 独鈷杵は俺に投げられる。


 夏奈を守る俺へと。


「俺を狙うな!」


 夏奈のために法具を受けとめようとする。

 受けとめたけど。


「噠!」紅色に照らされる。


 法具が紅色熱烈光線に包まれ消滅した……。


「あちちち」

 左手が燃えだした。父親が持つ火伏せの護符は、母親の一撃に抗えない。


「それは君に不要だ。よけいに怒りぽくなる。お天宮ちゃんも同意してくれた」

 ドロシーは天宮の護符を構えていた。

「藤川め。懲りずに哲人さんを殺そうとしたな」


 俺を殺したことあるドロシーが、紙垂型の木札をかかげる。

 圧倒的紅色に周囲の木霊が砂になっていく。俺は砂に手を突っ込み消火する。……ドロシーが俺のために授けた傷だ。我慢しろ。


「やっぱりあなたは強かった。ふん!」


 木霊が消えた地で折坂さんを抱きあげる。なおも森からにじり寄ってくる。

 すべてに身構えておけよ。白虎はどこだ? 忍はどうした?


「私はドロテアと刺し違えてもいい」

 地面に打ち伏した藤川匠が西洋の言語で伝える。月神の剣を杖に立ちあがる。掲げれば、なおも青く輝く。


「私はごめんだね」

 ドロシーも西洋の言葉で返す。右手で春南剣を拾いなおし、天宮の護符を左手に隠す。


 剣と剣の対決……。


「たあ!」

「噠!」


 ともに斬撃を飛ばしあう。二尺玉ほどもある青。四尺玉ほどの紅。飲みこまれる青。そのまま突き進む紅。


「なぜっ」藤川が吹っ飛ばされる。


 青を圧倒する紅。勝負ありだろ。


「へへっ」なのにドロシーは剣を藤川へ向ける。


 俺のシャツが内より切り裂かれた。


「ぐはっ」抱えた折坂さんが吹っ飛ばされた!


『ドロテア! 思いだしているのだろ!』

 コザクラインコが弾丸のように飛びだした!

「ゼ・カン・ユ様に命を救われた。おかげであたいとドロテアは友達になれたんだろ!」


「きゃあ」

 ドロシーが無防備の背中にタックルされて数メートルも吹っ飛んだ!


「そんで、たくみ君はゼ・カン・ユ様をやめろ!」

「うおっ」


 立ちあがった藤川まで吹っ飛ばしやがった!


「夏奈戻ってこい」

 俺は折坂さんを抱きなおしながら叫ぶ。


「私はたくみ君を守る。ドロシーちゃんが強すぎるし、ははは」


「藤川を信じるな」

 たしかにゼ・カン・ユは正義だ。でもやはり極端すぎる。


「だったら松本君が早く終わらせろよ。……外にいるのは良くなさげ」


 なのに夏奈はドロシーのもとへ飛ぶ。言っていることとやっていることが違う。(自分がぶっ飛ばしたため)うつ伏したままのドロシーを守ろうとしている。


「梓群を守るのは俺の役目だ」

 夏奈も折坂さんもみんな守るから。

「俺のなかに戻ってこいよ」


「戻りました。すぐに向かいます」

 忍の焦った声がした。

「姉が来ます。九尾弧の珠と賢者の石にご注意ください」


 姉? 藤川匠が持つ珠? 貪を封じた珠も? 


「暴雪は?」


 返事はない。頭上で枯れ葉が舞いだした。またも腐葉土の行進が近づく。


「フロレ・エスタス……情けない姿だな。それも魔女に取り込まれた証だ」

 藤川匠が立ちあがる。


「そうかも知らね、ははは」

 インコがうつ伏せに倒れたままのドロシーの頭にとまる。

「だってこの子は誰よりも正義だし、いまから人をたっぷり守る」


「その楽天的は夏奈だよな」

 藤川が人の言葉で告げる。かすかに笑みをこぼす。

「でも僕は憂いている。王思玲が死んだ。忌むべき姿のフロレ・エスタスが人の世に居残れるわけない。松本哲人がいなくなれば、いずれ黒髪の魔女になる。そのときに誰がドロテアを抑える?」


「俺だ」俺が答える。「俺がずっと隣に立ち、魔女からドロシーを守る」

 魔女になることから守る。


「こっちへ残るのか?」

 藤川がさらに笑う。「僕にはわかる。松本は逃げたがっている」


「逃げるでなく立ち去る。ドロシーをあっちへ連れていく」

 そのためにたぶらかす。彼女に魅入られ続ける。俺達は互いにたらしこむ、誰もがうらやむ恋人になる。

「魔女なんていないからドロシーを殺そうとしないでくれ。藤川にも俺にも、夏奈にもドロシーにも、他にやることがある」


 月はさっきよりも上に登っている。藤川が剣を掲げる。


ザワザワ……

コワイヒカリ、デモ悲シミノヒカリ


 木霊が近寄るのをやめた。俺達以外に音を立てる存在はない。

 ……川田が心配だ。殺人鬼となり町へ降りるかもしれない。だけど俺はここを離れられない。川田に命じたドロシーを信じるしかない。


「白虎はどこ?」

「森にいる。殺意を消している」


 夏奈でも見つけられない森の主が俺達を狙っている。目の前に全裸の折坂さんが現れた。


「私を餌にしろ」

 俺のシャツに手を入れながら言う。

「私も暴雪と因縁がある。……人として生きたくない」


「あなたには優秀な部下がいる。彼女に杖を渡す」

「そうだったな。だが正直不安だ」


 笑みを浮かべたあとシャツから手をだす。

 独鈷杵なき俺は異形だろうと力ない。抱えて守るだけ。


「私はドロシー様に託したい」

 折坂さんがまた目をつむる。……様だと?


「京を信じられないのか。情けない人間め」

 ドロシーがようやく立ち上がる。鼻血を手の甲で拭う。

「夏奈さん痛かった。火伏せの発動より素早いし、やっぱり……お姉ちゃんはすごい、へへ」


「私はドロシーちゃんの姉貴じゃねーし、ははは」

「私は一度だけ認める。……私はドロテアだった。傭兵くずれに家族を殺された娘。私だけ丘の畑にいた。戻ってきて奴らに襲われた。

魔女狩りでただの人が惨殺される時代だった。ずっとずっと必死に懸命に力を隠していたのに……おろかで弱い連中の首を手で刎ねた十四歳の娘。そしてサマー・ボラー・ブルートと呼ばれるようになった」


 ドロシーが俺へと振り返る。その涙が満月に照らされる。


「それから先は哲人さんに教えない。だけどだよ、前世の因果が繰り返されて、またパパとママが殺されたのなら、……尊敬できた思玲も死んじゃったなら、私はそんなの赦せない。そんなの認めたくない!」


 藤川匠さえ聞きいっていた。


「そんなはずない……」

 俺に言葉を見つけられない。でも因果なんて言葉は好きでない。

「だって梓群は梓群だから。……俺に名の意は伝わる。ドロシーは陽に立ち向かうキササゲの花達だ。因果などあるはずない」

 そんな言葉しかかけられない。


「哲人さん……ありがとう」

 だけど彼女は笑みを浮かべる。

「どんな言葉より至宝だ。……多謝どーちぇ多謝どーちぇ


「そ、そうだよ。ドロシーちゃんはドロシーちゃんだよ、ははは」

 彼女の髪の上で青い小鳥も笑う。

「だから自由に生きな。いい男と一緒にな、ははは」


「それだと繰り返すだけだろ。猛々しく美しかったフロレ・エスタスよ、わかってくれ。松本はただの人間だ。力なき男だ」

 藤川匠がまたしても剣を掲げる。

「断ち切るために、あらためて儀式をおこなう。白虎よ、強い力に戻りたければ、私のもとへ来い」


「もちろんだとも」

 闇から暴雪の声がした。「私は二度と子猫にさせられない。私は誇り高き神獣だ。鳳凰になつくものか」


 気配なきままで巨象ほどもある白い虎が現れる。


「鳳凰? ……つまり不死鳥フェニックス?」

 藤川が俺を見る。


 俺はうなずく。ドロシーは魔女でなく鳳凰だ。


「……それこそが惑わしだ」

 だけど藤川は剣をおろす。


「おいエロおやじ。虎は龍に勝てないと身を持って知ったよな」

 コザクラインコが化け物虎をにらむ。「あたいが本来の姿になったら、真っ先にお前を喰うかもな。月から逃れてまともに戻れよ」


 空に明るい月。星を消すほどの月。儀式はおこなわれない。

 林からは獣臭。


「姉御。捕まえてきたぜ」

 川田の声がした。「車を驚かして事故を起こそうとしていた」


 毛むくじゃらの獣人は女の霊をくわえていた。


「殺せたが連れてきた。姉御が怒ると怖いからな。今夜からドロシーさんがボスだ」

 悪霊を口から離し、にやりと笑う。


「私はボスじゃないけど川田さんありがとう。そしたら哲人さんから折坂を受けとって、守ってあげて」

「なんなりと命じてくれ」


 川田が人でなき速度で駆け寄ってくる。


「鶏子は残念だな。もう少しだったのに」

 俺から乱暴に折坂さんを奪い、肩に乗せる。


「夏梓群や。私は榊冬華だよ。六魄のひとりだ」

 悪霊が地べたからドロシーへすがる。

「名前で気づくだろ? 私と梓群は同じだ。前世の魔女が別れた存在だ。つまり私はお前の力だ。世界を滅ぼせる力が私だ。私と組んでくれ。私と一緒に強き魔女へ戻っておくれ」


「大嘘だ。こいつはくだらない蛙だ。ドロシーに焦がれただけの行き先もない哀れな存在だ」


 俺がきっぱりと告げる。だけどドロシーは首を横に振る。


「いいえ。この人は私だ」

 手を伸ばし、邪悪な笑みを浮かべた榊冬華を抱きおこそうとする。

「私の悪しき過去だ。……あなたが私を香港に呼んだんだ。そうでなかったら夏奈さんの妹として……だけどありがとう。おかげでおじいちゃんやパパやママと会えた」


 俺はドロシーを信じている。夏奈もだろう。

 藤川匠は月神の剣を構えている。無防備すぎるドロシーへ向けられない。

 白虎だけがにじり寄ろうとする。俺と夏奈がにらむ。川田は鼻をほじっている。


「そ、そうだろ。あなたは私だ。私となら世界を従えられる」

 ドロシーに抱かれた榊冬華がほくそ笑む。


「へへ、やっぱり邪だ。だから悪だった私に消えてもらう」

「へ?」


 悪霊さえもきょとんとした。


「善だけの私が、悪であるサマー・ボラー・ブルートを消し去ってあげる。完璧に。慈愛を込めて。天にも地にも向かうことなく。そしたらあなたも私も、もはや苦しむ必要ない。そして……だから私は梓群のままだ。ドロテアでなくなった」

「ち、ちょっと待て」

「ドロテア……がんばったよね」


 ドロシーに抱かれたまま、榊冬華の魂がかすれて消える。ドロシーの手に陰辜諸の杖だけが残る……。

 陰から陽へ。彼女はさっぱりした笑顔を川田へ向ける。


「夏奈さんと三人で町へ帰ろう。藤川も哲人さんも置いて。白虎は連れていってやる」


 もう戦いは終わろう。私がいつか必ず、川田さんも夏奈さんももとに戻してあげるから。今夜は疲れたね。だから眠ろう、へへ。


 俺はうなずく。まだ泣かない。藤川と二人で語りあおう。


「悪さしそうになったら躾けてくれよ」

 川田もうなずく。


「……心が伝わる。私も連れていってくれ」

 弱りきった折坂さんが顔をあげる。「いまは人だが必ずもとへ戻る。そして必ずや禊ぎは果たす」


 それは鳳凰への服従ではない。哀願だ。


「我が主、九尾狐が来ます。いまのドロシー様なら対抗できるでしょう」

 忍の声が上空からした。「三つ巴の争いでなければの話です。それを阻止できるのはどなたでしょう」


 俺しかいないだろ。そのために俺はここにいる。……ドロシーだって七難八苦を授かっていた。戦いを続けるしかない。だけどもう少しだけ。


「凰の声は聴こえぬ。はやく私に力をよこせ」


 満月に狂った虎の声が聞こえた。……まだ認めないのかよ。ドロテアを。プライドだけになった自分を。


「……ああ。待たせたな」


 月下の虎に後押しされて、融通なき正義が復活する。その男の手になおも法具はよみがえる。


ザワザワ

ザワザワ


 また腐葉土が活気づいた……。


「異形を引き連れて人の世界に向かうというのか」

 藤川匠が破邪の剣を掲げる。独鈷杵と交差させる。

「白虎である暴雪よ、青龍であるフロレ・エスタスよ。私とともに魂を捧げるときが来た」


 俺は感じる。ゼ・カン・ユこそ正義だ。だけど俺達も正義だ。躾けるだけの正義だ。信じてほしかった。


「ならねえよ。松本君、助けろ!」


 夏奈であるインコが俺の腹へ飛びこむ。俺は必死に抱えこむ。


「裁きの龍よ、目覚めてくれ!」


 こいつこそあがいている。

 藤川のもとから青色と白色が螺旋を描き、俺へ向かってくる。





次回「夏に乱れ咲け、さくら花」

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