二十二の一 権現様の檜舞台
2.5-tune
「哲人が来てから居心地が悪くなったな」
思玲が俺を見つめる。にらまれることはしていないのに。
「お前の護符は強すぎだな」
俺もこの神社に着くなりそれを感じた。今も護符はぴりぴりしている。神社は木札に遠慮している。
「思玲さん、空気が悪くなるからやめてくださいよ。瑞希ちゃんのまわりまでよどんじゃいます」
桜井が俺の肩から俺の肩を持つ。
「こうるさいインコだ」
そう言いながらも、思玲は扇をはらい結界を消す。傷ついた白猫が現れる。ただつらそうだ。
思玲が呪文を唱える。傷ついた異形を治すための祈りらしいが、気休めだそうだ。
「頑張れよ。みんないるからな」
彼女は励ましの言葉を付け足し、白猫の姿を消す――。
俺達は社内片隅にある木製の舞台にいる。さきほどの風雨で濡れて枝葉が散乱している。川田だけは舞台の下の奥ふかくで息をひそめる。今さら結界などに入れるかと言って。
「見まわりに行ってくる」
ドーンは雨あがりの空を飛ぶ。しばらく飛んで戻ってきて、羽根を休めてまた飛ぶをくり返す。今さらじっとしていられるかって感じに。
「哭爸……」
思玲が顔をしかめ人の言葉をつぶやく。「悪態をもらしただけだ。気にするな」
*******
すこし前に彼女は着ていた白シャツを小刀で細長くきざみ、包帯の代わりに俺と桜井に巻かせた。俺はもちろん背中側が担当だったから彼女の傷は見ていない。でも背中にもケロイド状の古傷が三筋、右肩から左腰へと流れていた。
「焔暁という大鴉にやられたものだ」
思玲は裸背を向けながら言った。
「奴の燃える爪は、我が結界さえも切り裂いた。そいつの魂も先日見送った。みごとな刺青だったぞ。強い人だったのだろうな。私どもから目をそらして消えた。……すべての業を受け入れるみたいに」
俺は溶けた流範から浮かびでた人の魂を思いだす。残忍な流範とは思えない、さわやかな青年だった。
「思玲さん、腕をあげてください」
桜井は器用にくちばしを使い、思玲の胸の真ん中に包帯を十字に斜めに結ぶ。
「こんな傷、すぐに消えますよ」
そう励ます桜井を、思玲は鼻で笑う。
「哲人、もっときつく締めろ」と言うぐらいだった。下着をつけて「傷など増えるだけだ」とぽつり言う。
それから彼女は泥だらけの赤いメンズTシャツを着た。夕立にブルーシートをかけただけのフリマの売りものから、一万円札ひとつかみと引き換えにくすめたものらしい。
受けたばかりの傷の上に、雨と泥にまみれた服を着る思玲……。
「そんな大金だと不審がられますよ」
今さらどうにもならないし、そんなこと気にしている状況じゃないのに、俺は口にだしてしまう。
「浄財だ。金額など知るか。……哲人にも持たしておくか」
札束ごと渡そうとするのを拒み、妖怪が金を使う機会はないと思いつつ数枚だけを受けとる。……たしかに浄財だ。人の情念のかたまりなのに、懐に入れても気分が悪くならなかった。
*******
「来るぜ。ママさん達とガキどもが合わせて九人」
ドーンが戻ってきて、木立から俺達を見おろす。思玲が俺に目を向ける。
「任せる。どうするか決めてくれ」
いくら彼女がたてた作戦が大失敗に終わったからって、投げやりすぎる。横根がこんな状態だと言うのに。
「思玲が決めるべきだよね」
肩にいる桜井に同意を求める。インコはあいまいに笑う。
「傷をおったものがいて、気配まるだしのものがいて、紐を食いちぎって警察に追われる愚か者がいて」
思玲がシャツで眼鏡をふきながら言う。さすが魔道士。予備の眼鏡を持ち歩くんだ。
「ここの神に嫌がれているくせに、二手に分かれるのを拒む奴までいる。そいつが決めるのが至極当然だ」
俺のことだ。なんと言われようが、もう五人がばらばらになどなりたくない。でも、この神社で俺と一緒にいると、横根の容態がよくならないかもしれないし。
「大学に戻るなんてどうすか? 大ケヤキの下なら瑞希ちゃんも元気になるかも」
桜井がくちばしを挟む。
たしかにあの木なら。問題はそこまでどうやって行くかだ。
人間の一団が現れる。母親はどうでもいいけど、小さい子供は今の俺達には天敵だ。狼がでたぞの情報は周知されていないのか。
俺は覚悟を決める。
「思玲。申し訳ないですけど、川田と結界で移動してください」
結局は彼女頼みだ。
「いずれこの身が滅びるぞ。瑞希は哲人に任せる」
思玲が立ちあがり、横根の結界を消す。舞台から跳ねおりて、川田を呼ぶ。
片目の狼が顔をだすなり、二人は消える。
「たしか、へとへとになるんだよな」
ドーンが言うように、昨夜結界をまとって歩いたあとの思玲は、立つことさえままならなかった。
「大ケヤキまで頑張ってください」
どこにいるか分からない思玲に声かける。桜井へも声をかける。
「横根を服に匿うよ」
「は? 当然だし! 私に確認することなくね?」
桜井は感情がたかぶると、気配も急上昇する。
「それなら先に行ってるね。まだカラスがいるか見てきてあげる」
一人で行くなよと言う前に、桜井は飛んでいく。ドーンに追いかけるように頼む。あっという間にみんなばらばらだ。
俺は横根をそうっと持ちあげる。腹部の傷から目をそらして、やさしく服の中へ抱えこむ。……人としての魂が伝わってこない。白猫の苦しげな息づかいが聞こえるだけだ。
「もうすぐみんなもとに戻れるよ」
人に戻る手段なんて尽きているのに、励ましの声をかける。今は横根を元気にさせるだけだ。その先は考えようもない。
灰色のちぎれ雲が浮かぶなかを、両手でおなかを抱えながらふわふわと母校をめざす。
まだ時間はある。
次回「わたつみの玉」
 




