六十一の三 プリーズサルベージ
**大蔵司京**
レイプされたみたい。屈辱。喪失感。あらゆる感情が湧きあがる。
「わ、私を異形にしやがった」
終わる直前の夕闇をはかなく感じる。涙がでそう。
「やっぱり大蔵司はすごい。哲人さんや忍とより異形パワーがみなぎる」
青いカチューシャをした下着姿が、浮かびながらつぶやいている。異形パワーってなんだよ。リュックサックで隠すなよ。
「並みの上の青龍パワーだけであるはずない。別のエネジーが補っている。私の違うヴァイタリティがだ。大蔵司がそれを目覚めさせた」
訳わからん理屈を垂らすこいつを殺してやりたい。でも達せられるはずない。異形になったからわかる。太刀打ちできる相手ではない。手のひらを向けられた瞬間、私は消滅する。私の力はドロシーと違うものだ。
「いいから下りてこい」そんな声かけするのさえ必死だ。
「いやだ。こんな格好だと大蔵司は欲情する。変態め、私を青色のブラとパンツだけにしやがって。着替えは3セットだから汚したくなかったのに」
「私より持っている」
「残りはクローゼットだよ。しかも哲人さんをあてにして現金持ってこなかったのに、あまり裕福でなさそう。田舎なのに香港ぐらい狭い部屋に住んでて、ドアが壊れたままだった」
裸足か。足指を舐めたい……。
私も逃亡生活に入る予定だが、この子に半裸でいられると衝動が起きそうで危険だ。
「私のを貸してやるから下りろ」
「さきにだして、あっちを向いていろ」
「……仲直りしてやったのだから、友好的にいこう」
ムカつこうが最低限の口ごたえだけで、手からTシャツとショーパンをだす。松本に覗かれて全裸で追いかけた経験からで、どこに紐づけたか忘れぬようシンプルに両方の親指。
「天然な愛は銀河にひろがる? そこから20ミリオンマイル? 哲人さんが着ていたシャツのプリントを思いだした」
「それも私のかもね。返してもらってない」
黄色人種のくせに英語をすらすら読みやがる。しかしなんちゅう視力……私の手から衣服は消えた。なんで?
「人であった自分に関わるものを手にできないのか。やはり私より人から離れた異形……くやしい、ずるい!」
「ひっ」悲鳴をあげかけてしまった。
「仕方ないからお土産に着替える。振り向いたら当てる」
純粋に怖いので、私は言われたとおりにする。……隊員さん達はまだ気を失っている。起こすべきではないよな。夜の出来事にしておけ。もはやここには人も人の作りしものも現れない。この一帯はすでに異界だ。
私は異形になっても巫女装束だ。青龍の向かいだから……四神獣はなんだっけ? 聞けばまた馬鹿にされる。白い服装のままだから白虎かな。袴は赤いけど朱雀ではない。だって飛べない。
ともかく猫にも鴉にも亀にもならずラッキーだった。人の目に晒された忌むべき人の姿の異形なんて、悪そうで私やドロシーにお似合い。
受けいれるなよ。手になんとかの杖をだす。まずは自分に向ける。……何も変わらない。異形のまま。
「人に戻れ!」声にだして、おのれのへそに杖先を押しつける。
「へっ、異形になると陰辜諸の杖を扱えないんだ。……どっちの手も溶けるどころか熱くない。いよいよ私やばいかも」
「何が?」
「教えない」
「ふうん」
何気ない素振りで振り向く。ドロシーは下着姿でリュックサックを覗いていた。
赤い玉のシンプルなペンダントが胸もとで揺れている。輝くどころか沈んでいる。まさに宝の持ち腐れ。でも火伏せの護符なんてレアアイテムをブラの真ん中に挟んでいる……。
私には分かる。この神様は、異形となり更に意識が高まった私に注目している。ヅラをかぶってないのに、またもドロシーより私を選んでいる。私がこの子に悪意を抱いても発動しないだろう。それでも一人きりで勝てるはずない。悪戯できない。
……なんとなく感じるのは、山の神は私も守りたかったのかも。危なっかしいドロシーの保険でだ。そして私が松本と、どこかにいる最強の敵を倒す。すべての人と神の敵を。
杖にプラスの感情を込めれば松本は強くてかっこいい異形と化す。私はひたすらフォローする。戦う松本を守る。狐に死神――敵の陣営は賢すぎて、三つ巴をつけ込まれる。一番の正義だった大魔導師が倒れる。
でも龍が寝返ってくれる。血みどろの果てに勝利で終わるけど人の世界も私達もぐちゃぐちゃ。貪の高笑いが聞こえ、二人は結ばれることなく……。
キモすぎる妄想だろ。むしろ私は松本をぶっ倒したい。一度だけでも心の底からぶん殴りたい。ドロシーがいるから無理。哲人さん好き好き大好き人間がいる限り。
へへ君を誰にも絶対渡さない言いなりになってもいい人間め。いまは異形だけど。……なおさら怖い。
「悪霊退散!」
なので彼女へ杖を向ける――こいつも人間に戻らない。
「命拾いしたな。本気で怒るところだった。……玉の亀裂が、さっきの哲人さんの背中の傷よりすごい。次が最後だ」
言いながら服を取りだし着替え始める……。
「それは私のだ」
「部屋干ししていたのをお土産に借りただけ。紐で袴を結んで、完了だ」
ルーズに着た(私の)巫女装束。青いカチューシャ。片方の肩にかけた迷彩柄のリュック。すべてが無理やり調和されている。主任巫女として、こんな後輩が欲しかった。
じゅるっ
襲いたくもなってしまった。すなわち消滅しかけた。やっぱり異形でいてはいけない。
ドロシーが耳にかかった肩までの髪を後ろに寄せる。ぞくぞくしてしまった私を見る。
「さあ殺せ」
「またかよ。そもそもマジで冥界へ行けるのか?」
そう言って地面に手を置く。本気で引き上げてやるか……え?
「顔色が変わった。もしかして哲人さんが?」
「逆だよ、呼ばれた。それよりも……、いまの私は送れるかも」
冥界へ。
「殺さずに? すごい、老大大みたいだ。だったら急げ」
「ああ」
こいつが持っている透明ボーリング玉がないと、私は人間に戻れない。こいつを怒らせるのも怖い。いまのこいつが冥界にいる悪しきものどもに負けるはずないから、望み通りにするだけ。
技名を考えないとな。シンプルイズベスト。手に神楽鈴をだす。
「冥封」ドロシーへと鳴らす。
白虎と同じだ。うざい敵を冥界に送りこみバトルそのものを終了させる。……鍛錬を積めば、生身でもこの術を使えるな。それも感じる。
なのにこいつには通用しない。
「グラマラスだ。ちょっとだけ引きずられた」
ドロシーが自分の足もとを見る。
「浮かんでいるからだよ。地面に足をつけて力を抜け。もう一度、冥封!」
「変わらない。力が足りないからだ。もう試すだけ無駄だ」
脱力できないドロシーが私へと歩む。
「やっぱり殺して。自分で死ぬのは怖くて異形でも無理」
「くどい。リスクだらけのことはしない」
「……猫耳め」
「へ?」
「人の形の白虎くずれの分際で口答えするなとは言ってない。男に媚びるスタイルになりやがってとも思ってない」
「はあ?」
「また哲人さんが見つめだしたら、今度こそ貴様をきつく躾けるなんて口にはしない。だけど従え」
「……またやりあうか?」
「だから! 猫耳の大蔵司はおいしそうだけど食べない。それくらい我慢できるって言ってるの! だから私に従え!」
「ひっ」
ドロシーが再び浮かぶ。それだけなのに、私は尻餅してしまう。自分の頭に飾りが乗っているのか、本当に耳が生えているのか確認どころではない。
……松本もドロシーも怖い。這ってでも逃げたい。最強最悪を倒すのは二人に任せる。そもそもそんな敵は、もはやいないかもしれない。
「よ、呼ぶから。松本を呼ぶ。松本哲人、はやく来て!」
そして私を助けて。でも私を見つめないで。
懸命に地面をさする。折坂さんも台輔も戻ってこい。さもないと、みんなの記憶から消えたまま完全に消滅させられるかも。
なのに何も起きない……。起きないけど。
涙がでるほど安堵してしまう。私の手は地面に潜り込んでいた。
「地面から松本を感じる。川田も折坂さんも」
台輔以外のみんなを感じる。
「そして私は潜れる。ドロシーも来て」
「……一緒に向かってくれるんだ、ありがとう。だったら私はあなたを完璧に赦す。折坂にも狸にもあなたを赦させる。あの子にも一緒に謝ろう」
ドロシーが私の背に抱きつく。
「へっ、温かい。私もみんなを感じた。貪までも感じた。ようやく倒せる」
私は感じない。その龍と接点がないからだ。そいつがミミズにもなれず消滅するのを見届けそうだな。
「では行くよ」
掛け声は不要だな。おのれの力で沈むだけ。だけどかっこいい技名をつけて叫ぼう。
「自沈!」
私達二人は地面に吸われる。暗闇に迎えられる。またも冥界などと恐怖を感じる間もなく。
「照らせ!」
辺り一面が紅色に染めつくされる。
「あれっ? やっぱりこの光か。へへ」
青龍であるはずのドロシーが笑う。
**松本哲人**
ポケットにいてもわかる。闇が紅色に照らされた。
ミドリガメは顔だけをだす。川田の巨体。傷だらけの折坂さんも巨人みたい……二の腕や太ももを食いちぎられている。そしてアンデス山脈のようにでかい黒い龍は、光の源を驚愕の目で見あげていた。
巫女装束をヒップホップみたいにだらしなく着たドロシーが浮かんでいた。肩には迷彩柄のリュックサック。頭には青色のカチューシャ。当然異形。もちろんかわいい。
「哲人さんはどこ?」彼女はまずそれを口にする。
「ここだ! 川田のポケット!」
「まだ小さいまま……。川田さんが守ってくれたんだ。だったら哲人さんを殺したのを赦す。次は赦さない」
「たしかに守りながら戦うのは辛かった。松本は姉御に渡す」
川田も安堵している。お前のせいだろ。俺を小荷物みたいに扱うな。
「いいえ。川田さんに任せます。私にはすべきことがある。……貪め。貴様を消滅させるため暗渠まで来た」
目的がすり替わったらしきドロシーが上唇を舐める。
「折坂さん、私も異形になって助けにきました!」
その横でやはり巫女姿の大蔵司が叫ぶ……猫耳のデコレ? あれは本物だ。だって人の耳がないというか、本物の黒髪を左右に垂らしたうえシンプルに後ろで結んで……、なにこれ、やばくね、異形になったらかわいい要素が抽出され凝縮されている。
見つめれば分かる。この人の性根はきっと清楚でひたむきで、その心を蘇らせるのは他でもなく――
「仆街!」
野垂れ死ね?
ドロシーが広東語で汚く罵った。
「くそ! くそくそ! すべて貪のせいだ。そういうことにしてやる!」
あらためて日本語で怒鳴りまくる……。
これぞ雑念遮断。彼女は両手をカニ型にする。
「ゲヒ?」
「噠!!!」
邪悪な龍さえ反論不能。激甚な災害レベルの閃光が放たれた。
「ひいい」
尻尾から黒い血を垂れ流した貪が懸命に避ける。
「噠、噠、噠噠噠! 噠噠噠噠、噠噠!!!」
ブンブンブブブン、ブブブブン、ブブン。
紅色が、暴走族がふかすリズムで放たれた。冥界に苦情が殺到しそうだ。
貪が消えた。代わりに黒い飛竜がいた。小さくなって攻撃をかわしたのか。
「ひいい……。現れる可能性はあった。その前に松本を屠る可能性のが高かった」
暗黒の龍が天上を目指す。人の世界を目指そうとしている――忿怒を感じた。
折坂さんが貪の行く手を遮っていた。その手にはむき出しの日本刀。
「邪魔だ」
貪は巨大化して、折坂さんを飲みこもうとする。
大和獣人は避けない。
「面!」
上段で貪の顔面へ斬りつける。「鼻だった」
「ひいい」
「でかけりゃ当て放題。噠噠噠! 噠噠噠! 噠噠噠噠噠噠噠! ……避けるな、噠!!!!!」
紅色の三三七拍子。そして一本締め。冥界に緊急事態宣言が発せられるぞ。
「ひいい」
貪は必死だ。悲鳴を飲みこみ、また飛竜の姿になる。上だけを目ざす。
「空封」
かわいすぎる猫耳大蔵司が待ちかまえていた。神楽鈴を鳴らす。
「そして逆さ地封」
縄文杉ぐらいあるしめ縄が十字にうねりだし、黒い飛竜に巻きつく。
「ひいい……くそっ」
また貪が巨大化して、傷ついた鼻さきにかかったしめ縄を振りはらう。
「小手!」折坂さんが飛びかかる。「指だった。だが二本切れた」
貪は「ぎひっ」と悲鳴をあげようが天を目ざす。また小さい姿になる。
「逃げるな。だったら特大を当てる」
エスカレートしまくっているドロシーが手をカニ型にする。猫耳をちらり見たあとに、深呼吸して唇を舐める。
大蔵司が全員を置いて一人だけ地上に向かう予感がした。
「姉御やめてくれ。ここで貪を殺すな!」
川田が叫んだ。「肝を喰うのだろ」
「……誰が食う?」
俺は言う。いまさら誰が食べる?
「だったら地上で半殺しにする。冥界でなければ簡単に全殺しもできる」
ドロシーが珍しく日本語の用法を間違えた。
「とにかく封じよう。……ドロシーと大蔵司は死んだの?」
だとしたら混沌だ。
「私を見るな。どちらも生きているよ」
大蔵司はそっぽを向く。「異形なだけニャン。……かってに語尾についたニャン」
……声も後ろ姿もかわいいニャンなんて思うな。ミドリガメであろうとなかろうと、もはや一人だけを思え。危なっかしすぎるその人をひたすら導け。
そのためにミドリガメはポケットから這いだす。紅く照らされた闇に浮かぶ。……一名を除き全員が、人の姿の忌むべき異形か。狂ったパーティだ。伝説の龍でも勝てるはずない。
「姉御、俺はここに残る」
川田が横根みたいに手をあげた。
「だったらテツトちゃんと一晩いればいい」
姉御であるドロシーはまだ俺に怒っている。焼き餅焼かれてちょっと幸せ。
「だめだ。川田も連れていけ。私もだ。そして閉じこめてくれ」
折坂さんが刀を隠すことなく告げる。
「月待つ地上だろうと、いまの大蔵司になら身を任せられる。今夜だけはその姿でいろ。……かわいいが今夜だけだからな」
「そうします! 誉めていただき光栄です! そしてずっと影添大社に忠誠を誓います!」
ニャンがつかないじゃねーかよ。ランダムかよ。はやく語尾につけろよ。なんて思うな。
「俺は大蔵司に身を任せない。……だが身を任せてもらいたいな」
川田が凶悪に笑う。「異形もよく似合うグエッ」
川田が紅色ビームに吹っ飛ばされた!
「川田さん躾けるよ。……だったらはやく戻ろう。王姐が心配だ」
「ニャン。貪に逃げられるまえに……折坂さん。ドロシー。松本。川田もこっちに来い。台輔はいないけど……私とともに地上を目指せ。総員浮上せよ!」
全員の名をあげて、大蔵司が天へと手を向ける。同時に紅色が消えて誰もがいなくなる。
ミドリガメはそれを見送る。冥界は再び虚無に戻る……。俺だけが取り残された。
「ひひひ……松本哲人。人だった異形。儂と憎しみでつながるもの」
老人のいやしい笑い声がした。
次回「リッチ問答」




