三の一 再見できた
ドロシーが俺を見る。俺の着ている服を見て、俺へと微笑む。中庭へと歩を進める。
「アグネスさがれ」
「……はい」
梁勲の厳しい声に、彼女はドロシーとすれ違い屋内へ消える。
梁勲の頬が緩む。
「梓群や。わざわざ爺が日本からの客人を歓迎したんだよ」
はあ? ふざけるなよ。
でもドロシーも笑みを隠せずにいた……六魄を見てかよ。
「なんで哲人さんになついているの? だけど、どいて」
ドロシーが右足を引きずりながら中庭へと入ってくる。六つの黒く揺らぐ魄が、なおさら俺に貼りつく。……凍えそう。
「もう。また私を怖がっている。お爺ちゃん、どうにかしてよ」
「魄さん達は哲人を仲間と思っているみたい」
風軍が梁勲の肩から答える。さきほどの殺意などなかったのような態度で俺へと、「死に憑りつかれているのかな」
「仲間でなく王だ。しかも寛大な王らしい。もはやこいつらは私の命に従わない」
梁勲が浮かんだままのカップをつかみ口をつける。
「松本が命じろ」
「ちょっと待てよ。死につかれているってどういう意味だ?」
死亡宣告を受けたみたいで薄ら寒い。命じるというか頼んでみるか。
「戦いは終わったから離れてくれない?」
六魄たちが俺の背後で整列する。本当に従いやがった。入れ違いにドロシーが俺のもとに来る。雅は入口を見張るように腰を降ろす。
「わお、哲人さんはやっぱりエキゾチック。死に憑りつかれるのは仕方ないよ。峻計、藤川匠、貪……。六個ぐらい憑りつかれて当然だよ」
松葉杖を脇に挟んで両手で俺の右手を握りながら、不吉すぎることを言う。俺の目を微笑みながら覗き込んでくる。
「梓群や、その息子には日本にガールフレンドがいるのだろ?」
梁勲が引きつった声をだした。
「だから? 夏奈さんは素敵な笑顔の素敵な女性。私は奪いあうなんてしない」
ドロシーが俺の手を握ったまま祖父へと目を向ける。
「爺爺が哲人さんを試したのは許す。想像以上だったでしょ。だから哲人さんも十四時茶会に連れていって。今からだよね?」
香港魔道団の合議の場である十四時茶会。名称と違い開催時間は不定らしい。
「魄を引き連れていくのか? 面白い」
梁勲が背筋を伸ばして歩きだす。
「私に押しつけられた悪しき魄を、ようやく厄介払いできた。お礼に連れていってやる。だが梓群は参加できないぞ。これは会の決まりだ。私でもどうにもならない」
「だからって詰問なんかさせない。だったら私は哲人さんと一緒に日本に行く。すべてが終わるまで香港に帰ってこない」
「訳のわからぬ我儘を言うな」
「私が王姐と哲人さんの弁護人になる。王姐は大事な魔道具と式神を私に預けた。それに応えられないならば、ここにいる意味がない。……爺爺、お願い!」
梁勲が困惑した顔をする。
「……仕方ないな。特例で認めさせよう。ただし始まるまで私と一緒にいなさい」
「哲人さんと話をさせないの? 爺爺、十分だけお願い!」
「仕方ないな。では十五分後に始めさせるから遅刻しないようにな」
風軍を肩に乗せた梁勲が去っていく。この人は想像以上に実力者で孫かわいがりの爺馬鹿だ。
中庭は俺とドロシーだけになる。六魄はいるけど。
「好耐冇見」
ドロシーが俺の手を握ったまま人の声で言う。
「すごく久しぶりに感じる。みんなは元気?」
異形の言葉を付け足す。
「ドロシーのおかげでね。以後は何も起きてない」
彼女はちょっと目を伏せる。
「四玉の箱は誰にも作れない。直せないって。あれは底まで狂った天才妖術士だけのものだ」
「だと思ったよ」
申しわけなさげなドロシーへと笑みをかける。そんな気はしていたから平気だ。
***
松葉杖のドロシーに歩調を合わせる。
「こいつらをどうすればいいかな?」
近況報告や茶会対策より、後をついてくる六魄の処分を尋ねる。
「じきに消えるよ。また現れるけど」
ドロシーが杖の先でエレベーターのボタンを押しながら言う。
「六魄ちゃんは人の強さを計る。これでお爺ちゃんも私の話を信じただろうね。だから風軍と手合わせさせた。
あの子はお爺ちゃんの式神で十五番目に強いからうってつけだった。あれより上のだと殺し合いになっちゃうし、アグネスの小鬼ちゃん達が相手だと哲人さんが倒しちゃうしね」
あれは単なる手合わせだったのか。小鬼は消滅させてしまったが、『ちゃん』をつけて呼ぶ人にわざわざ伝えるべきではない。……十五番目?
「風軍のランクは?」
「雛だから星四つぐらいかな。サキトガ程度に勝てなかったし。……なんだか照れてきちゃった。何もない部屋だよ」
それより上が十四体もいるのか。
「ドロシーの祖父だけで貪を倒せる」
「お爺ちゃんでも一度に何体も従えられない。昔から封じられた異形を預かっているだけだから、へへ」
エレベーターがとまり、俺とドロシーが乗りこむ。七階でとまる。開くと六魄達が待っていた。その向こうのドアの前に雅もいる。
「こいつら強いの?」うまくしたら式神的に使えるかも。
「こちらは星二個だけ。いまみたいに霊のようにどこでも出没できる。知性も力も秀でるが自分の力で使えない、魄だけだから。強い魂の指令を待つだけ。
幽霊じゃないこいつらはけだもの系。つまり満月に力を持つ。野放しにしたら誰も御せられなくなる。だから爺爺が式神にしていた。嫌嫌ながら」
そんなものを日本に連れて帰れない。
「ここで待っていて」試しに命じてみる。
「いやだ」
「拒絶する」
「一緒にいたい」
黒い陽炎達が首を横に振る。ドロシーが笑う。
「哲人さんが本気で命令しないからだよ。何かあったら私が助けてあげる。この子達は最近私を怖がっている。――ここが私の部屋。ここで話そう。雅ちゃん、六魄が来ないように見張っていて」
ドロシーが古びたドアを開ける。日本で言う六畳ほどの狭い部屋にベッドと机があった。俺と彼女だけが入る。
インテリアも花もなく、たしかに殺風景だ。ベッドと机とデスクトップパソコンとノートパソコンとノートとスマホの充電器、中が見える小型冷蔵庫ぐらい。クローゼットは閉まっていて、シャワールームの扉もだ。異形な俺はトイレに用事がないから開けることもない。
冷房は緩やかに入ったまま。窓から中庭は見えず、そもそも昼間からカーテンを引いてある。照明は眩しいぐらい。俺の部屋ぐらいの広さで、俺の部屋ぐらい合理的簡素なのも間違いない。女子への褒め言葉にならない。
当然あると思っていたものが見当たらない。両親と幼いドロシーを写した写真。
なにもない部屋。過去も現在もない部屋。
「へえ、女の子の部屋に入るの初めてだ」
無意識に嘘を口にする自分が憎い。
「へへ、なおさら照れちゃう。この建物に住んでいるのは私だけ。もちろん守衛はいるけど、昼もそれほど賑やかにならない。しかも、ここは私専用フロア。ビジネスルームや学習室があるけど、私以外は入れないようにお爺ちゃんが術をかけてある。ボーイフレンドがいたって許可なく連れ込めない。その人がローストチキンになっちゃから。だから若い男性は哲人さんが初めてだ。へへ」
――いつか私も人の世界に帰して
祖母が眠る寺で告げられた言葉を思いだす。こんな場所で一人寝泊まりするドロシー。
サキトガが暴露した彼女の過去の断片も思いだす。幼かったドロシーは、人にあらず力を制御できずにイギリスで何かしでかしたようだ。細かい話を聞けるはずないけど、父母は群衆から彼女をかばい死んだのだろう。それが彼女を『人』恐怖症にした……。
「俺は夏奈たちを助けないとならない。そのためにまだ戦わないとならない」
ベッドに腰かけるドロシーに告げる。
「へへ。哲人さんも人間に戻らないとならない」
そして俺の記憶からドロシーは消える。
「終わったら、いまのままで香港に来るよ。そしたら一緒に人の世界に戻ろう」
ドロシーが俺を見上げる。その瞳に涙があふれだして、寄りかかるように俺へしがみつく。
「その青い目。哲人さんも標的なのを忘れないでね」
……忘れていた。俺のなかにも龍がいる。これがないと完全な龍は生まれない。これがなくなると、俺のなかからドロシーは消える。
「ありがとう」
俺も抱きかえしてしまう。そうしようがおかしくない関係。異形のくせに彼女の温もりが愛しい。
次回「十七時からの十四時茶会」




