四十五の一 剣の所有者 鏡の所有者
「ヒヒヒ、この儂はもはや用なしじゃな。藤川よ。夜半まであと一刻だ」
闇空で鏡を持たぬ老人が笑い、みずからの喉を杖で突く。
苦悶の声とともに消えていく。
空に暗雲が渦巻く。なのに嵐は躊躇している。
「老祖師様、ありがとうございます」
竹林がまた復活する。
「峻計も麗豪様も遅すぎだ」
土壁の気配はない。フサフサばりに神出鬼没だ。
「ちび大カラスが消えかけたとき、人の魂を感じたよ」
藤川匠が剣を肩に飄々と笑う。その背後にサキトガが侍る。
『だから言ったじゃないっすか。あの爺さんの仕業ですよ』
コウモリは飛びながら言う。
『そんで俺は主を置いて逃げませんよ』
あさましい使い魔のくせに殊勝な奴だ。だったら気が変わらないうちに、
「ドロシー!」
俺はコウモリに向けて叫ぶ。
『無理だって』
コウモリが笑う。とどめを刺してやるから地面に降りろ。
『降りねーよ』
予想通りにキキキと笑いやがるだけだ。
「カカ、吹いてみるじゃん」
迦楼羅であるドーンが羽ばたきながら笑う。
「呪いの音色がでたりして」
……あり得るかも。俺達まで巻きこまれるかも。
「それはありふれた魔笛だ。大姐の洒落心だ」
足もとから露泥無の声がした。
「つまり和戸は無理するなと言うことだ。生き延びたければ、僕や横根と一緒にいな。ちなみにドロシーのリュックはあるところに隠してある。新月の使い魔がいるのならば言葉で伝えるべきで、フギャッ」
黒猫と化した闇は、ドーンの投げた横笛を頭に受ける。
「だったら、いらねーよ」
「分かった。真実を教える」
ヨタカが笛をくわえて浮かぶ。「これは吹き手によって万能だ。鍛錬を重ねれば、音律は毒を祓い炎を呼べる。剣とも化す。しかし僕は和戸には戦ってもらいたくない。なぜなら、迦楼羅であろうと一番に無謀で二番目に弱いのは」
「喋っている場合じゃないだろ」
ドーンがヨタカから横笛をひったくる。
「て言うか、瑞希ちゃんのでかい手裏剣は?」
白猫はなにもくわえていないけど、あれは十字羯磨だ。
「き、消えちゃった。また抱かれないと無理かも」
「抱かれるって?」
「ドーンも話が長すぎだ」
川田が二人の会話をさえぎる。
「松本。一番強いのはジジイでなく剣を持つ奴だからな。奴が松本を殺す気でいたら、十回は殺されたぜ」
その回数は言い過ぎだと思うが、たしかに藤川匠は怖い。でも俺が感じる恐怖には、手下が次々と倒されても顔色を変えぬことも含まれる。
「策を伝える」ヨタカが言う。「まず倒すのはサキトガだ。念波を消さないとならない。あの女を救う羽目になるとしてもだ。……松本が呼んでも復活しなかったな。サキトガがもっと弱まらないと無理かもな」
それも分かっている。しかし空を飛べて攻撃を察知する妖魔を、どうやって倒せと言うのだ?
「さっきの大姐の攻撃は、なぜ当たった?」俺の問いに、
「僕がアラートを伝えておいた。だからサキトガが巨体を上空にさらしたのを、はるか彼方を哨戒していた殲は容易に見つけた。即座に波動を放ち、マッハ2.2で追撃に入った。ヨタカである僕を拾ってね」
露泥無がだらだら答える。俺には波動も音速もない。
「しかし弱小な姿で林間に逃げられた。殲の巨体では逆につらい。そしてサキトガは主と合流した。狂気と自棄が寸前の老人とも。……強くて危うい鏡とも」
蛮龍を封じこめた鏡か。俺達には関係ないことだ。まずはドロシー。敵陣営の残りは、藤川匠とサキトガ。俺がカ・アラハミを倒してから、獣人達はあきらかに尻込みしている。楊偉天には竹林と土壁だけ。……あいつが来る前に。
「俺が倒してやら」
ドーンが浮かび上がり笛を鳴らす。
「炎を呼べ」
適当な音律だけど、マジかよ。闇に火焔が渦巻き、サキトガへと向かう。ヨタカがキョキョキョと驚く。
『キキキ』
コウモリは笑っている。いままで飛び交った炎に比べると、とろ火程度だからだ。
ドーンの炎は藤川匠に素手で払われる。靴でもみ消される。その足に、川田が噛みつこうとして避けられる。
残忍な顔で振りかえる狼に、白猫が必死にしがみついている。
「危ないな」
藤川匠が笑う。ケビンなみの身体能力だ。俺など狼が動いたことに横にいながら気づけなかったのに。
「君も測ろう」
藤川匠が破邪の剣をかかげる。森を照らす。……川田がうなる。怯えやがった。
ゾクッ
感じられたけど、よそ見しすぎた。
「ドーン、逃げろ!」
俺は浮かびあがる。ちがうだろ! もう飛べな――
ズシン
ドーンは逃れられたけど、俺は押さえこまれる。またも逆さまの跳ねかえしだ。独鈷杵で突破し、這いでて地面に転がる。……紫色の毒が漂っていた。
加減なき土壁め。たしか笛で毒も――。
迦楼羅は朱色の光に追われていた。
「ゲホ、ドーン、ゲホ、オエ」声がだせない。
ズシン
……またしても逆さの臥龍窟。毒と一緒に閉ざされた。力が抜けていく。
「貪よ」楊偉天の声。「うすのろの若者を連れてきなさい」
舞台の上で、老人が鏡を裏がえす。魔獣のインタリオが口を開く。俺は結界に包まれたまま浮かび、奴の前に転がる。
楊偉天が杖をおろす。何度もおろす。そのたびに結界が厚くなると感じる。俺を締めつける力が強まっていく。なのに悲鳴さえだせない。
「そこで見ていろ」
楊偉天が杖をかかげる。
「藤川よ。白虎くずれの光を消しなさい。それが済んだら二人がかりで松本から光を取りかえすぞ」
かすかであろうが夏奈とつながる青い光。奪われるわけにはいかない。楊偉天が杖をおろす。川田の背中にいた横根が浮かびあがる。
「瑞希ちゃーん!」
迦楼羅が助けに向かい、見えない結界にはじき返される。
「か、川田君!」
横根は叫ぶけど、川田は姿を現した土壁と対峙するだけだ。
「ウホホ、柴犬のガキだったお前と戦っているぜ」
隻腕の男が笑う。
「その姿のお前ともマチで会っている。あの時よりは強そうだな」
「俺は覚えてない」隻眼の狼がうなる。「俺は思いだせない」
あの時に身を張って守った横根に目も向けない。俺は毒にもむせられない。敵をずいぶん倒したのに、生き延びている奴らはやっぱり強い。ずしりと、また結界が上乗せされる。
「松本君どこ? 助けてよ」
白猫が中空で足をばたつかせる。その先では、藤川匠が剣を手に待ちかまえている。俺は動けない。助けも呼べない。
『ドロシー』
心で願う。サキトガは気にもしない。
迦楼羅がまた竹林の結界に跳ねかえされる。笛をかき鳴らす。焦った音色からは、なにも伝わらない。体中がきしむ。毒が内側から蝕む。
『あの爺さんの命令を聞くなんてね』
サキトガはくだらなそうだ。
『それが済んだら俺は貉を探しますよ。土竜になって穴を掘っても、ここから逃げられないでしょうけどね。とっつかまえて四玉を割りますよ。……リュックの中に、匠様にふさわしいものがありますよ。キキキ』
露泥無も陽炎の中に閉ざされている。川田が真正面から突っこみ、毒のかたまりの直撃を受ける。ドーンがハシボソガラスに戻りやがった。
俺の気力は失せていく。
――いい加減、夏奈って呼べよ
まだあがいてやる!
『夏奈あああ!』
俺は声にならない声を絞る。せめて全員そろってやる。
『思玲……』
風が音をたてる。空の闇が深まる。ドーンが迦楼羅へと復活する。
「夏奈、まだだ」
藤川が空へと命じる。風がやむ。夏奈……、こんな奴に従うなよ。
「夏奈。殺すわけじゃないから心配するなよ」
藤川が目のまえの白猫へと剣を向ける。
ゾクッ
俺と、おそらく土壁だけが感づく。
完璧なまでに消した気配から漏れる憎悪。
次回「漆黒の憎悪」




