七の二 夕焼の霹靂
むき出しの玉の上にカラスがいる。ふただけは閉じないと。あの玉を割られたら、きっとドーンはカラスのままだ。箱を壊されたら、スーリンちゃんはおとなに戻れない。
――焔暁様が抜け殻にならなかったら、酒のつまみに一緒に食われただろうにな
抜け殻ってなんだよ。俺は横に転がりながら、四玉の箱にたどりつく。無数のカラスが四方に降りる。背中を喰い散らかされそうだ。でも箱だけは閉めないと……。
「もうやめなさい!」
やさしくも力強い一喝が響いた。
「我々は香港魔道団。異形どもよ、立ち去りなさい」
カラス達が俺の体から飛びたつ。俺はふたをふたつとも閉じて、緋色のサテンをかける。それから仰向けになり、かすむ目を声のもとへ向ける。
山門に、ドロシーとケビンが立っていた。
ドロシーが俺を無表情に見つめている。ケビンは上空を舞うカラスを無表情に見ていた。ケビンだけがずけずけと境内に歩み、握った右拳を斜め上にかかげる。その手に槍が現れる。
「唔好呀」
ドロシーが人の声をつぶやく。意味など分からないけど、これは切願だ。ケビンが槍を持つ手を、さらに天へとかかげる。閃光が目をつらぬく。
バリバリバリバリ
直後にいかづちの轟音が耳を襲う。槍の穂先から幾多の雷光が空へと飛び、異形のカラス達が次々と地面に落ちる……。山門で立ちつくすドロシーもそれを見つめる。カラス達は黒い羽根を残して消えていく。
これが術……。上空で消えたであろうカラスの羽根を妖夢に降る雪のように浴びながら、ケビンが俺へと穂先を向ける。夕焼けがかすかに雲を縁どっている。
「停手!」
ドロシーが叫ぶ。これは絶望だ。おろしたリュックに手を突っこみ、ケビンをにらむ。
「その子まで消したら、私は貴様と刺し違う」
ドロシーは異形への声に変えた。車道をのんきにくだる農機の排ガスが漂う。ケビンが顔をしかめる。
「こいつは台湾の式神かもしれない」
彼女に背を向けたまま、俺をにらんだままで答える。
俺のことだよな。ふざけんなと怒鳴りたい。血が喉にまわり、むせることしかできない。
「だから? あなただけ呼ばれたのでしょ。はやく行って。王思玲が相手とはいえ三人いれば充分」
ドロシーはケビンの背中だけを見ている。「私は本気だよ」
岩のような大男が俺に背をむける。その手から槍が消える。
「そいつを詰問すべきかもな」ケビンがつぶやき、「ガブロ!」と叫ぶ。
山門から、人の耳には聞こえぬ蹄音が聞こえた。駆けこんできた巨大な馬を、ドロシーはよろめきながらも避ける。
装甲をまとった軍馬にケビンが飛び乗り、地面にころがる彼女を見おろす。
「あとは任せた」
ケビンの声を残して馬も人も消える。これが夢物語で聞かされた姿隠しの結界……。俺の意識は途絶える。
***
「大丈夫だから、しっかりして。気を強く持たなきゃ駄目」
目覚めたときは、ドロシーの整った顔が目の前にあった。彼女は異形である俺を抱えていた。
俺を安堵させるために笑みを浮かべる。この子はやっぱりかわいいな……。手水舎の影から覗いても、もはや夕焼け空にはなにも飛んでいない。
「み、みんなは」言いかけた俺を、
「連中を気にしちゃだめ」彼女が押しとめる。
……ドロシー達には他にも仲間がいる。みんなが狩られる。なんとかしたいけど、首の傷口から力が失われていく。
「巡りあえた君達の気配を追えたとしか思えない。ヘヘっ」
ドロシーがはにかんだように笑う。
「君とはどこかで会っている。つまり君が導いたんだよ。もしかして君は早々に這いでてきたかな? どんな化け物だったのかな。今度こそよき異形に導いてあげる。そのために守ってあげる。私がね」
彼女が片側の耳にだけつけたピアスをはずす。小粒な白い玉だ。それを握りしめる。
「我、人でなきもののために捧げる」
ドロシーが目を閉じつぶやきはじめる。
「彼らを畏れ闇に閉じこめし者への恨み、我が引き受けよう。このか弱き精霊のために――」
これは祈りだ。俺のための祈りだ。無心に抱えられていると、彼女の背や首の筋に残る、あの男と対峙した冷や汗さえもこころよく感じてしまう。
『こいつはよき人間だ』
俺のなかの妖怪変化がインプットする。
「もう大丈夫、かさぶたになったよ。君は物の怪系だから、明日の夜にはきっと元気になれる」
ドロシーが俺を抱えたままで笑う。
「ありがとう……」
半日前に散々痛めつけられた相手だ。よき人間であろうと礼を言うのも口惜しい。
俺は彼女の手から離れて浮かびあがる。首に手をまわすと血はとまっていた。でも痛い。ついばめられた背中もあちこち痛いが、たしかに夜を重ねれば復活しそうだ。彼女の祈りのおかげで……。
もっと鮮烈な祈りを受けたことがあるような。半月が浮かぶどこかで。
次回「リュックサックとタクトスティック」




