WEB広告でしか見たことないコミックの世界に転生してしまったので、初手で壺破壊することにした
開幕後しばらくはシリアスっぽいですが、タイトルあらすじからご推察いただけるように本質はギャグです。ご了承ください。
「ごめんねシルヴィ……もう、あなたといっしょにはいられないみたい」
「……お母さま」
死の床にある母の手を取った瞬間、わたしの脳裏を電閃が駆け抜けた。
これまでの16年間とは異なる、もうひとつの“人生”の記憶。知らないのに違和感のない光景。見たことも聞いたこともないのに理解できる言葉。高度な、この世界よりも合理的で、しかし根源的なところで本末転倒な社会。そして“わたし”は――
「お嬢さま!?」
「おいたわしい……」
立ちくらみがしてベッドのわきでへたり込んだわたしを、家政婦長のモニカが支えてくれる。
「休んだほうがいいわね、シルヴィ」
「でも、お母さま」
「わたくしにはもう明日もないわ。だけど、あなたはこのさきも長いのよ」
母の目には、娘であるわたしへの気づかいしかなかった。
突然あふれ出したこの記憶は、どうやらわたしの内部から湧いてきたもので、生命尽きそうな母の手はきっかけにすぎなかったらしい。
モニカたち使用人も、母も、医者も、みな、わたしが最愛のひととの急な別れを受け止めきれずに、ショックを受けているものと思っているようだ。
もちろん、母の突然の不調と、このまま亡くなってしまう、という医師の宣告を平静に受け取れたわけはないが。
ただ……それと“これ”とは、べつだ。
存在しえないはずの記憶の爆発は、わたしを壊したり、ふたつに引き裂いたりはしなかった。自分でも信じられないほど淡々と、わたしは1度目の30年弱の人生と、いまの16年の人生をあわせ持つ、シルヴィ・レーン・パーシヴァルツとしてひとりの人間となっていた。
「お嬢さま、お休みになりますか?」
「ええ……」
「では、こちらへ」
執事のマクシェインにうながされ、わたしは母の寝室から退出すべくドアへと足を向けた。お母さまには申しわけないけれど、この膨大な記憶と情報の意味と利用価値について、ひとりきりでじっくり考えなければ。
……と、まだわたしからは10歩の距離にある寝室のドアが、廊下側から開かれた。
母と目鼻のつくりに共通点こそあれど、派手さで上回り、品位には欠く、そんな貌と雰囲気の女が入ってくる。
「しっかりして、お姉さま!?」
「ファーラ……きてくれたのね」
「あたりまえでしょう! たったひとりの姉が倒れたと聞いて、じっとしていられる妹がいるものですか!」
悲痛そうに聞こえる甲高い声を上げながら、わたしの叔母にあたる、ファーラが母のベッドへ駆け寄っていく。しかし、その目が狡猾げに光ったことを、たしかにわたしは見ていた。
思ったより早くチャンスがやってきた――そう叔母は肚裏でうそぶいている……ような気がした。
ファーラ叔母さまに対する、この意地の悪い見方は、どこからきているのだろう? これまで、わたしたち一家と叔母の関係はとくに悪くなかったのだが。
わたしの前世の記憶にも、叔母さまに関するネガティブな情報はない。というか、わたしシルヴィについて、わがパーシヴァルツ男爵家について、このディンスフェルク大公国について、まったく心あたりがないのだ。
これはいわゆる〈転生〉というやつだろうと、前世のわたしの記憶はすでにわが身に起きた現象について説明をしてくれていた。
ただ、“地球”の過去のいかなる時代でもなく、まして未来ではありえず、プレイしたことのあるゲームの世界でもなければ、鑑賞したフィクションの中にも該当する作品がない。
イベント前提知識がないのなら、手探りになる。
シルヴィとしてのわたしの16年間の経験からわかるのは、ここは地球でいえば15世紀かそこいら、中世の末期か、近世の初頭くらいということ。
地球の15世紀前後と比べると、貨幣の流通はかなり盛んで、服飾に関してはほとんど近代の域まで進歩している。兵隊さんがそろいの制服で行進していて、下働きの女の子たちがメイド服を着ているというのは、地球の中世にはありえなかったことだ。
……ただ、わたしはこれまで、職人の技術の程度やら、農作業の合理化の水準やら、身分制度、政治体制やらには詳しい興味を持ったことがなかった。下級貴族の男爵とはいえ、上流階級のうちには入る。そんなに世の中のことを気にしなくても、毎日の生活に苦労することはなかったのだ。
いまのわたしは、前世の知識を活用する余地を探るため、この世界の文明レベルを見極めなければならない。
「……ありがとうマクシェイン。あなたはお母さまを見守っていて」
「おひとりでだいじょうぶですか、シルヴィお嬢さま」
「わたしの部屋、すぐそこじゃない。あと20歩くらい自分で歩けるわ。お母さまになにかあったら、すぐに報せて」
「承知いたしました」
廊下でマクシェインとわかれて、わたしはゆっくりと自分の部屋へと近寄っていく。マクシェインが母の寝室へ入っていったのを確認して、自室のドアの前はスルーし、足を早めた。
本が必要だな、できるだけ色んな分野の。わたしの部屋には、やくたいもない恋物語しかない。
お話の内容ではなく本そのものを詳しく調べれば、印刷や製本技術についてわかる? べつに前世のわたしだって、技術的な専門職ではなかったじゃないの。説明できるのは概念だけ、具体的に図面を引いたり、理論を提示したりはできない。
廊下の行き止まりを曲がってすぐのところにある、書斎のドアは半開きになっていた。なぜだろうと思っていたら、父が神経質そうに行ったりきたりしているのが隙間から見えた。
……そうとうメンタルやられてるわね、あれは。無理もないけど。
しかし困ったな、これでは本を調べることができない。この世界において、書籍はまだまだ貴重品。下級貴族の邸宅で、まとまった数の本がおいてあるのはもちろん書斎だけだ。
さっきまでのわたしよりも大幅に見識が向上している、いまの状態で父と話してみて、わが男爵家の社会的影響力について探りを入れるのもありかもしれないけど……いや、母の具合に関する話題以外になるわけないな。
そもそも、母の病気はなんだろう?
苦しげな息づかいと青白い顔色からするに、循環器系の問題かな。心臓の疾患か、あるいは悪性の貧血をもたらす――白血病とか。
前世のわたしは医療関係者ではなかったし、仮に医者であろうとも、手術設備もなければ医薬品もないこの状況で、死病の判定を受けている母を助けるのは無理だ。
むしろ、治す方法はわかるのに手段がない歯がゆさに苦悩しなくてすんで、よかったかも。
……でも書斎に入れないとなると、いますぐやれることがなくなってしまった。母のところに戻ったほうがいいかな、と思って廊下をくるりとターンしかけ――90度回ったところで足が止まる。
廊下の角を曲がって書斎のさらにさき、男爵家当主の間の前に、大理石づくりの台座があって、その上に白磁の壺が置かれているのだが。
なにかが、ひっかかる。
あいかわらず書斎の中を行ったりきたりしている父が背を向けたところで、半開きのドアの前を通過、当主の間のほうへ。
立派な大理石の台座の上で偉容をほこるこの壺は、わがパーシヴァルツ男爵家の家宝。ディンスフェルク大公国の国主たる、大公さまより下賜されたものだとか。
底面からなめらかな曲線が縁の近くまでじょじょに膨らんでいくかたちで、逆さまにしたしずく型の、下1/3を断ち切ったような姿をしている。ドラゴンというには胴長の、しかし手足があるのでヘビではないのがあきらかな生き物(要するにこいつは「龍」だと、前世のわたしが解説してくれる)が鮮やかな赤で描かれていて――
「……あっ!?」
思い出した。この壺は……
+++++
3分後、わたしは自室のベッドの上で頭を抱えていた。
「なんでよりにもよって、こんな世界に……」
わたしの前世が生きていたのは、21世紀も序盤は終わろうとしていたころの地球であり、そのうちの1邦国である日本。
日々の支払いから、家族友人との会話やテキストメッセージのやり取りや仕事の連絡、バスや電車の乗車券、読書や音楽鑑賞に観劇、健康やスケジュールの管理にいたるまで、“スマホ”ひとつに集約されつつあった時代だ。
当然わたしにとってもスマホは必需品だった。
さて、スマホを使っていると、代金を支払っていてもいなくても、しょっちゅう「広告」が出てくる。たいていの場合、ブロック機能を使って用のない広告が現れないようにしていたが、たまに見るしかないときがある。
課金するか広告を見るかの2択のときとか、広告を見るとポイントもらえるときとか。
広告の大半は通販の宣伝で、9割ゴミかぼったくり、たまーに以前買ったことのある商品のセールを教えてくれたりもするけど、まあ見る価値はほぼない。
それのつぎくらいに多いのが、ウェブコミックの広告だ。静止画だけではなく、何コマかスクロールしたり、2、3ページ分ほど場面が切り替わったりするやつもある。
現在わたしがシルヴィ・レーン・パーシヴァルツとして存在しているのは、そのうちのひとつ。
中身を読んだことがない、広告でチラ見しただけの世界だ。
「むしろ、一切なにも先入観ない世界のほうがよかったまであるんじゃないのこれ……」
タイトルすら記憶にない。静止画タイプと違って、スクロールしたり場面切り替わったりする広告は、タイトルはすみっこだったり、スクロールや切り替えの一番最後に細かい字で載っているだけのことが多いからだ。
シルヴィという名前も、広告の範囲に含まれていたかさだかでなかった。印象に残っていたのは壺だけ。
見憶えがあると気がついてしまったからにはしかたない。このさきに役立つ情報がなかったか、可能な限り記憶を掘り起こしてみよう。
「ええっと、どんな感じだったかな……」
〜〜〜〜〜
貴族の家に生まれたが(たしかベッドに横たわる母の絵があったかな)
継母にメイド扱いされ(ファーラ叔母さまいた! ……ていうか後妻に収まるのか。父ェ……)
こき使われる毎日(粗末な食事の絵があったな。……わたし、これから虐げられるの!?)
壺を割ってしまって…(壺のコマのつぎが、絶望顔の主人公……つまりわたしと、鬼の形相の継母ファーラだったか)
〜〜〜〜〜
「……これでどうすりゃいいの?」
思い出せはしたものの、見事に中途半端、肝心なところがわからない。本編ページに誘導するための広告なんだから、あたり前だけど。
とにかく重要なのは、ファーラ叔母さまはわたしの敵になるということか。
壺を見る前から叔母さまに対する警戒心がなんとなく芽生えていたのは、広告の内容を無意識のうちに思い出してたからかも。
この、わずかで断片的な情報で、今後どうするか……。
母の死を回避する、というのはもう不可能だろう。この世界に治癒魔法はないのだ。母が倒れる前に前世の知識を思い出せていたら、なにか手があったかもしれないけど。
ならば、父の再婚を思いとどまらせるか。それならどうにかできそうな……
そこで、わたしの部屋のドアを激しくノックする音がしてきた。マクシェインの声がする。
「お嬢さま、シルヴィさま! 奥さま……ヴィーアさまが……!!」
「すぐいくわ!」
それどころじゃないか。
いまのわたしにとって、お母さまはひとりだけだ。前世の母親はまあ客観的に見て毒親といえたかもしれないけど、それはいまのわたしが情を薄くする理由にはならない。むしろ、前世のわたしにとっても、よりお母さまのことが愛おしく思えるんじゃないの?
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母と最期のお別れをすることはできた。
父もまた、涙を流しながら最期まで母の手を握っていたのだが……関係各所へ訃報を送ったり、葬儀の準備をする段になって、自室にこもって出てこなくなってしまった。
しかたがないので、実務はマクシェインとモニカにだいたいやってもらいつつ、わたしが実質パーシヴァルツ家代表として葬儀を取り仕切ったのだけれど。
……母の葬儀ともろもろのごたごたが片づいたとき、喪服の父のとなりに、当然のような顔で寄り添っていたのは叔母だった。
なんたる手回しの早さと、図々しさ。
わたしのみならず、呆れ顔のマクシェインやモニカはじめとする使用人たちを前に、父はいくらかバツが悪そうな態度ながらもぬけぬけと言い放った。
「ヴィーアのことは残念であり、沈痛の極みだが……ファーラが、姉に成り代わってこのパーシヴァルツ男爵家を支えてくれるという、その真心に、私は翼をもがれたような痛みが癒やされる思いになった」
「姉は、男の子を生むことができなかったことを、以前から悔やんでいたの。最期にわたくしへこう言い遺したわ……ヘンリックをよろしく、と」
さらにファーラも(そろそろ叔母「さま」とつけるのはやめようと思う)、いかにも自分の意志というわけではない、故人の頼みだからやむをえず、という感じで薄っぺらなセリフを吐いた。
マクシェインだけではなく、モニカも叔母の言に眉を吊り上げた。母がそんなことをいうわけがないと、ずっと仕えていたふたりにはわかっている。
母が倒れてからずっと、マクシェインとモニカ、常にそのどちらかが彼女の枕もとについていた。母と見舞客の会話は全部聞いているのだ。
……とはいえ、この世界に録音機はないから、言った言わないの水かけ論に決定的な証拠は出せない。
これは、母の死に動揺しすぎて心の隙をさらしまくった父が悪いとしかいいようがないだろう。そして、わたしとマクシェインやモニカが、葬儀の準備や進行で手一杯になっていた機を逃さなかった、叔母の抜け目なさを見事と褒めておくしかあるまい。
わたしは父へ冷めた目を向け、淡々と告げる。
「お父さまと叔母さまが再婚なさるとおっしゃるなら、反対はしません。ただ、世間体というのはありますから、正式な結婚は、喪が明けてからにしてくださいね」
「そ、そうだな……。すまんシルヴィ、おまえにも、ひと言くらい相談すればよかった」
いや絶対事前にわたしと話す覚悟なんかなかったでしょ。どうせ叔母も、父がだれかに相談しようとするの邪魔したんだろうし。
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そこからの展開は早かった。
ファーラは、パーシヴァルツ男爵家の資産を、自分の莫大な借金の抵当に入れていて、屋敷を残して農地はあっという間に差し押さえられた。給金の支払いも止まって、使用人たちはつぎつぎと暇を取って出ていってしまった。
……いったい、なにに使ったのよこんな大金?
無給でしばらく頑張ってくれていたマクシェインも、書類仕事があらかた片づいたところで、とうとうわたしの部屋へ別れのあいさつに訪れた。
「お嬢さま……まことに、心苦しい限りでありますが……」
「いいのよ、気にしないで。今日までありがとう、無給で3ヶ月も仕事させちゃってごめんね。つぎは決まってるの?」
「はい。ラグランディウス侯爵閣下より、本邸の執事補としてお招きいただいております」
「大出世じゃない。男爵家の執事なんて、侯爵家に行ったらふつうは従僕からよ」
「まことに、ありがたいお話でして。旦那さまが、侯爵閣下に直接紹介状をお渡ししてくださったおかげです」
「あのボンクラも、一番の忠臣に報いる気持ちくらいは残ってたのね」
不肖のダメ親父にも人の心はまだあったか、とわたしがため息をつくと、マクシェインは気づかわしげな目でこっちを見た。
「お嬢さまは、このままお屋敷に残られるおつもりなのですか?」
「ああ、心配してくれてありがと。完全に沈む前に泥舟からは抜けるつもりよ」
「なにかありましたら、いつでも、ご連絡をください。奥さまとお嬢さまより賜ったご恩、このマクシェイン、生涯忘れることはございません」
「もしかしたら、ひとを紹介してほしいとか、頼むことあるかもしれない。それじゃ、元気でね。そのうちまた会いましょ」
「お嬢さま……シルヴィさまも、どうかお元気で」
深々とお辞儀をしてから、マクシェインは立ち去っていった。これで、男爵家のものとしては広いほうの屋敷は、ほぼ空っぽだ。
……さて、ここまでは、タイトルもわからないシルヴィの物語を描いたコミックからすれば、まだ開幕1、2ページの範囲だろう。
ようやく実家の没落完了で、わたしの逆境ははじまってもいないのだ。
人が減って静かになった上に、廊下から絨毯がはぎ取られた(借金のカタに持っていかれたのだ)ことで、足音がよく聞こえる。
ノックもなしでわたしの部屋のドアが開かれ、思ったとおり、ファーラが入ってきた。
「なにかご用かしら、叔母さま?」
「お継母さまと呼びなさい。躾けの悪い」
「躾けですか。まだ男爵夫人にもなっていないのに、勝手に他人の家の財貨を処分しているひとの口からそんな言葉が出るとか、意外ですね」
面憎い言いざまのわたしに、叔母はほおをヒクつかせつつも、持ってきた服をベッドの上に放った。
給金未払いで出ていったメイドのだれかが使っていたのだろう、お古のお仕着せだ。
「着替えなさい。おまえのドレスは処分することになっていますから」
「わたしのドレスなんて、全部合わせたところで大した額にもならないと思いますけど? 叔母さまの、そのお綺麗なお服ほど凝った仕立てでもありませんし」
しゃらくさいセリフを吐きながらも、わたしはささっとメイド服に着替えていく。わたしの前世の部分が、一度ホンモノのメイド服を着てみたかったと熱意満々だったので。
……丈がちょっとだけ短いけど、ほぼぴったりだった。わたしと一番背格好が近かったメイドというと、リィナのかな?
目寸法だけで、古着を直しなしのジャストサイズで見繕うとか、面白い才能あるじゃないのファーラさん?
わたしが従順なのか反抗的なのか、言動が不整合すぎて判断がつかないでいるようで、叔母はドレスを回収しながら、脅しつけるともなだめるともつかぬ口調でこういった。
「おまえはわたくしにとって姪、できれば穏便にすませてあげたいと思っているのよ」
「叔母さまにお手間はかけないつもりですから。どうぞご勝手に」
「おぞましい子……いったいだれに似たのかしら」
不気味なものを見る目をこちらへ向けつつ、パーティ用のものと、わたしがいま脱いだばかりのものを含む、ふだんづかいとしては上等なドレスをまとめて、叔母は部屋から出ていった。
……まあたしかに、優しかった母と、小心者の父、両親から受け継いだ素のままのわたしはもういない。しかし、姉ヴィーアの美点をなにひとつ持ち合わせていないファーラに言われるのは、噴飯ものだ。
タイトル不詳の原作コミック(の広告)によると、メイド姿になったわたしは、これから叔母によって実際にメイド扱いされこき使われる。そして掃除中かなにかのときに、家宝の壺を割ってしまうのだが……そのさきについてはわからない。
わからないが、とにかく壺を割ることで、主人公シルヴィ、つまりわたしの運命は大きく変わるはず。
何日もメイドの仕事をしたり、残飯同然の食事をする気なんかない。確定情報としてわかっている不遇展開は、さっさとスキップすべきだろう。
「よし……やるか」
+++++
わたしは鼻歌交じりに、屋敷の廊下をモップがけしていた。
絨毯が撤去されたおかげで、モップで拭き掃除をすれば一発で終わるから、掃除するがわとしては楽ちんである。
……しかし、原作のわたしは、どうして叔母にいいように使われていたのだろうか。外でひとりでやっていく自信がなかったのかな?
苦労も世間も知らぬ16歳の貴族の小娘に、叔母であり継母となったファーラに逆らう勇気はなかったのかもしれない。以前の自分は、そんなに弱かっただろうか? これも、前世ぶんの経験値と図太さが身についたから思えることなのかしら。
以前は母の部屋だったところの前をとおりすぎると、ドアが半開きになってファーラが顔をのぞかせた。ぎょっとした目になっている叔母へ、にっこりと微笑んでやる。
どうして驚くのかしら? こうやってこき使うつもりだったんでしょう?
そのまま自分の部屋の前をすぎ、角を曲がって書斎にさしかかって……わたしはギアを上げ、ダッシュモップがけに切り替える。
当主の間までは25歩、大理石づくりの台座の上の、家宝の壺目がけ――!!
「おりゃあぁぁあああッ!!!」
床からモップを跳ね上げ、フルスイーーーーーングッッ!!!!!
ぱごーんっ!!!
「……え??」
割れないッ??!!!!
たしかにモップのブラシ部分は直撃し、台座の上から龍の描かれた白磁の壺は吹っ飛んで、壁に当たり床に当たり、さらに逆サイドの壁に当たって廊下の上を転がっていったのだが。
「無傷て……」
ちょっとまってよ原作のわたし。どうやって破壊したんだ?
家宝だったので、じつはこれまで見るばかりで触ったことがなかった。拾い上げてみると、ずっしり重くて間違いなく磁器の質感だ。あきらかワレモノ注意。
「どういうことよ……。っらあ!砕けろォォッ!!!!」
壺を両手で持って、大理石の台座目がけて投擲!
げぎゃあんんんっ!!!
鈍い音が壺の空洞に反響しながら轟く。だがやはり割れない。ていうか大理石のほうが欠けた!?
「な……」
割れない壺だと……?!
床に転がる壺を拾い上げ、たしかにキズひとつついていないことを確認する。
「ふふふ……うふふふふふ……」
わたしはあらためて元の台座の上に置き直した。腰の高さの台座の上、そこに置かれた壺口の縁は、だいたいわたしの胸の位置。
わたしは半笑いを浮かべながら、廊下の終点へと歩を進めた。
割れぬなら 割ってみせよう そこの壺
廊下の終点には、置物の甲冑がある。油注せば、使おうと思えば使える現役品らしいけど、完全にオブジェ。重たい上に大した値もつかないからだろう、まだ借金のカタに持ち去られていない。
儀仗の構えの甲冑は、剣も持っている。固着して動きが悪くなっているガントレットを揉みながら指をほどいて、剣をもぎ取った。刃は鈍くなっているだろうが、本身。
わたしは前世で中高と剣道をやっていた。センスのあるほうじゃなかったけど、高1のときに飛び込み面一本槍で県大会優勝までいって、地方紙には載ったものだ。
ネタバレしたから地方大会は初戦敗退。以降県大会も3回戦止まりになったが。
「真剣だったら初見で全員死ぬから無敗だったな」
と顧問は笑っていた。
シルヴィに武芸の経験なんかないけど、ダンスのレッスンはしてたから体幹はそこそこ。ひと太刀なら撃てるだろう。
竹刀に反りはないから、勝手としては洋風の直剣に違和感はさほどない。
青眼に構え、間合に飛び込みながら振り上げて――打ち下ろす!
「ツェーーーーーーンッッ!!!」
メーン! って言いにくいよね。てか気合入りにくいからテーンだのケーンだのセーンだのに聞こえるようになる。
竹刀より重たい本身の剣のおかげもあったか、シルヴィとしては生涯初の剣撃とは思えないほどきれいに斬り下ろせた。刃筋がまったくブレることなく、ド垂直に決まる。唐竹割りとしては理想的。
会心の一刀を食らった割れない壺は――欠けたり砕けたりではなく、かといって相変わらずの無傷でもなく、まっぷたつに斬り裂かれた。
からんからん……。
開きになって床に転がる壺を前に、剣を仮想の鞘に納めて、蹲踞。
勝った。
冷静に考えるとなんの勝負だったのかわかんないけど。
いやしかし、つい竹刀と同じ感覚ではばき元握っちゃったけど、全然だいじょうぶだな、完全になまくらになってる。よくこれで壺まっぷたつに斬れたわ。
剣を手から提げて立ち上がったところ、廊下の向こう、書斎のほうの角から、叔母が顔を半分だけ出してこっちを見ているのに気がついた。……父も。
そりゃまあ、あれだけ壺ぶん投げたり絶叫してたら聞こえるか。
「シルヴィ……その壺を……斬ったのか?」
父の第一声はなんかおかしいというか、問い正すべきはそこじゃないと思うのだが、わたしは素直にうなずいた。
「ああハイ、このとおり。モップで殴っても大理石に叩きつけても割れなかったんで、つい」
まっぷたつになっている壺をわたしが指差すと、叔母が金切り声を上げた。
「わ……わたくしの壺!? 500万デナリの抵当が!!?」
「なにを言っとるんだファーラ。あの壺は大公さまより賜ったものだぞ、3000万は下らん」
「3000ま……それなら、なおさらでしょう! シルヴィが壊してしまって!? どうなさるのよあなた?!!!」
家宝にいたるまでわが男爵家のものをすべて私物視している叔母の舐め腐った根性もさることながら、父の応えはどうにもズレていた。
「その壺は、単なる財宝としてわが一族に与えられたものではないのだ。シルヴィ、よくやった。大公さまにご報告へ上がるとしよう、おまえもきなさい」
……はい???
意味のわかんないことを! どんなストーリーだったのよ原作?!!
わたしは剣を持ったままつかつかと廊下を歩いて、父と叔母のわきをスルーし、地上階への階段へ向かう。
父の間抜けな声が追ってきた。
「いやいやシルヴィ、気が早いぞ、せめて着替えなさい。大公殿下にお目通りするのに、メイドの格好というわけにはいかん」
「わたしの服、もうないですよ。叔母さまが全部売り払ってしまいましたから。それにわたしは、お父さまやこのパーシヴァルツ男爵家のために壺を斬ったわけじゃありません。大公さまのご都合もあずかり知らぬこと」
「なんだと!? ファーラ、なんということを!」
「梱包しただけで、まだ引き取りにはきていないけれど……」
「早く引っ張り出してこい! ……まて、待ちなさいシルヴィ!」
待ちませんよ。
原作ルートから一歩足踏み外したとたんにgdgdの極みって、どうなってんのよこの世界は。イレギュラー対策はないのか?
つき合ってられん。
抜き身のなまくらを手に、メイド服のまま、わたしは16年間暮らした屋敷をあとに外へと飛び出した。
・・・・・
わたしは不殺の最強メイド剣豪として、ディンスフェルク大公国のみならず周辺諸国中にその名を轟かせ、最終的にはマクシェインに口利きをしてもらい、ラグランディウス侯爵家本邸の家政婦長(メイド仕事には一切ノータッチの実質警備主任)に収まった。
いまの日課は、きちんとしたものに造り直した母のお墓にお花を供えること。
わたしが各地で無頼行脚しているあいだに、叔母のファーラは借金で首が回らなくなって破産したそうだ。男爵邸を完全に乗っ取ったら、社交クラブに改装するつもりだったとかで、あの壺を担保に3000万まで引き出せていたら、もしかするとうまくいっていたのかもしれない。
父は叔母とも別れ、爵位を売って小金を確保し、ほそぼそやっているとのことだ。3度目の結婚をしたそうで、あの情けない男の面倒を見たがる女は何故か尽きないらしい。わからん。
侯爵邸の口さがないメイドたちのうわさ話によれば、ラグランディウス閣下のご長男であるルパートさまがわたしにご執心だとか、大公さまも大公さまで、跡取り息子の妻としてわたしを迎え入れるためにあれこれ根回ししているとか。
まあ、どっちにしたところで、わたしから一本取れたらの話だけどね。
どうにも気になるのは、原作でのシルヴィは、あのアホほど頑丈な壺をどうやって割ったのか、壺破壊によってドアマット生活から脱し、やっぱり無双譚を歩むことになったのか、それとも、ぜんぜん違うお話だったのか――? そんなことばかりだ。
いまとなっては、確認する方法がないわけなんだけど。
つづかない