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春分五 護民官の自宅

 「さて、君の住むところはなるべく早く手配するが、今日はもう遅い。とりあえずうちに泊まっていくかい。」

 「お気遣い、ありがとうございます。行く当てもありませんので、お世話になって良いでしょうか。」

 鈴木は頭を下げた。

 「いいってことさ。困ったときはお互い様だよ。君も今日は大変だったね。」

 護民官は穏やかに笑い、鈴木と一緒に会議室を出た。そして隣の部屋の扉から中を覗き込み、声をかけた。

 「お疲れ様。俺は異世界からのお客さんを連れて家に帰るよ。みんなもあんまり残業しないで早く帰ってくれよ。」

 なかなか良い上司なんだなと鈴木は思った。


 市役所を出て歩いていると、だんだんオフィスの建物が減ってきて、住宅が増えてきた。

 このあたりは鉄筋の建物は少なく、木造の住宅が多かった。その中の木造の二階建ての家の前で護民官は立ち止まり、少し緊張した面持ちで鈴木に顔を向けた。

 「あー、勝手にうちに人を連れてきたんで、内儀かみさんは少し怒ると思うんだが、君は気にしないでくれ。」

 そして意を決した様子で護民官が玄関の格子戸を開けると、良く通る張りのある女性の声が聞こえた。

 「おかえり!今日は遅かったね。」

 奥から出てきたのは、一見若い印象だが、妙な落ち着きもある不思議な感じの人だった。

 藍に千歳せんざい茶や紅樺色を利かせた矢鱈縞の着物に小町鼠の半衿、鶸茶の半幅を吉弥に結んでいて、着物に詳しくない鈴木の目にも、何だか粋な感じがした。

 「おや、また異人さんを連れてきたのかい。うちは宿屋じゃないんだよ。」

 「すまん。手続きは急ぐけど、市営住宅にはまだ入居できないし、事情の分からない人をいきなり普通の宿に放り込むわけにもいかないだろ。」

 「だけど頭と尻尾だけ作って仕組みでございはおかしいだろう。人の親切を最初っからあてにしてるんじゃ、続かないね。大体、知らない人を家に入れたくないって人も増えてんだし、うちだっていつまでも世話してられないよ。」

 奥さんは護民官に指を突き付けて、まくしたてた。

 だが、その後で鈴木には笑顔を向けてくれた。

 「ああ、気にしないでおくれ。お前さんは何も悪くないさ。この人が事前に相談もしないから、ちょっとお灸を据えたいだけなんだよ。」

 「こっちの世界にはいつ来たんだい。いきなりのことで大変だったろう。このとおり何もない家だけど、どうぞ上がっとくれ。」

 一礼をして、鈴木は玄関で靴を脱いだ。奥さんは夫には怒っても、自分に当たるつもりはないみたいで安心した。

 廊下を抜け、案内された畳敷きの和室に入った。

 鈴木の住んでいた家は洋室ばかりなので、畳の匂いは久しぶりだった。畳表の井草の匂いは田舎のおばあちゃんの家みたいで、どこか懐かしい気がした。

 「今日はここで寝るといいよ。うちは急な客もあるから、一応、来客用の布団も押し入れに入れてあるんだ。押し入れには浴衣も入れてるから、風呂を浴びたら着替えると良いよ。」

 「ありがとうございます。」と鈴木が頭を下げると、こんな訳の分からない状態になっても礼儀正しいなんて、きっと良い教育を受けたんだねと褒められた。


 案内してもらった守恒家の風呂は広くはないが、驚いたことに檜風呂だった。

 檜の香しい匂いに包まれながら風呂に入ると、心の疲れまでとれるような気がした。

 風呂を出て部屋に戻ると、鈴木は押し入れから布団を出した。和室に布団を敷くなんて久しぶりで、修学旅行を思い出した。

よく見ると、和室の端には木箱が三つほど置かれ、布に包まれた細長いものが、いくつか立ててある。何が入ってるんだろうと鈴木は不思議に思った。

 布団に入ると、今日の出来事が脳裏に浮かんできた。

 あまりにも想像できないことが続いて、どうにも現実感がない。

 だが、どうやら本当に異世界に来たらしい。いきなり知らない世界には来たのは心細いが、言葉は通じるし、ここも日本のようだ。異世界人を保護する制度もあるみたいだから、行き倒れる心配はないだろう。

 それにしても、着物はきちんと手入れすれば代々使えるとは知らなかったな。現代の日本では大量の服がゴミとして捨てられている。着物は洋服よりよほどSDGsなんじゃないかな。もしかすると、着物が時代遅れというのは思い込みなのかもしれないと鈴木は思った。

 これまで深く考えたことはなかったけど、鎖国を止めて開国した後、進んだ西洋の技術を取り入れるのは分かるものの、どうして日本の文化を捨てて生活を西洋化する必要があったんだろう。

 いろいろと考えているうちに、いつしか鈴木は深い眠りに落ちた。


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