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外伝2 くらしの音 くらしの味

「甘味処 千代木」の台所を預かるのは、甘味づくりの名人・おイネさん。肥前・五島に生まれ、博多に移り住んで二十年。そんなおイネさんの人生と、千代木で働き始めるいきさつを、甘味と季節の風情にのせて。*付きの言葉は、注釈ページがあります。

 表通りから一本奥に入った、小さな商店が立ち並ぶ町筋の朝。どの店の前も掃き清められ、打ち水がされている。その清々しい空気の中を、米屋や乾物屋、仕入れ帰りの八百屋の荷車が行き交う。空の桶を担いでいるのは、朝餉向けの商売をしている棒手振り(*1)。蜆売りや豆腐売り、それにおきゅうと売り(*2)。それぞれ一仕事終えて、振売り仲間で話しながら歩いていく。貸本屋の店先には朝顔の鉢。惣菜屋からはがめ煮(*3)の甘辛い匂いが漂ってくる。もうすぐ町全体が動き出す、地に足ついた明るい活気に満ちた時間だ。

 この町筋の人たちとも、すっかり顔なじみになった。魚屋のおかみさんが声をかけてくる。

「おイネさん、おはよう。今日も早かねえ。」

「おはよう。暑うなってきたねえ。」

「ほんとほんと。魚屋にはきつか時分ばい。」

「氷がもっと安うなると良かけどねえ。」

「夏の氷が高いのは道理やけんねえ。」

 そんな話をそこここで交わしながら、仕事場まで歩いていく。白い漆喰壁に濃い栗色の格子戸。三寸ほど開いた扉の隙間から、白麻の長暖簾が覗いている。暖簾には隅に小さく「甘味処 千代木」の文字、そして一枝の若松が描き添えてある。

 私は格子戸を開けて暖簾をはね、奥に声をかける。

「奥様、おはようございます。」

「ああ、おイネさん、おはよう。」

「奥様」はこの店の持ち主、つまり私の雇い主で、名を千歳とおいいなさる。ほっそりと小柄でまだ歳若く見えるのに、口を開けば渋みのある声、物腰にもどこか貫禄があって、時々、私と親子ほど歳が離れていることを忘れてしまう。

「寒天は戻しといたし、白玉粉もさっき届いたから。」

「分かりました。」

「そういえば、今月から出してる飴湯の評判は?」

飴湯というのは生姜入りの熱い飲み物で、大阪あたりでは夏の定番らしい。試しに作ってみたら、なるほど、ほんのり甘い中に生姜が効いて暑気払いにはうってつけだ。

「よう売れとりますよ。こげな蒸し暑か時節に飲みたいもんは、大阪も博多も違いはなか、いうことでしょう。」

「そりゃ良かった。違う生姜も試したいとかあったら、遠慮なく言っとくれ。」

 奥様はそう言いながら縞木綿の引張りを脱いだ。濃藍の地に若芽色(*4)の枝垂れ柳の絽のきもの、蛇の目傘を描いた月白色(*5)の帯に銀細工のかえるの帯留―。夏の透けるきものは薄い色より濃い色のほうが絽目(*6)が引き立って涼しげに見える、というのが奥様の持論で、実際、どんな夏の盛りも暑そうな様子を見たことがない。

「出稽古(*7)ですか。」

「清元の姉弟子が夏風邪ひいちまってね、急に頼まれたんだよ。」

 奥様は小上がりに腰かけ、風呂敷包みを広げて荷物を確かめながら後ろを振り返った。

「おいねさん、おはようございます。」

と声がして、衝立の陰から小さくて丸い顔が現れた。

「およ、めいちゃん。そこにおりんしゃったと。」

 めいちゃんは奥様の一人娘で、生まれる前からの付き合いだ。早いもので、今は小学生。奥様は、少し回り道になるけど、学校まで送ってから姉弟子さんの稽古場に向かうという。

「いつ頃お帰りで。」

「昼過ぎには戻るよ。」

奥様はするりと紗羽織を着ると、左に風呂敷を抱え、右手はめいちゃんとつないだ。

「それじゃ、頼みます。」

「お気をつけて。」

 奥様とめいちゃんの後ろ姿を見送って引き戸を閉め、襷をかけて、前掛けの紐をぎゅっと結び、自分に気合を入れる。

「さー、今日も一日頑張らないとね(ひーじゅぎばらんばね)。」


 千代木ここは甘味処だから、あんこがなければ始まらない。まずは洗った小豆を水と一緒に鍋に入れ、火にかける。小豆が少しふっくらしてきたら、煮汁を捨ててさっと洗い、水を新しくしてさらに煮る。何度か繰り返して、気長にゆっくりと、ことこと煮る。

小豆が煮上がるまでの間、他のものの支度も進める。寒天の戻り具合を確かめて、半分を鍋で煮溶かし、そのまた半分を流し缶に流す。鍋に残した寒天液には梅酒と砂糖を加えて煮直し、少し柔らかめの変わり羊羹にする。変わり羊羹は春と夏だけ出す品で、春は桜の花の塩漬けと道明寺粉の桜羹、盛夏は青柚子羹で、今の時期は梅酒羹だ。

 飴湯のもともつくる。生姜を丁寧に洗い、皮つきのまますりおろし、搾る。搾りかすを水で煮て一度漉し、搾り汁と水飴を加えて煮詰め、粗熱がとれたら瓶に移しておく。こうしておくと、注文ごとに水で割って火を入れ直すだけ、手早く出せるというわけだ。

そうこうしている間に小豆が柔らかく煮えてくる。小豆を新しい水に晒してざるに空け、ここからは餡づくりに集中する。小豆を鍋に戻して砂糖を加えて火にかける。砂糖を小豆にまんべんなく行き渡らせて、焦がさぬよう、小豆を潰しすぎぬよう、慎重に杓文字で混ぜながら水気を飛ばしていく。できあがったあんこは、おむすびくらいの塊に分けて大皿で冷ます。取っておいた寒天と水、できたてのあんこで水羊羹も作る。あとは求肥を作って、だいたいの支度は調った。

 まだ氷箱(*8)に入れられないものを蝿帳(*9)にしまい、窓を少し開けて空気を入れ替える。外も涼しくはないけど、店にこもった湿気を追い出したほうが過ごしやすい。椅子に腰かけ、手拭いで額の汗を拭き、店の中を見渡す。入口近くの棚に、童型の博多人形が飾ってある。ねじり鉢巻に水法被(*10)、短いあんよで仁王立ち、ふくふくとした腕を組んで勇ましげだ。

 ―ああ、もうすぐ山笠か。表通りの大店のごりょんさん(*11)も一段と忙しくなるから、普段以上に出前の捌きをよくしないと…相棒の千恵ちゃんは多めに出てきてくれるかな。

そういえば、山笠を見るのは今年で何度目だろう……博多にこんなに長く住むことになるなんて、初めて来た日には思いもしなかった。

窓 から朝の名残の心地よい風が入って来る。過ぎた歳月の長さに、私は目をつぶった。



 私は、肥前は五島の漁師の家に、六人きょうだいの五番目として生まれた。漁師の子なのに「イネ」と名付けたのは長兄で、一生食べるのに困らず、実りの多い人生になるように、という意味だと聞いている。物心ついた頃には上の姉はすでにお嫁に行った後で、記憶の中の生家は、祖母、父母、きょうだい五人の八人暮らし。上の兄二人は父と一緒に海に出ていて、祖母はもう身体が悪かったから、家のことは主に母と私の仕事だった。

 八人分の炊事や洗濯、祖母の介抱に末弟の世話、時に獲れすぎた魚を干物にしたり、かんころ(*12)を作ったり、晴れの日やお祭りにはお赤飯やあんこ餅を拵えたり。一年中目の回る忙しさなのに、母の立てる音は丸く柔らかで、尋常でない量の用事を澱みなくこなしていくさまは、幼かった私の目には手品か魔法のように映った。そんな母の手伝いは、誇らしく楽しいものだった。

十三、四歳の頃には、何とか家のことは一通りできるようになり、母からもそれなりに任されるようになった。昔の島の暮らしは物が手に入りにくくて、手元にあるものを知恵を絞って使い切るしかない。漁や野良仕事に耐える丈夫な縫い方、見栄えよく繕うコツ、限られた食材で食卓に変化をつけること、小さな端切れや板切れから子どもの玩具を作ること―。物のない不便さは自分の手と頭で作る喜びと表裏、よその人が思うほど乏しく暗い暮らしでもなかったように思う。


 母の真似から始まって、自分なりの工夫も身についた頃、隣の島の養蚕農家の三男との縁談が持ち上がった。話を持ってきた伯父は、その家の長男と次男はすでに結婚していて、それぞれ男の子が二人いる、それゆえ三男坊は裕福とはいかないかもしれないが、跡継ぎ云々の面倒もない、何より本人が真面目な良い青年だ、と言った。

 果たしてその青年―吉三郎さんは、伯父の言ったとおり真面目で誠実な、優しい人だった。とんとん拍子に話は進んで、私は母と姉の心尽くしの晴れ着を身にまとい、生まれ育った島を出た。

 婚家は、同じ敷地に舅姑、二組の義兄家族も住む大所帯で、皆穏やかで親切な人たちだった。農家の暮らしに不慣れな私を気遣い、炊事洗濯の手際を褒め、義兄嫁あねたちの機織りの間に甥姪の子守をすれば、お礼の言葉を欠かさない。吉三郎さんと私には小さくも新しい離れが与えられ、新しい家族との暮らしは順風満帆、幸福のうちに始まった。


「きっとおイネちゃんは良かかかさんになるっさね。」

 皆の誉め言葉が重荷になったのは、いつからだったろう。結婚して何年か経ち、甥姪が増えても、吉三郎さんと私は夫婦二人のままだった。優しい婚家の人たちは、催促もせず責めもせず、腫物に触るような態度も取らずにいてくれた。その心遣いもまた、私を苛んだ。ふとした時に子どもの頃に姉から聞いた話を思い出すことが増えていった。

 姉曰く―姉の嫁ぎ先には義兄夫婦がおり、夫婦仲は悪くないのに子がなかった。数年後、そのお嫁さんは里へ帰っていった。しばらくして義兄は違うお嫁さんを迎え、無事に跡継ぎを授かった。さらには、婚家を去った女の人も、別の人と夫婦になって以来、三人の子宝に恵まれたという。姉はしみじみとした調子で、

「こういうことは嫁ばかり責められるけど、そうとも限らないのかもしれないね。」

というようなことを話していた。

 お嫁さんが私でなければ、吉三郎さんは子どもを持つことができるのだろうか。母も姉も子沢山だというのに、義姉たちにも何人も子があるというのに、なぜ私には一人もいないのか。私も、違うところに嫁に行っていれば、また違った暮らしだったのだろうか。これほど優しい人たちとのご縁に恵まれているのに、我ながら何と罰当たりな考えだろう。否、いっそ誰かが心無い言葉をぶつけてくれれば、その人を恨むこともできるのに―。焦燥感と罪悪感、行き場のない苦い思いは、しだいに大きな黒い雲となって私の心を覆っていった。

 忙しくしていれば、悩みを忘れられるかもしれない。そう思った私は、それまでにも増して朝は早く、夜は遅くまで仕事に打ち込んだ。野菜を育て、三度の食事の菜に凝り、廊下も座敷も毎日毎日磨き上げた。算盤を学び、古い縞帳(*13)を研究して機を織り、仕立ての仕事に精を出した。そして、とうとう倒れた。



 島でただ一人の医者・柊庵しゅうあん先生が往診に来て、安静を命じられて三日目。野分(*14)の吹く日だった。昼間から離れで寝込んでいる私の枕元に、吉三郎さんが座っていた。扉のわずかな隙間から、風が陰鬱な音をたてて吹き込んでくる。

「あれほど皆が休めって言ったのに、なんで根詰めて頑張ぎばっとったと。」

「……」

 私は黙ったまま天井を見つめた。一番嫌われたくない相手に、本当のところを、真っ黒な心の内を、どうして言えよう。筋違いだと自分でも分かっているのに、義姉たちを疎ましく思う気持ちは膨らんで、甥姪の「おイネねえちゃん、あそぼ」というあどけない声にうっすらとした憎しみを感じるほど、私は変わってしまった。桃源郷のようなこの家が、居心地悪く息苦しい。できることなら、表向きの態度を取り繕えているうちに、誰もいないどこかへ行ってしまいたい。

 風はいよいよ激しく、どうどうと唸って雨戸を打ち、大粒の雨を屋根といわず庭といわず叩きつけてくる。ほかには何も聞こえない。不穏で荒らかな音に、私はどうしてか心が鎮まっていくのを感じた。

どれくらい時間が経っただろう。吉三郎さんが、

「俺、考えたんだけどな。」

 と、いつもの優しい口調で話し始めた。

「おイネちゃんの具合が良くなったら、博多に行こうと思う。一緒に来てくれるかな。」

 驚く私に、吉三郎さんは少し間をおいて言葉を続けた。

「おふくろなんかは、雲仙あたりでのんびり湯治でもしたらって言ってんだけどな、おイネちゃんも俺も贅沢は性に合わないし、暇だと色々考えてしまうからダメだと思う。いっそ違う町で働いて暮らしたほうが、気楽でいい。」

 この人は、いったいどこまで察しているのだろう―湧き上がる不安を抑え込む。

「他所に住むって、そがんなこと……。」

「うちは男ばっかりで、嫁に行く人がないからな、家族は増える一方だ。桑畑を増やさないと皆が貧乏になるけど、島の土地には限りがある。前々から、俺は島を出てどこか大きな町で働きたかって、親父には話しとった。」

「……。」

「いつも糸を買いに来る登喜和屋さんな、あの人がいうには博多くらい大きな町なら仕事はいくらでもあるし、祭りや芝居で年中賑やかだって。こことはガラッと違う場所に住んでみんのも、面白そうじゃないか。」

 一生懸命明るく話す吉三郎さんに、私はやっとの思いで言葉を絞り出した。

「島を出て、ほんとに良かとですか。」

 吉三郎さんは黙ってしまった。長い長い沈黙の後、一言だけ、

「ここにずっとおって、元気になるとやろか。」

 と言った。私は再び天井を見つめた。

「……私、里に帰ったほうが良かやないでしょうか。」

「嫌だ。俺は、おイネちゃんが元気で隣で笑っててくれるのが一番いい。」

 そういうと、吉三郎さんは俯いた。そして、独り言のように、

「おイネちゃんは、どげんするのが幸せなんかな。」

 とつぶやいた。私はじっと見た。この家に来てから一番長く、自分の夫を見つめた。その姿は、野分にあたって萎れてしまった草のようだった。もとの吉三郎さんはもっと明るくて元気な人だったのに。なぜ気付かずにいたのだろう。私は心を決めた。

「博多、一緒に行っても良かでしょうか。」

 吉三郎さんはぱっと顔を上げて、私の手を握った。

「じゃあ、ちゃんと休んで早う治さんばね。」

 こんな穏やかな笑顔、久しく見ていなかった―私は自分を恥じた。

外から聞こえる雨風の音が軽い。野分は去りつつあるようだ。私は頷いて、吉三郎さんの手を握り返した。



 ふた月ほどで柊庵先生から長旅の許しも出、吉三郎さんと私は博多の町に来た。

先生は、医術修行の同門の人宛てに紹介状を書いてくれていた。博多で代々続く「康久堂」という医家だという。柊庵先生手描きの地図を頼りに探しているうちに、大きな商家が立ち並ぶ賑やかな通りに出た。柳行李(*15)を背負った吉三郎さんが言う。

「この辺なら茶店か饂飩屋くらいありそうだし、どこか入って休もう。」

「それがよかですね。お昼もまだですし。」

 少し歩くと感じのよさそうな饂飩屋が見つかった。窓際の席に座って素うどんを二つ注文し、外を眺める。

「こん人の数、たまがった(驚いた)ねえ。」

 斜向かいの呉服店が目に止まった。店構えからして随分上等な店に見えるのに、お客で溢れかえっている。

「あん人ら、どげんしたとやろ。」

 二人で話しているところに、店の主がうどんを運んできた。

「あれは『せいもんばれ(*16)』いうて、年に一度の大安売りばい。」

 そう言って、壁に貼ってあるチラシを指さす。朱墨の跡も鮮やかに「誓文晴」と大書きした横に、呉服店らしき店々の名前と日取りが書かれている。

「博多中の呉服屋挙げての催しやけん、よその町からもお客が沢山来るったい。遠くから来んしゃったお客は、何か食べんと帰られん。そんで、うちみたいな呉服と関係ない店も千客万来、商売繁盛で大助かりよ。」

 人懐こい笑顔を浮かべた店の主は、吉三郎さんの脇にある柳行李に目を遣ると、

「あんたら博多には来たばっかりかね。」

 と言って店の奥に戻り、しばらくして小鉢を手に戻ってきた。小鉢の中には、いちょう切りの蒲鉾を出汁で煮て玉子でとじたものが入っていた。旅も終わりに近付いて、お財布がだいぶ寂しくなっていた私達は慌てた。

「あの、これ頼んでないんですけど……。」

「誓文晴のおこぼれの、そのまたお裾分けばい。気にせんと食べり。」

 気前の良いこの人は、名を竹蔵さんといった。ちょうどお客が途切れる時間だったらしく、竹蔵さんは博多名所や折々の風物詩、祭礼の由緒を、講談を語るようにスラスラと、時に熱を入れ、時に笑いを取りながら話し続けた。一通り話し終わって、

「やー、お客さんが聞き上手やけん、つい喋りすぎたばい。」

 へへへ、と笑うと、私達の行先を尋ねた。吉三郎さんが康久堂の名を告げると、

「あー、康久堂ならすぐそこたい。案内しちゃー。」

「お店は良いんですか。」

「良か良か、どうせ夕飯時まで誰も来んばい。」

 言うが早いか、竹蔵さんはさっさと暖簾を仕舞って「支度中」の札を出し、襷を外した。

「さ、行くばい。」


 竹蔵さんの案内で到着した家は、思っていた以上に大きく立派だった。屋根付きの門には年季の入った扁額(*17)が掲げられ、開け放った扉から苔に覆われた露地と踏み石が見える。重々しい雰囲気に入るのを躊躇っていると、竹蔵さんは、

「建物はごつかけど、玄斎先生は良かお人やけん。あ、見た目はちーっとアレやけど。」

と言って門をくぐり、

「すいまっしぇーん。」

 と叫んだ。すると、奥から

「どなたかなー。」

 のんびりした声が返ってきて、ガサガサと音を立てながら誰かが近づいてくる。現れたのは、大柄で色黒でモサモサ頭の―ほとんど白衣を着た熊のような人だった。

「あれ、竹蔵さんか。もう薬ば取りに来る日だったかな。」

「違いますよ、玄斎先生。この人らが先生に御用があるみたいやけん、連れてきたとですよ。」

 玄斎先生はしげしげと吉三郎さんと私を見て、何かを思い出したように目を見開いた。

「ああー、五島の柊庵さんの。はいはい、どうぞ中へ。」

 そういうと、踵を返して建物に戻っていく。私たちは竹蔵さんに礼を言い、慌てて先生を追いかけた。

 康久堂の建物は、診療所と玄斎先生の住まいを兼ねていた。玄斎先生の風貌からは意外なほど、どの部屋も掃除が行き届き、薬草の匂いが漂って、ぴんとした空気に満ちていた。先生は私たちを奥の座敷に通し、火鉢の土瓶から湯呑に茶を注いで勧めた。吉三郎さんが柊庵先生からの紹介状を差し出す。玄斎先生は手紙にさっと目を通すとこう言った。

「先に柊庵さんから手紙をもらっとってな。うちも人手が要るけん、渡りに船、いやありがたい。」

「あ、あの、こちらの診療所をお手伝いさせてもらう、ということですか。」

「いやいや、二人に働いてもらおう思っとるのは、うちの隠居所。」

 私は内心ほっとした。

「今まで来てくれとった人が辞めてしもうてな。父も母もまだ丈夫なつもりやけん、自分たちでやるって言うんやけど、歳相応に目も足も悪いし、物忘れもある。そもそも母は手伝いのない暮らしをしたことがない。火や刃物を使わすのも心配だし、住込みで手伝ってくれる人を探しとったんだ。」

仕事は、三度の食事の支度と掃除、屋敷の手入れや裏の畑の世話といった力仕事、来客の取次にお出掛けの付き添い。普段の生活を手助けし、異変があれば玄斎先生に伝える役割だという。

「長旅で疲れとろうけん、仕事は二、三日休んでからで良か。薬臭うて悪かばってん、うちに泊まりんしゃい。」



 博多に到着して二日後、私たちは玄斎先生の父様、母様の住まいに移った。

 隠居所は康久堂から少し歩いたところにあって、博多塀(*18)から庭木がのぞく、簡素ながら趣味の良い造りの家だった。その頃、先生の父様と母様は古稀の手前だったろうか。拭き掃除や庭の手入れは無理でも、まだ矍鑠としたご様子で、父様は康久堂に顔を出したり謡の稽古、母様は芝居見物やお友達とお互いの家を行き来したりしてらっしゃった。

 お二人は、私達を使用人というよりは親戚の子のように扱った。用事をお申しつけになるときも、決して雑な言葉遣いや呼び捨てはなさらなかったし、四人揃っての食事をお好みになった。時折、母様は「鍋やまな板もたまにはお休みが欲しかろ」と、竹蔵さんの店から出前を取った。翌日に器を取りに来た竹蔵さんが、町で見かけた出来事を面白おかしく話すのを、母様は涙を流すほど笑って聞いていた。父様は、「若いのに年寄りとばかり一緒にいては良くない。二人で出掛けてきなさい。」と月に一、二度は、お小遣い付きの休みを下さった。そう言われても吉三郎さんも私も何をしたらいいのか分からずに、川沿いを散歩したり、日用品を買ったり、お二人へのお土産にお饅頭を買うくらいのもので、いつも父様には呆れられていた。

 静かで穏やかな、大人ばかりの小さな暮らし。朗らかなお二人に仕え、博多の町に馴染むうち、子を授からぬことへの何ともいえない気持ちは、少しずつなせるようになっていった。往なせるけれど消え去りもしなかった、と言った方が正しいかもしれない。


 私たちがお仕えして七年目に入った頃、母様は「どうも疲れが抜けん」と寝込むことが多くなった。お出掛けが難しくなって気落ちなさったのか、次第に食も細っていった。それでも、手紙を書いたり本を読んだりなさる元気はおありだったし、調子の良い日は散策にお出掛けになることもあった。

次の年、夏は何とか越したものの、秋分あたりからお昼寝の時間が長くなり、お食事も寝所で召し上がるようになった。食の細さに拍車がかかり、お好きだった茶碗蒸しさえ半分も召し上がらなくなっていた。

 玄斎先生の「食べたいものを食べさせてやってくれ。滋養のある品も、手を付けんかったら意味はなか。」という言葉に従って、お好きなものを味は変えずに柔らかめにしたり、餡かけにして喉越しを良くしたり、気が重くならないよう器に盛るのを一口ずつにしたり―私は思いつく限りの工夫をした。

 そんなある日の夜、お膳を下げに来た私は母様に呼び止められた。

「おイネさん。」

「はい、何でしょう。」

「おイネさんの音は、丸うて耳当たりが良かね。」

 何のことか分からず返事に困っていると、母様はこう続けた。

「年寄りは耳が遠うなるけど、病気の時はガチャガチャいう音が堪える。おイネさんは煮炊きの音も掃除の音も柔らこうて、ああそばにおイネさんがおるて思うて、ほっとする。良か躾ば受けんしゃったな。」

 母様は何を思われたのか、私の眉間の縦皺をそっと触った。子のない悩みが刻んだ一本の線は、博多に来る前からあった。その頃はまだ他の皺が少なかった分、今よりも目立っていた。昔の自分が顔の真ん中にいるようで、憂鬱になる。その皺を、母様はすっかり細くなった指で撫でて、

 「辛抱したんやねえ。」

とおっしゃった。我知らず涙が頬を伝った。嬉しいのか悲しいのか自分でも分からないまま、とめどなく涙はあふれた。

「偉かったねえ。」

 母様は泣き止まない私の手をさすった。私は、勝手に思い詰めて迷惑をかけ、吉三郎さんに連れられて島を出た、大変なのは吉三郎さんのほうだし、苦労している人ならいくらでもいるし、私など辛抱したうちに入らない―そう思ってきた。

「自分の心は自分だけのもんや。辛いこと、悲しいことを人に遠慮して小さく見積もったり、忘れようとしたりせんで良か。自分をおろそかにしても、誰も幸せにならん。」

「……はい。」

「あんたは、善か人たい。」



 母様は、梅の香りに包まれてこの世を去った。葬儀の日、玄斎先生が養子だということを私たちは初めて知った。

 遺された父様の背中は急に小さくなった。努めて明るく振舞う父様を見守るしかなかった。二年後の秋、父様は母様のもとへと旅立たれた。

 玄斎先生は、管理人として隠居所に住み続けても良いと言ってくださったけれど、お二人のいなくなった家に留まるのも辛くて、私たちは家と仕事を探すことにした。吉三郎さんには、隠居所に出入りしていた庭師の「最上」さんから声がかかった。私は何をしよう。裁縫や料理は一通りできるといっても職人になるには心許ないし、髪結いは、実入りは良いが修行が長い。歳の瀬が迫っても決めかねているところに、竹蔵さんがやってきた。

「萬行寺前町のお師匠さん、知っとうや?」

「清元と小唄のお師匠さんて方ですか?お会いしたことはなかですけど…。」

「あのお師匠さんとこ、表に『千代木』って甘味処があるんやけどな、そこを任せる人を探しとんしゃーて聞いたったい。」

「甘味処。」

「おイネさんが会ってみたかったら、オイが話つなげちゃーよ。」

「甘味て言うても、身内で食べるようなもんしか作ったことなかですよ。」

「それそれ、それよ。上等な店の味と違う、子どもん頃を思い出すような素朴なんが良かって話ばい。」

 素朴な味―それならできるかもしれない。私は吉三郎さんとも相談して、竹蔵さんに仲介を頼むことにした。竹蔵さんはすぐに約束を取り付けてきてくれた。

 当日、竹蔵さんの案内で「萬行寺前町のお師匠さん」の家に向かう。木戸番のおじいさんに用向きを伝えて木戸をくぐると、三味線の音が聞こえてきた。竹蔵さんは窓の格子の前で、

「稽古中やな、ちょっと待っとろ。」

 と言った。覗き込むていにならないよう、建物から少々距離をとり、背を向けて立つ。同じところが何度か繰り返される。どこかおぼつかない声と音は、お弟子さんだろうか。と、音が止んだ。厳しい声で何か言うのが聞こえて、それまでと全く違う音が二つ響く。


 一日逢わねば千日の 思いにわたしゃ患うて 針や薬のしるしさえ 泣きの涙に紙濡らし 枕に結ぶ夢さめて いとど思いのますかがみ……


「三千歳(*19)か。お師匠さんはやっぱり違うばい。」

 竹蔵さんがしきりと感心していると、玄関の引き戸が開いて、若い女の子が二人出てきた。

「あ、竹蔵さん、こんにちは。」

「こんにちは。」

「おー、二人とも気張っとうね。お師匠さんは?」

「後で他の子が来るみたいですけど、今は誰もいないし、入っても大丈夫やと思いますよ。」

 そう言うと、彼女たちは木戸の方に歩いていった。町のお嬢さんにしては櫛や簪が心なしか派手で、きものの着方も少し違う気がする。

「あん子らは、『まつ乃や』の芸妓と半玉たい。」

「竹蔵さん、詳しかですね。」

「俺は座敷遊びには縁がなかばってん、あちこち出前に行くけんね。」

「ここのお師匠さんも、芸妓だった方ですか。」

「芸妓やないんやけど、うーんまあ、『花街育ちのしろうと』たい。さて、次の子が来る前に話しとかんと。」

 竹蔵さんは引き戸を開けて、中に声をかける。

「お師匠さん、いま良かですかー。」

「ああ、竹蔵さん。待ってたよ。」

 という声がして、「お師匠さん」が現れた。さっきの唄声から想像していたよりも随分若い、商家の奥様ごりょんさんとも違う垢抜け方の人だった。芸事のお師匠さんというのは、花柳界にいたことがない人もこういう雰囲気なのだろうか。

「おイネさんだね。ま、玄関も何だから、お二人とも上がっとくれ。」



 玄関のすぐ横の部屋には、長火鉢が一つに座布団が三枚、三味線が一挺出したままになっている。簡素な吊床には雪景の画が掛かっていて、その傍らの一輪挿しに紅の椿。お師匠さんは、竹蔵さんのほうを向いた。

「さて、竹蔵さんはどれくらい話を通してくれたの。」

「店を任せられる、素朴な味の甘味を作れる人ば探しとりんしゃーってことと、甘味処を開ける日と時間くらいかな。」

「それじゃ、あたしからも話さなきゃならないね。」

 お師匠さんは言葉を切って、私を見た。

「少し前だけど、康久堂の近くの人からおイネさんのおはぎのお裾分けをもらったことがあってね。」

「それはそれは……お口に合いましたか。」

「こんなあんこを作る人はきっと善人なんだろうな、って思ったね。」

 お師匠さんは、竹蔵さんの顔を見遣って、

「まさか竹蔵さんの紹介がおイネさんとは、世間は狭いもんだね。」

「全く、全く。」

 大げさに頷く竹蔵さんに笑ってから、お師匠さんは言葉を続けた。

「そういうわけで、おイネさんの腕前は試すまでもなく信用してる。あとは、うちの店は少し変わってるから、そこを分かってくれるかどうかなんだけど。」

「何でしょう。」

「さっき、うちの弟子とすれ違ったろう。」

「ええ、竹蔵さんから芸妓さんたちだと聞きました。」

「あたしは置屋育ちでね。そこの先々代のおかあさんの勧めで、すこし前まで清元の糸方をやってたんだよ。芸妓になって稼いだほうが恩返しになるのにさ。それで、代わりと言っちゃ何だけど、そこの妓たちにうちで稽古をつけたり、千代木で愚痴や弱音が吐けるようにしてるわけ。」

 竹蔵さんが「花街育ちのしろうと」と言っていたのは、こういうことか。

「だから、うちの店はね、あの妓たちのおしゃべりを聞いて聞かぬふりができる人、絶対によそで喋らない口の堅い人じゃないと困るんだよ。」

 お師匠さんは、芸妓や半玉が店にいる間は『支度中』の札を出すこと、深い悩みを耳にしたら必ず伝えるこ と、他にもいくつか条件を出した。

「変わった仕事だから、今日すぐ返事してもらわなくて構わないけど。」

「やります。」

「……随分決断が早いね。」

「少し前まで人様のお宅に住込みで働いとりましたから、知って知らぬふりで喋らんのは慣れております。それに、私は他所から来た人間ですけん、言いふらす相手もおりません。」

お師匠さんは一瞬見定めるような眼差しになって、すぐ口元を緩めた。

「そうかい。それじゃ、頼みます。」

「こちらこそ、よろしくお願いします、ごりょんさん。」

「あたしはごりょんさんじゃないよ。自分の勘定で商売してんだから。」

「でも、私も弟子入りするわけでもなかですし、『お師匠さん』は落ち着きが悪かです。」

「うーん、それもそうだね。」

「じゃあ、奥様でどげんでしょう。」

「大人しく家にいるクチじゃないから、しっくりこないけど……まあいいか。おイネさんの呼びたいように呼んどくれ。」



 博多に来て二十年、ここで働いて十年。

ご常連には、表通りの商家のごりょんさんもいれば、清元のお弟子さん方もいて、どなたも顔を出す時間はおおよそ決まっている。芸妓や半玉が千代木に寄るのは、稽古が終わった午後二時から三時くらい。彼女たちのお喋りは、どの役者が格好良いとか、どこの饅頭屋で新しい品が出たとか、同じ年頃の女学生と変わらぬ可愛らしい噂話もあれば、時々、この仕事を続けるかどうかの迷いのような、重い話もある。最初は他の人が入ってきたらどうしようかと気を張っていたけれど、実のところ、他のお客とかち合うことはほとんどない。この界隈の人たちは、どうやら彼女たちとは時間をずらして店に来るようにしているようだった。

 落ち込んだ顔で店に来た妓が、善哉やら団子やらを食べて、表情がほぐれていくのを見ると、ほっとするし、半玉の時から知っている妓が一本立ちの挨拶に来るのも嬉しい。育つ途中の人たちに真っ当なおやつを用意して、ほっとする場所を守ること、聞いて聞かぬふりで見守ること―それが私の役目。そう思うようになったのは、ここで働いて何年目だったか。

 暖簾が揺れて、誰かが店に入ってきた。

「おイネさーん、おはようございます。」

「あれ、千恵ちゃん。今日は朝からやったかな。」

「そうですよー、裁縫所がお休みなんで。あ、水羊羹、もう氷箱に入れたほうがいいんじゃないですか。」

「およ、うっかりしとった。」

「お客さんが来る前に冷やしとかないと。」

 千恵ちゃんは桃色の襷を掛けると、てきぱきと動き始めた。

「もう山笠の時期ですねえ。」

「そう、出前、千恵ちゃんが頼りやけんね。」

 窓を閉めて、前掛けの紐を結び直す。

「さあ、今日もひーじゅぎばらんばね。」


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