春分三 護民官と獣人
親切そうなおじさんは原谷と名乗ったので、青年も自分は鈴木ですと答えた。
ご飯を食べた後で、原谷は真剣な調子で話し始めた。
「実は、この国にはいささか問題がありましてな。指導層が保守的で、自分たちと違うものに対して排斥的なのです。申し上げにくいことですが、ここは貴方のような異世界から来られた人が快適に暮らすのは簡単ではありません。」
嘆かわしそうに首を振ると、原谷は提案した。
「どうでしょう、良かったら私が仲間たちと運営している異世界人のためのシェルターにいらっしゃいませんか。私たちは異世界の方たちを守り、異世界の方たちは知識を教えてくれる。お互いに利益のあることだと考えています。」
親切な提案に思えるが、鈴木は不安も感じた。
原谷はずっと笑顔を浮かべているが、目の奥は笑っていないように思えた。どことなく就活で会ったブラック企業の人事担当者と似た雰囲気があるように思えた。
「お気遣い、ありがとうございます。でも正直に言えば、別の世界に来たということをまだ受け止め切れません。これから自分がどうすべきか、少し考えさせてもらって良いでしょうか。」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。いや、少し話を急ぎ過ぎましたな。よくお考えになってください。」
原谷は気を悪くした様子を見せなかったので、鈴木はほっとした。
「シェルターの話はまた今度ご相談しましょう。いきなり知らない世界に来て、お疲れでしょうな。今夜の宿をご紹介しますので、まずはお休みください。」
「いろいろとご親切にして頂き、ありがとうございます。」
泊まる場所に心当たりもなかった鈴木は安心した。
「では、出かけましょうか。おい、誰か供をしてくれ。」
「へい」と応えて、数人の店員が出てきた。
原谷と鈴木が歩き出すと、周囲を固めるようにお供の人たちが付いてきた。
妙にものものしいなと思いつつ、「もしかして、原谷さんは大商人なのかな」などと鈴木は考えた。
しばらく大通りを歩き、石造りの洋館が見えてきて、原谷は鈴木に笑顔を向けた。
「あれが私の仲間の経営する宿です。もうすぐ着きますよ。」
そのときだった。
「待て、貴方たちが連れているのは誰だ。」
鋭い声がかかり、原谷は足を止めた。
「おや、これは護民官殿。何の御用ですかな。私は友人を連れて仲間に会いに行く途中なのですが。」
「友人?その人は商人には見えませんね。実は市民から、貴方が異世界人と思われる人を連れていると通報があったんですよ。異世界人はまず役所で保護することになっているのはご存知でしょう。」
「いやいや、少し変わった格好はしていますが、この人は私の友人ですよ。」
鈴木は予想外の展開に驚き、原谷が友人と呼んだことを不思議に思ったが、どう反応すれば良いか分からず、固まっていた。
すると、護民官と呼ばれた男性の後ろから出てきた若い女性が言った。
「その人はこの世界の人じゃないよ。匂いが違う。」
その女性は、意思の強そうな瞳が印象的で、背は高くないのに迫力が感じられ、不思議な存在感があった。
他の人と同じように着物をまとっていたが、柳色の着物に動きやすそうな伯林青の袴をつけ、白揚で表された着物の露芝文が鋭い印象を与えていた。
原谷は不機嫌そうな表情を浮かべた。
「どうしてそんなことが分かるのです?私には特に変わった匂いなど感じられませんな。妙な言いがかりは止めて頂きたい。」
女性は頭の被り物を取った。
驚いたことに、被り物の下には犬のような耳があった。
「私は犬の獣人だ。貴方たちの分からない匂いでも私には分かる。」
護民官と呼ばれた男性は慌てて獣人の女性を止めようとしたた。
「お佳、被り物を取るのはよせ。悪い連中に目をつけられたらどうするんだ。と言っても、もう遅いか。」
天を仰ぐと原谷に向き直り、真面目な口調で言った。
「原谷さん、その異世界人はここで解放して頂こう。貴方がいくら有力な商人でも、法に反することは許されない。」
お供の人たちは身構えたが、原谷が合図をすると、力を抜いた。
「まさか獣人風情にしてやられるとは。」
原谷は悔しそうな表情を浮かべたが、鈴木に向き直ると笑顔で話しかけた。
「鈴木さん、残念ですが、今日はここでお別れです。役人の邪魔が入りました。しかし、私はあなたの友人のつもりです。いつでも私の店を訪ねてください。」
「事情はよく分かりませんが、夕食をご馳走様でした。」
鈴木は礼儀正しく食事の御礼を述べた。
だが、護民官と原谷のやりとりを聞いていると、原谷は何か隠しているようだ。会ったばかりの鈴木を友人だと嘘をついたし、護民官は解放という言葉を使った。
どうやら親切そうでも、原谷は裏のある人物のようだった。
原谷の一行が去ると、護民官は頭をかきながら、鈴木に向き直った。
「急に知らん世界に放り込まれたうえに、いろいろあって災難だったな。私は護民官をしている守恒という者だ。君のように異世界から来た人たちを保護するのも私の役目なんだ。疲れているところ悪いが、事情を聞く必要があるし、いろいろと説明することもあるから、一緒に来てくれるかい。」
鈴木が頷くと、護民官は歩き出した。
やがて、全体としては洋館のように見えるが屋根は瓦葺きという和洋折衷の三階建ての建物に着いた。入口には、博多市役所と墨で書いた木の板がかかっている。
ああ、この世界にも市役所があるんだ。
普段は別に意識しないし、特に好きなわけでもなかったが、役所があることに不思議な安心感を覚えた。