小暑二 旧友の弟
その日、守恒護民官は珍しく羽織と袴の正装で家を出た。
向かうのは市役所ではなく、九州政府の本庁だ。
九州政府の本庁は十五階建てのビルで、まちのランドマークになっている。
護民官は入口で要件とアポイントがあることを述べると、エレベーターに乗った。エレベーターは最近導入された最新鋭の装置で、ごくわずかな建物にしか設置されていない。
最上階に上がると、エレベーターの出口にいる警護担当者に入り口で話したことを同じ内容を告げて通してもらう。ここの警備は厳重だ。
絨毯の敷かれた廊下を歩いていき、重厚な木の扉の前で止まるとノックをした。
扉には「九州政府内務大臣室」と書かれている。
「どうぞ、お入りください。」
秘書と思しき女性の声がしたので、護民官は扉を開けた。
扉を開けると、整った顔立ちの青年が笑顔で迎えてくれた。
「やあ、久しぶりですね、先輩。」
「ご無沙汰しています、釜島大臣。」
九州政府の釜島大臣は、実は守恒護民官の帝国大学での同級生の弟だった。
釜島家は九州の名門の家柄だが、なぜか守恒とは気が合った。学生の頃は釜島兄弟とよく飲んだものだった。
その頃からの習慣で、今も大臣は護民官のことを先輩と呼ぶ。
「先輩は相変わらず固いなあ。他に人もいないんだから、普通に喋ってくださいよ。」
「そう言われても、大臣と私では立場が違うんだが。じゃあお言葉に甘えて、今日はお兄さんの友人として話をさせてもらうよ。」
「そうしてください。普段は本庁に寄り付かない先輩がわざわざ私に話をしにくるなんて、きっと普通の仕事の話じゃないんでしょう。一体何があったんです?」
釜島大臣は笑顔を浮かべていたが、眼光は鋭かった。
さすがは将来の大統領候補と言われるだけのことはあると護民官は感心した。
「お察しのとおりだ。実は山平首相と政商の原谷について、いくつか心配な話が耳に入ったんだ。話せば少し長くなるんだが。」
護民官は、山平大統領と政商の原谷の企みについて、万吉の調査やきぬ葉から聞いた話を総合して分かったことを大臣に伝えた。
「なるほど。山平先生と原谷は妙に仲が良いとは聞いていましたが、そんな裏があったのですか。」
情報の出所はぼかした説明だったが、大臣は突っ込むことはしなかった。
釜島大臣はしばらく考え込んでから、意を決した様子で立ち上がった。
「うん、私の方で裏をとらせてもらってから、中央政界の与党議員の信頼できる人に話します。九州を好き勝手にはさせません。」
「それは頼もしい。しかし、面倒ごとを持ち込んでしまって申し訳ない。」
「いえ、謝らないでください。州首相の暴走を止めるのは州政府の大臣の仕事でしょう。それに、私が政治家のような美しくない仕事をしているのは、少しでもこの社会をよくしたいからです。」
「さすがだね。君のような志の高い政治家は貴重だ。この国には政治屋が増えてしまったようだから。」
「はは、志もなく政治家などやっていたら、僕はご先祖様に怒られますよ。それに志は先輩も同じでしょう。」
「俺はしがない役人だがな。」
「昇進を拒否して敢えて現場にいるのは聞いていますよ。現場の仕事が重要なのも分かっています。
それじゃあ先輩、僕の方でも何か分かったらご連絡します。先輩の家に集まっている異世界から来られた方たちに、危険なことはしないように伝えてください。」
「よく知ってるな。」
釜島大臣は笑顔を浮かべた。
「その程度のことも知らないで博多で政治家と名乗るのは恥ずかしいですよ。最近、先輩の家に異世界から来た方たちが出入りしていることくらい、私の耳にも入っています。
山平首相たちも密談するときは人に知られないよう、それなりに気をつけているはずです。その陰謀が先輩の耳に入るとしたら、特殊な能力をもつ異世界から来た方々を通じてでしょう。」
「いや、さすがだね。ご慧眼のとおりだ。彼らには政治家が動いてくれるから、もう危険なことをしないように伝えさせてもらう。」
「ええ、この後のことは任せてください。」
その晩、帰宅した護民官は承の助やお佳さん、万吉や青葉も呼び集めて話をした。
承の助とお佳さんは、原谷の店に行ったことを守恒夫妻に報告していた。夫妻は結局二人が巻き込まれることに溜息をついて、もう勝手に動かないように二人に説いた。その代わりに状況は知らせると約束していた。
護民官から釜島大臣の話を聞くと、師匠は感心した。
「さすが釜島家の若様は違うねえ。そのあたりの政治屋どもは若様の爪の垢でも煎じて飲むべきだね。」
「そうだね。彼は真面目な政治家だ。それに名家である釜島家の者だから人脈も並みの政治家よりあるんだ。中央政界の有力者にも直接会って話ができるみたいだ。
僕も中央政府で官僚をしている帝大の同級生に話をしてみるよ。
そんなわけだから、承の助もお佳も万吉も、原谷の様子をさらに探ろうなんて危ないことはしないでくれるかい。」
「分かりました。」
承の助とお佳さんは揃って返事をした。
「分かりました」と少し遅れて万吉も返事をした。「む、僕だけ返事が遅れてしまいました。まったく、姉さんと承の助さんは息がぴったりですね。いてて。」
余計なことを言った万吉はお佳さんに抓られていた。
しかし釜島大臣は立派な政治家だなと承の助は感心した。もとの世界では、面倒事は役人たちに押しつけて、手柄は自分のものにしようとする一方、不祥事を起こすと部下のせいにしたり、責任を取らない政治屋たちが多かった。
それに比べ、釜島大臣はノーブレス・オブリージュを体現しているように思える。
この世界には、自然だけじゃなく社会の在り様も、もとの世界では喪われたものが残っているなあと承の助は思った。




