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小満一 お佳さんの焦り

 緑が一層濃くなり、植物の中には花が散り、実をつけるものも出てくる。

 山野には生命力が満ち溢れ、梅雨の前の過ごしやすい晴れた日が続いている。

 万物が満ちる季節である小満になった。


 瑞々しい草を踏みしめて、力強く獣人が疾走している。人間離れしたスピードで、遠くに小さく見えていた姿が、あっという間に大きくなる。

 そんな迫力のある修行を行っていたのはお佳さんだった。

 万吉は無事に助け出されたものの、お佳さんは力不足を噛み締めていた。

 もとの世界では、犬の獣人族の中でも強者として、若手の有望株だった。

 異世界に転移したことには驚いたが、どこにいても万吉を守ることくらいはできると思っていた。

 だが、万吉たちの捕らわれていた小屋に突入したとき、少しは力を発揮したと思うものの、銃を向けられ、何者かに助けられた。

 それに、お佳さんは万吉が攫われるのを防ぐことができず、行方を見つけることもできなかった。もし承之助の活躍がなければ、万吉は連れ去られ、助けることはできなかっただろう。

 「万吉一人を守ることもできないなんて。私は弱い。」

 あの日以来、お佳さんは護衛隊のバイトも休み、強くなりたいと鍛錬していた。

 実は獣人たちを救出したときの活躍が評価され、正式に市役所の護衛隊に採用するという話もあったが、力不足だと自ら断っていた。

 毎日のように一人で森の奥に入り、野生動物の気配、さらに葉擦れの気配さえ感じとれるよう、感覚を研ぎ澄ませる。それに加えて、走り込みや槍を振るう訓練も続けていたので、次第に頬はこけ、眼は爛々としていった。

 あるとき、たまに一息入れようとお佳さんは「千代木」に入った。

 暖簾をくぐると、店員の千恵はびくっとしてお盆を落とした。

 「い、いらっしゃいませ。って、もしかしてお佳さん?怖そうな雰囲気だから、誰かと思ったじゃない。」

 「こんにちは、千恵ちゃん。私、そんなに変わったかな?」

 「変わったどころじゃないわよ、まったく。一体何がどうしたの。」

 「お佳ちゃん、ざーまなぎばっとるようね。あんまり無理ばしたらいかんとよ。」

 カウンターから顔を出したおイネさんも、お佳さんの様子に少し驚いたようだった。

 「でもね、力不足を痛感したんだ。もっと鍛えなくちゃと思う。」

 おイネさんと千恵は顔を見合わせて、肩をすくめた。


 「お佳ちゃん、ちょっと頑張りすぎじゃないかい。あんまり無理をすると体にさわるよ。」

 日に日にやつれていくお佳さんを見かねて、師匠も休むように言ったが、お佳さんは聞かなかった。

 「お気遣い頂き、ありがとうございます。でも私、体は丈夫なんです。鍛えようが足りないことを痛感したから、今は自分を鍛えたいんです。」

 お佳さんが焦っているのは、鈴木の存在もあった。

 最初に会ったときは、真面目そうだが弱そうだった。大商人のいいなりになりそうだったので、不正の嫌いなお佳さんは、つい獣人だと明かして手助けした。

 その結果として万吉が悪い連中に目をつけられたのは不覚だったが、別に鈴木のことを恨むつもりもなかった。弱い者を助けるのは、犬の獣人としては当然のことだった。

 だが、万吉が攫われたときに、鈴木は突然精霊師として覚醒し、万吉の居場所を突き止めた。

 それに、根拠はないが、突入したお佳さんを助けた力は、鈴木に関係のあるものじゃないかという気がしていた。

 自分が助けた弱い存在に、今度は自分が助けられた。

 恩返しをしてくれたなら有難いことだし、別にとやかく思うことじゃないと理性では分かっている。

 それでも、自分が助けられるような弱い存在でいることは嫌だとお佳さんの感情は収まらない。


 その日の夜、帰宅した護民官に師匠は嘆いた。

 「あたしが言っても聞かないんだよ。あの子は大丈夫なのかねえ。」

 「まあ、本人が納得するまで修行するしかないんじゃないか。獣人の体は確かに俺たちよりも丈夫だしなあ。」

 「あの子は頑固者の血筋だって聞いてはいるけどさ。あんなに思い詰めた様子を見るとねえ。」

 「身近で見てるとなあ。確かに休んでほしいとは思うが、それこそ犬の獣人の中でも頑固者で知られた血筋だしな。まあ栄養の付くものでも食べさせるしかないんじゃないか。」



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