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立夏三 南天~新たな精霊の登場

 引っ越してからしばらくした頃、鈴木は夕食の材料を買ってから長屋への帰り道を歩いていた。大学では一人暮らしをしていたので、料理は一応できる。

 この世界はもとの世界より不便なことも多かったが、店や棒手振りで売られている食材はどれも余計な雑味がなく、素材の味がして美味しかった。特に豆腐は鈴木のお気に入りだった。もとの世界でも鈴木は豆腐好きで、夏は毎日でも冷ややっこを食べたいくらいだった。

 その日も、行きつけになった豆腐屋で木綿豆腐を木桶に入れてもらい、鈴木は「やっぱり豆腐は大豆の香りがしなくちゃね」と、ご機嫌だった。

 何をつくろうかなと思いながら人気の少ない道を歩いていると、

 「美味しそうな豆腐ね。お兄さん、何を作るの?」

と呼ぶ声がしたので、

 「うん、この豆腐は美味しいんだよ。大豆の味が生きてる。今日は雷豆腐を作ろうかと思ってるんだ。」

と鈴木は答えたが、奇妙なことに、見回しても誰もいなかった。

 「あれ、空耳かな。」

 「空耳じゃないよ。私がいるのは上の方だよ。」

 鈴木が慌てて見上げると、鈴木の視線よりも少し上に人が浮かんでいた。いや、宙に浮かんでいる以上、人ではなく精霊だろう。

 「こんにちは、鈴木さん。私は南天。木蓮様から貴方に精霊術を教えるよう頼まれたの」。

 南天と名乗った精霊は、華奢で小柄な少女だった。

 空からいきなり精霊が現れたわけだ、この世界に来てから不思議なことが多かったせいか、鈴木は落ち着いていた。

 「ああ、貴女が南天さんですか。木蓮さんからお名前は聞いていました。はじめまして、鈴木です。この世界では承の助と名乗っています。」

 「木蓮さんから、精霊術を教えてくれる精霊が来てくれると聞いていました。でも、僕のような者に加護を頂いたうえに教師までつけてもらうのは恐縮です。貴女にもご迷惑じゃないんでしょうか。」

 「うん、聞いていたとおり謙虚な人だね。大丈夫、迷惑なんかじゃないよ。教師を引き受けたのは、私が木蓮様を尊敬しているのもあるけど、お兄さんの霊力がとても心地よいからなんだ。無理に引き受けたわけじゃないから安心して。」

 南天は快活に笑った。

 よくみると人形のような美少女だったことに、鈴木はちょっと慌てた。

 そういえば木蓮も美女だった。どうやら精霊には美形が多いらしい。

「木蓮様からは、加護を授けたので木の精霊術が使えるようになったはずだけど、使い方は教えていないから教えてあげて、と言われてるよ。」

「ありがとうございます。これからお世話になります。」

 鈴木は律儀に頭を下げた。


 南天はそのまま鈴木の長屋についてきた。

 「へえ、男の一人暮らしの割には片付いてるじゃない。」

 「僕は一人暮らしがそれなりに長いので、掃除とか片付けは一応できるんです。」

 それから、鈴木が夕食をつくるのを興味深そうに南天は見ていた。

 「へえ、美味しそうじゃない。もっとも私たちは人間と同じ物は食べないけどさ。」

 「はあ、そうですか。ところで、南天さんはこれからどうされるんですか。」

 「ん、しばらくはお兄さんの傍にいるよ。」

 「え、それはありがたいんですが。その、夜も一緒の部屋にいて大丈夫なんですか。」

 鈴木はどきまぎした。

 「あはは、私たちは人間のように眠る必要はないよ。でもお風呂のときとか眠るときに近くにいると落ち着かないよね。」

 南天は楽しそうに笑った。

 「大丈夫。お兄さんがお風呂にいくときとか着替えてるときは、精霊界に戻るから。」

 「精霊界ですか?」

 「うん、精霊界はこの世界とは別の次元にあるんだけど、私たちは出入りができるんだ。ぷらいばしーは守るように木蓮様から言われてるから大丈夫だよ。」

 「はあ、それはどうも。」

 「それじゃ、そろそろ夜だし、また明日かな。朝になったらまた来るね。」

 南天にお休みなさいと言った後、鈴木は銭湯に行くのが面倒になったので、タライにお湯をはると、お湯に浸した手拭いで体を拭いた。


 布団を敷いてからすぐ鈴木は眠ったが、しばらくすると、うなされ始めた。

 就活がうまくいかなかった結果、評判の悪いブラック企業に入り、上司から怒鳴られ、ノルマに追われ、深夜まで残業している夢を鈴木は見ていた。それは、この世界に転移しなければ実現したかもしれない別の未来だった。

 実は、このところ鈴木は疲れが取れずにいた。慣れない世界に来たせいかなと思っていたが、実際には夢見が悪く、質の良い睡眠がとれないせいだった。

 鈴木の部屋の空中に南天が現れる。

 心配そうな顔で、うなされている鈴木を覗き込んだ。

 「木蓮様が心配されていたのは、こういうことだったのね。」

 南天が長い睫毛を伏せて祈ると、部屋にラベンダーの香りが満ちてきた。

 さらに、淡い緑色の光に鈴木は包まれた。

 険しかった表情が和らぎ、すやすやとした寝息が聞こえ始める。

 「ふう、これで良しと。大丈夫、これからは私が守ってあげる。」

 南天は鈴木の頭を優しく撫でた。

 外見は少女のようで、名のある精霊としては若いといっても、南天は人よりも長く生きてきた。その顔は慈しみに溢れ、どこか神々しくすらあった。


 南天が鈴木を癒し、その眠りを守っている姿を見守っていたのは、世界の織り手と呼ばれる存在だった。

 鈴木をこの世界に転移させ、神社で覚醒させた存在である。

 「鈴木さん、ごめんなさい。転移させて強引に覚醒させたから、貴方には負担がかかってしまった。そのせいで、もとの世界の悪夢を見てしまう。

 木蓮はさすがだわ。こうなることを見越して、癒し手を送ったのね。

 それに比べて、私は自分の都合で転移させておきながら、苦しんでいる貴方に何もしてあげられない。」

 織り手はつらそうな表情を浮かべた。



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