立夏二 鈴木の引っ越し
異世界から転移してから、師匠の家に厄介になっていた鈴木だが、いつまでも間借りしているのは気が引けていた。
立夏になり、ちょうど守恒家の近くの市営住宅に空きが出たので、引越すことにした。
守恒家のある旧市街の中心には、新市街からつながる路面電車の走る大通りがある。煉瓦敷きの広い歩道もあり、西洋風の建物や風格のある商家が立ち並んでいる。その左右に碁盤の目のように街路が整備されていて、ぱっと見は鈴木のいた世界の京都のような町並みになっていた。
大通り沿いの店は間口が広く、呉服店やテーラー、西洋料理店、舶来物の書籍文具店、骨董店などが軒を連ねて華やかな雰囲気だが、街路に入ると一転して日常使いの商店街が広がる。八百屋や魚屋、米屋に饅頭屋、惣菜屋、古道具屋、荒物屋、貸本屋、小体な店が中心で、師匠の甘味処もそういう店の一軒だ。商店に混じって、職人の工房もあるし、簡単な診療所もある。道幅は人力車が少々余裕をもってすれ違える程度だが、歩き疲れない程度の範囲で日常の全てが事足りる。そんな地区だ。
鈴木の引越し先のような公営住宅も、どれも大抵こうした地区にあった。鈴木は「公営」と聞いて何となく町の端っこをイメージしていたので拍子抜けだったが、やっと馴染んで土地勘もついてきた町に住み続けられることにほっとした。
一人暮らしをするからには最低限の家財道具が必要になる。
買い物には師匠がつきあってくれることになった。師匠は濃藍に極細の竹縞を着て風に揺れる藤を描いた白い帯を締め、淡紫色の羽織を重ねた外出仕様だ。出掛ける前に、電話で家具屋に予約を入れる。
守恒家の玄関を出て、踏み石が一筋敷かれた路地を通り、路地のどん突きにある木戸を開けると街路に出る。街路に面して立ち並ぶ店々は、たいてい奥にそれぞれの商店主の住居がある。
ただし、住居には街路から直接入らない。街路沿いにさっきのような木戸があり、その先の路地が商店主たちの自宅につながっていた。木戸の横には「木戸番」と呼ばれる管理人の詰め所があり、住人以外は木戸番に用向きを告げて戸を開けてもらう仕組みだ。
住人や顔馴染みしか使わないこの路地は小さい子どもの良い遊び場で、めいちゃんが「てゅーすけ」と外遊びをするのもここだ。転移して間もない頃の鈴木には、無駄に入り組んだシステムに思えたが、慣れてくると木戸の内側は安心感があった。
今度入る公営住宅も、異世界人などの保護目的もあって、木戸と路地を経由して入館するシステムだという。
「まずは食べる道具と飲む道具だね」
師匠は言うと、「ありよし」の暖簾がかかった瀬戸物屋に入っていった。
「ごめんくださいな。」
「これはこれは千代木のごりょんさん。毎度ご贔屓に。」
店の主らしき中年のおじさんが出迎えた。藍鉄色の前垂には暖簾と同じ字体で店の名が染め抜かれている。
「今日は何かお探しで。」
「うちの居候がね、ああ、承之助っていうんだけど、市営の長屋に空きが出たから独り暮らしをすることになったんでね、所帯道具を一式見繕ってほしいんだけど。」
「それはそれは、おめでとうございます。承之助さんも、これからどうぞご贔屓に。」
店の主は鈴木のほうに向き直って言葉を続けた。
「それで、承之助さんの越す先は、どのようなお住まいで?」
「四畳半がふた間で押入れ付、簡単な台所が付いているそうです。」
「そうでございますか。それでは、ご自身で普段使うもの一式と、お友達がいらした時にお茶が出せる程度の道具がよろしゅうございますね。」
そう言うと、鈴木を陶磁器が並んでいる棚のほうに案内した。
「普段のお食事でしたら、飯椀と汁椀、七寸くらいの平皿と中鉢、浅めの小鉢をいくつか、あとお湯呑、お箸とお匙をお揃えになると十分でございましょう。陶磁器でしたら染付を主となされば飽きが来ず、よろしいかと。」
店の主は、これは有田の少し上等な薄作りのもの、これは砥部でぽってり丈夫、これは美濃のもの…と一つ一つ説明してくれる。鈴木が決めかねているのを見て、
「あるいは、ちょっと変わったものでしたら、こういうものもございます。」
と言って奥から出して来たのは、木製のボウルのようなものだった。
「禅寺のお坊様がお使いになる応量器でございます。禅僧の皆様は大体黒塗のものをお使いになりますが、こちらは一般向けに拭漆で仕上げてございます。このように入れ子になっておりますので、場所を取りませんし、熱いものを入れても持ち易うございますね。ただ、値は少々張ります。」
値段が高いのはちょっと困るな、と思った鈴木は、おそるおそる、
「他にも揃えないといけないものもありますし、お皿と中鉢とご飯茶碗は砥部焼にします。でも、小鉢は違う産地のものにしたいと思います。」
と申し出た。店の主は、にこやかに、
「砥部は『夫婦喧嘩で投げても割れない』というくらいでございましてね、丈夫ですから普段使いにはちょうど良うございます。それでは、小鉢は少し面白い柄も混ぜてみましょう。」
というと、また品物を一つ一つ丁寧に説明していく。鈴木は、店の主がそれぞれの品物についてどういう物かをすらすらと語るのを、感心しながら聞いていた。必要最低限のものを選び終わり、
「とても丁寧に説明していただいて、良い買い物ができました。ありがとうございました。」
と鈴木が礼を述べると、店の主は
「いいえ、こちらこそありがとう存じます。お引越の日に確かにお届けいたします。ああ、もし欠けたり割れたりしましたら、金継にお出しになると良うございます。あの辺りには銀次さんという行商さんがおりますよ。」
と言った。鈴木は不思議に思って、店を出た後で師匠に尋ねた。
「どうして、ありよしさんは欠けたら金継に出せって言ったんでしょう。新しく買ってもらったほうがお店にとっては良いと思いますが。」
「どうしてって、ちょいと直せば使えるものを、もったいないじゃないか。自分が選び抜いた物なんだから、お客が永く使ってくれるほうがいいに決まってるだろう。」
「はあ、そういうものですか。」
「そういうもんだよ、少なくともこの国じゃあね。」
その後、荒物屋では鍋や包丁、布団屋で寝具や座布団…と小さな店々を回ったが、どこも「ありよし」の主と同じように、品物の特徴を説明し、鈴木が一番安い品を選んでも嫌な顔一つせず、長持ちさせる方法や修理業者まで教えてくれる。師匠は、この街だけでなく、日本中どこでもそれが当たり前だというし、前いた世界とは随分違う経済なんだなと鈴木は思う。
最後に家具の「大川屋」に向かう。師匠が番頭さんに候補を選んでおくよう予め頼んでいたらしく、奥の座敷に文机や長持といった品が取り置いてあった。番頭さんは師匠と鈴木にお茶を勧め、自分の経歴を語ったり、鈴木の趣味を尋ねたり、引越先の生活情報を口にしたり、しばらく世間話に終始した。鈴木は、すぐそこに置いてある品々を時折ちらちら見ながら、いつ家具選びをするんだろうと思うが、師匠は泰然とお茶を飲んでいる。
「あのう、家具のことは…。」
鈴木がおそるおそる質問するのは、今日何度目だろう。
「ええ、もちろん忘れてはおりませんよ。」
番頭さんは静かに笑うと、
「承之助さんは、読書や書き物がお好きなのですから、折畳みではなく、がっしりした文机がよろしいかと存じます。こちらの両袖机はいかがでしょう。仕入れて随分経ちますので、お安くさせていただきます。机が場所を取る分、他は畳めるもの、軽いものをお勧めいたします。」
「軽いものですか?」
「ええ。衣類は、脱いだ後にかける衣桁と柳行李があれば当座はよろしゅうございましょうね。柳行李は軽くて取り回しが楽ですから、押入れにも片付けやすいですし、御召物が増えて箪笥をお求めになった後も他のものを収めるのにも使えます。あと、こちらの二月堂机が二つあれば、お友達にお茶を出すのには差し支えありません。」
引越しの日。鈴木は守恒家にいる間に買った私物―といっても、風呂敷一枚に包める程度の量だが―を持って新居に向かう。手続の確認も兼ねて護民官が付き添ってくれた。それぞれの店から家財道具が運ばれて来る。窓際に据えた文机の前に座布団を置き、押入れに布団と柳行李が入り、食器を台所の造り付けの収納に入れ、少しずつ形ができてくると、がらんとしている時はよそよそしく感じた部屋も、どこか愛着がわいてくる。
この世界での暮らしも本当に始まった感じがして、鈴木は嬉しくなった。




