春分一 桜の回廊の向こう側
花びらが風に吹かれて舞い踊っている。
うららかな春の日差しを浴びて満開の桜が咲き誇る。冬は終わりを告げ、何となく心が浮き立つような季節が到来した。
だが、桜並木を歩く青年は暗い顔をしていた。
「またお祈りメールをもらっちゃったよ。もう卒業式も近いってのに。」
背中を丸めて歩く青年は大学4年生。容姿は人並みで地味だが、温厚な人柄の良さは友人たちもゼミの先生も保証してくれる。
しかし口下手が災いしてか、採用面接ではうまく自分をアピールできなくて、思うように内定をもらえないまま、ついに春を迎えてしまっていた。
長引く少子化のために総人口は減少していた。さらに地球温暖化が進行した結果、世界各地で洪水や干ばつが頻発し、経済の低迷は深刻になっていた。
就活は厳しさを増しているとメディアは報じていたが、それでもコミュ力が高く、世渡りの上手い友人たちは内定をとってきたので、青年は落ち込んでいた。
青年は決して能力が低いわけではない。ただ、植物が好きで穏やかな性格は、競争と自己責任が強調される今の世界には合わないのかもしれない。
どことなく着こなせていない、就活生らしい青いスーツに、はらはらと花びらが降り注ぐ。
「のんびり学生生活を送ったのがいけなかったのかなあ。資格でも取っとけば良かったのかな。」
青年は後悔していたが、ボランティアで植樹をしたり、近所の人たちと公園の花壇の手入れをするなど、社会的な活動はしていた。
最近は会社のイメージを重視するところも増えている。
CIに価値を置く企業なら評価してくれる活動を青年はしていたが、それを特別なことと思わず、面接でアピールし損ねていた。
「こんなにたくさんの会社で採用されないなんて、僕は役立たずだ。」
青年は俯いたまま、舞い散る桜の下を歩いていく。町外れにあるこの桜並木は交通の便が悪く、浄水場の近くなので、宴会をする人もあまりいない。
「どこかに、僕が役に立てる場所はないかなあ。植物を育てることなら自信があるんだけど。遠くてもいいから、そんな場所があったら行きたいよ。」
夕方の傾いた日差しのもと、青年の影は長く伸びて行く。
昼と夜が交わる時刻。どことなく世界は妖しさを増していった。
不意に舞い散る散る花びらが渦を巻き、青年の体を包み込んだ。
そのとき、何者かの声が聞こえた。
「自信をなくして悩んでいるみたいね。でも、本当に遠くても良かったら、自然を愛する優しい貴方にふさわしい場所があるわ。」
青年は驚いて立ち止まり、周囲を見回したが、誰もいない。
「何だろう、これって幻聴?そんな場所があるなら行きたいけど。はは、そんな上手い話があるわけないよな。」
頭を振り、また歩き始めた青年を包んでいた花びらの渦は程なくして解けたが、そこに人の姿は無かった。
もし誰かが見ていたら、かき消すように急に姿が消えたことに驚いただろう。
桜の回廊を抜けると、見慣れない風景が青年の前に広がっていた。
目の前に続くのは、アスファルトで舗装されていない土の道だ。
少し先に木製の露店が並んでいるが、道行く人たちの顔立ちは青年と似ているものの、男性も女性もみんな着物を着ている。
女性の着物は、いろんな色や柄に染められて華やかだった。
「あれ、こんな場所あったかな。」
青年の記憶では、こんな時代劇のロケ地のような場所は近所にない。
後ろを振り向くと、朱塗りの鳥居があり、満開の桜の向こうに社殿が見えた。
歩いてきたはずの桜並木の公園はない。それに、夕方だったはずなのに、日が高い。
舞い踊る桜の花びらは、青年の知る桜と変わらない。だが、どうにも雰囲気が違う。
近くで棒を担いでいる人の声が耳に飛び込んできた。
「寿司やー。コハダのすーしー」
日本語が聞こえたことに青年は少しほっとした。どうやら寿司を売っているみたいだ。
言葉も食べ物も同じなら、きっとここは日本なのだろう。
だが見渡す限り、洋服を着た人はいないし、鉄筋の建物がない。
それに草木の雰囲気が違う。青年は草木の茂っている場所が好きで、ときどきハイキングに出掛けていたが、この場所ほど草木に勢いがあって、草いきれの匂いの強い場所は知らなかった。
「ここはどこだ?」
立ち尽くしている青年に、見知らぬおじさんが近づいてきた。
「こんにちは、少しお話をしても良いですかな。」
おじさんは洋服を着ていた。ただし洋服といっても、薄手のコートに背の高い帽子、焦げ茶のジャケットの下に同じ色のベストをあわせていて、海外の歴史ドラマみたいな感じの服だった。
それでも洋服を来た人もいることで、青年は少し気分が落ち着いた。
「はい、私で良ければ。」
青年が戸惑いながらも返事をすると、おじさんは微笑んだ。
「失礼ですが、ここらでは見かけない服を御召しですな。もしかすると、あなたは異世界から来られたのではありませんか。」
異世界と聞いて、青年は驚いた。
「え、異世界ですか。確かに見慣れない景色だとは思いましたが、僕は別の世界に来たんですか?」




