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穀雨一 万吉のアピール

 春も終わりに近づき、草木は芽吹き、藤や牡丹の花が咲き誇る。

 雨の降る日もあるが、冬の冷たい雨とは違い、穀物を育てる温かい雨が降る。

 二十四節気の穀雨の季節となった。


 救出されてから一週間ばかり経ったある日の午後、万吉はお佳さんと一緒に守恒家に相談に来た。

 守恒家では親しい客が来たときには玄関の横の部屋を使うが、今日は師匠が稽古に使っていたので、お佳さんと万吉は二階の護民官の書斎に通された。

 珈琲を三人分運んできた鈴木も同席した。

 欧州との貿易で入ってきた珈琲は、最近博多で流行している。

 「それで、二人揃って真剣な顔をして、今日はどうしんだい。」

 護民官が問うと、椅子にきちんと座った万吉は切り出した。

 「先日、承の助さんに助けて頂いたとき、僕は何もできませんでした。働いて経験を積んで、今度は誰かの役に立ちたいんです。ぜひ護民官のもとで働かせてください。」

 「いや、その気持ちは嬉しいが、お前さんはまだ子供だ。大人になってからゆっくり社会の役に立てばいいじゃないか。承の助だってそう思うだろう。」

 鈴木も頷いてみせた。

しかし、万吉の意思は固いようだった。

 「いえ、僕の世界ではもう一人前の年齢なんです。それに、これまでお話をしていませんでしたが、実は私は猫に変身できます。」

 獣人が獣の姿に変身すれば、人の身では得られない力強さや素早さを発揮したり、鳥の獣人の場合には空を飛べる場合もあり、特別な能力を発揮できた。

 だが獣人がみんな変身できるわけではない。万吉が変身できるのなら、確かに特殊な能力だといえる。

 「変身かい。そいつは凄いが、だからといって焦って働くことはない。」

 子供を働かせたくない気持ちの強い護民官は、それでも首を縦に振らなかった。

 万吉は「ではご覧ください」と言うと、光に包まれた。

 光が消えた後、猫が現れるのかと思ったら、万吉の姿は無かった。椅子の上に着物があるだけだ。

 「もしかして、万吉さんには姿を消す特技があるの?」

 驚いた鈴木の問いをお佳さんは即座に否定した。

 「いや、あの子にそんな能力はない。」

しばらくして、万吉の着ていた着物の中で何かがもぞもぞ動いていることにみんなは気づいた。

 「で、出られないにゃ。」

 どうやら猫に変身した万吉は、着物が絡まって動きがとれなくなったらしかった。

 「ああ、そこにいるのね。」

 お佳さんが着物の中から引っ張り出してやると、手足の短い愛らしい猫が現れた。

 白くてふわふわの万吉は自分の着物の上にちんまりと座ると、得意気な様子で切り出した。

 「人間が入れないような狭い所も高い所にも行けますにゃ。走ってるときも足音はしないのにゃ。」

 「いや、そうは言っても…。」

護民官がなおも渋ると、万吉は少しむっとしたようだった。

 「役に立たないみたいな言い方ですにゃ。実は僕は気配も消せるんにゃ。今からこの家のどこかに隠れるから、見つけられるものなら見つけてみるにゃ。」

 そう言って万吉は書斎を出て階段を降り、玄関の隅に身を潜めようとした。

 が、開ける襖を間違えた。

 開けた先は師匠の稽古場だった。たじろぐ猫に師匠と二人の半玉の視線が注がれる。

 「きゃあ、可愛いー」

 半玉たちは色めきたった。

 「毛がふわふわだー!お師匠さん、いつのまにこんな可愛い猫ちゃんを飼い始めたんですか?」

 「私にも抱っこさせて。」

 「だめー。先に見つけたのは私ですー」

 「同時だったじゃないのよ。もう良いでしょ、替わりなさいよ。」

 「あんたたち、稽古中に何だい。」

と師匠に叱られて怯んだ半玉の手が緩み、万吉はほうほうの体で逃げ出した。


 「はあ、はあ、ひどい目に遭ったにゃ。」

 もみくちゃにされて乱れた毛並みを整える。

 そのとき、万吉の後ろに迫っている者がいた。

 「ねこしゃん、つかまえた。」

 がっしりと万吉を後ろから掴んだのは、めいちゃんだった。

 「は、放すにゃ。」

 万吉はもがいたが、後ろから掴まれては短い手足が災いして何もできない。

 めいちゃんは放すまいとぎゅっと力を込め、万吉の肋骨は圧迫された。

 まるで満員電車の中で押しつぶされる通勤客みたいに、肺から息が押し出される。

 「く、苦しいにゃ。」

 抵抗も空しく、次第に万吉が変身した猫の顔色は青くなっていった。

 「めい、放しておやり。そんなにきつく締めたら死にかねないよ。」

 騒ぎに気付いた師匠が稽古場から現れ、めいちゃんから引き離したときには、万吉の息はぜいぜいと上がっていた。

 師匠は半玉たちに「ちょいと待っといとくれ。」と言い残すと、襖を閉めた。

 「さてと、お前はどこの誰で、どこから入ってきたんだい。」

 「さ、さすが師匠、猫が喋っても全然驚かないんだにゃ。」

 万吉はちょこんと居ずまいをただすと、

 「万吉ですにゃ。今まで言わなかったけど、僕は猫の変身できるにゃ。この能力を活かして、師匠の旦那さんのお役に立てると思うんにゃ。」

 師匠は苦笑した。

 「そうかい、今日はそれを言いに来てたってわけだね。」

 「その通りですにゃ。」

 「そんなら書斎に戻ってもらわないとね。あたしゃ今日は忙しいんだよ。」

 「にゃにゃ!?今、気配を消す能力を見せようと…。」

 師匠は万吉を抱き上げると二階に上がっていった。

 「万吉を連れてきたよ。」

 笑いをこらえる護民官に師匠は続けて言った。

 「万吉には凄い能力があるようだけど、こんな簡単に捕まっちまうんじゃ、おっかなくって見てられないね。それに子どもを働かせちゃいけないんじゃないかい。」

 護民官は苦笑しながら同意した。

 「そうだな、働いて良いのは十六歳からだ。役所が児童福祉法に違反して子どもを雇うわけにもいかないからな。

 どうしても何かをしたいと言うのなら、十六になるまではお手伝いだ。

 これ以上はいくら言っても駄目だ。

 この世界に来てからまだ日も浅いんだ。まだまだ勉強することはあるだろう。今はしっかり学校で学ぶのが大事だ。」

 この世界では出自を問わずに人材は登用される。広く人材を発掘して育成するために学校は公費で運営され、無料だった。それは異世界から転移した者も例外ではなく、万吉も近くの中学校に通っていた。

 「わかりましたにゃ。今はお手伝いということで我慢しますにゃ。でも、きっとお役に立ってみせますにゃ。」

 万吉は本格的に働くことは断念したものの、役に立つことを諦めてはいないようだった。

 「じゃ、あたしは稽古に戻るよ。あの子たちをあのまま返しちゃ、置屋のおかあさんに顔向けできないからね。」

 師匠の後ろからめいちゃんが現れ、とてとてと万吉の前に歩み寄る。また何かされるんじゃないかと身構える万吉だったが、

 「ねこしゃん、おて。」

 万吉はずっこけた。

 「猫はお手しないにゃ。あと僕は猫じゃない、万吉だにゃ。」

 めいちゃんは首を傾げて、しばらく考えていた。やがて結論が出たらしく、小さな口を開いた。

 「ねこだを。」

 「猫じゃないにゃー」

 万吉の叫びが空しく響き渡った。





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