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視えない音  作者: うち
4/4

これでお終いです。

校長室に入る前にノックを三回して、校長先生の返事を聞いて、それから校長室に入った。

声を聞いた時点で怒られることはないとは思っていた。そして、校長先生の顔を見てそれが確信に変わった。

「校長先生、一体何の御用でしょうか」

「いえ、あのままだと少々やりにくいかと思ってね」

「やはり見ていたんですね」

「教室の様子を見に行ってみたら、何やら不穏な空気でしたのでそのまま。

私が介入すると絶対に良い方向にはいかないと理解していたのでね。

でも、結果的にはそれが正解でしたね」

「そうですね、悪い気はしませんし」

「でも驚きましたよ、悠太先生の土下座には」

「自分でも驚いていますよ、なんで土下座なんてしたのかって。

冷静に考えれば考えるほど理解できませんよ」

「私が悠太先生の立場だとしても土下座はできません。私みたいな老人にもつまらないプライドがあってそれが邪魔しますから」

「でも、土下座が正しいことかはわかりませんよ。人が普通はしないことをしているんですから」

「それはそうですけど、彼女たちには悠太先生の気持ちが確実に伝わりましたよ。

方法はどうあれ結果が全てです。

結果的に悠太先生の思いが伝わればそれは間違っていないと私は思います」

「…そうですか」

「そうですよ」

「…校長先生、これだけじゃないですよね。

何かもっと重要な話がありますよね。でないと、校長先生はわざわざ呼び出した理由がつきません。

校長先生は意味なく流れを断ち切る人ではありませんし、空気が読めない人でもありませんから余程のことがあるんですよね」

「その通りですよ、大切な話があります。

でも、悠太先生は少し私を過大評価しすぎですね。私だっていらないこともしますから」

「わかりました、それで本題は何でしょうか」

「【きっかけは先生です】私が呼び出した理由はこれだけです」

「そうですよね、これは自分が創らないとですよね」

「あれ、意外とすんなり受け入れましたね」

「そこは、自分でも引っかかった場所だからです」

「そうですか、先生も随分と変わりましたね。

今まではずっと見ていなかったけど、今ではすっかり見ようとしています、それも真正面から。

でも、本当にそのままでいいんですか。

正面なんて向かなくても、見ようとしなくても、この先死ぬまでずっと生きていけますよ。

悠太先生が今まで生きてこられた様にこの先も問題なく生きていけますよ。

今のままだと、むしろ風当たりが強くなる一方ですし、見たくないものまで見えてしまいますよ。

それでも本当にいいんですか、悠太先生。

一度キズついたら簡単には消えませんし、一生残るかもしれませんよ。

悠太先生、本当にそれでもいいんですか」

「はい、喜んで」

「…本当にどうしたんですかね、悠太先生は。

二重人格を疑いたくなりますよ」

「流石に酷いですよ、校長先生」

「すいません、冗談です。

恐らく、元々悠太先生の中にあったんでしょうね。そうやって生きたかった思いが常に。

それが今になってようやく姿を現した、それだけのことですね。

じゃないと、あんなに速い返事はできませんから。

却って私が恥ずかしくなりましたよ。

悠太先生を確かめようとして、しつこく問いかけていた自分が。

まぁ、でも良かったです、先生に出会えて」

「急にどうしたんですか、校長先生」

「老人の楽しみですよ、若い子を見守るのが」

「よくわかりませんが、私も校長先生に出会えて良かったです。

この学校に呼んでいただき、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ」

「校長先生、私からも一つよろしいでしょうか」

「全然、構いませんよ」

「じゃあ、遠慮なくいきます。

…校長先生は最初から一人の高校生として見ていたんですね、生徒たちを。

生徒たちと話していてやっとわかりました。

校長先生は一人のただの生徒として接していました。それに校長先生は生徒たちの命を預かっているんだって。

これにも気づけました。

俺は今までずっと校長先生のことを誤解していました。第一線ではない人って、担任の方が大変だって、そう思っていました。

だから、すいませんでした」

「あながち間違っていませんよ、校長の方が楽なことは。それに生徒たちに直接授業するわけでもないですし。

だから謝る必要はありません。

あと彼女たちについてですが、私にできることはそれだけですから。

ただ普通の生徒として見守ることしかできませんから校長には。

それに、それが仕事ですからね。

私としては、生徒には私ができる限りのことをしてあげたいんです。

私は日々そう思って校長をしています。

これでいいですか、悠太先生」

「はい、ありがとうございます」

「ところで、悠太先生、きっかけのヒントは見つかりましたか」

「だいぶ、いきなりですね。

でも、うーん、まぁそうですね、ありますね一応」

「そう返してくれると信じていましたよ。

ちなみに内容を聞いてもいいですか」

「まぁ、ぼんやりしたものですけど、それでもいいのなら」

「はい、お願いします」

「…まぁその、みんなで、一緒にどこかに行こうかなと」

「理由を聞いても」

「その、俺が今、生徒たちにできることはこれしかないと思ったからです。それに俺も生徒たちにできる限りのことをしてあげたいからです。

今、俺の頭にあるのはそれだけです。

彼女たちに救われた恩もありますし」

「そうですか、例え後悔してもですか」

「そうですね、はい。

生徒たちと一緒にどこか行ったとして、それがつまらないものになってしまい結果的に後悔しても、俺はそれでもいいかなって思いました。

特に根拠はありません。

ただ、今そうしたいって思ったからです」

「…そうですか…じゃあ、今からでもいいですよ」

「はい?」

「だから、今からどこかに行ってもいいですよ」

「はい?…いやそうじゃなくて…いいんですか…諸々」

「そこらへんの厄介ごとは私が何とかしますよ」

「いや保護者はまだしも、教育委員会とか上層部は抑えられないですよ」

「いえ、問題ありません、私が上層部ですから。

これでも、結構お偉いさんなんですよ」

「…それは、知りませんでした。

あ、いやでも、俺車が家にあるんですけど」

「私の車を貸してあげたところですが、私もこれから用事ができたので厳しいです。

それに、山道をいきなり人の車で走るのは危険が高すぎます。

あ、そういえば、マニュアルですけど」

「じゃダメですね」

「そうですよね、今の時代オートマが主流ですからマニュアルに乗る必要もありませんからね」

「俺はオートマ限定なんでね、そもそもその気がないですね」

「人それぞれですね、今の時代は、本当に。

そこに偉いとか劣っているとか、上下格差なんてないですね」

「それは一旦置いて、この後どうしましょうか。

車がなきゃ、どこにもいけませんよ。

都会ならバスと電車があるので、車なんて税金だけの不必要なものになるかもしれないですけど。

ここは田舎なんで無理ですよ。

また今度でも大丈夫じゃないですか」

「それは、言い訳ですよね、悠太先生。

言い訳なんて拾ってこなくていいんです。

私が了承したので何も心配はいりません」

「…そうですね、理由を見つけようとしていました。

自分が行動しなくてもいい理由を。

もうやめますね、こういうのは。

みんなで絶対に今日中に行きます」

「そうです、この場合は熱が冷めないうちに行動です、今のその気持ちが大切です。

…で、どこに行くんですか」

「…そ…その…この学校の上にある展望台にでも行こうかなと…

別に…空とか街並みが見たいってわけじゃなくて…今から行くとなると展望台がいいかなっていうことですから…」

「…わかっていますよ、そんなこと。

まぁ、それなりに有名ですからあそこの展望台。彼女たちも喜ぶと思いますよ。

じゃあ、そうと決まれば早速移動ですよ」

「俺はどうすればいいでしょうか」

「そうですね、まずバスで自宅に帰りそこから車で学校にきて、それから展望台ですね」

「やっぱり、展望台まで行くバスは出ていないんですね」

「この時期、展望台に行くバスを出しても収益は見込めませんから」

「じゃ、自宅に行くバスはいつ来ますか?」

「今が三時のおやつの時間なので五分後です。

それを逃すと一時間後です」

「ヤバイじゃないですか、もう動かないと」

「そうですね、ヤバイです」

「そんな呑気に言われても」

「呑気じゃないですよ、安心しているだけです」

「どっちでもいいですけど、もう俺行きますよ、これ以上は間に合わなくなるんで」

「はい、いってらっしゃい。

悠太先生の自宅からだと往復二時間なので午後五時にまたお会いしましょう。

生徒たちには説明しておきますから」

「はい、お願いします、では」


校長室のドアを開け廊下を走る、校則違反だがお構いなしだ。

そして、玄関で靴を履き替えバス停に向かう。

この時俺は走馬灯をかけるように走り出した。

走馬灯を見たことはないがそんな気がする。

もしかしたら俺が死に際に見る走馬灯は、今俺が見ている景色だけなのかもな。

そんなことを考える年頃ではまだない。

それに、俺がこれから見るであろう景色も走馬灯になる。

そのまま、俺は時間通りにきたバスに間一髪乗り込み椅子に座り呼吸を整える。

でも、又しても死戦期呼吸の俺はそう簡単に安静にはならない。呼吸ができないことはよくあるが、この感覚は小学生以来だ。

それは、今動いている自分が現実の自分なのに、まるで夢を見ているかのように感じる感覚だ。何というか遅く感じる、これは現実なのかわからなくなる感覚だ。サッカーで初めてゴールを決めた感覚と似ている気がする。

正体は不明だが呼吸をすることでしか現実だと感じられない。

なので、ひたすら呼吸を整える。

ようやく、安静になった時にはもう自宅にいた。バスから降りて自宅までの道のりは正直記憶がない。

蛇口を捻りグラスに注ぎ身体に注ぐ。

このひと手間が邪魔で鬱陶しいが、こうしないと上手く飲めないので仕方がない。

満足した俺の身体は、また一つ増えた洗い物をシンクに置き車の鍵をとり車に乗り込む。

そしてバスに揺られてきた道のりを、今度は向きを変えて進んでいく。



先生が校長室に連行された。

そして、その数分後に先生が玄関に走っていったらしい。私は、何が起こっているのか全くわからない状況だ。

「せんせー、校長室に連行されてから何があったんだろね」

「それ、私もわかんない」

「お、やっぱ、ちーちゃんもそうだよね」

こればっかりはみんな同じ気持ち。

誰だって気になる。

「恐らく、さっきのことでしょ、まぁ先生が怒られてなければいいけど」

「それはそうだね」

江口さんは芯をついてくる。

さっきの出来事が原因なのはわかっているけど、そこに触れてくるとはね。

「気にしなくても大丈夫だよ、江口さん。

先生は怒られてないと思うし、仮にそうだとしてもそれは江口さんだけが悪いわけじゃないから」

「べ、別に、気にしてなんかないから」

江口さんはツンデレだ。

これから江口さんをからかおうとした時、教室のドアが開いた。

先生がいないから校長先生だと推測できる。

「ちょっとごめんね、しばらく私も暫く留守にするからこの教室の中で各自好きな様にしてて。じゃあ、そういうことだから」

校長先生はそれだけ言って玄関に向かった。

取り残された私たちは、もうわけがわからないから一旦冷静になろうと心を静める。

一人を除いて。

「やったー、自由だって、ねー何する」

中山さんは、絶対に繊細な性格ではないと信じたい。こんな元気っ子ガールはもっと横柄な性格が似合うのに。

「教室には何もないし、お話ぐらいじゃないかな」

「そうかそうか、ちーちゃんはお話がしたいのか」

「…じゃあ…私のあだ名を考えよう」

「いいね、佐山さん」

佐山さんの提案に私は乗る。

江口さんのあだ名を知るための条件だから。

それに、みんなと会話している時間が一番楽しいから。

まぁ、先生たちはすぐに帰ってくると思うから今のうちに楽しんでおこうっていう腹だ。

「じゃあね、えっとねー…」

中山さんの一声で始まったガールズトークが、二時間も続くことになるとはこの時の私たちはまだ知らなかった。



「よし、17時ちょい前」

俺は学校の駐車場に車を止めてから時計を確認した。時計を確認してすぐに車を降り玄関で靴を履き替え廊下を走る。

そして、ようやく教室のドアを開ける。

「…よし、じゃあ行こうか、みんな」

「…どこに…ですか」

「へ」

息を切らしている俺には思考回路が切断されている。そのせいで、わけもわからず『へ』なんてダサい声を出してしまった。でも、その声で頭の回転を再開することはできた。

「え、校長先生から何も聞いていないの?」

「はい、この教室で自由にしてろって」

「まじか、校長先生」

「まじです」

「そうか、教えてくれありがとな、静間」

このまま生徒たちを勝手に連れ出すわけにはいかないので校長先生に電話する。

校長先生が今この学校にいないことは車と靴で知っている。

「ちょっと、校長先生に電話してみるから、静かにな」

「「「「はーい」」」」

校長先生は電話にすぐ出た。

「もしもし、悠太ですけど、校長先生どういうことですか」

「何か問題でもありましたか」

「大有りですよ、生徒たちに説明していないじゃないですか」

「…ああ…それは…どうもすいません…忘れていました」

「勘弁してくださいよ、説明するの恥ずかしいですし大変なんですよ」

「すいません、本当に、今度ご飯奢りますから」

こうもあっさり謝られてしまうと追求できない。こういうときに、我々の国民性が顕著に現れる。

別に奢りに反応したわけではない。

「まぁもういいですよ、でも校長先生は今どこで何しているんですか。

学校でまた会いましょうって言っていたじゃないですか」

「すいません、いろいろと時間がかかっていまして。

今は学校に行けそうもありません」

「いいんですよね、本当に、生徒たちを連れ出しても」

「はい、大丈夫です。

もう行ってもらって構いませんから。

生徒たちの安全だけはお願いしますね。

怪我とかは絶対にダ…」

校長先生の言葉が途切れる。

突然のことで不安になる。

電話自体は繋がっているので耳をすます。

すると、何やら怒っているであろう女の人の声が聞こえてくる。何を喋っているのかは不明だが切羽詰まった声だ。

怖くなった俺は念のためもう一度確認する。

「校長先生、本当に大丈夫ですよね」

「…はい、大丈夫ですよ。

今はただのお話中ですから気にしないでください」

「…わかりました、じゃあ行ってきます」

「悠太先生、最後にもう一度聞きますね。

何をしに行くんですか」

そんなことは決まっている。

「みんなで、同じ景色を見てきます」

「うん、安心です。

それじゃあ、安全運転でお願いします。

悠太先生は山道苦手だと思うので」

「…精一杯頑張ります」

校長先生は、俺が山道を嫌っていることを再び思い出させた。今思えば、なんでここまで俺は運転できたのか不思議なくらいだ。そんなことを考える余裕すらなかったのかもな。

まぁ、無意識より意識した方が絶対に安全だから今の方がいい状態だ。

でも、精一杯頑張ったところで事故ったら全てがご破算だ。

なので、いつも以上に安全運転を心がけよう。

今回は、大切な生徒たちがいるから。

俺だけの命ではない。

それを肝に銘じて運転する。

「ではまた、校長先生」

電話が切れる直前にも、先程と同じ女の人の声が聞こえた。事件性はなさそうだから、別に予定は変更しないけど。

でも少しは不安だ。

「せんせー、電話終わった?」

「ああ、終わった。

で、早速だけど、これからこの山の上にある展望台行くから俺の車にみんな乗って」

生徒たちは困惑している表情だ。

まぁそんなことは想定済みだけど、対応策なんてない。

一点突破だ。

「はい、さっさと動いて玄関行くよ、時間ないからねー」

時間配分は決まっていないので焦る必要はないが、何も知らない人にはこれが一番効果的だ。細かいことは運転しながら説明するから、今はこれでいい。

俺の言葉を受け生徒たちはお互いを見合っている。

そして聞いてくる。

「まじですか」

「まじです」

静間の問いかけに、一切の間を与えない返事を聞かせた。

「やったー!行こう行こう、早く行こう」

中山の一声で生徒たちは動きだした。

なにやら、中山だけでなく他の生徒も喜んでいる。何となくわかるけど、理由は運転中に聞こうかな。

よし、これで後は車に乗って運転するだけだ。

これが一番重要なんだけど。

俺は山道で気をつけるポイントを復習しながら玄関に向かって歩いていく。

俺の後ろには生徒四人がついてくる。

昨日も見た光景だが、今は違う角度から見えている。

玄関に到着した俺は靴を履き替えながら昨日を振り返ろうとしたが、今は運転に集中しなくてはいけないので一旦その思考だけを停止する。

玄関を出た後はもちろん、俺にしがみついてくる生徒たちが転ばないように細心の注意を払いながら車まで案内する。

そして、生徒一人ひとりを丁寧に車に乗せる。

それから、自分も車に乗って深呼吸する。

「せんせー、緊張しているの?」

「先生が緊張するとこっちまで緊張するから止めてください」

助手席に座った中山、運転席の真後ろに座った江口がうるさい。

それに比べて、真ん中の佐山と助手席の真後ろの静間は静かでよろしい。

席を変わってほしいぐらいだな。

「せんせー、今、席変わってほしいとか思ったでしょ」

中山は繊細な性格さ故に、人の心を理解する能力が高すぎる。

まったく厄介な者だな。

「大丈夫だよ、緊張している方が緊張していないときと比べて安全運転だから」

「せんせー、最後の言葉を無視しないでよ」

「よし、全員シートベルトしたな、じゃあ出発だ」

全員がシートベルトをしたことを目視で確認した。それから俺は展望台を目指してラジオと中山を流してアクセルを踏んだ。



「私、フィットインのこの曲がいい」

「えー、絶対にこっちの方がいいよ、みんな知っているし」

「おい、勝手に俺のスマホをいじるな」

中山と静間が人の個人情報の集大成を本人の許可なくいじる。今どきの子は、俺の世代よりも個人情報にはうるさく言われているはずなのに。

俺にはもうお構いなしだ。

「てか先生、画面ロックしてないの」

「いやー江口、それなんだけどな、俺の両手が塞がっていることを利用して突破してきたんだよ。これが顔認証の欠点だな」

「それは、お気の毒に」

そう、俺が一生懸命運転している最中にいきなり顔認証させてきた。

当然前が見えなくなるので危険だ。

まぁ、赤信号で車が停止している時にやってきたからそのあたりは弁えていると思うけど。

「みんなー、どっちの曲聞きたい」

「…わ…私は、このままラジオでもいい」

中山の問いかけを一刀両断する佐山を俺は応援する。

ラジオが一番平和だしな。それに、女子高生が選ぶ曲なんて俺にはわからんからな。

「この時間のラジオなんておっさんしか聞かないよ」

「そうだよ、聞いていたら加齢臭になるよ」

「おい怒られるぞ、視聴者と世のおじ様たちに。それに、俺を筆頭にみんな頑張っているんだからな」

「だってよ、ちーちゃん」

「いや、すーちゃんもでしょ」

この二人はだいぶ失礼だが今回だけは許そう。

なにせ他の二人も楽しそうだから。

今は、次はないと心に決めるだけだ。

「ねー、江口さんはどっちがいい」

「私は決まっているでしょ」

江口は先程までとは違い何か自慢げな表情になった。中山は自分の味方になると確信しているかの表情だ。

「私は自衛少年、一択でしょ」

「「「それはない」」」

「なんで!」

全員から否定された江口は驚きの感情しかない。悲しさや儚い感情は一切感じ取れない。

本当に驚いているパターンだ。

「私たちはアイドルの曲は聞かないの」

「あんなの裏の人たちが創造した賽銭箱だもん」

「…それもお札限定の」

「あんたたち、そんなに酷く言わないで。

私たちファンは望んでやっているの。

それに、私たちのお金でアイドルたちが生活できるんだからwin-winなの。私も救われるしアイドルも救われる素晴らしい循環なの」

「ああ、これはもう手遅れだわ」

「そうだねちーちゃん、これは何というか、逆に幸せみたいなとこあるよね」

「…最低です、人の良心を利用するなんて。

それか、承認欲求かもしれませんけど。

まぁ、どっちにしろ素晴らしい商売ですね」

最後の佐山の皮肉が響く。

確信をつく言葉にというか、佐山がそんなこと言うんだ、っていうギャップにだ。

まぁ、佐山の言っていることは正解だしな。

「そうだな佐山、そんなもんだ世の中」

「じゃあ先生は自衛少年聞きますよね?」

「すまない江口、そもそも知らなかった。

いや、別に知らない俺が悪いだけだからな、うん」

「先生、そういうのが一番ダメージ与えるって知っていますか」

「すまんすまん、ごめんな江口、別にそういうつもりじゃないんだ」

「いや、絶対にわざとです」

恐らくこれは何を言っても怒られるパターンだ。

ここはもう黙るしかない。

「だからおっさんは時代に取り残されるんですよ」

「おい、おっさんをコケにするな。

よし、中山と静間、アイドル以外の曲を展望台に到着するまでかけまくれ」

「「はい先生!」」

「あーちょっと先生、それはダメです」

「いーやダメじゃない、世のおっさんをコケにした罰だ。それがなければ曲かけてあげたけど、残念だったな」

江口には罰則を与えなくては。

おじ様の努力こそが我々の経済を支えている、そのことを理解させなければならないから。

すまないな江口、君にはその犠牲になってもらう。

「それなら私寝る」

すると、江口はそれだけ言い残して不貞腐れながら目を瞑った。

ルームミラーで確認するが後ろの二人はまだ元気そうだ。

でも、教室にいた時よりは目が起きていない。

「いいぞ、みんなも眠っても、もちろん中山もな」

みんな眠っていた方が運転に集中できるから俺は構わない。それに、展望台に到着したときに眠くても困る。

だから、みんなにも休眠を促す。

そして、俺の言葉を受け取った後ろの二人は、最初はまだ顔を上げていたが十分経過したときにはもう下を向いていた。

でも、助手席の中山はまだ起きている。

「中山、いいのか寝なくて」

「私はせんせーの運転をサポートしないと」

「大丈夫だよ、気にしなくても、俺は疲れていないし。それに俺は必要としてもらいたいからさ、みんなに。

だから中山も俺に頼ってほしい。

その分俺も中山とか他のみんなにも頼るからな、いいな」

「りょ」

「まぁいいか、今はその返事でも」

そして、俺は現在かかっている曲を止める。

この会話が終了してそのまま中山も下を向いたから。

それから、また十分経過して俺以外はみんな寝た。これで、誰も俺を気にかけてくれる人はいなくなった。俺の運転を心配する人も後ろで騒ぐ人もいない。

ただ一人で孤独な俺が、自分と生徒のためだけに運転する。

何の見返りも求めないで。

でもこれが、俺の生きている意味だと思う。

だって、これは俺を頼りにしている証拠だから。

必要とされている証拠だから。

この事実に直面したとき、俺は涙が出てしまった。

不図、溢れだした涙は出しても出しても一向に収まる気配がない。

誰にも見られない、誰にも感動を与えない孤独な涙は、出すだけ損だと思う。

でも、俺が求めてきたものは今俺の中にある。

それと交換したと考えればいくらでもくれてやる気分になる。もう開き直った俺は止めることもしないで進み続ける。

それに、俺は泣きながら笑ってしまう。

人前で泣きたくないくせに、一人で孤独な涙も嫌。

この傲慢さに。

自分でもわかってはいたが、流石に自分勝手だと思う。

今更って感じはあるけど。

まぁだから笑うしかないんだけど。

暫く、泣いて笑うを繰り返すと何もない感覚がやってくる。この感覚は、俺は初めて体験するが気分は悪くない。むしろ絶好調というか晴れやかな気分だ。

これが泣けばスッキリするという感覚だと思う。確かにスッキリするし明日も頑張ろうと思える。この時、俺は初めて泣くことが悪くないと思えた。

「あと少し、運転頑張るか」

俺の声に反応する音は寝息だけだが、俺にとってはそれが返事だ。

俺は上下左右すべてに意識を集中させ、常に歩行者を警戒して全ての交通ルールを遵守して通行していく。

そしてそれから、普通なら一時間で到着する道のりを、約一時間半かけて展望台に到着することとなる。



「到着したぞ、展望台」

「うーん、せんせー、今何時ですか」

「今は19時です」

「うん、午後7時ってことだよね」

「そうだ」

「そうだよね、うん……え!7時!」

「そうだ」

「かかりすぎじゃないですか、先生。

もうだいぶ暗くなっていますよね、私でもわかるぐらいに」

「ああ、そうだな」

「『そうだな』ってねー」

「よし行くか、絶景スポットに」

「あれ、みんなはもう起きているの?」

「今さっきな、最初に江口が起きてからドミノ方式に二人が起きた」

「おはよー、すーちゃん」

「うん、ちーちゃん」

「よし、シートベルトだけ外しておいてくれ。

これから一人ずつ降ろしていくから」

まずは江口からだ

後ろの右ドアを開け江口の手をとり降ろそうとする。でも江口は、俺の補助なしに車から降りようとする。

「初めて乗る車だから一応な、怪我しないよう念のためにな」

「じゃあ、そのまま見守っていて、それが一番安心するから」

そう言われたら俺は黙るしかない。本人がそう言っているのだから従うのが今は最適だと思う。

そう思っているうちに、江口は何事もなく降りられたので良かった。

でも、俺はここで違和感を覚えた。

降りた江口が顔を上げようとしないからだ。

「どうした江口、具合でも悪いのか」

「やっぱり先生ってバカですよね。

普通、ここにきて顔を上げない理由なんて一つしかないと思いますけど」

「え、そうなの」

「本当にわからないんですか?」

「すまない、本当に」

「だから、みんなで、一緒のタイミングで、見たいんですよ」

「あ、そうか、そういうことか」

「私は目開けたら『そこには絶景が』みたいのが好きなの、女はそういう生き物なの」

「わかったわかった、じゃあ、絶景が見えるところに案内するから俺の肘に掴まってくれ」

「そんな他人事じゃないんだからね、先生だってまだ見ちゃダメだからね」

「それは厳しいぞ、生徒を誘導するときに俺の視界には入ってくるからな」

「じゃあ、できる限りでいいから、絶対だよ先生」

「あー、頑張る」

「怪しいな」

江口と会話しながら数十歩進むだけで絶景スポットに着いた。

「よしもう着いたぞ、じゃあ江口はこの手摺に掴まっていてくれ、みんな連れてくるから」

俺はそう言うと、江口の両手を持ち手摺を掴めるように誘導してから車に戻る。途中、江口の『フン』という声が聞こえた気がするが気のせいだろう。

そして、江口と同じ手法で他の生徒も誘導していく。

中山、佐山、静間の順番で。

理由としては、中山が勝手に車から降りていたから一番で、静間は靴が片方脱げていたことに気づき、足の感覚を頼りに紛失した靴を探していたので最後になった。

でも、中山と佐山を誘導している間も見つからず結局俺が見つけ出したけど。

それからようやく、最後の静間を車から降ろした俺は車に鍵をかけ、静間と一緒にみんなの元へ行く。

「先生、みんなまだ景色見てないよね」

「ああ、見てないよ、みんな下向いて目閉じている」

「私はいつも閉じているから安心だね」

「そうだな、あ、ちなみに俺もまだ見てないぞ」

「視界に入ってこないの」

「俺の得意技なんだよ、視界を狭めて見ないようにする技は」

「なにそれ、自虐ですか」

「かもな、たぶん」

「先生、私たちとの距離近くなったね」

「そうだな、本当に良かったよ、この学校にこられて。

感謝しているよ、みんなに」

「こんなこと言うと図々しくなっちゃうけど、私も感謝しているからね」

「そうか、それは嬉しいな。

まぁ、何が図々しいのかは聞かないでおくよ」

「そんなこと聞かなくてもわかりますよね、先生なら」

「何となくだけどな」

「それでいいんです。

それに先生は、このまま近い距離にいてくださいね。今の距離感が心地よいので」

「わかったよ」

静間の図々しさという名の謙虚さに触れながら、俺たちはみんなと合流した。

「よし準備完了だな、じゃあ、どのタイミングにする」

「三、二、一、零、の零で目を開けましょう。

あと、ここは街並みを一望できることと、星を近くに感じられることで有名です。

なので、最初はまず街並みから見ましょう。

そして、そこから徐々に上を見ていきましょう。これが一番の楽しみ方です」

「すごいね江口さん、観光大使みたい」

「はいわかったからちーちゃん。先生早くお願いします」

「本当に楽しみなんだな、でもそんなに焦ることはないぞ。

目的はもうそこにあるからな」

「わかっていますよ、みんな」

「そうだな中山。

よしそれじゃあ、江口の案でいくぞ。

もちろん、みんなでカウントダウンするからな」

「「「「オッケーです」」」」

「…せーの」

「「「「「三、二、一、零」」」」」


視えてきたものは、

辺り一面を山々に囲まれた街が山を越えようと歩きだしている様子。

人工物が自然に抗うよりも、自然に飲み込まれた人工物という感覚。

それとも、人工物と自然がお互いに手を取り合って融和している景色。

自然環境なんて一切壊されていない、そう思える緑の大地。

それか、雄大で壮大な自然がその美しさの裏に誰にも見られたくない何かを隠しているような神隠し。

いや、全て合ってはいないだろう。

人間が携えてきた言葉も持ってすれば視えているものを表現できるが誰にもその意味がない。

知りたいと思わなければ伝わらない

見ようとしなければ見えてこない。

行動しなければ映らない。

これは俺だけが見えているものだから。

ただ誰かにこれを伝えるとするならば、一番初めに刷り込まれた、電気という光だ。

煌めくわけではなく主張もしないその光は、食物連鎖の一部に組み込まれているかのごとく自然に居座っている。

誰も咎めない、誰も嫌がらない、その光に天敵は一匹も存在しない。それに、人間だけでなく地球上全ての生物の拠り所になっている。

その光を中心に自然が広がっていると錯覚を覚えるぐらいに。

それはまるで、人間の心のようだ。

人々は何かに照らさせて日常を特別なものに変えていく、反対に照らしてくれる何かがなければ、ただ暗い極夜が永遠に続くだけの代わり映えしない日々があるだけ。

どちらも間違っていない。

ただ、その光には当然ながら害虫も寄ってくる。それに、雑草も生えてくる。

自分の環境に勝手に踏み込んできて破壊していく、そんな望んでいないものまでもやってくる。

そうなれば、除草剤やら殺虫剤でそいつらを排除する手間も増えるだろう。

その光が強くなればなるほど、より。

でも、良くも悪くもあるが極夜よりは確実に景色が変わる。

いつもと同じ景色ではなくなることは生きる上での潤滑油である。

それだけは間違いない。

まぁ、これは俺の勝手な見方だが。

自然は誰も何も言わない、伝えることすらできない。全ては、都合よく理解する人間の思念が喋っている。

俺もその一部である。


「せんせー、どんな感じ」

俺の些細な変化を中山は逃さない。

俺はただ微笑んでいただけなのにな。

気持ちの変化が見えているのかな。

「まぁ、人間の心みたいだよ。

光っている部分とそうでない部分があって、それを山々が囲んでいる。そんな感じかな」

「何ですかそれ」

「私は、何となくだけどわかったかな、ちーちゃん」

「私も少しはわかるよ、さっきの言葉は普通、絶景見てから言う言葉じゃないから言っただけ」

「まぁ、普通そうだよな」

絶景を見てから『人間の心』なんてどう頑張っても出てこないよな。

景色を見に来た人は『綺麗、幻想的』とか言うのが普通だよな。

俺の人生が右往左往しすぎて、景色の見方までも右往左往している。

「でも、それも一つの見方ですよね」

「そうそう、景色なんてそれ以上でもそれ以下でもありません」

静間と中山は話を綺麗に締めようとしている。

嘘は言っていないが、最後の中山に関しては若干のポエム臭がする。

「中山、それは作詞の一環か」

「あ、それ、私も思った」

「こんな脆弱な歌詞書きませんから、私は」

静間と意思疎通したが本人としては違うらしい。

ところで、他二人が気になる。

「どうだ、佐山と江口は」

二人は見つめ合って話す順番を決めている。

順番が決まってから、すぐに江口が口を開く。

「うーん、綺麗は綺麗ですけど、期待していたよりは残念だった感じですね。

まぁ、私が期待しすぎたんでしょうけど」

「…俺が言うのもあれだけど、そんなこと言うなよ」

「だって、ホームページの写真はもっと幻想的だったし『見た人は心を魅了され、生涯忘れることはないだろう』って書いてあったんですよ」

「そんなものだホームページは、信用するな」

「まぁでも、私がハッキリ見えないからかもしれませんけど」

「…かもな」

「あれ、先生、随分と図太くなりましたね」

「だって嫌なんだろ、同情されることが」

「まぁそうですけど、なんか可愛げがなくなりましたね。

そこが少し気に入りませんけど」

「そうか、俺は成長しているんだな」

「はぁ~、はいはい、そうですそうです」

江口は成長した俺に呆れてしまった。

でも、江口が今まで誰にも呆れることができなかったと思えば可愛いものだ。

俺は、また目を閉じた江口を見ていると来て良かったと思う。

「じゃあ、佐山さんは」

静間が佐山を呼ぶ。

そういえば、まだ佐山のあだ名は決まっていないんだな。教室にいた二時間で何をしていたのか余計に気になってきた。

「えっとね、私はすごく綺麗だと思うよ。

本当にただ単純にとても綺麗だって、そう思うよ。

ここに展望台があることも知らなかったし、絶景スポットで有名なことも知らなかったからかな。

たぶん、なんの事前情報もなくきた人の一般的な感想かな。

でも、有料なら話は変わってきますね」

「最後は絶対余計だけど、やっぱりいい景色なんだね」

「うん、そーだよ」

中山も俺と同じで安心した。

まぁ、確かに有料なら話は変わってくるけど、綺麗であることは間違いない。

三者三様だが、根本的には一緒だな。

「あとね、それにみんなで見ているからってのもあると思うよ」

このタイミングで言うのはずるいな。

そんなこと言われたら、こっちが照れるし恥じらいを覚えてしまうから。

「あれ、先生、赤くなっていますよね、ねー佐山さん」

「うん、すごく赤くなっているよ、先生」

「え、先生ってそんなロマンチストだったんですか」

「先生にもそんな感情が芽生えたんですね」

静間のロマンチスト、中山の芽生えた、これはもはや煽っている。最初は照れた恥じらいだったが、怒りの赤へ変化してきた。

でも、俺にそんなこと言ってくれる生徒は今までいなかったな。

そう思うとまた眼が滲んできた。

これ以上は流石に笑えない赤っ恥なので話を変える。

「で、後は夜空を見るだけだな」

中山と会話してそれから景色を見ていなかったから俺はまだ夜空を見ていない。

よし、みんなも見ていないか聞いておこう。

「まだ、見てないよな、夜空」

生徒たちは俺の方向転換の強引さにあっけにとられている。俺の顔を見つめることしかできない。

いや全て理解して上で、あえて黙ったまま俺をただ見つめているだけかもしれない。

「まぁ、いいか」

ここで、江口が折れてくれたおかげでその場の空気は先程と同じものに戻った。

戻ってこられたので、もう一度確認する。

「みんな、準備はいいか」

「「「「うん」」」」

生徒たちが同意したことを確認して俺は上を向いた。

視界は街と山々から、触れることのできない夜空を捉えた。

「…きったねー空だな」

俺は絶景スポットの夜空を見た瞬間そう言った。

一面を巨大な雲が覆い全く光が差し込まない、ただただ暗い大空は、文字通りの夜空だ。

残念なことにお世辞すら出てこない、見繕う言葉すら浮かばないほどの夜空。これのどこが絶景スポットなのか教えてもらいたい。

そんな時は、みんながどう見えたのか聞いてみよう。でも、俺が聞くよりも先に生徒たちに聞かれる。

「え、カウントダウンしないの、せんせー」

「もう見たんですか、先生」

「一緒に見ようって言ったじゃないですか」

「酷いですよ、先生」

カウントダウンは忘れたわけではなくて必要ないと思ったのだ。

また同じことするのは面倒くさいと思って。

でもこれは、自分で勝手に判断した俺が悪いので素直に謝るしかない。

「すまんすまん、必要ないと勝手に思っちゃって。確認しなかった俺が悪かったな」

「いや、別にそんな本気で謝らなくても大丈夫ですよ。最初の私たちは冗談ですけど、最後の二人は嘘ついているんで」

「え、そうなの、静間」

「私とすーちゃんはまだですけど、あの二人はもう見ていますよ絶対。

女の子が街と山々だけで満足するはずがないですよ。絶対、先生が『人間の心』って思っている時に既に見ていますよ。

二人は、それも含めて感想言っていますもん。

先生ぐらい正直な人じゃないと、街と山を夜空と分けて見られませんよ。

普通は一緒に見えちゃいますから。

先生は正直すぎますよ、悪いことではないと思いますけど」

静間にそう言われてから、例の二人を見ると笑っていた。

どうやら確信犯みたいだ。

俺が『準備はいいか』とか言っている時から心で笑っていやがったな。

江口と佐山のせいでこんなに夜空が汚いのだ。

そう思うことにした。

「それにしても先生、『きったねー空』って本当ですか」

「本当だよ、文字通りの夜空で光の差込口すらない」

「でもそれって、普通の空ってことじゃないの」

「ああ、確かにそうだな、いつも家で酒を飲みながら眺めている夜空と何ら変わらないな」

「それは、汚い空ですね」

「おい、それはどういう意味だ、静間」

「特に意味はないですけどね。

でも、汚い空って具体的にはどんな感じですか」

「…まぁいいか…

それはな、真っ暗で光のない空みたいな感じかな」

「さっきと同じこと言っていますよ」

「表現が難しいんだよ、うーん。

『星一つない曇り空』みたいな」

「…逆じゃないですか、普通…

まぁ、でもそのおかげで見えてきましたよ、汚い空の情景が」

静間にも夜空が見えてきたらしい。

そういえば、静間と中山は空をちゃんと見たことがないんだよな。何が普通の夜空で、何が汚い夜空かわからないよな。

基準が存在しないから。

でも、俺が伝えたからもうわかるけど。

視えないのなら見えるように伝えればいい。

それ以上でもそれ以下でもない。

俺もポエマーに昇進だな。

じゃあ、江口と佐山もポエマーになれたかな。

「佐山はどうだ」

「はい、普通です。取り上げるものでもありません」

恐らく、佐山はどんな景色でも全く感動しないタイプだ。

景色は景色、って感じで捉えているな。

「景色は景色だもんな」

「はい、それ以上でもそれ以下でもありません」

「うんうん」

これでいいのだ、これで。

こんな臭いこと言って、ダサいとかハズイとか言っているうちが平和な証拠だから。

「…あのね、みんな、今日はたまたま天気が悪いから残念な景色になっているだけだからね。天気が良かったら星が広がって綺麗な夜空で誰もが魅了される景色なんだからね。

…だから、その、また来ればいいでしょ、みんなで…

か、勘違いしないでよね、私は別に絶景が見たいだけなんだからね。あと、家よりも学校からの方が展望台に近いってだけだからね」

江口はずっと友達とどこかに行きたかったんだろう。

それが今日できた。

それに今が物凄く楽しいと感じている。

そう勝手に解釈した俺は、居ても立っても居られなくなり江口の頭を撫でる。

当然、本人は嫌がる。

たぶん表向きだと思うけど。

最初は、俺の手を頭から離そうと必死だったが今は俺の手に触れているだけだ。

それに、言葉にならない声も今では聞こえないから。

「…そうだな、また来ような、みんなで」

江口の頭を撫でながらそう言う。

各々頷いている。

俺は初めて有言実行しよう、そう思えた。

「きったねー空だー」

暫くの沈黙の後、中山が笑いながらそう言った。ただ夜空を見ながら呟くように。

言葉の意味は酷いけど、言葉の受け取り方によって意味は変化する。

そして、俺はただ同じ言葉を返すだけ。

「きったねー空だな」

中山は俺の顔を見て笑いかけてくる。

いや、中山だけでなく他の生徒も同様に俺を見てくる。

誰も何も言わずに。

不思議なことに無言でいても気まずくならない。普通なら気まずくて何か会話しようとするが今回はそれがない。無言でいても気まずくならない、これが一つの境界線だ。

世間が言っていることは、あながち間違っていないのかもしれない。

世間の一部になっていながら、ただ夜空を見ているとまた中山が口を開く。

「でもね、夜空なんて汚くてもいいんだ。

だって、そんなこと関係ないもん」

「そうなのか」

「うん、だってね。

私たちは今、同じ景色を見ているんだから。

もう充分、綺麗だよ」

そうだな、俺たちは同じ景色を見ている。

そこに壁や違いなどはない。

あるのは俺たちの思いだけ。

俺たち人間が同じ思いで同じことをしている、それだけ。

誰しも簡単ではないから俺たちは特別な思いでいる。

だからこそ価値は上がり憧れが増していく。

この景色を目指そうと。

決して一人だけでは見ることができない景色を。

これが幸せかどうかは人それぞれだが。

俺は今、たぶん幸せ。

幸せに確証なんてない、人がそれを幸せと思えばそうなる。

でも、俺は幸せと断言はしない。

崩壊すればキズつくから、この思いももちろん残っている。

でもそれ以上に、その先が見たいと思っているからだ。

みんなでこの先にある景色を。

今が幸せと決めつければ、この先、今ある日常に幸せを感じることができない。

人間は、同じ幸せを永遠に感じることはできないから。

そうなれば、幸せを追い求めてしまう。

幸せが既にあることに気づかず、それを放棄して探究してしまう。

俺は現状に幸せを感じつつ、その先にある景色に、囚われることなく追い求めることなく見たい。

なら、幸せは『たぶん、恐らく』とか曖昧に感じることができれば俺は充分だ。

まぁ、これも結局のところ保険だけどな。

俺が少し時間をかけたせいか、生徒たちが中山に答える

「そうだね、すーちゃん、私も同じだよ」

「私たちだってそうだよ、ね、佐山さん」

「うん、もちろん同じだよ」

本当にいい友達だと思う。

協調しながらも遠慮しないで。

「先生はどうなの」

静間に聞かれたが俺は既に答えは決まっている。

「ああ、綺麗だな」

「さっきと言っていること違うよ、先生」

静間は策士な笑みを浮かべながらそう言ってくる。

感動で終わらせるつもりはないみたいだ。

静間のせいでみんなの仲が割かれないか心配だな。

佐山とか特に心配だな。

あ、そういえば、佐山のあだ名はどうなったのか聞いてなかった。

「そういえばさ、佐山のあだ名は決まったのか。それと、教室で二時間もあった暇な時間何していたの?」

「ああ、そうだ、あだ名決めてないや」

「本当に何してたの静間、二時間も」

「最初はあだ名決めようとしていたんだけどね、江口さんがすごい邪魔してきたの。

仕方がないからその後は、私と佐山さんのずる賢いお姉ちゃんトークとかしていた」

「言い方が酷いよ、私はただあだ名は今後も言われ続ける重大なものだから、たった二時間でそれも簡単に決めるのが可哀想だから、苦言を呈しただけです」

「いや言い訳ですね、自分のあだ名を教えたくないからって妨害行為は許されません」

佐山のあだ名を決めるだけなのに、静間と江口はお互い必死だな。

まぁ恐らく、何言っても反対していたな江口。

なら今決めればいいか。

そう言おうとしたとき中山が叫ぶ。

「さやまい!どうこれ、いいんじゃない!」

「それは、ただ佐山と麻衣を合成して一文字だけ短くしただけでしょ。

もっと真剣に考えなさいよ。

そんなんじゃシンガーソングライターなんかになれないよ」

「作詞と関係ないでしょ、あだ名は」

「関係大有りよ」

中山と江口は元気に揉め合っているが、本人の佐山次第なんだよね。

「…それがいい、私それがいい」

本人はお気に入りのようだ。

江口が慌てて佐山に『本当にいいの、後悔しても変えられないからね』とか言っている。

それでも佐山は笑顔で頷くだけだ。

暫くしてようやく折れたのか江口は『私は別に本人がいいならそれでいいのよ』とか言っている。

江口としても佐山の嫌がることはしたくないみたいだ。

「じゃあ、江口さん。

佐山さんのあだ名は『さやまい』に決まったことですし。

あなたのあだ名を教えてもらいましょうかね」

静間が穏やかながらも背筋が凍るような声で江口を問い詰める。

今から拷問でも始まるような空気だ。

江口は、俺たちの顔を見て助けを求めているが誰も助けない。

大人しく白状した方がマシだぞ。

隠し続けた方が却ってモヤモヤするぞ。

すると江口は、静間の圧倒的なプレッシャーに耐えることができずあっさり白状した。

「…う…うらぴょん…へへへ…」

攻められると弱い江口は両手で顔を隠しているが、真っ赤になっていることはまるわかりだ。

「可愛いね、うらぴょん、ぴょんぴょんだって」

「うー、だから嫌だったのよ、そうなるってわかっていたから」

自分が付けたわけでもないのに恥じらいを受けるとは地獄だな。

これは、あだ名に慎重になってしまうわけだ。

「いいじゃん、可愛くて、私もそういうのが良かったな」

「あんたに関してはどっちなのか判断できないのよ、中山。

おちょくっているのか違うのか。

あのね、私は可愛いのは嫌いなの、私はもっとカッコイイ系が好きなの。

だから、髪型もボーイッシュのショートなの」

なるほど、そういうことなのか。

でも、長めの髪型も似合うと思うけどな。

まぁでもそれは言わない。

最近ではこれがセクハラの一種らしい。

もはや、女性を褒めることすら許されない世界だな。

「…でもうらぴょんも長い髪似合うと思うけどね。今度エクステ付けてみようよ」

「それはどうも、中山さん。

まぁでも、あなたがそうおっしゃるのなら、やってみてもいいけど」

意外と乗り気だな江口。

中山が勝手に代弁してくれたが、これなら俺が言っても存外、大丈夫だったかもな。

心残りではないがそう思っていると、スマホのバイブレーション機能が作動した。

スマホの画面を見ると、アプリゲームのイベントが開催されたと通知がきた。

ということは、時刻は20時。

流石にもう帰る時間なので、みんなにそう告げる。

「もう20時だから帰るぞ、これ以上は怒られそうだから」

「えーもう帰るの、もう少しいいじゃん」

「中山、それは無理だな、俺と校長先生が拉致で捕まる」

「別にそれぐらいなら大丈夫だよ」

「大事件だろ、20年で帰ってこられるかどうかレベルだ」

「先生、私お腹空いた、家に帰るまでもたない。はぁ~お腹空いた、夕飯食べたいな」

中山との会話中に割り込んできたのは静間だ。

そして、静間の意見に皆同意している。

まるで図ったかのような連携だ。

まぁ、お腹が空いたのは俺も同じだが夕飯までご馳走したら保護者に怒られそうだ。

『折角夕飯作っておいたのに、もっと速く連絡できましたよね』とか。

ただ、ここでみんなの機嫌を損ねることはできない。あくまでも楽しい思い出として残しておきたい。

俺が、だけど。

だから校長先生に確認してみる。

「ちょっと待っていろ」

電話が繋がる。

「もしもし校長です」

「もしもし悠太です、

あの単刀直入に言いますけど、生徒たちがお腹空いたらしくて夕飯をこれから食べたいと。

大丈夫ですかね、これから夕飯って、保護者とか」

「コンビニなら大丈夫だと思います。

レストランとかは時間かかりますからダメです。保護者には、また私から連絡します。

それでは、また」

一方的に電話を切られた。

先程と同じで女性と見られる人の大きな声が入っていた。

まぁ、許可が下りたからいいか。

とりあえず、さっさとコンビニ行ってさっさと生徒を自宅に返そう。

「よし、校長先生の許可が下りたからコンビニで夕飯を買って、そのまま帰ろう」

生徒たちは顔を合わせて喜んでいる。

生徒が喜んでいる顔は、なんかいいな。

あのまま帰っていたら、この顔は見られなかったもんな。

電話して良かったな。

「なぁ、記念に写真でも撮っておくか」

そう聞いてみた。

なんか残しておきたくて、形として、今を。

生徒たちは俺にも顔を合わせて喜んでくれた。

聞いてみて良かったな。

「じゃあ、先生、私のスマホで撮ろう。

そっちの方が綺麗に撮れるし、みんなと共有できるから」

「オッケーだ、江口。じゃ、スマホ貸して」

「何言ってんの先生、先生の操作じゃ綺麗に撮れないでしょ。あ、あれ、もしかして先生、自分は入らない系ですか」

「一応、そのつもりだったんだけど、撮る人いないし」

「ああ、もう、いらないですよ、そういうのは。そんなテンプレートな芝居しなくていいですよ。

あ、それとも言ってほしいんですか、『一緒に入ろうよ』とか『一緒に映ろうよ』とか」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「今の時代、タイマー設定して撮れますから。

それに、私のスマホカバーはスタンドにもなりますから、撮る人なんて必要ありません。

そこのベンチにでもスマホを置けば綺麗に撮れますよ」

そう言って江口と付き添いの俺はベンチにスマホを置いた。

タイマーは知っていたが、カバーがスタンドになることは知らなかった。

今どきはこれが主流か。

「先生は、たぶんさっきの位置よりもっと右の中央に寄らないと映らないから気をつけてね。

みんなもっとくっついて…そうそう、そんな感じ。じゃあ、みんな十秒後にタイマーセットしたから」

そう言いながら江口と俺は先程の場所に帰ってきた。

俺は少しだけ右の中央に寄っているが。

ポーズは決めていない、各自好きなポーズをしている。

俺はどう映ればいいかわからない。

無難にピースか、いや無難すぎて逆に恥ずかしいな。

俺はポーズが決まらず落ち着きがない。

そのまま時は過ぎ、

「カシャ」

シャッター音が鳴った。

正直、どう映っているのか不安だがこれ以上写真で時間をかけるわけにはいかない。

「じゃあ、コンビニ行って帰るぞ。

さっきと同じで一人ずつ乗せてくから」

俺はそう言いながらスマホを回収して江口に返す。生徒たちは名残惜しそうだがこればっかりは譲れない。

心を鬼にして俺は生徒を誘導する。

中山、佐山、江口、静間の順番で。

そして、全員が車に乗りシートベルトをしたことを確認してから車を発進させた。


五分後に最寄りのコンビニに到着した。

車に乗っている最中の生徒たちは、先程撮った写真の鑑賞会をしていた。

写真が上手く視えない中山と静間は、江口と佐山に見せてもらっていた。

『これいいじゃん』とか『なにこれ』など、とにかく楽しそうだった。

生徒たちの話を聞いていると、どうやら撮った写真は一枚ではなく、連続で撮っていたらしく何枚もの写真があるとわかった。

正直なところ『なら動画でよくね』と思ったが、それは違う気がしてきた。

動かないし音がないから味があるのかもしれない。その一瞬だけを撮る、それが肝だ。


「よし、何食べたいか言ってくれ、買いに行くから」

「カップ麺」

中山が声高々に宣言する。

カップ麺が好きそうと言えばそうかもな。

「私ね、カップ麺食べたことないんだ、親がうるさくてね。家にいる時はお母さんか家政婦さんが作った料理を食べなさいってね」

『家政婦』だと。

もしかしたら、中山の家庭は物凄くお金持ちなのかも。

それに、カップ麺を食べたことがないって中々だぞ。別にカップ麺だけで決まるわけではないが、中山のご両親はかなり手厚く見守ってくれているんだな。

今までしてこなかった、そんな貴重な体験をここで消費してもいいのか…

あれ、俺絶対に怒られるヤツだな、これ。

『本人の意思を尊重しました』で押し通すか。

「他の人は?」

「なら静間も」

「佐山もカップ麺」

「私だってカップ麺」

中山が初めて食べるから自分たちもって感じかな。

それとも自分たちの食欲かもしれないが。

そんなことどうでもいいか。

まぁ、みんな同じなら俺だってカップ麺だな。

「味は何がいい、中山」

「味噌ラーメン」

「わかった、みんな同じやつな」

了承を得られたところで車を降りコンビニに入る。

味噌のカップ麺を五つ手に取りセルフレジでお会計して、それからコンビニにあるお湯を使わせていただいてから車に戻ってくる。

「すまない、一つだけ違う種類の味噌になってしまった」

「まぁ、この時間のコンビニに同じカップ麺が五つもある方がすごいよ」

すかさず江口がフォローしてくれる。

確かに、そう言われてみればそうかもな。

そして俺は、持ってきていない残り三つのカップ麺を二往復して持ってきてから車に乗り込む。

「ほい、お箸。あ、もう三分たったから食べてもいいぞ」

しっかり時計を確認してから伝えたが誰も食べようとはしない。

なぜだ、一体なぜだ。

「え、もういいよ、食べて」

まだ反応がない、これにはもう困惑するしかない。それを察したのか江口が細い声で伝えてくれた。

「…先生…私たちは音に敏感なんで…先に食べてください…お願いします」

つまり、麺を食べる咀嚼音というか麺をすする音が恥ずかしいと。

流石に乙女すぎるぞ。

それに、さっきまでの仲睦まじい姿を俺は知っているぞ。なぜ、ここにきていきなり登校二日目に戻ってしまうのか。

俺は渋々頷くしかなかった。

「わかったよ、先に食べるよ。でも聞こうとするなよ、俺の咀嚼音」

俺まで恥ずかしくなってしまった。

その恥ずかしさを殺しながら俺だけ違う種類の麺をすする。

「あ、音楽かければ済む話だったか」

気づいた時にはもう手遅れだ。

俺だけ恥ずかしい思いをしたのは屈辱的だが仕方がないと割り切る。

音楽をかけ俺が食べ、それを見て生徒たちも食べる。匂いといい音といい空気といい平和そのものだ。

「中山、どうだ初めてのカップ麺は、美味しいか」

「すごく美味しい、お店のラーメンと同じくらい美味しいよ」

「そうか、それは買って良かった」

「せんせー、これいくらしたの」

「これは130円くらいだな、スーパーならたぶん100円くらい」

「ええ、これが130円、もうお手上げだねお店の人たち」

「そうかもな、でもお店で食べるラーメンは特別な感じがするだろう」

「うーん、だったら私はカップ麺かな、安いしお湯入れるだけで洗い物も出ないから」

「それを言われるとな、お手上げだな」

初めてのカップ麺に喜んでいる中山を見ると俺まで嬉しくなる。

別に俺がこのカップ麺を作っている従業員でもないのに。

後ろの三人も嬉しそうに食べている。

みんなで学校ではない場所で、それも特別な夕飯を食べている状況に嬉しそうだ。

それは、もちろん中山も同じだけど。


「あ、自衛少年の曲だ!」

カップ麺を完食した俺は次に再生する曲を入れ替えておいた。

でも流石ファンだな、一瞬でわかるんだから。

行きはみんな寝ていたからな、帰りこそは好きな曲をかけてあげよう。

そう思ったからチョイスしておいた…

…半分ホントで半分ウソだ…

正直、運転が怖い。

帰りになってまた再発した、俺は山道運転が死ぬほど苦手だということを。

『行きは良い良い帰りは恐い』とは正にこのこと。

だから、生徒には寝てほしくない。

ずっと起きて俺の運転を見守っていてほしい。

こっちの思いの方が強い気がする。

「じゃあ運転再開するぞ、みんなは食べていていいからな。それと俺のスマホで好きな曲勝手にかけていいからな。

だから、帰りは寝るなよ…

…思い出だからな…うん…」

生徒たちの死線を感じるが俺は動じない。

そう思えばそうなるから。

「スープだけ気をつけてな、こぼさないように飲んでくれ」

「スープもラーメンの一部ですから、飲み干します絶対に」

「すーちゃん、太るよ、ラーメンのスープは特に」

「うらぴょん、ならその分動けばいいの。

病は気から、太りは気から。

食べた分動いたと思えば、それは食べてないと同じこと。これが食の理よ」

わけのわからないことを言い出した中山だが、他の三人は完全に心を奪われている。

中山が教祖様みたくなっているのが面白いので、そのまま放っておく。

「よし、じゃあ行くぞ」

「「「「おー!」」」」

これから帰るとは思えないほどの勢いを持った返事がきた。俺としてはありがたいので中山にはこっそり感謝しておく。

全員の顔を見た後、俺はアクセルを踏んだ。


それからは、パラパラ漫画のようにしか覚えていない。

みんなで歌いながら下った山道。

恐怖心を必死に掻き消そうと無理矢理にでも盛り上がった自分。

盛り上がりすぎて危うく鹿を轢きそうになった自分。

空が光ったと言っている生徒たちをよそに運転し続ける自分。

『せんせー、水飲む』と気にかけてくれた中山。

アイドルを熱く語る江口。

アイドル不必要な静間。

我関せずの佐山。

とにかくうるさい車内は、山道じゃなければ苦情がよせられていただろう。

でも、そんな時間はあっという間に終わりを告げる。一人、また一人とそれぞれの自宅へと帰るからだ。

細かい場所までは把握していないので生徒たちに案内してもらった。

最初は江口の自宅だった。

江口の自宅に到着すると、母親が笑顔で出てきた。時刻は21時過ぎ、こんな時間まで生徒を拘束してしまったのに母親は俺に怒ることはしなかった。

むしろ、車から降りてきた江口の笑顔を見るなり、俺と他の生徒たちに感謝していた。

母親も嬉しかったのだと思う、我が子の喜びが。

俺は母親と30秒ほど会話して、全員で手を振りお別れしてから次の佐山の自宅へと出向いた。

佐山の自宅は学校から車で一時間もかかるらしい。でも江口の自宅は、学校と佐山の自宅の間にあり、ここからだと15分で到着する。

それに、中山と静間の自宅は学校の近くなので、先に佐山を送り届けないと大変なことになる。

佐山の自宅に到着すると、今年から社会人になったお姉さんが出てきた。

人当たりがとても良く話しかけやすい。

どちらかというと、佐山よりも明るい印象がある。

佐山は照れ屋さんだとお姉さんは言っていた。

確かに照れ屋を隠せば性格はそっくりなのかもな。

でも車から降りるなりすぐに、お姉さんにくっついて頭を撫でられている姿を見ると妹だなと思った。

その姿は、姉妹よりも親子の方がしっくりくる。

まぁ、八つも年が違えば甘えたくもなるか。

俺はくっついたままの佐山姉妹と別れた後にそう思った。

三番目が中山の自宅となった。

中山と静間の自宅が意外と近距離だということを知って少しだけ盛り上がっていたな。

そして中山の自宅は、視界に収まらないぐらいに広くて驚いた。

そりゃ、家政婦さんなんていくらでも雇える、と納得したぐらいだ。

静間にも教えると、いきなり中山にお小遣いを請求していた。

お金は友人関係を断ち切る一番の原因なので非常に止めていただきたいが、それは全員わかっている。

笑いながらの冗談なので、俺は何も言わなかった。中山もただ笑うだけで楽しそうだった。

中山のご両親が出迎えてくれたが、夕飯の話を聞くなり母親の機嫌が明らかに悪くなった。

俺はひたすら『娘さんの意思を尊重しました』と言い逃れした。

でも、それで逃がしてくれるほど甘くはなく俺の私生活も追求された。

最初は機嫌が悪かった母親だったが、俺の荒れ果てた私生活を教えると、俺を哀れに思ったのか今度家でご飯をご馳走してくれると言ってくれた。

中山のご両親は自分の子供だけでなく、赤の他人のもうじき三十一歳も見守ってくれるんだな。

恐らく、事情を知ってしまったら誰の事も放っておけない人なんだな。

俺は名残惜しく豪邸とお別れした。

最後の静間の自宅に到着するころには、時刻は22時を過ぎていた。

家族総出で出迎えてくれたが歓迎ムードではなかった。

特にお姉さんが怒っていた。

そして、車から降りて静間のお姉さんに近づいた瞬間に俺は胸ぐらを掴まれた。

お姉さんの目は滲んでいた。

その時に言われた内容をハッキリ覚えている。

「本当に心配したんだから、事前に連絡しないで勝手にこんな時間まで生徒を連れ出して、この誘拐犯、教育委員会に報告してやる」と最初に言われた。

この時に校長先生の電話の向こう側で聞こえた女の人の声が、静間のお姉さんだということを理解した。

胸ぐらを掴まれた俺は、どうしていいかわからない静間に合図しながら「すいません」と一言。それを聞いたお姉さんは、さらに引きつった表情になった。

そして、ご両親はお姉さんの両手を俺から離そうとしながら俺に謝っている。

でも謝る必要はないし、お姉さんも間違っていない。

それに、俺も間違ったつもりはない。

だから言った。

「でも、後悔していませんから!

これで教職人生が終わろうとも、お姉さんに胸ぐらを掴まれて殴られたとしても。

俺は自分の選択した行動に後悔はしていません。この先も絶対に後悔しません。

生徒たちにも、絶対に、後悔はさせませんから!」

胸の圧力がなくなった。

そのあとすぐに、俺の左頬はお姉さんの右手ビンタをくらった。

音は大きかったが痛みはなかった。

本気のビンタではなくて手加減をしてくれたみたいだった。そして、お姉さんは晴れ晴れした表情をしていた。

「私は今、先生にビンタしました。

これは、ただの暴力でしかありません。

先生は警察に行って被害届を出せます。

そうすれば、先生は誘拐犯で私は暴力犯です。

私たちは同じ犯罪者になります。

先生が一度でも私の妹や他の生徒たちに今日の出来事を後悔させたら、私は先生を刑務所送りにします。

だから、先生も私を刑務所に送ってください。

つまり先生が逃げたらお互いに犯罪者になるので、先生と私たちは向き合うことしかできません。嫌になっても逃げ場なんてありませんからね、先生。

向き合って生きるか、逃げて社会的に死ぬかのどっちかですよ、先生。

つまり、そういうことです」

「…ありがとう…お姉さん…」

「は、なに感謝しているんですか、私は先生を脅迫しているんですよ」

「そうですね、脅迫ですね」

「なに笑っているんですか、薬物乱用ですか」

「そうかもしれません、それも重度の」

こんなお姉ちゃんが欲しかったな、そう思うほどの完璧な人だった。

そんな、お姉さんは俺を認めてくれたのかな。

俺を試していた気がした。

でも不合格ではないみたいだった。

昨日までの俺だったら『すいません』で終わっていたから不合格だったけど。

ご両親も静間もその雰囲気を理解したのか不安そうな表情は消えていった。

静間だけ次の瞬間には、お姉さんに抱きしめられて不機嫌そうな顔をしていたが。

そして、その静間は別れ際に言ってくれた。

「また、明日ね、先生」

「…さようなら」

俺はもちろんそう言った。

そんなやり取りをしてから、静間家とお別れして俺にとってはとても有意義でとても長い一日を終えた。


そうやって俺は、コンビニから自宅への帰り道をベッドで目を閉じながら振り返った。

今日の一つひとつの景色がずっと記憶に残るか俺は不安だ。

明日になったら今日の出来事のほとんどを忘れてしまう。

今日はまだ今日だが、明日になれば今日はもう過去の話になってしまう。

明日にならないで欲しい、こんな気持ちは初めてだ。

純粋に新しい気持ちに出会えたことは嬉しい。

でも、そう思えたことは嬉しくない。

今からだと明日は未来だけど、明日になれば明日は今で、明後日になれば明日は過去になる。

こんな当たり前のことを深く考えてしまうのが、就寝前の人間だ。考えたところでそれは変わらないし時間は待ってくれないけど。

たぶん、人間は誰も進んでいないと思う。

かといって、誰も立ち止まってもいない。

人間は時間というベルトコンベアに乗せられていて、節目節目にやってくる別のルートに乗り換えていく、それを死ぬまで永遠に続けているだけだと思う。

人間にできることは、その上で向きを変える事だけ。進行方向に対して背を向けるのか横を向くのか、それとも正面を向くのか。

俺は今、彼女たちと同じルートにいる。

俺はこのままずっと、このベルトコンベアの上で生きたいな。

でも卒業という節目が来てしまえば、俺たちが今乗っているルートは終わり、お互いに別のルートを選択しなければならない。

ああ、初めてだな、このままがいい、なんて思えるのは。

幸せのようで幸せでない、後悔していないようで後悔している…かもしれない。

だって…こんな景色なんて見なかったら…

いや、ダメだ、静間のお姉さんと決めたことは守らないといけない。

後悔させないって決めたことを。

それに、終わりが怖くて何もしないのは、今までの俺と同じではないか。

俺は生徒たちのために行動する、そう決心したのだ。

なら、時間なんて考えてところで解決しない問題は放棄するまでだ。

過去に戻れなくても未来では会える。

卒業したらまた会えばいい。

誰も進んでいないし、誰も立ち止まっていないから。

横を見れば一緒にいるから。

俺は未来に思いをはせて眼を閉じる。

今日の思い出を肌身離さず梱包するために。

「…ありがとう………」



「おはようございます、校長先生」

「おはようございます、悠太先生。

今日はお元気ですね、何かありましたか」

俺は今日、元気みたいだ。

こういうのは自分では全く気付かない。

実際に俺は職員室で校長先生にそう言われるまで気付かなかった。だから、今日俺が元気な理由は当然わからない。

思い当たる節といえば、車通勤に変えたこと。

運転するので寝ぼけてはいられない、だからかな。それとも、今朝に飲んだ栄養ドリンクが効いているのかもな。

それとも、星座占いで一位だった恩恵かな。

テレビ見てないから本当かどうかは知らないけど。

まぁ、占いなんて気分みたいなものだからテレビで充分だよな。だから、占いに金かけるやつと占いで金取るやつの気が知れない。

あんなものは詐欺だ、詐欺。

ギャンブルより悪質な手口だな。

…おっと、これ以上嘘ばっかりのくだらないことに時間をかけるのは良くない。

校長先生が待っているし。

「それはありましたよ、もちろん、どでかいものが」

俺の返事を校長先生は満面の笑みで聞いている。昨日の俺や生徒たちよりも喜んでいそうだ。

「見られましたか、綺麗な景色」

「星一つない曇り空でしたよ」

「…反対じゃないですか、普通」

「そうですよね、自分でもそう思います。

でも、もっと大切な景色が見られましたよ」

「そうですか、それは良かったです」

「…聞かないんですか、大切な景色のこと」

「だって、『全てが大切な景色でした』とか言いますよね、絶対に。それに、聞いてほしそうだったからスルーしました」

完全に見透かされている。

ぐうの音もでないほどに。

昨日は、あんなに『本当にいいんですか』とか聞いてきたくせに。

噛み合わないというか、噛み合わせてくれない。

「もう、教室行きます俺」

「あと五分以上は時間ありますよ、もう行くんですか」

「はい」

冷たい校長先生とは距離をおきたい。

押してダメなら引いて待て、おっさん同士の反吐がでる駆け引きだが負けるわけにはいかない。

おっさんにもプライドがあるからな。

「もう生徒たちはいると思いますし、今日は早く教室に行きたいです」

「いい表情です、悠太先生。

では本日も頑張ってきてください、応援していますよ」

『まぁ、これが仕事ですからね』これは心で言う。

嘘ではないけど本音でもないから。

生徒たちと会話したい、それが一番の理由だ。

恐らく、これも校長先生は見透かしている気がするが、それで構わない。

言わぬが花だ。

俺は会話に花を添えたまま職員室を後にして教室に向かう。

やはり、それすら察しているのか校長先生はそれ以上何も言わなかった。


教室のドア前に置いてあるマットに足を置き深呼吸する。

それからドアを開け挨拶する。

「おはようございます」

「あ、先生、今日はドアにぶつからないんだね」

「おい中山、俺がドアにぶつかったのは一昨日だけだ。

昨日はぶつかっていないからな、いいな」

「先生、気にしていたんだ」

「おい静間、人が気にしていることを笑いながら言うな…

…おい他二人も笑ったな今、見逃さないからな絶対に」

俺は生徒たちに取り合っていて気づかなかった。

教卓に着いて教室を見回すまで。

教室の後ろに貼られていた写真に。

「いや、でかすぎじゃねーか、写真」

貼られていた写真は黒板の二分の一サイズなのでかなり大きい。

それに、写真に問題が大有りだった。

「俺だけ、ぼやけてんじゃねーか」

写真は昨日、展望台で撮ったものだ。

俺がどうしていいかわからず、あたふたしていたのが原因だろう。

俺の反応が期待通りだったのか生徒たちは大笑いしている。

あれ、そういえば、一枚だけじゃなかったような。

「そういえばさ、写真って複数枚撮っていたよな」

この発言の直後、生徒たちは動かなくなった。

一人以外は。

「いやだなーせんせー、そんなわけないじゃん、これしかないからさ、仕方なくね」

下手くそ過ぎるぞ、中山。

それはもう自白したようなものだぞ。

『お前おならした?』って聞いてくるヤツほど犯人、と一緒だな。

「江口どういうことだ」

「いや、その、これが一番しっくりくるなって、みんなで決めました」

「俺に相談はしないのかよ」

「いや、昨日みんなが家に帰ってからグループ作って決めたので、そんな時間なく」

なら、仕方がないな。

流石に女子高生グループにおっさんが入るのは違う気がするから。でも、認めたくないはないで話を戻して誤魔化す。

「で、なんでこんなに大きいの」

「…あの、小さいと見えにくいからです。

それに写真は大きい方がいいじゃないですか」

佐山の意見はごもっともだな。

まぁ、大きい方がいいけど大きすぎてもダメだからな。

そこは訂正しておく。

「でも写真は、大きすぎても却って…」

ここで一つ疑問が生じる。

「これ誰が貼ったの?」

「それは、もちろん校長先生ですよ。

印刷してくれたのも校長先生です」

これは、昨日あった出来事全て江口から聞いたな。

それなら見透かされて当然だ。

「あ、あとね、校長先生がいい写真だって」

確かに江口が言うようにいい写真だと思う。

ぼやけた人。

ギター演奏している人。

有名ラジオの決めポーズしている人。

アイドルの決めポーズしている人。

コンピューターを操作している人。

それぞれポーズは違うが、みんないい笑顔だ。

これは飾りたくもなるか、この写真なら。

「いい写真だな、俺もそう思うよ」

「…先生、あのね」

「どうした、静間」

「…先生…私たちのこと見えていますか?」

「ああ、もちろん、見えているよ」

「なら良かった、先生」

『…たぶ』

「キーンコーンカーンコーン」


曖昧で視ることができない存在は、正確で見ることができる音と混ざり合う。

見えてくる景色は心に映ったものだけ。

俺には見えている、自分が彼女たちが校長先生が。

今見えている景色が、それを俺に証明している。

そしてそれは、彼女たちも同じだ。

例え視えなくとも、そこにある音と存在が無くなることはない。

確実に存在する音や存在は、誰かの生きる希望になる。

その希望とは自分たちのことだ。

誰かの希望に繋がるから俺たちは生きている。


「…じゃあ、授業始めるぞ」

「「「「はい」」」」


最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

感想だったり問題点など教えていただければ光栄です。

できれば優しくお願い致します。

至らぬ点ばかりだと思いますが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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