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視えない音  作者: うち
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出会い

『小説家になろう』ですが異世界転生はしません。現代のお話となっています。

この話は視覚障がい者について触れているので、それが嫌な方にはオススメしません。

ですが、視覚障がい者を食い物にしているわけではありません。

今日も断末魔が聞こえてくる。

人よりも敏感で繊細で麗しい私の耳が誰よりも朝を嫌っている。

私が大統領なら朝から承認欲求が凄まじい鳥たちは全て処分する。

「まぁ、そんなことしようもんなら私が処分されちゃうよね」

寝起きの部屋に寝起きの美声が響く。

まぁ、そうなったら異世界転生してスローライフを送りたいものよね。

これからは時間に囚われず、常識も存在しない素晴らしい世界で生きていく!

そうね、美人で能力は最強、それでいて性格も良くみんなの憧れの的。

そうね、ミスコンは出場していないのに優勝しちゃうとかね。

そうね、魔王なんか…

「チリリリ―ン」

人間に生まれて良かったこと第一位の妄想がASMR並みのアラーム音で終了した。

妄想を描くことができない時間に人類の叡智を没収されるが、一度妄想が始まると中々止まらないので今は不問に付す。

ベッドから降り、通いなれたリビングへ向かう。

手摺に掴まり廊下を歩き、手摺に掴まり階段を降り、また手摺に掴まり廊下を歩く。そしてリビングのドアを開ける。

手摺は使わなくても大丈夫だが念のためだ、朝だからね。

「「おはよう、千早」」

父と母の同時挨拶。

いつも通りだ。

「おはよう」

言葉一つで二人に返せるのでコストパフォーマンスは高い。

「おはよう、ちーちゃん」

後ろから抱きつきながら挨拶してくるのは三個上の姉、一樹いつきだ。

聞いてわかる通りシスコンだ、それも重度の。

「離してよ、お姉ちゃん」

「いいよ、おはよう返してくれたら」

………

「…おはよう…お姉ちゃん」

「うん!おはよう!」

【黙れよ】

心の中がそう感じた。

決して私じゃないよ。

解放された私はコタツに入り栄養補給だ。

季節は四月。春とはいえ、まだまだ寒い。

コタツで縮こまっていると母親が朝ご飯を持ってきてくれた。

今日はご飯の上に、目玉焼き、ベーコン、サラダが乗っている。

私の舌はそう判断した。

まぁ、一つの皿に全てが詰まっているので恐らくだけどね。

「ご飯食べ終わったら頭セットしようね」

恐らく同じように朝ご飯を食べている姉がそう言った。

とりあえず頷いておこう。

今日は高校初日なので綺麗で美しい私を披露しなくてはならない。

そう決心しながら栄養を胃に流し込んだ。

そして、完食した瞬間に姉が私の肘をスリスリしながら聞いてきた。

「ね、どんな髪型がいい?」

「んー、何でもいいかな」

「えーなんか冷たくない?」

「信頼しているの、お姉ちゃんを」

「…………ギギ」

「痛い痛い!お姉ちゃん痛いよ!そんなに強く抱きしめないでよ!」

「ごめん、ごめん、つい」

「もう~ついじゃないよ~」

【殴ろうかな】

私は本当に殴ってやりたいが、ここで姉の機嫌を損ねるとどんな髪型にされるかわからないので余り強く出られない。

まぁ、ここで静かにしていればシンプルな髪型にしてくれる。

「ツインテール」

「え?」

え?今なんとおっしゃいました姉さん?

「だから、ツインテール」

「は?」

は?ぶん殴るわよ、肘で。

「ごめん、ごめん、嘘だよ嘘」

恐らく、明らかに機嫌が悪くなった私の顔を見て耐えられなくなったのだろう。

でも姉は笑いながら言っている。

帰ってきたら本当に肘打ちしてあげようと心に誓った。

「じゃあさ、ポニーテールにしない?」

………

姉はズルい、というか上手だ。

あえて最初に無理難題を提案し断らせ、そして次の提案を受諾させる。

心理学で耳にする、なんちゃらテクニックってやつよね。

「は~~もう、好きにして」

「やった!ありがと!」

待ってました!と言わんばかりの返事だ。

でも、もう何を言っても姉の手の平の上で躍動してしまうので姉の好きなようにさせよう。

まぁ、そっちの方が楽なのよね。

髪型も決まり高校の制服も着た私は、姉に写真を【盗られまくりながら】父の車に乗った。

期待と不安を胸に抱き学校に向かう予定が全て姉への憎悪に変わったがそれ以外は予定通りだ。

「帰ってきたら、肘打ちしよう」

その言葉と共に車は学校に向けて出発した。



「はぁぁぁぁ~~~~~~」

職場に向かうバスに揺られながら溜息をついた。

もちろん乗車しているのは俺一人だから誰かに聞かれる心配はない。

昨年度までは車で職場に行っていたが、今年度から新しい学校に赴任になったのだ。

新しい学校…というか職場は山奥にあり、山道を運転する度胸と技術がない俺は必然的にバスに乗車するしかない。

小心者と思うかもしれないが、事故を起こさないことを一番に考えると俺の判断は正しい。

そう自画自賛しながら俺が担当するクラスの資料に目を通す。

クラスといっても四人だけだが…

学校といっても四人だけだが…

俺が赴任した学校は視覚障がい者の高校生が通う学校なのだ。

これが心の中の不安を煽る。

ハッキリと言えば、嫌だよそりゃ、視覚障がい者の生徒が通う学校の担任なんて。

だって怖いじゃん、目が見えない生徒の面倒をみるのは。

それに責任だってある。目が見えない子がケガをしないように常に気を配り、安心して学校生活を送れるようにサポートしなきゃいけない。

一応、普通の高校もサポートはするけどさ…重みが違うんだよ…重みがさ…

恐怖と不安に押しつぶされながら、バスの降車ボタンを押し、重い足取りで職場へと向かった。


クモ巣が張っていそうな暗い職員室に入り自分の席に座る。

「はぁぁぁぁ~~~~~~」

もはや癖になった溜息を、一人きりの職員室で惜しげもなく披露する。

他の先生方は存在しないから問題ない。

校長先生と俺だけしかいないのだ。

それがより不安にさせてくるが。

でも、どちらかというと生徒たちの方が不安か。

俺は少しでも生徒に安心してもらうために、生徒全員の名前と顔、血液型などを全て暗記した…

四人だけだが。

いや、でも、三十歳になってからか記憶力が絶望的なまでに死んでいるのだ。

ここで念のため、そう、念のためにもう一度確認しておこう。


出席番号一番 江口麗うらら身長159cm

この生徒は、遠くにあるものはある程度しか見えないが、近くにある鉛筆や消しゴムなどは見える。

一般的な教科書を見るときは目と約2cmほどの距離感らしい。

将来の夢は、まだ決まっていない。


出席番号二番 佐山麻衣 身長153cm

この生徒は、見える範囲が視界の中心部分の狭い範囲だけだ。

細い筒を覗いたような視界で、これを求心性視野狭窄というらしい。

一応、普通に教科書を読める視力はあるが周りが見えないので注意が必要だ。

将来の夢は、ラジオで自分の番組を持つこと。


出席番号三番 静間千早 身長163cm

この生徒は、視界が全てぼやけているように見えている。

モザイクがかかったような感じで、人が何人いるかは判断できるが、表情やハンドサインなどは見えない。目を近づければ大きな文字は見える。しかし、目を開けてもほとんど見えないのでずっと瞼を閉じている。

将来の夢は、コンピュータープログラマー。


出席番号四番 中山涼花 身長161cm

この生徒はほぼ見えない。明るさ暗さといった照度はわかるが、それ以外は見えないため視覚以外の感覚を頼りに日常生活を送っている。

将来の夢は、シンガーソングライター。

全員女子生徒だ。

最早、女子校かな…

なんて誰かに聞かれたら間違いなく殴られそうな言葉を胃で消化しておく。

証拠を隠滅したので流失する恐れはない。

「悠太先生、おはようございます」

職員室のドアが開き、高身長で白髪の校長先生が俺に挨拶してきた。

「おはようございます!校長先生」

証拠隠滅した直後だが、一切微動だにしない完璧な挨拶を校長先生にお見舞いした。

俺はすぐに動揺するアホではないし、顔に出てしまうアホでもない。

教師たるものどっしりと構える姿勢が重要だ。

「悠太先生、楽しみですね生徒と会うの」

「…はい」

生徒と会うことはもちろん楽しみではある。

でも、それよりも不安や緊張といった感情の方が全面に出ている。

「ハハ、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」

…校長先生、立場が違うのですよ。

俺は担任として生徒の命を直接預かる身。

校長先生は間接的に生徒に関わるだけですよ。

なんてことを今まで言ってこなかったので教師になれたのだ。

「一生懸命頑張ります」

「大丈夫ですよ、彼女たちは優秀ですから」

「生徒たちとは会ったことありますか?」

「ええ、もちろんです、何度も」

それはそうだ、当たり前のことを質問してしまった自分が少し情けない。

「悠太先生は彼女たちと会うのは、今日が初めてですよね?」

「そうですね、今日が初めてです」

「私はね、先週も彼女たちと学校で会いましたよ、歩行指導で」

「歩行指導って、教室の場所とかトイレの場所とかを生徒に覚えてもらう訓練ですよね?」

「はい、そうです、よく勉強しました」

「いえ、これぐらいは」

校長先生はお世辞がヘタクソだ。

「彼女たちはすぐ覚えましたよ、玄関から自分の机への行き方、教室からトイレへの行き方など、それはもうスピーディーに」

「若いっていいですよね…」

「悠太先生も、もう三十歳ですか」

「今年で三十一ですよ、もう」

加齢臭トークに花が咲いたとき、

「キーンコーンカーンコーン」

チャイムが鳴った。

「彼女たちは恐らくもう席に着いていますよ」

「では、行ってきます」

不安と不安で胸がいっぱいだが校長先生の御前なので意気揚々とクラスへ歩き出した。

「…今年度は頑張ろう…」



先週も通った玄関から自分の席への道。

手摺や壁や点字ブロックを頼りにしなくても教室には行けるが、高校生活初日なので念のため頼りにさせていただきます。

教室までの廊下を歩きながら高校生活に思いをはせる。

生徒全員、つまりクラス全員で四人なのは知っているし全員女子なのも知っている。

友達といえる友達が今までいなかったワタクシ千早は、初めて友達ができるかもしれないと思い緊張しながらもワクワクして歩く。

そして、教室のドア前の廊下に敷かれているマットに足を乗せ勢い良くドアを開けた。

「おはようございます」

「おはようございます!」

「………よう…ございます」

「…おはよう…………ございます」

三人の声が重なって聞こえてきた、たぶん。

瞼を開けば判断できるが、初対面で緊張しているせいか瞼が上がらない。

まぁいいや。

私が最後で、もうみんな席に着いているということよね。

とりあえず自分の席であることを指の腹で確認しながら着席した。

席は横一列に置かれている。

黒板から見て右の窓側の席から名簿順で並んでいる。

私は三番なので反対側の廊下側から二番目の席だ。

そして椅子に座り落ち着いたところでチャイムが鳴った。

「キーンコーンカーンコーン」

完璧なペース配分だわ。

ガッツポーズして喜びたいところだが学校なのでやめておこう。

我慢していると廊下を歩く音が聞こえてきた。

恐らく担任の先生だろう。

なんか歩き方がぎこちない気がする、緊張しているのかな。

まぁ緊張するよね、先生も。

頑張れ先生!私は味方だぞ先生!



教室のドア前の廊下に敷かれているマットに足を乗せ深呼吸をする。

足つぼマットと勘違いするほどの激痛だ。

今すぐこのマットから飛びのきたい。

でもそれは職務放棄とみなされ次の日には土に還っているだろう。

まだ社会的に死ぬわけにはいかないので息を吸って前に歩き出した。

「ドン!」

何かが揺れる鈍い音が響いた。

原因は俺だが。

どうやら緊張でドアを開けるのを忘れていたようだ。

音が響くのと同時に生徒四人の顔がこちらに向く。

これは、いきなりの羞恥だ。

普通は生徒たちの方が緊張するはずなのに俺の方が緊張している。

また辞めたくなった教師人生を涙をこらえながら必死に沈める。

三秒の沈黙の後、俺はドアを開け新しい一歩を踏み出した。

「みなさん、おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます」

「………よう…ございます」

「………………ます…」

それなりに千差万別の応答である。


一番元気なのは、中山涼花。

肩まで伸ばした艶のある黒髪ロングが凛々しく映る。

声もすごく綺麗で明るい少女だ。

二番目が、静間千早。

たぶん中山よりも髪は少し長いはずだ。

なんせ、ポニーテールなので正確にはわからないのだ。

誰とでも仲良くなれそうな性格だと思う。

三番目が、佐山麻衣。

茶色がかったショートカットだ。

地毛にしては少し茶色が強い。

恐らく恥ずかしがり屋さんだ。

四番目が、江口麗。

こちらは黒髪のショートカットだ。

周りと比べると雰囲気が暗い印象を受ける。

というよりも壁を感じる、あまり深く関わらないで欲しそうな気がする。

これが生徒たちと出会った最初の印象だ。

「本日から君たちの担任の先生を務める、水井悠太です、よろしくお願いします」

いっちょ前に教卓に手を置き堂々と自己紹介を始めた。

「よろしくお願いします!」

ここで以外にも声での返事があった。

「あ、ありがとうな中山」

本人は満足そうな顔をしている。

他の生徒と同様に会釈で返してくれると思っていたので少し驚いた。

「まずは、悠太先生から簡単に自己紹介するよ」

自分で自分を悠太先生と呼ぶ恥ずかしい発言だが気にしない。

「先生は現在三十歳で独身です、この学校には今年度から赴任しました」

「せんせー」

「はい、中山さん」

「彼女はいますか?」

………

おい中山涼花。

踏み込みすぎじゃねーか、人のプライベートに。

完全に女子校のお約束だな。

「え~残念ですが…いません」

………

「大丈夫だよ先生、きっといい人見つかるから」

そもそも君がこんな質問をしなければ俺はこんな気持ちにならなかったのだよ、中山涼花さん。

落として上げる、インサイダー取引ぐらい悪質な手口だなと心に刻んでおく。

でも、全く言葉が出てこないので『いつかな…』とだけ言っておく。

それから一旦咳払いをして、

「先生は生徒みんなが安心して学校生活を送れるように一生懸命サポートするので、困ったことや相談したいときは、ぜひ先生を頼ってください、以上です」

拍手喝采とはいえないが無いよりはまし程度の音がなった。

「じゃあ、今度は生徒のみんなが自己紹介していこう」

ここで生徒にバトンパスだ。

「せんせー、私から自己紹介してもいい?」

「全然いいぞ、中山」

こういうときに自発的な生徒がいるととても助かる。

さっきはインサイダー取引とかいって悪かったな。

「じゃあ、中山から静間、佐山、江口の順番でいこうか」

全員頷いてくれた。

「中山、座ったままでいいから始めていいよ…

いやちょっと待て、こういうのはしっかりやろう」

生徒たちが不思議そうに俺を見てくる。

「名前だよ名前、俺がしっかり名前を呼ぶから返事してくれよ」

また全員が頷いてくれた。

「中山涼花さん」

「りょ!」

「返事は、ハイな」

「はい!」

ラインギリギリのバトンパスが成立した。


「私の名前は、中山涼花です。

将来の夢は、シンガーソングライターです。

ちなみに好きなアーティストは、フィットインです。

世界中の人々に感動や興奮してもらえるような曲を作って私の存在を世界に証明してみせます!」

「パチパチパチパチ」

俺よりも拍手が起こった。

なぜか負けた気がするが張り合っても仕方がない。

中山は、自分の夢や言いたいことをどんな状況でも大きな声で言える物怖じしない生徒だ。

「静間千早さん」

「はい、

私の名前は静間千早です。

将来の夢は、あはき師です。

皆さんとお友達になりたいのでぜひ話しかけてください、よろしくお願いします」

将来の夢が変わっていたが、何かあったのかなと考えながら拍手をした。

「佐山麻衣さん」

「は………はい…

…わ…私の名前は…佐山麻衣です。

しょ…将来…の夢…は…………ラジオで自分の番組を持つことです。

よ…よろしく…お願いします」

ラジオの部分だけがかなり早口になっていたが、自分の夢をしっかりと語れていた。

「江口麗さん」

「…はい、

私の名前は、江口麗です。

好きなアーティストは自衛少年で将来の夢はまだ決まっていません、以上です」

少しとげとげしい口調での自己紹介だけど、まぁ予想通りかな。

他の生徒と溝が生まれなければ問題はないんだけどな。

全員の自己紹介を聞いて生徒に対する印象が最初と全く変わらなかった。

そういえば、自己紹介の仕方を説明してなかったけどそれなりに形になったな。

そりゃ、高校生なら一から説明しなくても自己紹介ぐらいできるか。

当たり前のことを考えながら次の予定へと移行する。

「よし、みんな自己紹介が終わったところで簡単なレクリエーションをしようと思います」

明らかにワクワクしているのが一名、たぶん楽しみなのが二名、少しだけ微妙な表情をしているのが一名。

「じゃあ、教室の後ろに移動して座ってください」

次の瞬間、全員が驚くほどスムーズに移動して後ろに座った。

しかも、横一列で綺麗に等間隔で体育座りしている。

本当に視覚に障害があるのか疑問に思うほどだった。

校長先生が言っていたことは間違っていなかったな。

俺はほんの少しだけ過去を振り返った。

そして、

「よし、じゃあレクリエーションを始めようか!」

こちらも少しだけテンションを上げるような声量で言ってみた。

「これから行う簡単なレクリエーションは、先生が何を考えているか当てるゲームです」

「あ、それあれでしょ、テーマを決めて何回か質問して、【はい】か【いいえ】で答えて正解にたどり着くやつでしょ!そうでしょ、ね、せんせーそうでしょ!」

「それ、私も知ってる」

「あ……私も…知っています…それ」

「…………」

どうやらみんな知っているようだ。お一人だけ頷いただけだが大丈夫だろう。

「ルールは簡単、一人一回だけ質問できる。つまり合計四回だ。この四回の質問だけで先生が何を考えているか当てることができたらみんなの勝ちだ、逆に不正解だったら先生の勝ちだ」

「先生、あの、四回だけじゃ厳しいと思います」

静間から異議申し立てがあった。

周りの三人もどうやら同意している。

「わかった、じゃあ五回質問できるようにしよう、最後の質問は誰でもいいよ」

あまり納得していない表情のポニーテールだがこれ以上は譲れない。

「他にわからないことはあるか?」

生徒たちが一斉に首を横に振ることはなかったが黙認ということだろう。

「じゃあ、最初のテーマはスポーツだ。

みんなくっついて話し合っていいから、先生が何のスポーツを考えているか当ててね」



「いきなりレクリエーションが始まったね」

ワクワクした声で喋りかけてきたのは中山涼花さんだ。

もう生徒全員と先生の声は把握した。

そして、私たちは教室の後ろに円を描くように座って横の人の手を握りながら会話している。

手を握れとは言われていないが、くっついていいと言われたので私は両方とも横の人の手を握っている。

くっついたら手をつなぎたくなるのが女子という生き物。

左手に中山さん、右手に佐山さん、そして向かい側に江口さんという配置。

江口さんは少しサバサバしているので近づくのが怖い。

これが本音。

でも、性格が悪いというわけではなさそうなので徐々に仲良くなれたら嬉しいな。

「先生はどんなスポーツが好きだと思う? ちなみに私はバレーボールだと思う。あ、あと、私のことは『すーちゃん』て呼んでいいよ」

「…私はサッカーだと思うよ、すーちゃん」

良い発声の中山さんからの問いかけに返答したのはクールな声の江口さんだった。

正直、江口さんみたいな人は最後に『江口さんはどう思う?』って聞かれてようやく答えるタイプだと思っていたので以外だった。

勝手なイメージで人を決めつけてはいけないのよね。

自分で自分に言い聞かせておく。

「わ…私は…バスケット…かなぁ…」

このおどおどした声は佐山さん。

恐らく身長は小さい…

言い聞かせてすぐに、また完全な偏見を抱いてしまった。

もちろん言葉にはしない、言葉にしたらもう二度と取り消せないことを私はよく理解しているつもりだ…別に何かあったわけではないけど。

私は右手に握っている小さな手をほんの少しだけ力を込めて握り直した。

それから次は私の番だと思い発言する。

「私は佐山さんと同じかな、先生の声とか立ち振る舞いの雰囲気で」

佐山さんの意見に同意する。

野球という雰囲気ではないことをクラス全員が察したらしい。

そしてついでに私のあだ名を教えておこう。

「私のことはね、『ちーちゃん』て呼んでくれたら嬉しい。

小学校に入学する前からずっと『ちーちゃん、ちーちゃん』て呼ばれていたから」

「うん、わかったよ、ちーちゃん」

中山さんにあだ名を呼んで貰って嬉しかった。

喜びに浸りながら浮いていると心に何かが引っかかった。

少しだけ考えたらすぐに答えが出た。

「まず先生に好きなスポーツかどうか質問しないとダメじゃない…」

みんなの顔が私の方に向いている気がする。

「……た…確かに…」

「頭いいね、ちーちゃん」

「せんせー、せんせーが考えているのは、せんせーの好きなスポーツですか、しかもやったことあるスポーツですか?」

江口さんからのちーちゃん呼びに喜んでいると中山さんが早速質問した。

でも質問内容に問題がある。

一回の質問で二つの疑問を投げかける悪質な手口。

これは流石に危険な賭けだ。

「はい」

え?

先生が当たり前のように質問に答えた。

一切躊躇なくキッパリとだ。

いいのかそれでと思ったが、ここは中山さんのチャレンジャー精神を褒め称えよう。

それにしても先生にはどこか、よそよそしさを感じる。

他人行儀とういか無愛想みたいなものを。

ここで私は、先生はどんな人なのか真剣に考えてみる。

先生といえば、まず思いっきりドアにぶつかっていたわね。

ぶつかってから三秒間沈黙していたから本人も予期していないことだと考えられる。

そして、これはそうつまり、先生はとてもシャイボーイであがり症ということになる。

普通ならぶつかってもすぐに教室に入ってくるはず。

でもそうしなかったのは、いや、そうできなかったのは恥ずかしすぎて教室に入ってこられなかったのよ。

誰でもわかる謎解きであり別にどうでもいい謎解きを一生懸命誇張しながら解いた。

「……ちゃん、ちーちゃん、ちーちゃん大丈夫?」

「真実は、たぶんいつも一つ」

現実に返され、やってしまったと理解した時にはすでに遅しなのよね。

「な~にそれ~」

先程と同じ良い発声の人は笑いながら喋っている。

それにつられ他のみんなも笑っている。

どうやら先生には聞こえていないらしい、それが唯一の救いかな。

よし、ここは話を変えてごまかそう。

「先生は、どんなスポーツをしていたと思う?」

急に喋り始めたから忘れていたけど、好きなスポーツで、しかもやったことあるスポーツなのよね、ならさっきと同じ会話になっちゃうよね。

うーん、そうしたら、みんなに先生の体格を聞いてみよう。

「あのさ、先生って身長何cmぐらいかわかる?」

「私はわかんない」

「たぶん、170cm少しないぐらいじゃないかな」

「わ…私も…そのぐらい…だと思う」

中山さんと私以外はわかるらしいね。

「じゃあ、バレーはなさそうだね」

「「「うん」」」

自分の意見を自ら捨てることになってしまったが、中山さんが元気そうで安心する。

「バスケットかサッカーだね、じゃあ、私が質問するよ」

反対意見は確認できないのでいってみよう。

「それは、室内スポーツですか?」

バスケットとサッカーの違いを正確的についた見事なシュートを披露した。

「おお、いい質問だよ、すーちゃん」

「な…ないす……です」

「上手だね」

三者三様な褒め言葉、えっへん!

「いいえ」

みんな気づいていないと思うが、実は今の質問はバレーボールの選択肢も同時に消すという離れ業なのよね。

鼻が高い私は、さらに高くなってしまう。

「次は一応、陸上競技かどうか、聞いてみる?」

「あ、確かに、それも聞いた方がいいかもね」

江口さんに同意する。

なんだろう、江口さんに話しかけられるとすごく嬉しいな。

どんどん仲が深まっていく気がしてふわふわしちゃう。

「それは、陸上競技ですか?」

「いいえ」

これはもうサッカーでしょ。それしかない。

となれば、質問すべきことは、

「あ…あの……球技なのか…どうか…質問してみようと…」

素晴らしい!今ここに完璧なチームワークが形成された。

「「「うん」」」

三人の天真爛漫の声が佐山さんの背中を押す。

「……それは…きゅ…きゅ…球技…でしょうか…」

なんだろう、無性に抱きしめたくなる。

これが母の気持ちかね。

これが父性ではないことを願っていると、

「はい」

これは確定でサッカーだ。

もう最後の質問をしなくても大丈夫。

先生にお願いして五回にしてもらったのに…本当に申し訳ございません。

誠心誠意謝罪してみたが効果はない、心の中ですからね。

「最後の質問は人数にする?」

「もう、ほとんどサッカーで決まりだと思うし…」

中山さんの問いかけに答えながら気づいた。

サッカーって何人でやるの?

「サ…サッカー…は何人で行うスポーツなのかな…」

私と同じことを考えている娘。

「「ちょっと、わからない」」

私と中山さんもわからない。

江口さんはどうなのだろう。

「たしか、10人か11人だった気がする」

すごいよ江口さん。

私たちスポーツ興味ない組はルールも知らないし人数も知りません。

それだけでも知っていればサッカーできるよ。

「せんせー、それは10人以上でやるスポーツ?」

突然、中山さんが最後の質問を使ってしまった。

「はい」

先生も答えてしまった。

「えっと、これが最後の質問だな、じゃあ決まったらみんなで一斉に言ってくれ」

「ちょ…ちょ…ちょっとだけ待って…」

娘よ、どうしたのかな。

ここで娘が爆弾を投下する。

「ラ…ラグビー」

まさかの事態だった。

完全にサッカーだと思っていた私の頭はサーバー落ち確定。

それは恐らくみんな一緒だろう、たぶん。

でもラグビーの人数は10人未満なはずだ。

「ラグビーの人数は知らないけど、サッカーよりも人数は多いよ」

江口さんに一瞬で打ち砕かれた幻想を、さらに娘が粉々にする。

「サ…サッカーは、て…手を使っちゃいけないスポーツだから」

「そうなの!」

思わず驚いてしまった。

「し…知らなかったの?ち…ち…ちーちゃん…」

もう既に娘ではなくなった佐山さんに、ちーちゃんと呼ばれた喜びに浸りたいがこの状況では浸ることはできない。

いや、サッカーは足でするスポーツなのは知っていたけど、使っちゃいけないとまでは知らなかった。

どうやって手を使わないでドリブルするのかパスをするのか謎だけど、まぁいいや。

「手を使ってはいけないスポーツか聞くべきだったね」

「ご、ごめんね、思わず」

「別に誰かが悪いわけではないよ」

江口さんのクールな声が中山さんを両側から包み込む。

「ここからは、もう心理戦だね」

そう、もうここからは自分たちにできることをしなくてはならないの。

今ここで必要なのは諦めることではなくこの状況を打開することなの。

そしてこの状況を打開する唯一の手掛かりは、そう、先生の心の中にあるの。

普通に考えてサッカーという、私以外みんな知っている庶民的スポーツをあえてチョイスするかしら。

否、断じて否。ありえないわ。

わかる、わかるわ、これはサッカーというフィルターを巧みに利用し、ラグビーというスポーツを解答者の頭から完全に消し去ったところで、自信満々なドヤ顔で『ラグビーです』と言いたい先生の心の声が。

あまいわね先生、運のつきよ先生。

「ここは私に任せて」

みんなを代表して私が四人分の息を吸う。

「ラグビーです!」



違います…

なんて到底言える雰囲気ではないことを三十路の身体がよく理解している。

えっと…

え?な、なんで?…

え、どうして、そうなったの?

さっきまで普通にサッカーでいく流れだったじゃん。

そのままサッカーです、って答えていれば正解だよ。

たかがレクリエーションなんだから引っ掛け問題とか作らないよ、普通。

どうしようか、

そろそろ気まずくなったこの空気を、綺麗にしようと頑張っているのは空気清浄機君だ。

ひたすら『シュッ』『シュッ』と鳴いている。

でもな、この空気は君には無理だ、でも君は悪くない、君は君なりによく頑張った。

ここは俺に任せておけ。

「ハハ、ハハハ、せ、正解でーす、正解はラグビーでーす!」

声はもちろん、数えきれないほどしてきたはずの拍手すらもぎこちなかったが…

「すごいよちーちゃん!」

物凄い拍手と共に女神様が降臨された。

ありがとう中山、本当にありがとう。

それにつられ他の二人も拍手する。

「たしかに、二択は意外と間違える」

江口も同意している。

それにしても、江口が他の生徒たちと良好な関係を築いていたので安心だ。

最初に感じた壁は一体何だったのかな…

そして佐山はずっと「うん、うん」と言っている。

解答者の静間だけは顔を真っ赤に染め下を向いている。

俺が解答を変更したことを察したのかな。

でも、俺が正解といえば正解になるので間違ってはいない。

「正解だけど、みんなで一斉に解答を言おうな」

最初に俺はそう言ったので一応守ってもらう。

「「「「せーの、ラグビー」」」」

「うん、正解」

学校全体がそれなりの一体感に包まれた気がする。

「じゃあ、次のお題は国にするか」

「それは無理」

江口の鋭いツッコミが入った。

恐らく、勝負事になると負けたくない性格なのだと思う。

レクリエーションは勝負事ではないが。

でも、そのハングリー精神はとても大切だ。

「じゃあそうだな…ってもうお昼の時間じゃん」

俺は組んだ腕を見て思い出す。

今日は高校生活初日ということで、生徒たちに負担を掛けすぎないために11時から学校が始まったのだ、そしてなんと帰りも早い。

昨今、生徒たちの心のケアがニュースでも新聞でも話題に上がることが多いということもあってこの対応となっている。

俺としても早く帰れることはこの上ない幸せなので不安を煽るマスメディアには珍しく感謝している。

それにこの学校に来たばかりなので、あまりこの学校の時間割になれていないということもあって気付かなかったのだ。

教師として失格の気もするが、この学校にくると決まったのは先週のことだから仕方がない、と割り切って考えていこう。

「お昼の時間だから食堂に行こうか」

食堂といっても教室と同じ広さだが。

そう、ただ単に教室を移動するだけだ。

俺の号令のあと、俺の後ろを生徒たちが付いてくる。

最初は少し怖かったので後ろをチラチラと確認していたが、食堂に着くころには振り返る必要性を感じなくなっていた。

食堂のドアを開けるとトレーに載せられた料理がすでに机に置かれていた。

十中八九、校長先生だ。

さっきのレクリエーションの最中に食堂に向かっていくのを間接視野が捉えていたからだ。

まぁ今この学校にいるのは、生徒たち、俺、校長先生だけなので別に間接視野が捉えなくても判断できるのだが。

そして、ご丁寧に俺の分まで用意されている。

今朝、コンビニで買ったおにぎりの消費期限がもうじき過ぎるところだが家に帰ってから普通に食べるので関係ない。

俺の胃に入る時間が変わっただけだ。

これでお腹を壊したらコンビニを訴えるだけなのでそんなに問題ではない。


食堂の机は会議室によくあるような長机をもう少し横に太らせたような形をしている。

机は木の床にしっかり固定されていてびくともしない。

その机が横に二つ並んでいて、向かい合ってご飯を食べる方式だ。

俺の居場所は、窓側の縦の部分に座れと指示されている。

なぜなら、食堂でも生徒たちの席は決まっているからだ。

黒板から見て、左の机の手前が静間、奥が中山、右の手前が江口、奥が佐山。

俺から見ると、左の手前が江口、奥が静間、右の手前が佐山、奥が中山。

全員座ったところで、

「手を合わせましょう」

食堂に入る前にしっかり洗った両手をくっつける。

「いただきます」

「「「「いただきます」」」」

偽善と言われるかもしれないが俺は命に感謝しているつもりだ。

形には一切残らないがそれでも感謝はするべきだ。

生徒たちは、ご飯、みそ汁、おかずでお皿は違うのに器用に食事を取る。

綺麗で繊細な手付きでお見事だ。

もう慣れているか、食事の仕方も。

そして俺はガールズトークを聞くのに味覚以外の神経をすべて使った。


「意外と美味しいね」

いきなり失礼な発言をするのはもちろん中山だ。

俺も自分が失礼だとは理解しているつもりだ。

「お…美味しい」

佐山は少しずつだがハッキリと喋れるようになっている。

不安や緊張といった感情が、みんなで協力して行ったレクリエーションを通じて消えつつあると思われる。

上手く成功してよかった。

ホッと胸がなでおろされた。

「そうだね、ちーちゃんはどう?」

江口が静間に問いかけた。

江口は完全にみんなと打ち解けた気がする。

最初は無愛想だったけど今は自分から積極的に話しているから。

打ち解けたら明るくなるタイプの子だな。

「うんうん!」

静間はやけに嬉しそうな表情だ。

あんな笑顔は俺には向けてこない。

まだ、俺との距離があるなと改めて自覚させられた。

「せんせー、せんせーは高校生のとき好きな人いたのー?」

どうして今の話の展開から俺の高校時代の恋バナになるのか、些か不思議ではあるがここで話をへし折ると冷たい先生と思われてしまう。

「なんで、俺の昔の話を聞きたいんだよ?」

笑いながらも穏やかな声で質問に質問で返した。

「えー、だって気になるじゃん」

さっきから中山一人としか会話していないが他三人も会話に参加している顔をしている。

一対四では流石に分が悪すぎるので降参する。

まぁ、『質問に答えてほしいなら、まず私の質問に答えてからにして頂戴』と面倒くさいことを言われるよりはましだな。

「ボチボチだよ、ボチボチ…」

…一番面白くない返しをしてしまった…

「ず…ずるいです、それは」

「それは良くないですよ」

「みんなが言う通りだよ、先生」

生徒の皆さんからの大ブーイングだ。

佐山と静間のパスを江口が最後、俺のゴールネットに押し込んできた。

ここで驚いたのが、中山が何も言ってこなかったことだ。

中山なら真っ先に文句を言ってくると思っていたので少しだけ違和感を覚えた。

「そ、そんなに聞きたいのか?」

生徒一同頷く。

「俺なんかの昔話、というか恋バナ」

またも生徒一同の寸分狂わない同タイミングでの頷き。

みんな聞きたがっているので、これは言うしかない。

「俺は、高校生のときに彼女は一人もいなかった」

暗くならない程度に、かといって明るすぎない丁度いい声のトーンで言った。

実際、俺は嘘はついていない。俺は高校生のときは彼女がいたことはなかった。

「せんせー、好きな人はいたの?」

そうだった、そういえば中山は別に高校生のときに彼女がいたかどうかは質問していなかったな。

「うーん、いたと言えばいたかもな」

かなり恥ずかしがりながらそう答えた。

仲が良くて可愛いと思う人はいたけど、それが好きというわけではない。

でも、付き合いたいと思ったことはあるかもしれない。

でも俺は明言を避ける曖昧な答え方をしてしまう。

それは恐らく、自分の過去を語るのが照れくさいのだろう。

特に恋愛の話については。

しかも、それを自分の生徒たちに語る行為は正気を保っていられる自信がない。

そんなことは相当なナルシストでもなければできないだろう。

「せんせー、それはせんせーには好きな人がいたってことだよね」

「…………そうだな」

やめてくれ中山。

もうこれ以上俺に過去を振りかえらせないでくれ。

とりあえず、心の中で深呼吸して冷静になる。

これからは、だんだんと話を逸らしていく方向でいくと決めた。

「せんせー、告白しなかったの、その子に」

「しないよ、全然」

深呼吸の成果を遺憾なく発揮した。

「せんせー、なんでー?」

「じゃあ、みんなはなんて告白されたい?」

俺の話の方向を変えるボールは、

「せ…先生…質問に答えてないです…」

佐山の一撃で撃沈した。

先程まではレクリエーションの成果を喜んでいたが、今では間違いなく後悔している。

それに、静間も江口もやけに真剣な表情で俺の発言を一言一句聞き逃すまいといった姿勢である。

「せんせー、ちゃんと答えてよー」

中山が急かしてくる。

「一日中考えるほど、そんなに好きではなかったからかな」

これも本当だ、一人で家に居るときに時々その子のことを考えることは何度かあったが、別に胸が張り裂けるほど苦しくなったことはない。

その子からいつ返信がくるか考えたり、逆にいつ返信しようか悩んだりしたことはあるが。

生徒四人はだいぶ不満そうな顔を浮かべている。

女子高生が望んでいたような答えではなかったのかな。

でも一応事実だしな。

「ほ…本当に…それ…だけですか?」

ここにきて佐山がすごい強引に聞いてくる。

大人しい声だが顔は全く笑っていない。

心の声は冷淡なのかもしれない。

厄介なことに他の生徒も佐山の意見には同意している感じだ。

なぜなら、俺の方に顔だけでなく身体まで向いているからだ。

完全に俺をロックオンしているのでこの場を立ち去る行動や、誤魔化すような発言をしたら間違いなく四発の魚雷で藻屑にされてしまう。

女子高生は恋愛トークに関してはハイエナである。そして今、その恐ろしさを身をもって実感している。

これは生半可なことを言っている場合ではないな。女子高生に納得してもらうべく俺の考えを聞かせる。

少しだけ呼吸を整える間をとる。

「それにな、告白っていうのは、天国か地獄のどっちかなんだよ」

失敗すれば問答無用に地獄に突き落とされる。その場で『このまま友達として仲良くしようね』って言われてもそれが実行されることはほぼない。そうなればその先の高校生活は真っ暗闇だ。それは高校のなかに学生のプライベートなど存在しないからだ。あっという間に情報は流れ、情報が流れきった頃には跡形もなく今まで積み上げてきた砂場を失いかねない。

『やらないで後悔するより、やって後悔した方が絶対いい』とか言うやつは今までの人生で負けたことがない連中だ。

告白してフラれたら、絶対に告白しない方がよかったと思うに決まっている。

そんな重い出はいらない。

それに、仮に成功したとしても後々地獄に変化することもある。

そう考えたとき、

「俺は、地獄に落ちてもいいとは思えなかった」

独り言のように呟いた…

教室に警報が鳴ったあとのような沈黙が流れ込む。

「そ、そうなんですね、」

中山が責任を持って処理しようとする。

別に中山は悪くないので、照れくさそうに笑いながら言う。

「結局、告白ってのは、保険が適用されないんだよ」

自分を全てさらけ出しても何の成果も得られないかもしれない。

俺は一時の幸せを得るために、血と肉と骨を犠牲にするギャンブル依存症ではない。

それにそんな価値はない。

「そ…そういう…も…もの…なんですね…」

先程までの勢いがなくなった佐山の声を聞いて流石に申し訳なくなった。

江口だけは特に表情は変わらずに黙々とご飯を食べている。

「ま、俺は楽しかったよ高校生!」

明るい声を生徒たちに浴びせる。

ご飯は明るく食べなきゃ美味しくないし、みんなで食べる意味もない。

俺のその意図を察したのか静間がガールズトークを再び始めてくれた。



たぶんだけど、先生は失うことがとても怖いのだと思う。

今まで築き上げた自分の誇りやプライド、友人関係、立場など自分が大切に守ってきたものがズタズタにされチリチリになることが。

でもそれは私も同じ。

いや、それは人間みんな同じだと思う。

自分の守ってきたものが一瞬で崩壊したら自分で自分を抑えることは難しいと思う。例えくだらないものでも、自分の心の核を形成する何かを失うということは理性を吹き飛ばすのにピッタリな火薬になる。

もし理性が保っていたとしても心にキズを負うことを良しとする人間はいない。

それほどまでに、心にキズを負い核を失ってしまうということは残酷なものなのだと思う。

それに先生は笑って言っていたが【保険】という言葉の意味も気になる。

あれはきっと本心なのだと思う。

何に対する保険なのかは私にはわからないけど何かを恐れていることはわかる。それは失うことかもしれないし、そうでないかもしれない。でも失うことよりももっと根本的なことだと思う。

まぁ、あまり詮索はしない方がいい気はする。

理由は簡単、私は詮索されることが嫌いだから。

自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない、というやつね。

そうしたら、いつか心を開いてくれる日まで待ってみよう。

「ね、すーちゃんはさ、歌詞とか書いているの?」

先生が微妙な雰囲気を明るくしようと頑張っているので、明るい中山さんに話を振って雰囲気を変えてもらおう。

自分一人では厳しいので中山さんと協力してね。

「もちろん、書いているよー」

「どれぐらい書いているの?」

「んー、だいたい100個は書いているかなー」

「え!100個も!」

これは別に無理矢理明るくして驚いているわけではない。私は本当に心から驚いている。

「すごいよ!それは本当に!」

「あ、ありがとう…」

私が褒めると中山さんは頬を染めたような声で照れた。

それに、褒められ慣れていないのか椅子が揺れる音がする。

たぶん、足をくねくねさせているところだろう。

褒められると、どうしていいかわからない気持ちに若干共感する。

「ち、ちーちゃんも歌詞書いたことあるの?」

照れる声の中山さんからの質問。

自分から質問したのだから答える義務が生じるけど少し恥ずかしいな。

「…あ、あるよ…一応…一応ね…へへへ…」

「そうなんだ!今度聞いてみたいな、ちーちゃんの歌詞」

「い、いや、そ、その…」

「ん?どうしたの?」

「いや、その~、ね、」

「え、どうしたの?ん、どうしたの?ねー」

「む…昔書いた歌詞は…も…もう消しちゃったんだよ…」

中山さんからの追求からは逃れられなかった。

昔書いた歌詞はコンピューターがすべて読み上げたとき、あまりの恥ずかしさに迷わず消去を選択した。自分のワードセンスの無さというか、狙いすぎた言葉に私の心が拒絶反応を示した。あれは今思い出してもアレルギー反応がでる。たぶんアナフィラキシーショックを引き起こす。

でも、私の感情を追い越す中山さんの追求はまだ止まらない。

「ね、聞かれたくないだけでしょ、ね、すーちゃん、少しは残っているでしょ、そうなんでしょ」

「そ…その…恥ずかしくて…全て…消しました…す…すいません」

もう勘弁してください中山さん、これ以上追求しないでください。

私はこれから始まる拷問に身を震わせる。

でも、それは私の杞憂だった。

「…でもね、私にもね、わかる、その気持ち」

意外にも中山さんが共感してくれたからだ。

中山さんにも羞恥心がある。

それだけで同じ立場になれた気がして嬉しかった。

「私も最初自分の作詞のセンスの無さに絶望して心を打ち砕かれたけど、その時は保存してから一旦コンピューターの電源を落として別のことを考えるの。そうしてリフレッシュしてからまた制作するの」

澄んだ瞳のような声で教えてくれた。

あー、この人は本当にすごい人だ。

私は全く同じ立場には立っていなかった。

少しでも同じ立場だと思った私が情けないな。

中山さんは、自分の性格を完全に理解して未熟さも受け入れて吸収しようとしている。

自分自身と向き合うって簡単そうにみえるけどこれが難しい。

心を打ち砕かれるのだから。

そしてそこから立ち直り、また自分自身と向き合わなくちゃいけない。

この繰り返し。

でもそうやって作詞家や作曲家、漫画家や小説家は何もないゼロからイチを生み出す。

私は少しだけ小説書いたことがあるからほんの少しだけわかる、ゼロから創作する難しさを。

同じ立場にいないし、理解しているわけではないし、ただただおこがましいけどね。

心の底から尊敬しちゃうな。

私もいつかそうなりたいな。

憧れちゃうし嫉妬しちゃうな。

自分にはできないことをやってのけてしまう人たちを。

「みんなも歌詞書いたことあるの?」

中山さんが、江口さんと佐山さんにも問いかけた。

寸刻の間を置き、

「わ、私も一応あるよ、うん…」

今までクールな声だったのに、今はハスキー声というか、かすれそうな声の返事だった。

江口さんも恥ずかしそうだ。

「む、昔はね、たまに書いたことがあったけど後から自分が書いた歌詞を見返すとさ、その、耐えられなくなるんだよね。たぶんちーちゃんと同じかな」

「うん、同じだね!」

江口さんからのラブコールに間髪入れずに明るく返事をする。

江口さんも歌詞を書いたことがあるんだなぁ。

たぶん、みんな歌詞を書いたことがあるのだと思う。でもそれは、自分だけしか知らない大切な秘密で誰にも開けて欲しくないブラックボックスなはず。

でも今、私たちはそれを開封している。

なんだろう、すごく嬉しい。

秘密の共有というやつだろうか。

何の効果は知らないけど教えてくれて嬉しいことは紛れもない事実。

それで、佐山さんはどうなんだろう。

恐らくすごく、困っているのだろう。

中山さんとは比べものにならないほどの椅子が揺れる音がする。

その反応は小動物特有の反応みたいだ。

恐らく、『みんなが言っているのだから私も言わなくちゃいけない』と思っているのだろう。

でもそんなことはないよ佐山さん。

無理して言うモノでもないし、別に何かが変わるわけで…

「そ、そのーー!」

その時、明らかに喉の調子が悪い高音が響いた。

声帯が亡くなったのではないかと思うほど心配になる声だ。

先生の椅子が大きく揺れたので先生もビックリしているはずだ。

だ、大丈夫かな、佐山さん。

絶対に大丈夫ではないと思うけど。

私たちは次の言葉を唾が溜まるほど待った。

「…か…歌詞は…書いたことないけど…」

「…うん」

佐山さんが言葉に詰まっているので相槌をうってみた。

「………ら…ラジオの…自分の…番組…コーナー…とか…」

佐山さんは自分の夢であるラジオのことについて教えてくれた。

『歌詞は書いたことがない』と言えばそれで済む話なのに、わざわざ自分のラジオの番組の企画を考えていることを教えてくれた。

恐らく、それはフェアじゃないからと思ったので教えてくれたんじゃないかな。

それはすごくいい子ということで間違いないと思う。

周りの空気を読むというか、自分は一歩後ろから客観的にみようとするわけではなくて、自分自身も同じ土俵に入り一緒の立場に立とうとする。

それがどれくらい緊張して、どれぐらい難しいものかは私にはわからない。

こういうものは一概に大変とか簡単とかは言えない。

人それぞれある得手不得手の話だから。

特に佐山さんは苦手なはずだ、自分のことを誰かにさらけ出すということは。

現代の自分自身の心を剥き出しにするという行為は、昔でいう心臓や首を相手に差し出すということだと思う。そんな覚悟を示してくれた佐山さんの夢がいつか実現することを私は心から願った。

「じゃあ!私の曲が完成したらそのラジオ番組で紹介してよ、というか流してよ」

「う…うん!」

お互いの将来の夢を語り合うすごくいい時間だ。

私は将来の夢はまだ決まっていない。かと言って全く決まっていないわけでもない。『これがいい』と一つに絞ることができていない状態だ。コンピュータープログラマーもカッコイイし、あはき師として誰かを癒してあげたい、という気持ちもある。でもいずれは一つに絞って自立した生活を送らないといけない。楽しくできることを仕事にしようと思っていても、それが実現できる可能性は物凄く低いということもわかっている。

そういえば、江口さんもまだ将来の夢は決まっていないって言っていた。

将来の夢はそんな簡単に決まるものではないけど候補はあると思う。

だとしたら私と同じかな。

中山さんと佐山さんは夢を追いかけて生きている。でも私と恐らく江口さんもただただボーっとしながら生きているわけではない。恐らく、それなりの人が夢を持って生きているわけではない。でもそれは決して前を向いていないわけではないし立ち止まっているわけでもない。ましてや、目の前にある問題から目を背けているわけでもない。

ただただ一生懸命生きているだけだと思う。

でもいつか夢というか職業は、複数ある選択肢から一つに絞らないといけない。

もしかしたら、その選択する苦悩からは目を背けているのかもしれないな、私は。

取り返しがつかないからかな、経過した時間は。

選んだ職業や夢は変更できるけど、

時間は取り戻せないからかな、

無駄にしたくないのかな、

後悔したくないのかな、

失いたくないのかな、

キズつきたくないな…



「あ、さっきのレクリエーションで先生の好きなスポーツについて考えたけど、みんなは好きなスポーツとかあるの?」

中山が他の生徒に問いかけた。

さっきまでは、歌詞を書いたことがあるかどうかの話だったが話題が切り替わったらしい。

まぁ、俺も歌詞を書いたことはある。

もちろん削除したけど。

それは、自分が書いた歌詞を見返すと本当に消えたくなるからだ。

だから、静間の気持ちは痛いどころか気絶するぐらいわかる。

それに中山の凄さもわかる。

それに比べて俺は自分とすら正面で向き合えない。

わかってはいる、理解はしている、でもそれができない。

心と身体は別というが…それはその通りだが、これは心と心の問題だ。

いや、心と脳の問題かもしれない。

でも、こんなことを悩んでもいても仕方がないので放棄する。

「まぁ、質問者である私はスポーツ興味ないから好きなスポーツなんてないんだけどね」

言い出しっぺの中山はスポーツに興味はないらしい。

中山はスポーツ女子というよりも音楽系女子というイメージだから違和感はないが、質問者である中山がスポーツに興味がなかったらあまり盛り上がらないだろう、この話は。

さっきの会話は、『歌詞を書いた』という秘密みたいなものをお互いに自分から開示することで親近感を抱くことができた。

仲良くなってお互いの絆を深めるには自己開示は必要不可欠なのだ。

でも、自己開示の度合いが高すぎると却って嫌われてしまうこともあるので、その辺は生徒たちのさじ加減にお任せしよう。

まぁつまり、いきなり秘密を暴露しまくるとダメということだな。

なので、スポーツの話題は丁度いい会話だ。

「私もスポーツは興味ないかな、私運動神経ないしなー…」

静間が少し寂しそうに言った。

何かやってみたいスポーツでもあるのかな。

あるいは、運動神経が良かった自分をイメージしていたのかもしれない。

俺は運動神経が良かった方だったので運動神経がない人の気持ちはわからない。

静間はどんな気持ちなのだろうか。

やっぱり憧れるのかな、それとも気にしていないのかな、どうなのだろう。

「わ…私も、運動神経はないので…スポーツは苦手意識があって…だから…ないです」

恐らく、これが通常通りの喋り方の佐山の声が聞こえてきた。

最初は緊張しているからだと思っていたが、ここまでくるとこれが普通なのだろう。

別に不快だとは思わないので問題はない。

「そ…それに私は先天性なので…生まれつき目が見えにくいこともあって…かな…」

佐山がここで自分は先天性だとカミングアウトした。

俺はもちろん知っているが他の生徒たちは知らない。

俺としては、それがいい事なのか悪い事なのかわからない。

「へー、そうなんだ、私と同じじゃん」

中山が佐山に同じだと伝える。

さっきと同じ声のトーンで。

「私も、同じだよ」

静間も佐山たちと同じだと伝える。

もちろん、さっきと同じ声のトーンで。

でも俺は知っている。

江口が後天性であることを。

佐山、中山、静間の三人が先天性の視角障害であるのに対し、江口は後天性の視角障害である。

この生まれつきかそうでないか、の違いがどれだけ大きい問題なのかは俺にはわからないし、俺が好き勝手に首を突っ込んでいい話でもない。

ただ一つだけ俺にわかることはこの話がデリケートな問題であることだ。

どっちも生きていて大変なことばかりだと思う。

俺たちが到底わからない不安も抱えている。

だから俺には何もできない、首を突っ込むべきではない。

それに俺が関わってきたら嫌だろ、絶対に。

俺は今、どうしていいかわからない。

でも、生徒たち同士に軋轢が生じてしまうことは何としても避けたい。

皆が江口の顔を伺い完全に音が消えている。

それを破ろうと江口が口を開いた。

「私は、後天性だから、昔はアイスホッケーやっていたの、だからアイスホッケーが好きかな…今でも」

江口はいつも通りのクールな声で喋っていた。

でも、最後は昔を思い出しているような声だった。

そして、音が戻った世界にまた静寂が侵攻してくる。

音の世界に均衡が保たれることはない。

たぶん、他の生徒は返事に困っていると思う。

それはそうだ、普通なんて返せばいいかわからないだろう。

その一言で失うかもしれないのだから、今日築き上げたものを。

俺はどうしていいかわからず話も纏まらないまま声を出した。

たぶん、守ろうとしたのだろう。

「すごいな、江口!アイスホッケーは難しいだろ!」

「…先生、アイスホッケーしたことあるんですか?」

「いやないけど、すごいなって、簡単じゃないだろ」

「簡単じゃないのは、全てのスポーツにいえることですよ」

江口に足蹴にされる、でも守りたい。

「でもさ、あれだよ、あれ、努力したんだろ、たくさん」

「みんなたくさん努力はしています、私以外の人も」

「でも、すごいよ!本当にさ、だからそ…

「気を遣わなくても大丈夫です!」

俺の言葉は江口の牙で抑えられた。

そんな気がした。

「私は、視覚に障害を負っているとはいえある程度は見えます。

食器だって見えるし、スプーンもホークの場所もわかります。

遠くにある障害物だって見えるしわかるもん…教科書の文字だって目を近づければわかります。

私よりも目が不自由な人はたくさんいます。

だから気を遣わないでください、私には!」

怒鳴られたわけではない。

殴られたわけでもない。

でも痛い。すごく痛い。

久しぶりだな、この感覚。

あー嫌だなこの感覚。

あれ、なんでこうなったのだろう。

あれ、どうしてここにいるのだろう。

あれ、何のために、誰のために、教師をしているのだろう。

あれ、そういえば、俺は何を誰を守りたかったのだろうか。

もう、わからなくなってきた、何もかも全部。



先生は悪くない、でも、江口さんも悪くない。

どちらが正しいとか悪いとかそういう問題じゃないと思う。

江口さんのちょっとだけ大きい声のあと、静寂という概念がなくなるほど静まった食堂は居心地が良くない。

江口さんは決して怒鳴ったわけではなかった。

ただ単に大きい声を出したわけでもなかった。

でも、確かに聞こえてきた。

聞きたくないと思えば思うほど聞こえてくるような、心からの声だった気がした。

少なくとも私にはそう聞こえた。

先生にはどう聞こえていたのかな、江口さんの声が。

先生には見えているのかな、江口さんの心の音が。

それとも、見ようとしていないのかな、目を背けているのかな…私たちから。

でも、これだけは言える。

先生が何かを守ろうとしたことを。

それとも、何かを庇おうとしたのかもしれないけど。

先生は江口さんに気を遣っていたことは間違いない。

気を遣うということは、何かを守りたいと思う人間の防衛本能みたいなものだと思う。

先生は、私たちを守ろうしてくれたのかな。

それとも…ね…

でもね、先生、江口さんが後天性だと教えてくれたとき確かに私たちは沈黙した。

でもね、それは、単純にアイスホッケーができる江口さんを尊敬していたからなんだよ。

私と佐山さんと中山さんの三人は、同じ生まれつき目が不自由な先天性だから、後天性の江口さんとは経緯は違う。

もちろん、物凄く大変な経験をしたと思う、江口さんは。

今まで見えていた視界、表情、文字、景色がある時から全く異なるのだから。

正直、住む世界が変わったと感じるほどだと思う。

そして、その中で辛いこともあったはず。

人に言いたくないような事がたくさん。

それを考えて言葉が浮かばなかったのは事実だけど…

でもね、先生、だけどね、先生、

私たちは今は同じなんだよ。

辿ってきた経緯、今まで経験したこと、感じたこと、思ったこと、

これは全部人それぞれだと思う。

全く同じ人なんて存在しない。

だから、価値観も人それぞれなんだと思う。

価値観が違えば当然ながら考え方も異なる。

考え方が異なれば性格も違う。

そういうものだと思う。

でもね、先生、今はね同じ場所で同じご飯を食べているんだよ。

そしてそれは先生も同じなんだよ。

私たちは同じなんだよ。

先生も、私たちも。

それに江口さんも私と同じことを思っているはず。

だから、さっきみたいに言ったのだと思う。

『気を遣わないで』この言葉にはいろんな意味が詰まっていると思う。

きっとそれは、江口さんが今まで経験してきたことに何か関係があるのだと思う。

でもそれは江口さんにしかわからない。

もしかしたら、江口さんにもわからないかもしれない。

私にわかることは、気を遣われる方は時に激しい痛みを伴うことがあるということだけ。

もちろん、嬉しいし守られている安心感もあるけど。

同情されているって、対等な立場じゃないのかもなってね。

同じ人間なのにね、難しいよね。

気を遣ってくれる相手には悪気はない、それが逆に感情のはけ口を塞いでしまう。

悪気がないから怒れないし、感情をぶつけることもできない。

吐き出せば気を遣ってくれた相手に失礼だし、かといって飲み込んで消化することもできない。

そんな、行き場を失った二酸化炭素たちを常に溜め込んでいたのかな。

だとしたら、それは身体に毒だ。

吐き出すこともできない、その毒された身体で生きてきた辛さは計り知れない。

吐き出し方を知らないだけかもしれないけど、心が疲弊していることは間違いない。

それに江口さんは不器用なのかもしれない。

恐らく毒の後遺症だと思う。

さっきだって先生に対して怒ったわけではなかった。

どうやって感情を表現していいかわからなくなってきているのかもしれない。

感情を溜め込みすぎた結果、

他人とどう接すればいいか、他人とどうやって会話すればいいか、他人とどうやって関わればいいのか、他人とどうやって仲良くなるのか、忘れてしまったのかな。

でも私たち三人は、同じ境遇の一人として、同じ経緯の一人として、同じ環境で生きる一人として仲間として認めてくれていたのだと思うな。

私たちとレクリエーションで会話したときは結構絡んできてくれたし、ご飯のときだって秘密を教えてくれた。

江口さんも嬉しかったのだと思う。

仲間に出会えて。

それに、先生とも仲間になりたいはず。

先生に受け止めて欲しかったのだと思う、自分の気持ちを。

自分の感情を拾って欲しかったのだと思う。

だから、声が出たのだと思う。

今まで抑え込んでいた感情と一緒に。

我儘かもしれないけど、

お願い、先生。

だからね、先生、どうか、先生、怖がらないで。

「キーンコーンカーンコーン」

どんな状況、どんな心境でも変化することなく一定のタイミングで、ただ発声するだけの機械化された一切の感情も籠っていない音に場が支配された。

皮肉にも感情のぶつかり合いを止めるのが、呼吸をしないチャイム音というのが、さらに食堂をいたたまれない空気にする。

それはまるで、感情がなければぶつかり合うことはないと言っているみたいな気がした。生命も感情もない、そして成長することもない存在に、人間が嘲笑われている気分はこの場から退出する理由に適任だと思う。

ご飯の時間が終了だと暗に伝えているだけなのに、このチャイム音を素直に受け止める人はこの食堂にいないはずだ。

これが感情というものだ。

厄介であり、それでいて邪魔である。

誰かに感情を盗まれても別にね…構わないかもね。

でも、時間にも感情にも、何も縛られない人生は楽しいのかな。

まぁ、感情がなければ、こんなことも考えることはできないか。

厄介で邪魔で醜く迷惑極まりないが失うつもりは毛頭ない。

理由は特にないけど。


最初に動いたのは江口さんだ。

立ち上がりトレーと一緒に食器を所定の場所に片付ける。

でも、江口さんはどこかよそよそしい歩き方な気がする。

それは食堂に来るときとは明らかに足音が違うから。

どうしていいかわからないので、とりあえずこの場から立ち去ろうとしたのだろう。

まぁ、私もどうしていいかわからないので座っているのだけど。

先生はそんな江口さんを見つめている…気がする。

先生がどんな感情を持っているのかはもうわからない。

でも、先生は江口さんに何も声はかけていない。

私が思うのも変だけど今はそれで間違っていないと思う。

今、むやみやたらに声をかけても江口さんの感情を逆撫でするだけな気がするから。

でももしかしたら、感情を逆撫でするのが正解なのかもね。

あー、難しいな、感情って。

自分でも理解できないし、感情とは違う行動や発言をするときがあるから。

考えれば考えるほど胸が焼き焦げるように熱くなる。

江口さんが先生の後ろを通り、出口兼入口のドアを開けて廊下に出た頃ようやく佐山さんと中山さんも動き出した。

二人は、将来の夢の会話で盛り上がっていたとは思えないくらい距離が離れている。

でも、なんかわかる気がするんだよね。

こういう気まずい空気のときって他の生徒と一緒にいづらいというか、声を出すことが億劫になる。

この空気自体を作ったのは私たちではないけど、そんな他人行儀なフリはできないし、そこまで人格は破断してはいない。

この空気を変えるには私たちの力が必要なのは間違いない。

でも、この空気を変えるタイミングは今ではないと思う。

それに、今日出会ったばかりなのでより複雑かつ繊細な問題になる。

自分たちがどうにかしなくちゃいけないのに行動できない自分が卑しい。

…これは結局…

理由を探しているだけかな、行動できない自分を。

正当化しているのかも、私を…

佐山さんと中山さんの二人も別々に食堂のドアを開けて廊下に出た。

食堂には私と先生の二人だけだ。

先生とこうして二人だけになるのは出会ってから初めてだ。

さっきまでの気まずさとはまた違う気まずさが今の食堂にはある。

それは緊張のせいもあると思うけど。

それよりも、私が先生に何かを伝えたいけど伝えられないから気まずいのだと思う。

この『何か』は自分ではわかってはいるはず。

でも、言葉が足りない。

慰めや同情ではない、同じだという言葉が。

先生にいろいろ言える立場ではないと、身体を中から焼くように痛感する。

言葉は重い、責任もある。でも…

…あー、また探している理由を。

行動しよう、今は。

私は、息を吐き出しながら席をたった。

食器を片付けるために。

私も先週学校に来た時に反復練習したのでもちろんできる。

食器を片付けドアの前で息を吸い込んでから振り返る。

言葉は決まっていない、でも伝えたいことはわかる。

自分の言葉が正しいわけじゃない、でも伝えたい。

今思ったことを…

「あのね、先生、先生は、私たちのことが見えていますか?」

決めていたわけじゃない、

正しいわけでもない、

でも確かに私の口から出た言葉だ。

そして先生の返事を聞いて、私は一人の先生が、私たちのいる場所に来てくれることを祈った。



「…ああ…見えているよ…たぶんな…」

静間の問いかけにそう答えた。

そしてそれを聞いた静間はいなくなった。

恐らく、みんながいる教室に行ったのだろう。

受動喫煙は気が進まないからな。

毒ガス漂う食堂に独りぼっちの俺は居心地が良いと感じてしまった。

静間は何が言いたかったのだろうか、何を伝えたかったのだろうか。

そして俺に何を求めていたのだろうか。

理解はしているはず、答えは、きっとわかっているはずだ。

でも、俺の思考に俺の思考が歯止めをかける。

何を恐れているのか、何を恐れる必要があるのか。

何から目を背けているのか、何から目を背ける必要があるのか。

「おれは…俺は…何から…」

死刑囚が死ぬ間際に発する、何かを悟った小さくておぞましい声が出た。

俺のどこからこんな声が出るのか不思議だ。

「…ッハ、ッハ、ハハ、わっかんね」

気を抜くと折れそうな全てを笑いながら立て直すように呟く。

なんで笑うのか自分でもわからない。

死ぬ間際に笑うってやつだな、絶対に。

俺は死戦期気呼吸をしながら自分で自分の心臓をマッサージする。

少しずつ落ち着いてきて冷静になる、というより無になる。

俺の自己防衛だ。

感情を殺し、そして消し去り、何もなかったことにする。

そうやって守ってきた、自分を。

自分が自分であるために。

自分を正当化するために。

それにしても、なんで静間は俺に話かけてきたのか。

スルーすればいいのにな。

『見えていますか』確信をついた言葉かもな。

俺よりも俺のことを理解しているのかもな。

「そんなわけないよな、さすがにな」

独り言が俺を形成していく。

静間が俺に対して問いかけてきた答えは自分の中にある。

そして、それはすでに見つかっている気がする。

でも俺は、その答えを自分で隠蔽している。

俺に発見されないように。

俺が答えを発見して向き合ったとき、俺は否定される。

俺はそれが怖い。

今までの俺が、俺の人生が無駄だったんじゃないか、間違っていたんじゃないかって。

怖いんだよ、そんだけのことが。

俺は自分に嫌気が差しながら立ち上がり食器を片付ける。

すると、食堂のドアが開く。

白髪で高身長だ。

「おや、悠太先生、まだ食堂に残っていたのですか」

「ああ、はい、一応」

「美味しかったですか、今日のご飯?」

「…はい、一応」

「ご飯の時間に何かあったのですか?」

「…」

「あったのですね」

「…はい」

「まぁ、別に詳しくは聞きませんけど」

「…そうですか、いいんですか、それで」

「はい、信用していますから」

「…そうですか」

信用していると言われれば却って不安にさせたくなる。

「俺は選択を間違えたのかもしれません」

「何の選択を、ですか?」

「全てかもしれませんね」

「だとしたら、私も選択を間違えていますよ」

「それは、どういう意味ですか?」

「悠太先生が全てを間違えていたのなら、私と会話していることも間違っているからです」

そんなことを言われたら何も言い返せないじゃないですか。

「大丈夫です、悠太先生。

私が正しいわけではないですが、間違ってはいないと思っています。

ですから安心してください、あなたは決して間違ってはいないです。

あなたはここに居てもいい存在なのですよ」

思わず下を向く。

心にある痛みが無くなったわけではないが和らいだ気がする。

それと同時に身体中の水分が失われそうだった。

危ない、耐えなくては、校長先生の前で泣いてしまう。

でも校長先生は俺を認めてくれた気がした。

綺麗事を並べた長い文章ではなく、短くそれでいて直接的で心に刺さるものだった。

それは上辺だけではなかった気がする。

正面から向き合ってくれた気がする。

「じゃ…じゃあ、俺は…俺は…一体何のために…ここに?」

「その理由は、悠太先生が自分で考えて決めていいのです。

確かにこの学校に呼んだのは校長である私ですし、拒否権なんてものはなかったですから、考える暇もなかったと思います」

そうだ、俺が考える暇もなかった。

理由か…出てこない気がするな、いくら考えても。

「それに理由なんて、何でもいいのですよ。後付けだって構いませんよ」

後付けでも構わない、そんなものなのかな、理由なんて。

「…そうですか…ありがとうございます…校長先生」

「別に私は、そんなにね」

しおれた声を校長先生が掻き消す。

謙遜だ、それは。

俺は教室に向かわなくてはいけないので上を向き歩き出す。

「ああ、そうだ悠太先生」

「何でしょうか?」

校長先生が歩き始めた俺を静止させた。

「この後のホームルームは私が行いますよ」

突拍子もない話に意識が集中する。

そんな予定は聞いていない。

「どうしてでしょうか?」

当然ながら質問する。

「この後、元々彼女たちに話す予定があるのですよ」

「…それは知りませんでした」

「それはそうですよ、だって悠太先生がこの学校に赴任することに決まったのは先週なのですから」

「…そうですよね、普通ではないですもんね」

「ええ」

そうだ、これは普通ではない。

それにしても、なんで校長先生は俺をこの学校に呼んだのだろうか。

わからない。

聞いてみようかな、今度。

「じゃあ、悠太先生は職員室で待っていてください」

「はい、わかりました」

今日の勤務は終わったということだな。

勤務を終え職員室に向かうために、校長先生に一礼してから食堂のドアを開け廊下に出た。



危険地帯から無事に脱した私は教室に戻り席に着いている。

これで10分ぐらいの短時間のホームルームを行い下校になる。

高校生活初日なので生徒に負担をかけないようにするためらしい。

いい時代だな、現代は。

そして現在、教室にいるみんなは静かに先生を待っている。

今か今かと待っていると教室のドアがもうじき開きそうだ。

廊下を歩く音がこちらに向かっているのでわかるのだ。

でも、ドアが開くことは予想していたが登場した人物は予定外だった。

「みなさん、こんにちは、校長先生です」

白髪で高身長と母が言っていた校長先生だ。

「「「「こ、こんにちは!」」」」

みんな驚きながら校長先生に挨拶を返す。

「うん」

校長先生は元気そうだ。

先生はどうしたのかな、不安になりつつも校長先生に集中する。

「悠太先生に代わって今回のホームルームを担当します校長です。

ホームルームといっても少しだけ私が皆さんにお話するだけです。

あ、悠太先生ですが、職員室にいるだけですから大丈夫ですよ」

私の心を読んだのかな、いや普通にみんな気になるか。

まぁ、校長先生が大丈夫といえば大丈夫なのだろう。

『また、明日ね、先生』

心で言うが、これは直接会って言うべきだよね。

わかっている。

今度、直接言おう。

「皆さんは、初めての学校でしたがとても大変だったと思います」

校長先生が話を続ける。

「そして、皆さんがいち早く学校に馴染むことができるように私は頑張ります」

校長先生の有志が続けられる。

「ちなみに、悠太先生がこの学校に赴任すると決まったのは先週です。

そう、皆さんが歩行指導を行っている週です。

ですので、悠太先生も整理が追いついていません。そして、皆さんと同じでいろいろ不安だと思います。

なので、同じ仲間として、是非とも一緒に仲良くしてあげてくださいね」

先生がこの学校に赴任すると決まったのが先週、そんなこと初めて聞いた。

そんなこと普通あるのかな、何か特別な事情があるのだと思う。

でも、校長先生はそれ以上教えてくれない。

わかることは、先生も私たちと同じで不安ということだけ。

もっと何か会話した方が良かったのかな。

でも、先生がそう言ってくれればいいのに、と思う。

やはり、生徒たちには言えない特別な事情があるのか。

まぁ、今は校長先生の話が優先かな。

「じゃあ、さようなら」

「「「「…さようなら」」」」

ホームルームは一分弱で終了した。

もっと長引くと思っていたので、肩透かしを食らった気分。

でも、早く終わることは悪い事ではないので別に構わない。

私たちは、とりあえず席を立ちもう一度校長先生に帰りの挨拶をしてから廊下に出た。

そして四人一緒に学校の駐車場まできた、特に会話することはなかったけど。

「じゃあね」

最後に私がみんなに手を振りバイバイをした。

「「「じゃあね」」」

三人からちゃんと返事があって安心した。

そして、そこから各々の家族車でそれぞれの家に帰る。

高校生活初日は、とにかく緊張しまくりの高難易度だったが恐らく無事に終了した…はずだよね。

車に乗りながら、いつも通りの落ち着く匂いを鼻腔に吸い込み気持ちが落ち着く気配を感じた。

そして、重力を重力と認識するくらい疲れがきた。

すると案の定眠くなってきた。

恐らく、それはみんなそうだろう。

でも、この高校生活が当たり前になって逆に高校に行くことが億劫になってしまう日が来ることを私はよく理解している。

今感じているこの重い身体もいつかは思い出になってしまう。

高校に行くことが当たり前になってほしい反面、高校が終わってほしくない気持があり今は矛盾している。

そう考えると楽しかったな高校初日。

みんなはどんな感じで高校生活初日を終えたのかが、すごく気になったけど睡魔には勝てそうもなくあえなく消沈した。


初めて小説を書いてみました。

書き終わってから見返すと、自分の表現力というか語彙力の無さに失望しました。

それでも読んでいただきありがとうございます。

もしよろしければ、最後まで読んでいただければ光栄です。



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