第二十九話 悪夢
第16話のリアム目線
リナがあの黒の力を発動させた後、ルーセル達にその時の状況を聞き、リナが異世界人だと話した。魔力がない彼女がなぜ黒の力を使えたのかはわからないが、双方で調べてみることになった。
リナは体力の消耗が激しかったのか、貧血のようにふらふらし、夕食を食べずに深く眠った。
その夜のことだった。
『ぃやぁああああ!!!!』
リナはうなされて汗を大量にかいて目覚めた。
『っいや!いやあ!!』
叫んで起きたと思ったら、錯乱状態で自分の髪を払い除けるように体を掻きむしった。
「リナ!!大丈夫だ!!落ち着け…落ち着くんだ」
彼女の腕を掴んで動きを止めさせた。彼女の瞳は揺れて焦点が合わない。
肩で息をしながら周りを見て部屋だと気付く。
「ハッ、ハァッ、ハァッ、ハァ…リアム?…私、ここ…部屋?」
目を彷徨わせて唇を震えさせて見上げてきた。
「ああ、そうだ。何もない。大丈夫だ」
彼女の額に浮かんだ汗を、顔に張り付いた髪を後ろへ撫で付けた。
「あ…夜?…暗闇…追いかけてくる。私、走って、走って…捕まった」
彼女は手や腕を見てその夢の拘束を確認した。俺も子供の頃によく見た暗闇の悪夢と酷似していた。
「違う、夢だ。怖い夢を見たんだ。大丈夫だ、お前は寝ていた。うなされていたんだ」
彼女の顔を両手で包み上をむかせて目を合わせる。
「ゆめ…?リアム、ここにいた?」
ランプに照らされた濡れた黒い瞳が俺をちゃん映していることに酷く安堵した。
「ああ、ずっといた。そばにいた」
彼女の背中に手を差し入れて上半身を起き上がらせた。
「湯と着替えを持って来た。体を拭くか?それとも風呂に入れるか?」
ぐっしょりとかいた汗が不快だろう。サイドテーブルの小さな桶と着替えを見て言った。彼女もその視線の先を見る。
「ん…ありがとう。お風呂、無理そう…あの、、」
彼女は言い辛そうに俺を上目遣いに見た。
「どうした…?…ああ、わかった。入り口の側にいるから、何かあったら言えよ」
体を拭きたいのだろう。立ち上がって部屋を出ようとした。
「っ待って!行かないで!!…あ…ごめんなさい」
何かに怯えるように息を潜める彼女は俺の裾を引っ張って引き止めた。
「…大丈夫だ、あっちを向いている。何かあったら言え」
何も聞かずに背中を向けた。
それを見届けた彼女が服を脱ぐ衣擦れの音。布切れをぬるま湯に浸し、引きあげて絞る水音がやけに耳に響く。体を拭いていく肌を滑る音。ジリっと背筋が焼ける気がした。全神経が耳に集中するように顳顬に力が入る。
「あ…」
彼女の口から漏れた微かな声にも過剰に背中が反応して動いてしまう。
「…リナ?…どうした?」
声をなるべく潜めて平常心を装う。
「あ…背中が…拭けなくて…それだけ」
体全体が逆立つように身震いした。
「…そっちを、向いても?」
彼女が拒否を口にしたらと身構える。
「あ…お願い、します…」
意を決して振り返り、シーツを胸の前まで引き上げただけの無防備な白い背中を見て息を飲んだ。
ランプの揺らめく光に照らされて神々しいほど綺麗だった。まるで、食べられるのを待っている極上の贄のように甘い匂いで誘う。自然と唾が滲み出て、それを飲み込んだ。
なんの苦行だ…
彼女と同じように桶の湯に布を浸して絞る手が震える。
「…触れるぞ」
彼女の背中に張り付いた髪を前に流そうと項に触れようとして、指先に電流が走った。
「っ…」
「っい」
彼女がピクリと背中を跳ねさせて、小さく声を上げた。指先に走った電流は全身を駆け抜け脳を甘く痺れさせた。獣化しないと出ない牙が歯痒く疼く。まるで、その項に突き立てるのを待ち焦がれているように。
慌てて口元を手で覆い、理性を総動員させて邪な考えをもたげる本能を押さえ込んだ。
「…すまない。痛かったか?」
「っ大丈夫、です…」
彼女の柔らかな背中に触れる掌が甘く痺れる。震えないように、彼女に気づかれないように慎重に拭いていく。
「もう大丈夫だ。気持ち悪いところはないか?」
「はい。大丈夫…ありがとう」
また背中を向けて彼女が服を着替える衣擦れの音が部屋に静かに響いた。
「シーツも替えよう、少しそこの椅子に移すが、構わないか?」
彼女は頷いてシーツをめくった。そのまま軽い体を抱き上げると、驚いて息を止め、俺の首にしがみついてきた。その動作に愛しさが込み上げて腕に力が入る。
そっと椅子に下ろし手早くシーツを張り替えた。
そしてまた彼女を抱き上げてサラリとしたシーツの上に下ろした。
まだ力なく唖然としている彼女を覗き込んで聞いた。
「腹は減ってないか?」
首を振った。まだ疲れているだろう。
「寝れそうか?」
そう聞くと彼女はハッとして見上げてくる。
「リアム、ごめんなさい。ベッド使ってる。リアムもう寝る?」
起き上がろうとするから手だけで止める。そんな状態でも彼女は俺にベッドを譲ろうとする。
「いや、俺は床でいい。けど、この部屋にいていいか?」
「でも…」と彼女は首を横に振るが、俺も譲れない。
「お前は熱がある、病人を床で寝かせる訳にはいかない。それに家の床なんて男だらけで仮眠する酷さに比べたら雲泥の差だ」
戯けてみせるが、目は真剣だ。これで寝ないと言うなら眠らせる気だった。
「それに、今日の黒の疾風は俺の魔力によるものだ。怖い夢を見るのは、俺のせいだ。せめて、お前が怖い思いをしないように、そばにいたい」
だからどうか、俺をそばに置いて欲しい。
懇願するように彼女を見つめた。
「手を…繋いでも、いい?」
珍しく彼女が望みを口にする。彼女の願いならなんでも叶えたいと思った。
「わかった」
そっと彼女の指先を握る。指先の熱が溶け合うように広がる。
彼女は安心するようにゆっくりと目を閉じた。
彼女に触れた指先がまだ甘く痺れている。
リナは…
彼女は俺の、
運命の番だ。




