9.初、女装(後編)
僕と彼女は親友だ。なので、エミリーは冗談のつもりであんな風に迫ってきたのだろう。
しかし、僕としては納得がいかない。いくらなんでもあれはやりすぎだ。性別が逆なら間違いなく警察案件だろう。
……いや、僕は女装してるから、性別が逆になると男装した女性を男性が襲う構図になるのか? なんだか頭がこんがらがってきた。日本語って難しい。
とにかく。
今後の関係のため、さっきの件はしっかり追及するべきだと僕は考えた。いくら冗談とはいえ、あんなことを何度もやられたらたまったものじゃない。
正座するエーミール。その正面に立つ僕。
「で、さっきのはなに?」
「ただのイギリシアンジョーク……デス」
「それを言うならブリティッシュジョークでしょ」
アメリカならアメリカン。イタリアならイタリアン。それならイギリスはイギリシアン───と言いたいところだが、残念ながらそうではない。
そもそも『イギリス』という言葉は日本でしか用いられていない。
『イギリス』の形容詞形はBritishであり、イギリシアンなんて言おうものなら英国紳士の手によってパンジャンドラムにくくりつけられて戦場に放り込まれる───そう教えてくれたのはエーミール、他でもないエミリー本人だ。
「そうでした。ユウは博識デスね。飛び級してマサチューセッツ工科大学に行けるんじゃないデスか」
「話を逸らさないで」
「ぐぬぅ……」
しかも話の逸らし方、雑だし。
というかそこはオックスフォード大学じゃないんかい。イギリス人なのに。
「あれはジョークの領域を超えてたよね。凄い剣幕だったし」
僕が睨みつけると、視線をそらされた。女装しているせいでそこまで怖くはないだろうが、怒りの感情は伝わったらしい。
焦っているのか、彼女の額には汗が浮かんでいる。
目をつむり、考え込むエーミール。
そのまま数秒沈黙すると
「……ゆ、ユウが誘惑してくるのがいけないんデス!」
「ぎゃ、逆ギレ!? そもそも僕、誘惑なんてしてないし!」
「そんなかわいい顔を晒しておいて言い逃れできると思ってるんデスか!」
「言い逃れも何もないでしょ……! そもそも、僕のメイクしたのはそっちじゃないか!」
そういってエミリーは腕を組み、ふんぞり返る。反省のはの字もない。
某ガキ大将もびっくりの暴論だ。三枚舌外交の本場は言うことが違うなぁ、と怒るを通り越して感心してしまう。
「ニッポンには『据え膳食わぬは男の恥』ということわざがあると聞きました。ワタシは悪くありません」
「ま、まだ言い逃れする気……?」
「言い逃れじゃありません。事実デス」
いや事実ではないでしょ。
こんな暴論がまかり通ってしまったら、日本の少子化問題は一瞬で解決し、代わりに世紀末が訪れるだろう。
素直に謝ればいいのに、変に誤魔化したからドツボにはまってしまったのだろう。引くに引けない、といった様子で頑なに目を合わせようとしないエミリー。
このままじゃ埒が明かない。なので、反撃することにした。
「……それなら、エミリーはどうなるのさ」
「What? どういう意味デスか」
「あのさ」
「ハイ?」
「女装した僕なんかより、エミリーのほうが100倍かわいいと思う」
「……ゆ、ユウ?」
「だったら、僕も君を襲っていいの?」
反射的に僕から離れようとするが、腕をつかんで阻止する。
目には目を、歯には歯を。極論には極論を。
多分、普通の女子が相手だったら僕はこんなことできない。けれど彼女は数年来の友人だ。だからこうやって至近距離でもあまり緊張しないし、罪悪感がない。
僕と彼女の視線が交わる。
彼女は逃れようと顔をそむけるが、先に回り込んで阻止する。
「ち、近いデス」
「いいから。答えてよ」
「うぅ……」
ちなみに「襲っていいデス! ヘイ、Come on!」と言われても僕には襲う度胸なんてない。もしそう返されたらゲームオーバーだ。
そうなったら死のう。異世界転生の可能性にかけてトラックに飛び込むのもやぶさかじゃないかな。
幸い、彼女は顔を伏せ
「ご、ごめんなさい……」
と敗北宣言をした。
勝った。
「初めからそう言えばいいのに」
「うぅ……」
「ほら、もう正座はいいから。立って───」
彼女の方に触れると
「ひゃうっ!」
「えっ」
彼女の体がびくっと震えた。
思わず彼女に目をやると、耳まで真っ赤。
もしかして……照れているのか?
思い返せば、昨日アパートに押し掛けてきたときの彼女は泣いていた。ネット越しの彼、いや彼女はクールだったが、素は感情豊かで初心な少女なのだ。
どうしよう。
このまま引き下がってもいいが───
『しゃ、写真以外ならなんでもするからっ。だから、お願い……』
『な、なんでも!? 今なんでもするって言いましたカ!?』
『ひ、ひぃっ……』
───さっきの仕打ちが脳裏をかすめた。
……少しぐらいやり返しても罰は当たらないだろう。
「エミリー」
「は、ハイ」
「かわいいよ」
「や、やめるデス」
「世界一かわいい」
「うぅ」
あれ、すごい楽しい。なんだこの優越感。
あの理知的でクールだった彼が。セクハラやらスキンシップやらで僕を動揺させていた彼女が。僕の言葉一つ一つに頬を染め、体を震わせている。
「喋り方も特徴的でかわいい」
「そんなことないデスっ」
「ほら出た。デスて。背伸びしてる小学生みたいな愛らしさがあるよね」
「うるさいデ……で、です」
「それにツインテール。結目に黒いリボンを用いることで、幼さを残しながらもフォーマルな雰囲気も忘れない。かわいさと美しさの共演。もはや有形文化財レベルだよ」
「や、やだぁ……」
わたわたと慌てながらツインテールの根本を手で抑え必死に隠そうとするが、もちろんそんなことは不可能だ。
クソザコ化した彼女の反応は面白く、もうちょっと続けたい欲望に駆られるが、これ以上はさっきのエーミールと同レベルになってしまいそうなのでやめておく。
「ごめんごめん。言い過ぎたよ」
「うぅ………ユウは意地悪デス………」
「これに懲りたら、もうやめてよ?」
「わかりました……ごめんなさい」
そういって彼女を頭を下げた。
土下座とまでは言わないが、かなり深い角度で。
別に、そこまで怒っているわけじゃないので少し戸惑う。僕もやり返しちゃったし、
まぁ、この様子じゃしっかり反省しているみたいだし、もう追及する必要も───
「――ねぇ」
「なんデス?」
「頭下げるふりしてスカートの中覗こうとしてるの、バレてるからね」
「……ブリティッシュジョーク、デス」
このあとめちゃくちゃ説教した。