8.初、女装(中編)
「なんでって……サークルに潜入するためデスよ」
サークルに復讐したい→わかる。
情報と証拠を得るため、そこに潜入したい→わかる。
だからメイド服を着る→???????
「女装すれば、彼らはユウに気づくはずありまセンから」
おかしいな。僕は幻を見ているのだろうか。
それとも悪い夢か?
「べ、別に変装なら女装じゃなくってもいいじゃないか!」
「わかってないデスねぇ……」
ちっちっちっ、と人差し指を振るエミリー。
はっ倒してやろうか、と物騒な考えが頭に浮かんだが僕は悪くない、はず。
「話を聞く限り。そのアキトって糞野郎が黒幕なんデスよね」
「たしかな証拠があるわけじゃないけど……現状で判断するなら、その可能性が高いかな。あと女の子がそんな言葉使うんじゃありません」
これまで彼は事あるたびに僕へ突っかかて来た。それに、昨日と今日の態度。落ちぶれた僕を攻撃する彼は、心底楽しんでいるように見えた。
状況を見るに、僕の推測はそこまで的外れではないと思う。
「アカウント乗っ取りなんてことをする狡猾な人間から話を聞きだすとして。どんな手段が思い浮かびマスか?」
「普通に仲良くなって話を聞きだす、とか」
「ノン。もしもユウがアキトだったとして。ちょっと仲良くなった相手に、自分の犯行をペラペラと喋りマスか?」
「……しない」
「そうデス」
たしかにそうだ。
「そこで色仕掛けデス」
「ううん……」
「他のメンバーを誘惑して味方に取り込むもよし。ワンナイトして、眠ってる隙にスマホの中を探ってもよし。女装してサークルに潜入できるなら、方法はいくらでも思いつきマス」
まぁ、なんとなく理由はわかったけど。いまいち釈然としない。
というかワンナイトて。僕と昭人が? 無茶言わないでよ。想像しただけで吐き気がしそうだ。
「うぅん……」
「どうしても嫌なら、ワタシがやります」
「エミリーが?」
「ハイ。自画自賛になってしまうけど……ワタシの外見はそこそこ上らしいデスから。発情期の大学生ぐらいなら、ちょちょいのちょいデス」
エミリーと、昭人が?
思わずその場面を想像してしまう。暗い部屋。昭人に迫るエミリー。そして二人は───
「そ、そんなのダメだ!」
「Oh. じゃあ、他に方法はあるんデスか?」
実際、彼らに復讐するとして。サークルという閉鎖的なコミュニティが相手である以上、外から攻め込むのは困難だ。下手に手を打とうものなら、DMの画像を拡散されて反撃されるのがオチだ。
だから内部に潜入し、情報を集めるという手は至極まっとうのように思える。…………その手段が女装であることを除けば。
苦渋の選択。僕が断れば、エミリーは一人で情報収集を始めるだろう。彼女がこの件に責任を感じてしまっている以上、それを止めることは難しい。
……仕方ない、か。
「……エミリーがやるぐらいだったら、僕がやる」
「決まりデスね」
口車にのせられてしまった気がしなくもないが、こうするしかなかったようにも思える。
が、そこで僕は大きな論理破綻に気づいた。
「それじゃあ、さっそく───」
「ねぇエミリー」
「ハイ? まだ何か」
「メイド服である必要性は?」
「……」
「これを着て潜入なんてできるわけないし。とりあえず僕が女装できるのか確認するだけなら、普通の服でいいはずだよね?」
「……ワタシ、ニホンゴワカリマセン」
「じゃあ今すぐイギリスに帰ってよ」
「う……仕方ありまセンね」
しぶしぶ、といった様子でメイド服を回収するエミリー。油断も隙もない。
後ろの棚から服を取り出す。
「それじゃあ、脱がせマスね」
「え……いいよ。自分でできるし」
「ノン。ウィッグやメイクも施す必要がありマス。ワタシが手伝った方が早いでしょう」
「……別に服を着るのは一人でもよくない?」
「チッ」
「舌打ちした、今!?」
「気のせいデス」
なんだろう。エミリーの様子がおかしい。
画面越しの彼女はもっとクールで理知的だったのに。いやまぁ、多少は変態的ではあったけども。
……メイド服を着せようとしてきたり服を脱がせようとしたり。まるで……そう、テニサーの新歓で後輩女子に言い寄るヤリ○ンみたいな。ワンチャンにすべてを掛けている。今の彼女からはそんな雰囲気を感じる。
なぜだか背筋が寒くなったので、ウォークインクローゼットの扉を閉め、そそくさと着替える。
─────
「き、着替えたよ……」
(幸い?)エミリーが用意した服はまともなものだった。
白のブラウスに、ウエストが絞られた黒のロングスカート。
ファッションに詳しくはないが、いちおう外見には気を使っている女子大生、といった感じのオーソドックスな服装だ。
「ど、どう?」
ウォークインクローゼットの扉を開け、彼女の前に立つ。
なんか下半身がめっちゃスース―する。たとえようのない不安感がある。
「どれどれ――――Ohhhhhhhh!」
「な、なに!?」
「お、抑えるデス。抑えるデス、ワタシ。落ち着いて。落ち着いて……」
いきなり叫んだかと思ったら、今度は胸を押さえて苦しみだした。
この様子……持病か? これまでそんな話は聞いたことがなかったけど、万が一という場合もある。
「だ、大丈夫?」
「ハイ、なんとか……」
「……今日は無理しない方がいいんじゃないかな」
「だ、だいじょうぶデス!ちょっとむせただけデスから!」
「そう……ならいいんだけど」
ずいぶんと豪快なむせ方だなぁ。
というか、国によってむせ方にも違いがあるのか。またもやカルチャーショック。
「そ、それより。次はメイクをするデス」
「う……どうしても?」
「どうしても、デス。今のままでも十分ヤれ───かわいいですが、髪の長さとか不自然デスし」
「……了解」
肩に手を置かれ、ドレッサーの前に座らせられる。
鏡には女モノの服を着た自分が写っていて、なんとも気分が悪い。
「ユウは綺麗な肌をしていマスね。羨ましいデス。この分なら、コンシーラーはいらないデスね……」
よくわからない液体を僕の顔に塗ったあと、流れるような手つきで薄い粉───たしかファンデーションみたいな名前だった気がする―を───まぶす。
くすぐったさやら恥ずかしさやらで、思わず目をつぶる。
「本当だったら、もう少し準備が必要なんデスが……」
そこから5分もせずにメイクは終わった。
専門的な知識のない僕からしたらなにがなにやら、という感じだったが、彼女の手際が恐ろしく良いことは理解できた。彼女はコスプレが趣味だと言っていた。なので、かなりメイクの腕があるのだと考えてはいたが───想像以上だった。
「あとはウィッグを着けて……完成デス!」
改めて、鏡に映る自分を見る。
そこには、見知らぬ美少女がいた。
光を捉え、不思議な光彩を放つ黒曜石の瞳。
ポニーテールに結い上げられた、作り物であるとは思えないほど艶やかな栗色の髪。
そして、彼女の卓越した技術によって作り出された顔の造形は、少女らしいかわいさと大人の女性の妖艶さを両立していて、自分の顔であるはずなのに目が離せない。
「これが、僕……?」
鏡に細工がしてあるんじゃないか?と思い、表情を動かす。すると、鏡の中の美少女も同じように動く。
頬を吊り上げれば笑顔に。眉根を下げれば悲しそうな表情。寸分の遅れもなく、僕の表情が反映される。
「…………」
背後のエミリーは無言。
どうしたのだろう、と思って振り返ると、近くの棚をごそごそとあさっているのが見えた。
彼女はそこから何かを取り出した。
それは、SF作品の巨大戦艦みたいにゴテゴテとパーツのついたカメラだった。
「……エミリー。そのカメラは?」
「永久保存デス。プリントアウトして大英博物館に売りつけマス」
「やめてよっ!?」
鬼気迫る、といった様子のエミリー。
「止めないでください、ユウっ。これを後世に残さないのは人類の損失デス!」
「や、やめてぇ……」
力づくでカメラを奪おうと思ったが、万が一壊してしまったら責任がとれない。だから僕は手のひらで顔を隠し、カメラに背を向ける。
「しゃ、写真以外ならなんでもするからっ。だから、お願い……」
「な、なんでも!? 今なんでもするって言いましたカ!?」
「ひ、ひぃっ……」
初めてする女装への羞恥心やら驚きやらで、頭が上手く回らない。なんだかふわふわした感じがする。
たかが外見が変わっただけ。そう思いたかったが、どうやら外見の変化とは予想以上に内面に影響を及ぼすらしい。
考えてみれば、軍服や礼服とかはそういう効果を発揮させる狙いがあるのだろう。身近な場面で言えば、アイロンが効いてパリッとしたシャツを着ると気分がしっかりとするアレだ。
こんな服を着ているせいだろうか。強い拒絶の言葉が頭に浮かばず、震える手で彼女の手を掴み、
「ら、乱暴なのは……やめてよ」
弱々しく懇願することしかできなかった。
ぷつん。何かが切れる音が聞こえた。直接聞こえたわけじゃない。エミリーの雰囲気が、まるで激流を押しとどめていたダムが決壊したときのような。危ういオーラがあふれるのをひしひしと感じる。
「あぁ、神様……!」
がしゃ、と彼女の手からカメラが落ちる。思わずそっちに視線をやると、手首に衝撃。エミリーが僕の腕を掴んだのだ。そのまま彼女は僕を抱きしめた。
予想外の事態に体が硬直する。
「ユウ」
「な、なに?」
「うちに婿入りしませんか?」
「え、エミリー……?」
「そうと決まれば話は早いデス。ベッドに行きましょう……」
彼女の吐息が荒い。頬も赤く、熱に浮かされているような様子だ。よく見れば、目もどこか虚ろだ。
なんだかよくわからないがキケンな香りがする。
ホールドから逃れようと体を揺らすが、彼女は離れてくれない。
「は、放してよエミリー。こういうのは、いくら親友でも――」
「だいじょうぶデス。痛いのは最初だけデスッ……」
彼女の手が僕のブラウスに伸びる。必死に抵抗するが、彼女の手はするすると僕の腕を抜け、ひとつ、ふたつ……とボタンを外し始めた。
「ちょ、ボタンを外さないで!?」
【速報】レイプ未遂の大学生、女装姿でレイプされる。
明日の朝刊の見出しがスッ……と頭に浮かんだ。
「暴れないでくだサイ!」
「こんな状況、暴れるに決まってるよ!?」
もみ合いへし合い。迫りくる魔の手を必死になって防ぐ僕と、なんど払われても諦めずに立ち向かってくるエミリー。
その応酬で、僕のウィッグがずれる。するとさっきまでの気分が嘘のように、抵抗する気力が湧いてきた。
「このっ……ばかっ!」
「アウっ」
彼女の頭をはたく。暴力はいけないが、これは正当防衛のはず。
彼女がひるんだ隙に拘束を抜け、なんとか脱出に成功した。