6.復讐
「落ち着いた?」
「……うん」
彼女はこくんとうなずいて、二杯目の紅茶をすすった。
なんというか……ギャップがすごい。ネット上の彼は理性的で、理詰めのクールキャラ、みたいな印象があった。
反対に、目の前の彼女は幼い少女みたいだ。
いや、案外こっちが素なのかもしれない。自分の性別を隠そうとすれば、当然口調や雰囲気も本当の自分とは違うようにふるまうはずだ。それがあのクールなエーミールを作り出したと考えれば、目の前の彼女は自然のように思えた。
けど……そのエーミールが女性で、まさか同じ大学に通ってるなんて。
本当にそんなことありえるのか? いまだに信じられない。
「あのさ……」
「なんデス」
「本当に、エーミールなんだよね?」
「もちろんデス」
「……好きなロボットアニメは?」
「装甲騎兵ボ○ムズ」
「……サンライトイエロー?」
「波紋疾走!」
「……ク○ナドは?」
「人生」
このレスポンスの速さ。絶滅危惧種となりつつあるネットスラングへの切り返し。好きなアニメの種類。
間違いなくエーミールだ。
「疑っちゃってごめん。僕が間違ってた」
「わかればいいんデス」
ふんす、と胸をはる。
その仕草がまた子供っぽくて、僕はくすりと笑った。
すると、不意に彼女の顔が曇った。
なにか気に障ったのだろうか、と不安になる。
「あの……ユウ」
「どうしたの?」
「ワタシ、今日のこと聞いて……まだ納得できてません」
「……そっか」
「それに、ワタシにも責任がありマス。ユウがエミちゃんを振ること、後押ししたのはワタシだし……」
「エミリーは悪くないよ。危機管理ができていなかった僕がいけないんだ」
エミちゃんの件はきっかけに過ぎない。
ログインしたPCの履歴をきちんと消していれば。図書館で周りに注意を払っておけば。翔平とLINEでしっかり話し合っておけば。そして、自分の主張を通せるだけの芯の強さがあれば。今回のことは起こらなかったはずだ。
これは僕の責任であって、彼女が自分を責めるのは筋違いだ。
「だから、この件はもう終わり」
「ユウ……」
「いくら嘆いても、僕の大学生活はもう取り戻せないんだ。……もう諦めがついたよ」
「――嘘はよくないデス!」
ガタン、とエミリーがテーブルを叩く。ティーカップから跳ねた紅茶が、机の上を少し濡らす。
「ユウ、さっき言ってました。これでいいわけない、って」
「……言ったけど」
「大学に入ってから、ユウは楽しそうだった。新しい友人たちとの出来事を、毎日楽しそうに話してマシた」
「…………」
彼女はさっきみたいに泣いていない。
けれど、その言葉には抑えきれない激情が込められている。声の震えから、それが伝わってくる。
毎日楽しそうに話していた……そういえば、そうだった気がする。あまりの出来事に感情が鈍化しているのか、それはもう遠い過去の話のように思えた。
「けど、それがこんな形で終わるなんて───あんまりデス!」
「それは……でも、仕方ないんだよ。いまさら何をしたって……」
「復讐デス」
「え……」
「サークルを守ろうとしたユウを利用して、こんなことをしたんです。やり返しまショウ」
「そんな、復讐なんて……」
「ユウ。アナタは優しすぎるんデス。それはアナタの魅力で、ワタシはそんなところも大好きだけど……それは弱点でもありマス」
たしかに僕は、周りに合わせすぎてしまうところがある。
それが原因で、これまでの人生でどれだけの損をしてきたのだろうか。考えたくもない。
「それに……ワタシの前ぐらい、正直でいてほしいデス。ワタシはユウの親友なんですから」
「エミリー……」
正直でいてほしい。
僕は、どう思ってる?
本当に納得しているのか?
……いや、そんなわけない。なにもわからないまま冤罪を着せられ、サークルを追い出されて。
昭人に殴られた頬が痛む。あいつはいつもそうだ。傲慢で、周りに対しての思いやりもない。これまでは目をつぶってきたけど、今回の件は流石に許せない。
エミちゃんもエミちゃんだ。不自然な点も多いはずなのに、昭人の言うことを真に受けるなんて。
翔平は失望した、とか言ってたけど、それもおかしな話だ。深く確認もせず、一方的に失望するなんて。何勝手に期待して失望してるんだ。
深く考えれば考えるほど湧いてくるのは、彼らへの怒りだった。
「ユウは、本当にこのままでいいんデスか?」
二度目の問いかけ。
彼女の青い瞳が、まっすぐ僕を見つめる。
「僕は……やり返したい」
一度導火線に火が付くと、もう止まらなかった。
「話を聞かず、一方的に追い出したあいつらに。アカウントを乗っ取って、僕をハメた昭人に。言葉足らずのメッセージで、早とちりした翔平に。僕は―────あのサークルを許せない!」
真実を暴き、彼らにそれを認めさせ────そして、サークルを壊したい。
それが今の僕の本音だ。
なにかを壊したい。そんなこと、これまでの人生で考えたことも無かった。
……いや、気が付かないフリをしていただけだったのかもしれない。
傲慢にふるまう周囲とそれに従ってしまう僕。そんな現状をどうにかしたいという想いは、ずっと胸の内にくすぶっていた。
目の前の親友が、それに気づかせてくれたのだ。
「正直に言ってくれて、嬉しいデス」
溜まっていた黒い感情を吐き出すと、不思議と爽快感があった。
「もちろんワタシも協力しマス」
「協力って……いいよ、エミリーを巻き込むわけにはいかないし」
「そんなこと言わないでください。親友が傷つけられたんデス。黙って見ているだけなんて、貴族の流儀に――ンンっ」
しゃべり過ぎて疲れたのか、咳ばらいを挟む。
彼女はこほん、と小さく咳をして
「ワタシが誰かに傷つけられたとして。ユウは助けてくれないんデスか?」
そう問いかけてきた。
彼女が誰かに傷つけられる───言葉を聞いただけで心がざわつく。
考えるまでもない。
「そんな。助けるに決まってるじゃないか」
「それと同じデス。もしかしたら、ワタシはユウ以上にサークルの人間に腹を立てているかもしれまセン」
そんなふうに言われたら、もう認めるしかない。
「わかったよ……けど、復讐って言っても、具体的な手段が思い浮かばないな」
「安心してください。ワタシに考えがありマス」
「考え?」
「少し確認する必要があるんですガ……ユウ、こっちを向いてください」
確認。なんの確認だろう。質問したかったが、指示があったのでとりあえず従うことにする。
「いいけど……こう?」
「もっと近づけて」
「こ、これぐらい?」
お互いの吐息を感じられてしまえそうな距離。
全世界でミスコンを開催したら間違いなくトップ10に入るであろうほどの美貌が目に入る。
思わずときめいてしまいそうだ。待て、僕。相手はあのエーミールだぞ。いや、でも――
「かわいい……!」
「うわっ」
いきなり抱きしめられた。
困惑のあまり体が硬直する。
「クンカクンカ、スーハー……」
「ちょっ、なにしてるの!?」
「ハッ……すみまセン。取り乱しマシタ」
取り乱す、というレベルなのか今のは。
「どうしたのいきなり……」
「た、ただのスキンシップ……デスよ?」
「そのわりに勢いが凄かったけど」
「イギリスじゃこれが普通デス!」
そ、そっかぁ。
そういえば海外はスキンシップが激しいって聞いたことがある。洋画でもハグとかキスとかバンバンしてるし、向こうじゃこれが普通なのかもしれない。こうして実際に体験してみると、中々のカルチャーショックだ。
「ごめん。僕が悪かったよ」
「……ちょろいもんデス」
「え?」
「なんデス?」
「いや、なんでも……」
なにやら不穏な空気を感じたが、たぶん気のせいだろう。今日はいろいろあったからなぁ……疲れてるのかもしれない。
「それで、確認って……」
「それはもう大丈夫デス。ばっちり確認できマシた」
「そ、そうなの?」
「そうなんデス」
詳細を聞き出そうとしたが、「また今度」とはぐらかされてしまった。
……何故だかよくわからないが、嫌な予感がする。




