番外編 二階堂ユウリと曖昧な自意識
夏季休業期間に入った7月の末日。
「夏デスね。蝉が鳴いていマス」
「そうですねぇ」
窓の外を見ると、キャンパス前のアスファルトに陽炎が揺れていた。ニュースを見ると気温は38度を超えるらしい。ゾッとするような暑さだけど、それも外に出なければ関係ない。
僕らはエアコンの効いた部屋で、優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。あまりに快適すぎる。夏休み最高。
「やっぱりMARIAGE FRERESのマルコポーロは至高……ほのかなストロベリーの香りが──」
エミリーは紅茶にこだわりがあるらしいけど、バカ舌に定評のある僕としてはリプトンと何が違うのか理解できない。でも言われてみればなんかちょっと美味しい気もする。ほら、香りとか。あと色。名前もかっこいいね。まりあーじゅ・ふれーる。幻惑系の魔法っぽい。
「──そうは思いませんか?」
「ふぇっ? え、えっと……」
エミリーは厄介オタクなので、適当に答えたら午後めいっぱい使って紅茶の講義をされかねない。ここは賢く話を逸らしておくことにする。
「そ、そういえば、向こうにも蝉っているんですか?」
「突然デスね……いないんじゃないデスか? 少なくともワタシは見たことがないデス。ヨーロッパでも南の方にはいるとは聞きマスが」
「へぇー、イタリアとかですか?」
「ハイ。ギリシャとかもそうデスね。ま、日本ほど多くはないみたいデスけど」
「エミリーは物知りですねぇ」
「持ち上げないで下さいよ、照れるじゃないデスか……あ、ところでユウ」
「はい」
「少し脱いでもらっていいデスか? 暑いのでユウリちゃんの裸を見て涼みたいデス」
「一回死んでみたらどうです?」
聡明な彼女といえど、やはり日本の暑さには耐えきれなかったらしい。それとも元々おかしいだけ? この部屋は涼しいからたぶん後者だな。
「心外、あまりにも心外デス! それが親友に向ける言葉デスかっ?」
「その言葉、5秒前の自分の胸に聞いてみるのをおススメします」
「過去を振り返るのは愚者のすることデス。時は常に未来にしか流れないのデスから──」
「あ、聞く胸がありませんでしたね。すみません」
「……」
無言でツインテ絞殺を狙うエミリーVSパッドを投げつけて応戦する僕。人類史上最も低レベルな争いが繰り広げられる。
そんなこんなでわちゃわちゃしていたら、いくらクーラーが効いているとはいえすぐにバテてしまった。
「まぁ……茶番はここまでにして。本題に入りマスか」
「本題なんてあったんですか今の流れに」
「もちろん。ときにユウ。サークルの件は片付き、夏休みに入りました」
「そうですけど、それが?」
「つまりはこれから一ヶ月、大学に行く必要はないわけデス」
「そんなの当たり前じゃないですか」
いつもの回りくどい喋り方。続きを急かすように目を細めると、どういうわけか彼女は深刻そうに眉根を寄せた。少し不穏だ。
「……まだ、わかりませんか」
「はい?」
「ねぇ、ユウ──どうしてその姿のままなんデスか?」
どうしてって言われても。僕がユウリの恰好をするのは──あれ?
「なんででしょう……?」
まって。おかしい。おかしい。
何かがおかしい。
私は──あれ、僕だっけ。うん? 一人称が混線してますね。
「ユウ、あなたの性別は?」
「そんなの決まってます。もちろん女──」
──女???
「お、男?」
「どうして疑問系なんデス……」
わからない。明瞭だった境界が、インクに水をこぼしたように混じり合ってぼやけていく。
私は誰? 矢野ユウリ。二階堂ユウヤ。どっちでもない。足元がぐにゃりと歪み、体の重心がわからなくなる。思わず椅子から転げ落ちた。
「私は……僕は……俺は……?」
「ゆ、ユウ?」
「私は……誰? うっ、頭が。頭が痛い! うっ……」
「ちょ、ちょっと。いきなり倒れて……演技デスよね? ねぇ、ねぇ──」
薄れゆく意識の中、エミリーが僕の首筋に手を当てたのを感じた。彼女は震えていた。それがどうしようもなく切なくって、やるせなくて。起き上がろうと体に力を込める──けれど、僕の心臓は鼓動を止めた。
「し、死んでマス……」
────────────────
「────という夢を見たんデスっ」
重い瞼のまま時計に目をやる。午前4時。鳥すら鳴いていない。早起きと言うにも早すぎる時間。
いきなりたたき起こされたかと思えば、半泣きでわけのわからない夢の話を聞かされた。……せっかく気持ちよく眠っていたのに。
「……はぁ」
つい、大きなため息をついてしまった。
すると彼女は何か勘違いをしたらしく、涙声のままこちらに身を寄せてきた。
「ゆ、ユウ。息切れデスか。ひょっとして、肺に持病が……」
「違いますよ。あまりに下らない夢だったので、呆れてるんです」
「い、いきなり死んだりなんかは……」
「するわけないでしょう。私は健康です。ほら、ぴんぴんしてますよ」
「よかったぁ……」
それを聞いた彼女は、心底安心したように息を吐いた。
まったく。
いつもは毅然としているくせに、変なところで臆病なんだから。たかが悪夢を見た程度で部屋に駆け込んでくるなんて……まぁ、それだけ私を大切に想ってくれているということに、悪い気はしないけれど。
思わず口元が緩んでしまうが、幸い部屋の明かりはついていなかったので彼女に気付かれることはなかった。
「と、ところでユウ」
「はい?」
「このまま一緒に寝てもいいデスか」
「別にいいですよ」
「ふふっ、冗談デ……ハイ?」
「あ、私寝相悪いですけど、文句は受け付けませんからね」
「い、いつものユウなら『からかわないでよっ』って言うはずなのに…………『私』?」
「それにしても、変な夢でしたね。まさか私が男だなんて。笑えないジョークですよ」
「…………What?」
... To be continued ?




