55. 友人だったあなたへ(前編)
早朝。エミリーに電話をかけた。
「もしもし」
「……なんデスか」
見るからに、いや聞くからに不機嫌な声。少し涙ぐんでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「その、少し話がしたいんだ」
「……あんなことを言っておいて、今更なんの話が?」
「まずは謝りたくて。その、酷いこと言ってごめん」
「謝罪を受ける気はありませんよ。あなたがそう感じたならそれはある一面では事実なんですから。別に怒ってないデス」
「本当に怒ってない……?」
「はい。それで自称・正直者のユウヤさんは、他称・上っ面だけの嘘つき女にどんなご用件が?」
いやめっちゃ根に持ってるじゃん!
正直話しているだけでピリピリするので電話を切りたいが、そうするわけにもいかない。
「……犯人がわかったんだ」
「ハァ……なにかと思えばその話デスか。わかるもなにも、あの女以外ありえないでしょうっ……?」
「いや、エミちゃんじゃない。気づいたんだ」
「まだ、そんなことを」
「何も根拠なしに言ってるわけじゃないんだ。だから──」
「──うるさいっ!!」
初めて聞いた親友の怒鳴り声だった。
思わず言葉に詰まる。深い怒りと悲しみがこもった声。きっと彼女はただ理由もなしに怒っているわけじゃない。そこには何か深い理由があるはずなのだ。けれど、僕はどれだけ考えてもその理由を見つけることは出来なかった。
「あとは自分でどうにかするって言ったくせに! いまさらこんな電話──不快デスっ!」
「待っ──」
取り付く島もないまま電話が切られる。無機質な切断音がいやに耳に残った。
ユイカさんに話を聞いてもらって何か解決した気でいた。でも解決したのは僕の心の問題だけで彼女は何も変わっていないのだ。
でも、だからといって前みたいにウジウジするつもりもない。どれだけ彼女の心が難解で、その結果、すれ違うことになったとしても。腹をくくってやるべきことをやるしかないのだ。
ユイカさんに泊めてくれたお礼を言って、僕は大学に向かった。
「……それで、なんの用だ」
午後のテストまであと1時間で時間がある。だから僕は翔平を人気の少ないD棟の屋上に呼び出した。
「少しお話がしたくて。いけませんか?」
「いけない」
「本当、女子に対して冷たいですよね……」
すげない。泣きそうです。いつもの僕ならここで半泣きになって逃げだしているのだろうが、今日はそういうわけにもいかなかった。
「ユウヤのことで話があるんだろ? 手短に済ましてくれ。午後から解析学のテストがあるんだ」
僕もだけどね。昨日勉強しそびれたから単位が取れるか不安だけど、今だけは忘れよう。
「えぇ、そうですね。私も忙しいので手短に済ませます。今から質問をするのでそれに答えていただけますか」
「質問? なんでもいい。早くしてくれ」
「それではお言葉に甘えて。翔平さん──ユウヤ兄さまを陥れたのはあなたですね?」
単刀直入に聞いた。余計な駆け引きは必要ないと思ったから。
「陥れる? なんのことだ」
「とぼけないで下さいよ。手短に済ますんでしょう?」
「……」
無言。けど、その沈黙は普段のそれとは別種のものだった。突然の事態に硬直しているのか、こちらへの対処を考えているのか──おそらく後者だろう。
そして、それはある種の肯定だった。
やっぱりか、という納得感とともに胸中を喪失感が埋める。友人だと思っていた人間が自分を陥れていたなんて。一目惚れしたヒロインが実は男の娘だったみたいな喪失感。これは少し違うか。
「どうして気づいた?」
ここで「さぁ? どうしてでしょうか」みたいな悪女ムーブをかますのもそれはそれで楽しそうだが、今は遊んでいる場合じゃないので断念。
隠す必要もないので素直に話すことにする。
「おかしいと思っていたのは初めからです。あんな短いメッセージだけで兄さまを犯人扱いするなんて、慎重な翔平さんらしくなかった」
「……」
「それに何度かサークルから離れるように忠言してきたことも不自然でした。けど、それだけでは気が付きませんでした」
そもそも、犯人をサークルメンバーに絞るとして。
犯人が取るべき行動は真っ先に容疑者候補から外れることだ。詳細な調査をされれば言わずもがな、当てずっぽうでも25%の確率で当たってしまうのだから。
そういう意味では真っ先に和解した彼が一番怪しかったのだ。けれども僕は「誰も話しかけてこない状況で真っ先に謝罪してくれるなんて、なんていいヤツなんだ」とコロっと騙されてしまった。ちょろすぎる。
「決定的だったのは。あなたは兄さまにエミリーさんに近づかないように言いましたね。悪い噂が流れているからって。──でも、そんな噂は存在しなかった」
「噂なんて元から存在していないようなものだろ。証明なんてできない」
「ユイ──国交の知り合いが知らずに、理学部のあなたが知っていることがありますか? そんなのありえませんよ。それに噂の元とおっしゃっていた司馬さんにも確認しました。『俺はそんなこと言ってない』ですって」
「……」
「少しでも疑いの芽が出れば理由はいくらでも見つかりました。……扉の落書きもあなたがやったんでしょう?」
変わらず、彼は無表情だった。
内心が読めない。焦っているのか。それとも怒っているのか? 犯人と分かったことは収穫だが、実を言うとその動機も、手法も完全に解明できてはいないのだ。
少し、目の前の彼が恐ろしかった。まるで異なる思考プロセスで行動する異星人と相対している感覚。
「このこと、ユウヤには?」
「え……まだ話してませんけど」
「そうか──」
彼は瞼を閉じ、何かを考えるようなそぶりをして──
「きゃあっ!」
いきなり掴みかかってきた。避けることもできず、胸倉を掴まれて足先が浮く。
至近距離で目が合う。黒曜石のようにまっくろな瞳。その深奥はどこまでも続いているようで、ぞっとするほど恐ろしかった。
「私を……どうするつもりですか」
「決まってるだろ。このことを口外する気が起きなくなるまで痛めつける」
「ふふっ、脅しですか? いまさらそんな──」
「うるさいな」
ばちん、と耳障りな音。
頬を張られた──いや、思いっきり殴られたのだ。口中に鉄の味が満ち、遅れて痛みがやってくる。
「え……」
「手でも折れば喋る気も失せるだろ。足でもいいけど」
「いや……冗談ですよね」
「本気だが」
なにを言っても、どう誤魔化しても。彼は僕のことを痛めつける。少しの感情の揺らぎすらない、どこまでも無感情な声がそれを証明していた。
女子を躊躇いなく殴れる人間。僕はそういった人種とこれまでの人生で接した経験がなかった。いや、大半の人間がそうだろう。だから、その異質さがどうしようもなく怖い。
「俺も女になんか触りたくない。けど、そうしないわけにはいかないだろ。だってここで逃がしたらお前、ユウヤに話すだろうし」
「いや……」
「ほら、腕貸せ。すぐ済ますから」
まるで些細な頼みごとをするような口調。人間的な感情が欠落している。その不気味さが一層、僕の恐怖を煽った。
僕は細腕だ。どんなに抵抗しても体格のいい彼から逃げ切ることは出来ない。
力のまま、強引に腕の骨を折られる。それがどれだけの痛みを伴うのか。想像しただけで足がすくんで、瞳の端から涙が出てきて──
「ユウっっ!!!」
ひゅっ、という風切り音と共に、目の前を青い傘が通り過ぎた。それは翔平の顔に直撃するコースを通り──けれど、すんでのところで躱された。
傘が飛んできた方角──屋上への入り口にはエイル君が立っていた。
ベストタイミング。思わず心の中で愛の言葉を囁いてしまいそうになる。べつに囁かないけど。
愛しています、エイル君。
「何を考えてるんだ、キミは!」
駆け寄ってきた彼に勢いよく首根っこを掴まれ、翔平から引き放される。翔平も咄嗟の事態に呑まれてしまったのか追撃の手はやってこなかった。
「どうして毎度毎度、一人で突っ走るんだ!! 前のことで懲りなかったのか!? 大体──」
「信じてましたから」
「ハァ!?」
「エミリーとあなたは絶対、助けてくれるって。そう信じてたんです」
彼のサファイアのような瞳をまっすぐ見つめ、そう言った。
「信じてたって──ボクが来なかったら、今頃どうなっていた!? 運よくここにたどり着けたからよかったものの、大けがをしていたかもしれないんだぞ! それにこの前だって! あのままあの男に好き勝手されてたらどんなに酷い傷を負うことになったか──」
「『かもしれない』なんて考えてたら、一生あの子の傍にはいられないんですよッ!」
「なっ──」
嘘をついているかもしれない。隠し事があるかもしれない。本当は僕のことを負担に思っているかもしれない──だからどうした?
結局、人の考えていることなんてわかりっこないのだ。不確実なことにビクビクして誰かを信じられないようじゃ、きっと大切なものを取りこぼしてしまう。……昨日の僕が彼女に酷い言葉を吐いてしまったように。
「私は信じた。結果、あなたは助けに来てくれた。それでいいんです。起こりもしなかったことをウジウジ考えるのなんて無駄です……違いますか?」
「それは……違わないけど」
「私に何があっても、彼女は、あなたは助けに来てくれる。──大事なのはそれだけです」
「……まったく」
納得したのか呆れたのか。どちらかわからないけど、エイル君は小さく微笑んだ。現像して額縁に飾りたいぐらいの100点満点の笑顔だ。
そして彼は──背後から振り下ろされた翔平の腕を掴み、そのまま振り返って相対する。
「おいネクラ男。ボクは今彼女と話しているんだ。邪魔しないでくれよ」
「驚いた。不意打ちだったんだが」
「拳での対談をお望みみたいだけど、それに付き合ってあげられるほどボクは暇じゃないんだ。ここに来る前学務課に連絡した。そろそろ警備員が到着するはずさ。素直に諦めたらどうかな?」
「嘘だな」
「……へぇ、どうしてそう思うんだい?」
「大事にすればあいつはテストどころじゃない。奨学金も打ち切られる──従妹ならそれぐらい知ってるはずだ」
こちらの事情を完璧に把握している。普段はボーっとしているタイプだから気が付かなかったが、ひょっとしたら相当切れ者なのかもしれない。
「つまり、だ。俺がお前たち二人を半殺しにすればこの問題は解決する」
「……できるとでも?」
「高校の頃、柔道部に入っていた。素人相手に負けるわけない」
「柔術か。ボクもバリツなら心得があるよ」
「フィクションと現実を混同するなよ──」
そう言うや否や、翔平はいきなり距離を詰め、エイル君に殴りかかった。
が、エイル君はひょいと体をずらして難なくかわした。
「さすがにバリツは嘘だけど。フェンシングにバタイレアット、シングルスティックなら履修済みだよ」
「剣術ばっかだな。そんなに腕力に自信がないのか」
「……ご明察。ま、色々あるのさ。酔っ払い程度なら体術でどうにかなるけど──キミみたいなタイプを相手にするなら道具があった方がいい」
そう言って彼は手に持っていた傘を翔平に向けた。雨も降っていないから疑問だったが、こうなることを見越して持ってきていたらしい。
そこから先は圧巻だった。
お互い一歩も譲らない。タックルや抜き手といった明らかに過剰威力の技を繰り出す翔平に、目・喉・鳩尾・金的といった人体の急所を執拗に狙うエイル君。明らかに危険で、どちらかの攻撃が通ってしまえば大けがでは済まない。けれど止めようにも下手に口を出せばそれが原因となって最悪の事態に発展しかねない。ハラハラしながら行く末を見届けることしかできないのがもどかしい。
──が、その攻防は長くは続かなかった。
「終わりだな」
「クッ……」
エイル君のパーカーの裾を翔平が掴んだのだ。
柔道経験者に服をつかまれる。それが敗北を意味することは素人の僕でもわかった。ましてエイル君はリーチの長い傘を武器としているのだ。距離を取ることができない以上、腕力に勝る翔平が優位であることは明らかだった。
このまま投げ技を食らえばエイル君でもタダでは済まないだろう。
マズい。僕はどうなってもいい。けど、エイル君が傷ついてしまうなんてあってはならない。どうにか──どうにかして、翔平に隙を作るんだ。
「最後までお前たちのことはよくわからなかった。いきなりユウヤの周りに現れて……こっちは気が気じゃなかったな」
「はは、観察力が足りないね。……これはお互い様か」
「でもまぁ、これで終わりだ。死ぬなよ」
ぞっとするような無表情で呟いた翔平は、勢いよくエイル君を引き寄せ──
「待って、翔平!!」
大声で彼の名を呼んだ──ユウヤとしての声帯で。
「──なっ、ユウヤ!?」
咄嗟に翔平の視線がこちらに向く。目が合った。そうして彼は己の失敗に気付く。
「Thanks a lot!!」
一突き。手の力が緩んだすきに距離を取ったエイル君は、体中をバネにして傘の先端を翔平の腹にブチ込んだ。パーカーのフードから飛び出したブロンドのローポニーがまるで彗星の尾のような軌跡を描く。
「ぐぅっ!?」
見ているこっちが不安になる角度で腹を貫かれ、翔平は地面に膝をついた。
……エイル君、髪長いんだな。そんな場違いなことが頭に浮かぶが慌てて思考の隅に追いやる。
「こ、声真似……それは卑怯だろ、お前──ぐぅっ」
「真似じゃなんですけどね……実を言うと」
咄嗟のことだったから彼は声真似と解釈するしかなかったのだろう。正直、こうして犯人を追い詰めた以上この姿はお役御免なのだが、かといって正体を明かす必要もない。
「少し場所を変えようか。キミからは色々と聞きたいことがあるからね」
「……嫌だと言ったら?」
「兄さまにこのことを話します」
「卑怯だな」
「どの口が言いますかっ!」
「まぁ……仕方ない、か」
翔平に話を聞こうにも、ダメージから回復されて反撃されたら元も子もない。ので、屋上よりは人気があってなおかつ他人に話を聞かれない場所に移動することになった。




