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53. 不良娘ユウリとその母(18)

 夕暮れに染まるキャンパスを遠目に見ながら、自分のアパートにむけてとぼとぼと歩く。



「……はぁ」



 エミリーと別れてから、もう何度ため息をついただろうか。


 別れ際、彼女の見せた表情がフラッシュバックする。



『ワタシは、そんなつもりじゃ……』



 そんなことわかってた。彼女は噓つきだが、僕に向ける全てが嘘であるなんて冷静に考えればありえない。


 けど、そんな単純なことを見落としてしまうぐらい僕は動揺していた。その理由は自分でもわからない。


 噂が広まってしまったことへの苛立ち? いつまでたっても本当のことを話してくれない親友への猜疑心? 


 あるいは……ここ数日で感じるようになった、彼女とエイル君の関係への漠然とした焦り?


 ただ、理由なんてどうでもいい。重要なのは僕が感情のまま彼女に当たってしまったこと。現実に意味を成しているのはそれだけだ。


 僕はいつもそうだ。いちいち大げさで、なんでも悪い方向に曲解して……最後は自暴自棄になって大切なものを取りこぼしてしまう。サークルから追い出されたあの日、エミリーとの関係を切ろうとしたのもそう。……もしかしたら、僕が()()()を出たのだって──



「……どうしようもないな、僕」



 どうしようもない。本当に、どうしようもない。


 ──そして、どうしようもない人間のもとには、どうしようもない出来事ばっかり起こるらしかった。



「なんだよ、これ……」



 かれこれ一か月ぶりになるアパート。木造で壁がくすんでいて、屋外には洗濯機が置かれていて……悲しくなるぐらいににボロイのはいつものことだが──問題はそこじゃなかった。


 僕の部屋の扉に、赤色のスプレーで大きな×印が描かれていたのだ。


 明らかに人為的なもの。そして恐ろしいことに、辺りでは鼻をつく揮発性塗料の匂いがした。


 それはこれが描かれてからあまり時間が経っていないことを示していた。



「っ……」



 咄嗟に周囲を見回す。幸い、誰の姿も見えない。けれども夕焼けで赤く染まるアパートは少し不気味で、立っているだけで息が詰まりそうだった。


 がたん、と、不意に後ろから重い音がした。


 思わず体が跳ねる。振り返ると誰もいない。


 おそらく、ボロアパート特有の家鳴りだろう。僕がここに住んでいた時もたまにあった。


 けど──頭でそうわかっていても、怖いものは怖い。僕は一目散にその場から駆け出していた。


 



 少し離れた公園のベンチで息を切らしながら、僕はさっきのバツ印について考えていた。

 

 いったい誰が? 何の目的で?


 この地域は別に治安が悪いわけではない。大学や私立高校などの教育施設も多く、どちらかといえば治安は良い方だ。


 そんな地域で、偶然通りがかったヤンキーが、僕の部屋の扉を選んで落書きをするなんて、常識的に考えてありえない。というか僕の部屋は入り口から離れた位置にあるので、やるならもっと入り口に近い部屋が選ばれるはずだ。


 となれば。となれば、それは。


 誰かが意図的に、僕を狙い撃ちにした──それ以外、ありえない。



『アニ研で、神崎さんにセクハラしたって聞いたんだけど──』



 ひょっとすると、あの噂を聞いた誰かが、面白半分で僕の部屋に落書きをしたのかもしれない。大学とはいえ狭いコミュニティだ。僕のアパートなんて人づてで簡単に知れるだろうし。もしかしたら、昭人が昨日の腹いせにやったのかもしれない。ユウリの正体に気が付かなくても、話を聞く過程で僕の名前が出ていたからだ。


 ただ、誰がやったのかなんてどうでもよかった。


 誰かが、僕を、悪意を持って追い詰めようとしている。その事実だけで、背筋に氷を仕込まれたような寒気が襲ってきた。


 こうしている今も、誰かが僕のことを監視しているんじゃないか? そんな荒唐無稽な疑いすら、どこか真実味を帯びているように感じられてしまう。


 どうすればいい? とりあえず、エミリーに相談を──



「──馬鹿なのかっ、僕は!」



 あんなことを言っておいて今更何を相談する。自分の考えに怒りを通り越して吐き気がしてきた。


 ……自分でなんとかするしかない。相談できる人間も、頼れる相手さえも今の僕にはいないのだから。


 ひりつく不安に襲われながら、僕は思考を巡らす。


 どうにか。どうにかして、安全を確保する方法はないだろうか。


 不意に、手元のカバンに目が留まった。エミリーと別れた時、とりあえず持ってきた黒革のトートバッグ。


 ……いやいや、流石にそれは。


 ……いや。


 むしろアリでは? というか非常事態だし、四の五の言ってられないか……。


 …………。


 ……。





 相手は矢野ユウヤを狙っている──なら女装しちゃえば大丈夫だよね☆


 ……馬鹿? と自分でも思わなくもないが、実際効果的だと思う。


 扉に落書きをしたのが誰かは知らないが──わざわざ落書きという間接的な手段をとっているあたり、僕=二階堂ユウリ という図式は知らないとみて間違いない。だって知ってたら暴露するはず。そっちの方が僕を追い詰めるうえで効率的だし、事実そんなことをされたら僕は舌を噛み切って死ぬ。


 そんなこんなで、公衆トイレの個室でユウリに着替えた次第。



「……さて、どうしましょうか」



 ひとまず安全は確保できたけど、事態が好転したわけじゃない。


 もう夜だ。明日から試験が始まる以上ここでブラブラしているわけにもいかない。


 自宅に帰ろうにも、あんな落書きをされるようなアパートなんて怖くて居られたもんじゃない。もしかしたら待ち構えらえれているかもしれない……それをありえないと言えないのが現状だった。


 それじゃあネットカフェに泊まるか、と考えたが、先月のバイト代は月末にシフトを入れることが出来なかったので食費と家賃でほとんど飛んでしまっている。別枠の家庭教師の支払いは15日なので、あと一週間は待たなくちゃいけない。そんなわけで僕の手元には3000円しかない。ネカフェの相場は一晩1000円前後なのでテスト期間が一週間続くことを考えると、どこかで資金が尽きる。


 正直、きつい。下手な成績を取って奨学金が打ち切りになれば実家への説明義務が生じる。それだけはなんとしても避けなければいけない。


 けど野宿でもして疲労困憊のまま一週間を過ごせば間違いなく成績に支障を来す。やっぱり、多少危なくてもアパートに戻るしか──


 そんな時、スマホが震えた。



「……もしもし」

『ユウヤ。大丈夫か』

「大丈夫ではないかな……」



 噂と一緒に電話番号も広まっているのか、とビビったけど幸いなことに翔平だった。


 どうやら大学で僕の噂を聞いて心配になって電話したらしい。



『今、お前のアパートに来てるんだが……』

「あー……見た?」

『誰がこんなことしたんだ。心当たりはあるのか』

「ないよ。まぁ、あってもどうしようもないけど……」

『そうか。今どこにいる?』

「外。あんなところ、怖くて居られないし……」

『行く当てはあるのか』

「……ないけど。まぁ、適当にファミレスで徹夜しよっかな」

『迎えに行く。待ってろ』

「え、悪いよ」

『いいから。俺のアパートなら防犯もしっかりしてるし……まさかテスト期間、ずっとそうしてるわけにもいかないだろ』

「……でも」

『遠慮するなよ。……サークルでの借りもあるんだ。協力させてくれ』



 翔平の声は真剣だった。


 誰も助けてくれない。一人でどうにかするしかない──そう思っていた。けれど、翔平はこうして僕の身を案じて救いの手を差しのべてくれる。その事実だけで救われた気がして、胸が暖かくなって──だから。



「……ごめん」

『えっ、おい──』



 無言で通話を切り、スマホの電源を落とす。


 翔平は優しい。きっと僕が甘えても嫌がらずに応えてくれる。だから、これ以上迷惑をかけるわけにはいかなかった。


 僕と一緒にいることで翔平に危害が及ぶかもしれない。なんせ相手は器物損壊をためらいなく行うような人間なのだから。


 一人でどうにかするしかない。もう一度自分に強く言い聞かせ、僕は公園を後にした。




 その後も結局まともな案は思いつけず、仕方がないのでファミレスで一夜を明かすことにした。


 が、早いうちから店内にいると追い出される可能性がある。ので、夜遅くになるまで宛もなく町中を歩く。歩く。歩く……そうしてもう数時間が経った。時刻は夜10時。


 日はとっぷり暮れ、辺りは薄暗い。駅前の方はもう少し活気があるのだけど、僕の歩いている大通りから外れた道は人もまばらだ。薄汚れた雑居ビルのダクトから放たれるタバコの匂いが狭い道を満たし、少し息苦しい。


 ……正直、どこかで座って休んでいたい。けど、じっとしていると誰かが僕を襲ってくるんじゃないか、という不安が心の奥から湧き出てくるのだ。それだけじゃない。成績への不安。広がる噂が及ぼす影響。去り際に見た親友の悲しそうな顔。立ち止まっていると、そういった色々なことばかり考えてしまう。もしかしたら昨日の寝不足とアルコールも影響しているのかもしれない。


 そろそろ大通りの方へ向かおう、と曲がり角を抜けると──



「──あら、ユウリちゃん?」

「え……」



 彼女の周りだけ時間が遅れているんじゃないか、と思うぐらいのおっとり口調に、ふんわりウェーブのロングヘア。ユイカさんだ。



「偶然ねぇ〜。バイト終わりかしら。今から帰るの?」

「えぇ、まぁ……」

「あら。私もそうなの~」

 


 彼女も僕の噂を知っているかもしれない。と身構えたが、今は女装しているので杞憂なことに気が付いた。 



「そうですか……それじゃあ。お気をつけて」



 だからといって僕から話すこともない。短く別れを告げ、彼女と逆方向に歩き出す。



「あら、あら? そっちは逆方向じゃない?」



 が、失敗した。


 彼女は僕が学生マンションに住んでいることを知っている。けど、僕が向かっているのは学生マンションとは逆方向、駅の方面だ。なので疑問に思われてしまったようだ。

 


「……少し、用事があって」

「……」



 彼女のほんわかしていた雰囲気が、ほんの少しだけ変わる。


 

「……ねぇ、ユウリちゃん。なにかあった?」

「……別に、何も」

「嘘でしょ。隠し事されるとお姉さん悲しいかも~」

「はぁ……ユイカさんはどうしてそう思うんですか?」

「だって、泣きそうな顔してるんだもの」

「え……?」



 泣きそう? 僕が?


 そんなわけないじゃないか、と心の中で否定するが……ユイカさんはただただ心配そうに僕を見つめている。



「気のせいです。別に、なんともありません」



 どうしてか、否定する言葉に力がこもらなかった。



「それじゃあどうしてこんな時間に、そんなに悲しそうな顔で歩いてるの?」

「……ユイカさんには関係ありません」

「もしかして……エミリーと喧嘩した?」

「っ……別に、そんなことは」



 図星だった。思わず息が詰まる。



「やっぱり」

「やっぱりって、どういうことですか。何か知ってるんですか?」



 僕の問いにユイカさんは気まずそうに目を伏せた。答えるつもりはないらしい。


 少しの間、沈黙が流れる。少しして彼女は口を開いた。



「ねぇユウリちゃん、うちに来る?」

「えっ」



 突然の提案に面食らってしまう。彼女の表情を見るにどうやら冗談ではないらしい。



「気まずくて帰れないんでしょう? ほとぼりが冷めるまで、うちにいていいのよ?」

「だ、大丈夫ですよ」

「そうなの? どこか泊まれる場所があるならいいけど……」

「ファミレスとかネットカフェとかありますから。大丈夫です」

「なっ──何言ってるの! ユウリちゃんみたいな女の子が夜遅くに出歩くなんて、危ないでしょっ」



 彼女は糸目を吊り上げ、珍しく語気を強めて僕を咎める。さながら年頃の不良娘を叱る母親。その娘、実は息子らしいですよ。ははっ。死のう。



「決まりねぇ。それじゃ、行きましょ」

「ま、待ってください! そのっ……」



 下らないことを考えていたせいで反論のタイミングを逃したが、このまま彼女の家に行くのはいくらなんでもまずい。


 たしかに安全な寝床は確保できるが、性別を偽って女性の家に泊まるなんて最悪だ。新手の性犯罪。バレたら檻にぶち込まれかねないし、その前に僕が罪悪感でつぶれてしまう。



「本当に心配いりませんから! ユイカさんはお帰りなって下さい!」

「ユウリちゃん……そんなに私のことが嫌いなの? ……ぐすっ」

「あぁもう! 詰んでるじゃないですかこれぇ!!」



このまま素直に従っても、突き放しても、どちらにしろユイカさんを悲しませることになる。


 ……仕方がない。


 僕はもう終わっている人間なのだ。今更体面を気にしたところで得るものなんてない。それならせめてユイカさんを傷つけないよう、真実を伝えるべきだ。



「ユイカさん。実は話していないことがあったんです」

「なにかしら……あ、もしかして枕が変わると眠れないとか?」

「いやそんなことではありません。いいですか。実は私──男なんです」



 言ってしまった。


 が、当のユイカさんは言われた意味がよくわからないようで



「うーん……えっと、なにかの心理テストかしら? それともドッキリ?」

「いや、本当に。本当に、男なんです」

「あら……あらぁ?」

「男、なんです」

「……えっと、とらんすじぇんだぁ?ってことかしら……」

「そうじゃないんです……えいっ」



 そうして僕は意を決し──彼女に見えるようウィッグを外した。



「えっ……ゆ、ユウヤくん!?」

「……はい」

「あらあらぁ……」



 突如として明かされた真実に、大半のことは「あらぁ〜」で済ませがちなユイカさんも目を白黒として驚いている。普段の糸目はそのままだけど、表情から困惑が伝わってきた。


 ……やっぱり引かれただろうか。いや、絶対引かれてるよな。反応を見るのが怖い。振り向いて走り去っていきたくなるが、なんとかその衝動を飲み込む。



「お姉さんびっくりだわぁ……まさかユウヤくんが」

「……騙しててすみません。でも、事情が──」

「女の子だったなんて……」

「……はい?」



 うん?



「えっと、ユイカさん……?」

「私、食堂で会ったときからおかしいと思ってたのよ。あのエミリが男の子相手に心を開いてるなんて……でも、ユウヤくんがユウヤちゃんだったなら納得できるわぁ」

「あのう、逆ですよ逆。男です。男が女の子のカッコしてるんです。女の子が男装してるんじゃなくって」

「まさかぁ〜。ユウヤちゃんみたいな可愛い子が男の子のわけないわぁ」

「いやほんとに違くてですね──」



 わざとやってるのか???? と疑いたくなるが、どうやら心の底からそう思っているらしい。


 が、そう思われても仕方がない理由もあった。最近は忙しくて散髪に行けず、通常時の僕でもショートボブぐらいの長さがある。ウィッグがなくても服装からボーイッシュな女の子と認識されてもおかしくはない……ない? いやおかしいよそんなの。


 ユイカさんが抜けているのか、それとも僕の外見がそれだけ女子っぽいのか。前者であって欲しいと切に願う。ほんとに。




「待って下さい。ほら、この胸パッドなんですよ。これって僕が男である証拠じゃないですか」

「もしかして……気にしてるの? ユウヤちゃん、安心して~。胸が小さくても十分魅力的だと思うわぁ」

「違うのに!! 別にコンプがあってパッドを着けてるわけじゃないのに! 本当に僕は男なんですって!」

「大丈夫、ぜんぶわかってるわぁ〜」

「え」

「改革派の追手に追われてるのよね。だから普段は男装して大学に通っている……そうでしょ?」



 カイカクハ? 僕が知らなかっただけで、ユイカさんってゴリゴリに政治活動してるタイプの大学生だったのか……とギャップのあまり気絶しかけたが、そうだ、思い出した。この人はこの前学生マンションでエミリーがついた大河ドラマ的嘘設定を信じ込んだままなのだ。


 そんな馬鹿な。いくらなんでも信じ込みすぎだろ。と思わないでもないが、頭のネジが外れているエミリーに認められている数少ない友人なのだから、ユイカさんも少しぐらいヘンなところがあっても不思議じゃない。この理論だと僕もヘンな人ってことになりそうだけど、女の子のカッコして合コンに出たりしてる時点で反論の余地はないのかも。つらいわぁ~。



「あのですねぇ──」



 慌てて誤解を解こうとするが、そこで僕は遅ればせながら気がついた。



「………はぁ。もう、それでいいです」

「? それじゃ、行きましょっか」

「はい……」



 僕の正体を素直に話すとなれば、その背後にある事情も全て話さなければいけない。そんなのどれだけ時間がかかるかわからないし、そんな気力、今の僕には残っていなかった。

だいぶ前に5,6話で完結するとか言っておきながら全然そんなことなかった。

今度こそあと4、どんなに引っ張っても5話以内に終わると思います。たぶん。

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