5.お前……女だったのか
「えっと、コーヒーでいい?」
「……紅茶」
「え」
「紅茶が、いい」
がめついな………。
とはいえ、泣いている女の子の頼みを断るほど僕も落ちぶれちゃいない。
ケトルのお湯をマグカップに注ぎ、ティーパックを入れてしばし待つ。
出来上がった紅茶を彼女に差し出す。
彼女は両手でマグカップを掴むと、んぐ、んぐとそれを飲み干した。
僕らはローテーブルを挟んで向かい合っている。
ここは一人暮らし向けのアパートなので、やや手狭だ。
「……おいしい。ありがとう、ユウ」
「えっと、どういたしまして」
さっきは泣いていた彼女だが、今はだいぶ落ち着いている。
「それで、エミリーさん」
「なんデスカ」
「宗教の勧誘なら間に合ってるんだけど……」
「ち、違いマス。ワタシ、怪しいモノじゃないデスよっ」
突然現れてインターホンを連打したあげく、泣きながら抱き着いてくる。それもほぼほぼ初対面の相手に。
これが怪しいモノじゃなかったらなんなんだ。
「だって……僕とキミは大学で少し顔をあわせたことがある程度の関係でしょ」
「そうデスけど。そうじゃないんデス!」
ぶんぶんと手を振って否定する彼女。
そうだけどそうじゃない。随分と難解な言い回しだが、それは彼女がハーフだからなのか。どうなんだ。
「じゃあ君は、いったい誰なんだ?」
「わからないん……デスか?」
意外そうに、そして何かを期待するような眼差しで、彼女は僕に問いかけてくる。
彼女の口ぶりから判断するに、僕らは面識があるらしい。
ただ、どれだけ頭を絞ってもエミリーさんとの思い出が浮かんでくることはなかった。
「僕とキミは、どこかで話したことがあるの?」
「……やっぱり、怒ってるんデスか?」
「えっと……なに?」
「ワタシが嘘ついてたから。ユウのこと、ずっと騙してたから……そうなんデスよね」
状況が飲み込めない。
僕らの間で何かがすれ違っている。それだけは確かに理解できた。
ただ、もしかすると。
彼女は、やっぱり───
「エー、ミール?」
「……なんですか、ユウ」
外見も違う。口調も違う。なにより、性別が違う。
けど、彼女の返答は、そのありえない事実が真実であると物語っていた。
「……僕の記憶違いじゃなければ、彼は男のはずなんだけど」
状況と会話の流れから推測するなら、彼女は間違いなくエーミールだ。
けど、エーミールは男のはず。中性的なイケメンで――って、あれ。
中性的?
「えっ……気づいてたわけじゃないんデスか?」
「気づいてたもなにも、たった今知ったんだけど……」
僕の返事を聞くや否や、彼女の陶磁器のように白い肌が赤く染まっていく。
「……説明、してもらっていいかな?」
「……………か、帰りマス。紅茶美味しかったデス」
「エーミール?」
「だ、誰デスか。そんな名前、知りませんねぇ」
「エーミール?」
「………くぅっ!」
僕の圧力に負けたのか、彼女は申し訳なさそうに顔を伏せ、ぽつりぽつりと語り出した。
内容を整理するとこうだ。
彼女は小さい頃から日本アニメのファンだったが、学校では話のできる友人がいなかった。いつか日本に行きたい。そう願うようになった彼女は、ネットで日本人の友人を作ろうとした。しかし、自分が女性であることを知ると態度が豹変する人間が多く、辟易していた。
あと一人。それがダメだったら、もう仲間を見つけるのは諦めよう。
そんな時、僕と出会った。
性別を隠すことは難しくなかった。ビデオ通話だって、外見はメイクと変装で誤魔化せるし、声もテクニックで変えることができる。実際、僕は彼女のことをずっと男だと思って接していたわけだし。
「ワタシ、コスプレが趣味で……」
なるほど、騙されるわけだ。
そして僕は高校二年生のころ、彼……彼女に第一志望の大学の話をした。彼女はそれを覚えていて、もともと日本に留学するつもりでいたから同じ大学を選び───今に至る。
正直、信じられない内容だった。でも、論理的に破綻している箇所は1つもない。
……いや、ある、か?
「ちょっとまって、エーミール」
「……エミリーでいいデス」
「わかった、エミリー。一つ聞きたいことがあるんだ」
「なんデスか?」
「僕はエーミールがエミリー・チャーチルだと知らなかった。けど、エーミールは僕の顔を知っていたはずだよね」
「う……そうデス」
僕らはビデオ通話をしたことがある。しかし、あの時の彼女は男装をしていたので、僕はエミリー=エーミールであると見抜けなかった。
けれど、僕の外見は変わっていない。
「どうして、言ってくれなかったんだ」
今は6月の下旬。入学してからそろそろ三か月が経過する。
その間、僕に声をかけないどころか、日本に留学したことすら隠していたなんて。
いや、そもそも。ネット越しである程度打ち解けた時点で、カミングアウトすればよかったのに。
一体なぜなんだ。
「……怖かったんデス」
「怖かった?」
「はじめは性別を隠していても、なんとも思いませんでした。でも仲良くなるにつれて、申し訳なくなって。正直に言おうって思ったんデス。でも、もしもユウが怒って、ワタシのことを嫌いになったらって考えたら……言い出せなくって」
彼女はずっと、僕に嘘をついていた。それを僕が知って、もしも関係に亀裂が入ったら……その恐怖心が本当のことを話すのを妨げていた。そういうことか。
だとしたらそれは杞憂だ。僕は性別が違っていたぐらいで腹を立てたりしないし、出会い厨みたいに態度を豹変させたりはしない。
まぁ、ショックではあるけど……。
「いつか話すつもりだったんデス。でも勇気が出なくて……そのままズルズルと」
「うん」
「だから、さっきユウが『連絡はこれっきりになる』ってメッセージを送ってきたとき、すごく怖くて。もしかしたらユウが嘘に気が付いて、怒って、二度と話せなくなっちゃうのかな、って」
「エミリー……」
なるほど、だからあんなに慌てていたのか。
玄関先でのあの取り乱し方。たしかに、親友だと思っていた相手から一方的に別れを告げられ、連絡を絶たれたとしたらああなってしまうのも仕方なかったのかもしれない。
納得と同時に、罪悪感が湧いてきた。
僕は……彼女になんてことをしてしてしまったのだろう。
「僕が連絡を絶とうとしたことは、キミが原因じゃないんだ」
「そう、なんデスか?」
「大学でちょっと色々あって、人間関係が嫌になって……だから、ごめん」
ここまでずっと沈んだ様子だった彼女だが、氷が解けていくように表情に色が戻る。
「それじゃあ……ワタシのことを嫌いになったわけじゃ、ない?」
「うん、そうなんだ。本当にごめん」
「べ、別にユウが謝らなくていいデス! ワタシが勝手に勘違いしただけデスから」
「……いいや、謝らせて。僕は一時の感情で、キミに酷いことをしたんだ」
彼女は僕を騙していた。それは悪意があったからじゃない。仕方のないことだったんだ。
けど。僕は気分が落ち込んでいたからって、一方的にエミリーに冷たくして、連絡を絶った。
どう見ても最悪だ。
「おあいこ、デス。ワタシはユウに隠し事をしてた。ユウも隠し事してた。だから、これでこの件はおしまいデス」
「……ありがとう」
下げていた頭を上げる。エミリーはそんな僕を見て、ちいさく微笑んだ。
「……ケド」
「うん?」
「人間関係って……なにがあったんデスか? それに、告白の件もデス。詳しく話してほしいデス」
「……わかったよ」
許してしまった以上話さないわけにはいかない。
さっきまでは思い出すだけで頭痛がするぐらいだったが、
僕は今日起こったことを話した。
エミちゃんを振ったこと。
冤罪をかけられたこと。
昭人に殴られたこと。
翔平に失望されたこと。
たぶん、二度とサークルに戻れないこと。
「そんな、コトが……」
信じられない、といった感じで、エミリーは顔をこわばらせた。
「か、彼らに本当のことを説明すれば───」
「サークル全員が信じ込んでる。あの状態じゃ、話すら聞いてもらえないだろうね」
「不正ログインの証拠を……」
「僕はこの前、部室のPCでTwitterにログインしたんだ。たぶんそのログが使われて不正ログインされたんだと思う。そんなことをするヤツなら、当然履歴も消してるはずだ。だから証拠はない」
「さ、サークル以外の人間に協力してもらえば」
「向こうが写真を持ってる以上、信じてもらえないと思う。それどころか話のタネにされるのがオチだよ」
「そんな……ユウはそれでいいんデスか!?」
「───いいわけない!」
納得できない。当たり前だ。こんな理不尽な仕打ちを受けて、何もせずサークルを追い出されるなんて。
「でも、仕方ないんだよっ……」
話しているうちに、自分が泣いていることに気が付いた。
喋るのに支障はない。ただ涙が流れているだけだ。けど、まるで涙と一緒に彼らとの思い出が流れて出てしまうようで、苦しかった。
「ユウ……」
悲しそうなエーミールの声。
嫌な気分にさせてしまっただろうか。だとしたら僕は最低だ。関係のない彼女が僕のせいで気分を害していい理由なんて、どこにもないのだから。
不意に、視界が暗くなった。
「私はあなたの味方だよ。だから、泣かないで」
「……エミリー」
柑橘系のさわやかな香り。その体は真冬に触れたカイロみたいに暖かく、やわらかい。
彼女がローテーブルに身を乗り出し、僕のことを抱きしめたのだ。
そのことに気づくには、数秒を要した。
「……嬉しかったんだ。やっと、本当の僕を受け入れてくれる場所が見つかって。でも────」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ワタシはずっと、ユウのそばにいるから」
「エミ、リー……っ!」
あたたかな涙が頬を伝う。これは僕の涙じゃない。
エミリーも泣いているのだ。
その華奢な体を揺らし、腕を震わせ、僕のために泣いている。そのことに気が付くと、鎮痛剤が効きはじめたかののように、僕の心から負の感情が消えていくのを感じた。
全人類が、彼女みたいな善人だったら────
今日の昼間、そんなことを考えていたことを思い出していた。
──────
どれほど抱き合っていただろうか。5分、10分。あるいは15分だったかもしれない。
「ちょっと、エミリー。まだ泣き止まないの?」
「だって……だって。ユウがかわいそうで……うぇぇぇん」
なにやら立場が逆転してしまったみたいだが、気分は悪くない。
彼女をなだめ終わったころ、外はすっかり暗くなっていた。




