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49.レディ・キラー(前編)

「おじゃましまーす……」



 友達の部屋に上がると妙に緊張してしまうのは僕だけだろうか。たとえそれがどんなに仲の良い友人の部屋でもなんとなく居心地が悪くて……自分がここにいてはいけないんじゃないか、みたいな気がしてくるのだ。


 ……いや、昭人は友人と呼べるか微妙だし、そもそも女装しているのだから居心地が悪いのは当然なんだけど。



「遠慮せずにくつろいでよ」



 昭人の部屋は思いのほかシンプルだった。部屋の隅にパイプベッド、雑誌と観葉植物の置かれたオープンシェルフが備え付けられており、中央にローテーブルと小さめのソファが置いてあるだけ。床には埃一つなく、部屋は綺麗に片付いていた。空いた酒瓶とか食べ残しが放置されてカビの生えた皿とか、村〇龍の小説みたいな部屋を想像していたので拍子抜けだ。



「部屋、片付いてますね」

「え? あぁ、掃除したからね」



 そういえば、彼は粗暴だが神経質なところがある。変なところで繊細なのだ。自分は他人に好き勝手言うくせに、いざ自分に矛先が向くと不機嫌になる。そしてその態度が長々と続くのだ。もしかすると、ここまで綺麗好きなのにはそういった神経質な性格が関係しているのかもしれない。考えすぎかもしれないが。



「アイスティーでいい?」

「あ、はい。ありがとうございます」



 紅茶で思い出したが、今日飲み会に参加したことはエミリーには伝えていない。完璧に機嫌を崩してしまっていたから伝えにくかったのもあるが、何より頼りっぱなしなのが申し訳なくなってきたからというのもある。


 エミリーはエイル君と付き合っている。そう、彼女には彼女の生活があるのだ。僕ごときがそれを邪魔するのは、いくら親友といえどあってはならない。


 昭人がキッチンからアイスティーを2つ運んできた。喉が乾いていたのでありがたく頂戴する。



「美味しい?」

「えっと、はい」



 見た目はオーソドックスなアイスティーだが、不思議な風味があった。鼻の奥にツンと抜けるような独特の香気。使っている茶葉が特別なのだろうか。エミリーならわかるのかもしれないが、僕は素人なのでさっぱりだ。


 正直、意外だ。昭人はどちらかというと厳しめというか、あんまり性格がよろしい感じではなかった。けど、こうしてお茶を振る舞ってくれたり紳士的に対応してくれたりと、根は悪い人間ではないのかもしれない。


 とりあえずサークルの話を振ってもいいが、先に用件を片してしまおう。



「それで、わからないのはどの科目ですか?」

「あー、ちょっと休憩してからでいい?」

「べつにいいですけど……」



 二階堂ユウリは昭人と同じ経済学部という設定だ。もちろんそれは嘘で、中身の僕は過去にマクロ経済学をマグロ経済学と誤読しエミリーに死ぬほどバカにされたぐらいの経済オンチなので、講義の話となれば絶対ボロが出る。なので後回しにできるならそれに越したことはない。


 昭人がテレビのスイッチを入れると、ちょうど映画が放送されているところだった。確か数年前にアカデミー賞を受賞したとかなんかで話題になっていたやつ。


 そんなこんなで僕らはソファに並んで映画を見る。


 それにしても。昭人はエミちゃんと付き合っているのだとばかり思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。彼女がいるのに僕を家に連れ込むなんてこと流石にしないだろう。



「昭人さんは、彼女はいらっしゃらないんですか」

「え? ……いないけど」



 予想通りだった。ただ、答えた昭人はどこか嬉しそうだった。不思議な反応だ。


 そこから彼は饒舌になり、僕は聞き役に徹した。


 そうして30分程度が経った。何度かサークルの話を振ろうとしたが、どう切り出せばいいものか。変に探りを入れて不審がられるのも……



「あれ……?」



 不意に、視界が揺れた。地震? それにしてはやけにゆっくりだ。


 いや、違う。周りが揺れてるんじゃなくて、僕の体がふらついているのだ。

 


「大丈夫? ユウリちゃん」

「だ、だいじょぶです……」



 大丈夫とは言ったが、全然大丈夫じゃない。


 グニャグニャと歪む視界から逃れるように目をつむる。このまま大人しくしていれば治るだろうか──そう考えていると、右半身に妙な感触。見ると、昭人が僕の肩に手を回し、体を寄せていた。さっきまで離れていた顔が、すぐ目の前にあった。



「!? なっ、なにしてるんですか」

「それ、聞いちゃう?」

「はなしてくださっ──うぅっ」



 彼の手を振り払い、逃げるようにソファから立つが──おかしい。うまく体が動かない。


 足元がふらついてバランスを崩し、床に倒れこんでしまう。フローリングのひやりとした感触が、なぜだか普段よりもくっきりと感じられる。


 体が熱い。頭の内側が溶けるように熱されているような感覚。



「なにを……したんですか」

「別になにも?」

「うそれす……」



 なにもせずにこんな状態になるわけじゃない。十中八九昭人の仕業だ。


 ぼやける視界が、机の上のアイスティーを捉える。


 不意に、エミリーとの会話を思い出した。


『エミリー、いくらなんでも紅茶飲みすぎじゃない? 一日3リットルはやりすぎだよ。見てて不安になるんだけど。なんか酒浸りのおじさんみたいだし……』

『おじさんとは失礼デスね。シュクジョと言って下さいシュクジョと』

『酒浸りの部分は否定しないんだ……』

『まぁ、紅茶中毒でなのは事実デスから。紅茶と酒……そいうえば、ユウはレディーキラーカクテルって知ってマスか?』

女殺しの酒(レディーキラー)? なにそれ。女性にしか効かない毒物的なやつ?』

『びっくりするぐらいまっすぐな解釈デスね……アホかわいいデス』

『う、うるさいな。アホじゃないし』

『レディーキラーカクテルというのは……アルコール入りと気づかないぐらい口当たりのいい酒のことデス。悪い男が女を酔わせるのに使うから(Lady)殺し( killer)

『へぇー……それで、紅茶とどう関係があるの?』

『その代表格にロングアイランドというカクテルがあるんデスが。これの色と味が紅茶そっくりなんデスよ。あ、もちろん材料に紅茶は含まれてませんよ。テキーラとジン、それにウォッカ。あとはコーラデスね』

『紅茶風味の酒って、エミリー依存しすぎて死んじゃうんじゃない? 絶対飲んじゃダメだよ、それ』

『ワタシの国は16から飲酒できるので、一度飲んでみましたが。あれって度数が高くてすぐ酔いが回るんデスよね……なので常飲には向きませんよ。あ、ユウも悪い男にアイスティーを出されたら、まずは疑ってかかるんデスよ。酔わされてぺろり、デスから』

『わかった、気を付けるよ…………ん?』



 あの時は、なんで男の僕が酔わされる前提なんだ???と親友の頭の中が心配になったが、まさか現実になるとは。


 体温の上昇に体のふらつき。それに呂律も回らない。僕は今、間違いなく酔っている。昭人の出したアイスティー──それがエミリーの言っていたものと同じかは知らないが、とにかくアルコールが含まれていたのだろう。


 騙されたのだ。優しそうな姿はこちらを油断させるための嘘。昭人は初めから、こうするつもりで僕を家に誘ったのだ。


 これはまずい。非常にまずい。話を聞き出すどころの状況じゃない。



「かっ、かえります。さよならっ」

「帰るって。そりゃないでしょ」

「きゃっ」



 不意に視点が暗転し、目を開くと昭人の顔が目の前にあった。


 ソファに押し倒された、と遅れて気が付く。



「はっ……はなしてくれませんか。いまなら、ゆるしますから」

「いやいや。こんな時間に男の家に入っておいて……そんなんありえないだろ」

「わたしは、そんなつもりじゃ……あきとさんが、講義でわからないところがあるっていってたから……」



 昭人から距離を取ろうと体を動かそうとするが──手首を捕まれ、ソファに押さえつけられる。


 背筋がゾッとした。これは──詰み。どう考えても詰みだ。この様子では、昭人は僕を逃さないだろう。力づくで僕を屈服させ、無理矢理……そういう行為を強要してくる、はず。思わずその場面を想像してしまい、吐き気がこみ上げる。


 どうすればいい。今すぐ正体をバラすか? いや、もしも昭人が逆上したら何をされるかわからない。半殺しにされるかもしれない。かといって逃げることも出来ない。それじゃあ──それじゃあ、どうする?



「つーかさ。講義とか普通に考えて嘘でしょ。そっちもその気なんでしょ? じゃなきゃ彼女について聞いたりしないだろ」

「そんなっ……わけわかんないれすっ。はなれてくださいっ!」

「……いちいちうるせぇな。もう黙ってくんね?」



 昭人の目が僕を見据える。その目は苛立ちと興奮でうっすらと毛細血管が浮かび上がっていた。まるで獣のようだ。



「ひぃっ……!」



 酔いに侵されながらも、必死に回っていた思考がぷつんと切れる。


 怖い。


 血管中にセメントを流し込まれたかのように体が硬直している。動けない。口の中はカラカラに乾ききって、背筋にはじっとりとした嫌な汗が流れる。


 助けを呼ぼうと声を出そうとするが、口からはひゅっ、と空気が漏れるだけ。体が震え、上手く呼吸が出来ないのだ。



「へへっ……いい顔するなァ」



 彼は怯える僕に……どうやら興奮しているらしかった。つり上がった口からハァハァと荒い息遣いが漏れている。


 昭人の腕がブラウスの下に潜り込む。彼の指が腹の上を這いずりまわる。


 気持ち悪い。気持ち悪い──気持ち悪い!


 誰か、誰でもいいから、助けて──!



「あ……?」



 不意に、昭人の動きが止まる。


 インターホンが鳴ったのだ。


 昭人はちらりと玄関の方へ眼をやり、けれどすぐにこちらに向き直った。どうやら居留守を使うつもりらしい。


 思わぬアクシデントに体の硬直が解け、呼吸がもとに戻る。



「だっ、だれか! たすけてくださいっ!──むぐっ」

「うるせぇっ!」



 扉の向こうにいる誰かへ助けを求めるが、すぐに昭人に口を塞がれてしまう。



「おい。少しだけ離れるけど……余計なこと言うんじゃねぇぞ。言ったら……わかるよな?」



 昭人はそう言い残して玄関へと向かって行った。部屋には僕だけが残される。


 チャンスだ。すぐにでも廊下へ駆け出し、扉の向こうへ助けを求めればいい。そうすればインターホンを鳴らした誰かが警察を呼ぶなり、どうにかしてくれるはず。


 けれど、僕の体は動かなかった。


 体が震えて、上手く立ち上がれない。アルコールのせいじゃない。怖い。さっき、僕を脅した彼の顔が頭から離れない。

 


『っったく、しつけぇな!』



 昭人が乱暴に扉を開ける音が聞こえた。


 早く動け。訪問者が帰ってしまえば、本当にお終いだ。逃げることも隠れることも出来ない。



『オイ! こんな時間にな──って、お前!?』



 がたん、と鈍い音。続いて、玄関からどたどたと靴音がする。何者かが昭人を突き飛ばし、土足のまま玄関に上がりこんだ──アルコールで朦朧としながらも、僕はそう判断した。


 廊下を駆ける音がして、すぐに部屋の扉が開いた。そこには──

 

 

「ユウ! ユウ!? どこにいるんだ!?」


 

 エイル君が、いた。彼は息を切らし、額に汗をかいている。

 


「エイルさん……」

「ユウ──っ」



 僕と彼の目が合う。彼は嬉しそうに頬を緩め──けれど、僕の乱れた衣服に気が付き、眉間にシワを寄せた。


 彼はそのまま僕の方に歩み寄り、抱擁した。


 温かい。服越しに彼の体温を感じ、さっきまで体に巣食っていた恐怖心が氷解していく。



「ごめん、ユウリさん。遅れた。でも、もう大丈夫だから」

「はい……はいっ!」

「酷いこと、されなかった? 痛むところはない?」

「エイルさんのおかげで……危ないところでしたけど」

「そう。……キミが無事で、本当によかった」



 なぜだか心臓が高鳴るが、多分、急激に緊張が緩和されたことによる反動だろう。そうじゃなきゃ、まるで僕が恋する乙女みたいじゃないか。ありえないしそんなの。


 彼に抱かれたまま、しばし至福の時を過ごしていると……部屋の扉が開いた。目を向けると、そこには顔を真っ赤にした昭人がいた。


 思わず体がすくむ。


 エイル君は僕の背に回していた手を外し、彼に向き治る。その目からはいつもの優しげな光は消え失せ、ただひたすらに冷たく暗い印象だけが残っていた。



「痛ぇじゃねぇか! なにすんだよ!」

「……お前、彼女になにをした?」

「はぁ? そんなこと、お前に関係ないだろ」

「質問に答えてくれないかな」

「あのさぁ! 別に俺がこいつとヤろうが、お前、マジで関係ないじゃん。いちいち首突っ込んでくんなよ。この前だって──」



 パァン!と、乾いた音が響いた。エイル君が昭人をビンタしたのだ。


 

「質問に答えろよ、馬鹿が」

「お、お前──お前なぁ!!」



 昭人は突然のことに呆気に取られていたようだが、すぐに声を荒げ、エイル君に掴みかかった。


 マズい、と直感する。


 エイル君は体格が細めだ。対する昭人は比較的大柄。正面から殴りあえば、筋肉質な昭人にいいようにやられてしまうだろう。体格差というのはそれほどまでに大きなハンデだ。そう考えてる間にも、昭人のもう片方の腕がエイル君の顔面に迫る。 


 最悪の場面を想像してしまい、思わず身がすくむ。


 ──が、そうはならなかった。


 エイル君は鷹のように鋭い瞳で昭人の拳を見据え、顔面に到達する直前で自らの前腕部に沿わせるようにして受け流した。そして、そのまま抜き手で左目を突く。



「っ──痛ぇ!」



 昭人は反射的に目を抑える。エイル君はその隙を逃さなかった。彼は鋭い蹴りを膝下に放ち、昭人を転倒させた。そして、勢いよく倒れ込んだ彼の股を上から踏みつける。昭人は悶絶し、フローリングをのたうち回った。


 凄い。正面から力勝負に持ち込むのではなく、一瞬の隙を、最小限の力で突く。恐ろしいほど効率的な戦い方だった。



「うぎゃぁっ!」

「喋るなよ。耳に響く」

「い、痛ぇ。痛えよ……」

「喋るなって言っただろ」

「ぐぇっ!」



 エイル君は氷のように冷たい瞳で昭人を見下し、その腕を踏みつける。次に肩。腰。脇腹。踏まれるたびに昭人は芋虫のように痙攣し、次第にそれすらも弱々しくなっていく。


 が、彼は攻撃を止めない。まるでラインを流れてくる商品を仕分けるように、淡々と彼の体を痛めつける。人間の体にはどれだけ鍛えても筋肉がつかない弱点が存在する。関節と鳩尾がその代表だけど、彼は重点的にそこを踏みつけているようだった。


 彼が昭人を見下ろす目はただひたすらに冷たい。その無感情さは、不思議といつか見た親友の顔を彷彿とさせた。


 あまりの光景に呆気に取られていたが、状況の深刻さに気づく。



「えっ、エイルさん! やりすぎです!」

「……止めないでくれよ」

「それ以上やったらエイルさんが捕まっちゃいます! 昭人さんも死んじゃいますよ!」

「いいや、ボクが捕まることはないよ。もちろんキミも」



 そんなわけない。いつか読んだ刑事小説に、正当防衛は他者を守る場合にも適応されると書いてあった。けれど、それにも限度がある。反撃能力を失った相手に暴行を振るい続けるのは過剰防衛だ。万が一警察沙汰になれば、エイルが不利なことは明白。聡明な彼のことだから、その程度のことがわからないはずはない。それなのに、自分が罪に問われないことに妙に確信を持っているようだった。



「キミこそいいのかい?」

「いいって、何がですか……!」



 衝撃的な場面に酔いも冷め、ようやくまともに喋れるようになった舌でエイル君に聞き返す。



「やり返さなくて、いいのかい」

「えっ……」

「いくら痛めつけられようと、彼が自分からこの事を誰かに話すことはないよ。なにせ、ユウリさんを酔わせて襲おうとしたんだからね。つまり殴り放題蹴り放題。どれだけサンドバッグにしようと咎められることはない」

「な、なに言ってるんですか、エイルさん……怖いですよ」

「キミは」



 彼と目が合う。まるで心の中が見透かされているように思えて、何も言うことが出来なかった。



「彼に個人的な恨みを持っている。違うかな?」

「っ。なんで、それを」

「勘さ。男の勘」



 男の勘。今日の昼にもエイル君はそう言っていたけれど、彼のそれは明らかに勘で説明できるレベルじゃない。あるいは魔術を使っている、と説明された方がよっぽど納得できる。


 彼の瞳を見つめるが、そこには深海のような碧が広がっているだけ。真実は欠片すらも見えない。いつもは頼もしい彼が、今は少しだけ不気味に思えた。

 


「それで、どうかな。道具が必要ならボクが用意するよ。ハサミでもナイフでも針でも、なんでも。遠慮せずに言って欲しいな」



 名も知らぬ他人が同じセリフを吐けば「サイコパスアピールきっしょ」としか思えないが、彼の目は本気だった。本気で昭人を害そうとしている。そこからは1ミリも躊躇いが感じられなかった。



「恨みがないと言えば嘘になります。けど、それを暴力で晴らすのは……違うと、思います」

「へぇ。それじゃあ泣き寝入りするのかい?」

「……そういう訳でもないです」

「それなら……肉体ではなく、精神的な復讐をすると。キミはそう言いたいんだね」

「……もしやるなら、そうですね。私を襲ったことを他人に話すなり、いくらでも方法はあるんですから」

「はは、ナンセンスだね。心が弱れば体も弱る、逆もまた然り。結局はどちらが先かというだけで、相手を痛めつけるのは変わらないのに。唯一、司法の判断は変わってしまうけれど、それも僕らには関係ない。それなら手っ取り早い暴力の方が優れてるよ、こういう猿相手には」

「それでもですっ。これ以上彼を痛めつけるのはやめてください」

「むっ……どうして彼を庇うんだ。殺されても誰にも同情されないタイプの人間じゃないか。別に気を使う必要はないだろう」

「別に庇ってる訳じゃありません。ただ……痛みで何かを解決するのが好きじゃないんです」

「…………まぁ、キミが言うなら従うさ」



 昭人が死ぬまでやめないんじゃないか、とハラハラしていたが、あっさり引き下がってくれた。大事件に発展せずに済んでホッとする。


 ……と思っていたら。


 

「ふんっ……」



 エイル君は最後の一押し、とでも言わんばかりにフローリングに転がる昭人を踏みつけた。



「ちょっ──」



 慌てて彼らの間に割って入る。そんな僕に、エイル君は少し残念そうな顔を向けてきた。


 そんな彼を見て、思わず頭に血が上ってしまった。



「助けてくれたことには感謝しています。でも……そういう風に誰かを痛めつけるエイルさんは、嫌いです!」

「きっ、嫌い……!?」

「はいっ! 大嫌いです!」



 言ってから失言だったと気づく。彼はただ僕を助けてくれただけじゃない。自分が怪我をするリスクを犯してまで、僕を救ってくれたのだ。


 あのまま彼が来なかったら……どうにかして昭人を鎮めるため、もしかしたら引き返せない領域に足を踏み入れてしまっていたかもしれない。想像するのも恐ろしい。ひぇえ……。


 エイル君は口をぽっかり開けたまま虚空を見つめ、放心状態となっていた。よほどショックを受けたらしい。あまりに申し訳なくって、どう謝ろうか必死に悩んでいると──

 


「そ、それは……その、すまない。君を不快にさせるつもりはなかったんだ。ただ、キミを傷つける人間をどうしても許せなくて……a,anyways。そんなに悲しいこと、言わないでくれっ……!」



 しどろもどろになって弁解してきた。普段のクールなイメージからは程遠い、まるで母親に叱られた子供のような取り乱し方だ。いや、ここは母親じゃなくて父親にしておこう。僕のプライドのために。いやそんなどうでもいいことを考えてる場合じゃないな!



「いえっ、私も言い過ぎました! 嫌いじゃないです。本当は大好きですっ!」

「そっ、それはそれで困るんだけど……」

「うぇっ──違うんです言い間違いです誤植ですっ! あくまで友達としてですから!」



 しばしの間僕らは無言になり、気まずい空気が流れる。


 失言に次ぐ失言に、正直に今すぐにでも走って帰りたかったが……足元に転がる昭人を見てやるべきことを思い出す。



「エイルさん。少しの間、扉の向こうに行って貰えますか」

「なっ──何を言ってるんだキミは! もう一度襲われたらどうするつもりなんだ!? 僕が目を離した隙に、もしもキミに何かあったら──僕は耐えられないっ! いいかい、キミはもう少し自分の体を──」

「あぁもうわかりましたからっ! 扉は開けておきますから、話し声が聞こえない所からこっちを見ていて下さいっ!」



 そう言ってエイル君を部屋から押し出す。彼は心配そうに、まるで主人に置いていかれた忠犬のような目を向けてきたが、彼に話を聞かせる訳にはいかない。扉は開けたままにして、倒れている昭人へ歩み寄る。

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