46.名探偵ユウリと進む誤解
エミリーには彼氏がいる。しかし彼女は僕に気を遣わせまいと、その事実を隠して復讐に協力してくれている──これが僕の出した結論だった。
「はぁ……」
あまり信じたくないが、状況から判断するに一番しっくりくる。
果たして僕はどうすべきなのか。素直に好意を受け入れて知らないふりをすべきなのか、そうでないのか。夜通し悩んでも答えは出なかった。おかげで睡眠不足。食欲も沸かなくて朝食もパン一斤しか食べれなかったし。
けれど、ウジウジと悩んでいる暇がないのも事実。
既に7月の上旬を終えようとしている。来週からは期末試験期間に入り、レポートやらテストやらでまともに時間も取れなくなる。別に単位を取るだけなら勉強は適当に済ませても問題ないのだが、僕は大学から学費を免除してもらっているのでそういうわけにもいかない。落単とか、よほどひどい成績を取らない限り、いきなり援助が打ち切られるということはあり得ないと思うが……それでも勉強するに越したことはない。
「はぁ……」
「浮かない顔だね」
「エイルさん……!」
講義も終わり、アニ研部室にてほかのメンバーが来るのを待っていたのだが、一番先に現れたのはエイル君だった。
金紗のように煌めく髪に、彫刻のように整った目鼻立ち。いつ見ても胸を打たれるような美貌だ……いや、別にホモじゃないけど? 傑出した芸術品が万人を虜にするのは当たり前だから。僕が彼に惹かれるのはそれと同じことだからセーフだし。
というか、エイル君は僕がアニ研部室に入ると5分もせずに現れることが多い。まるで僕が入室するタイミングを知っているみたい……というのは考えすぎか。じゃあなんだ。運命?
「何か悩み事でもあるのかい?」
彼はエミリーについて悩んでいた僕の顔を見て、心配そうにそう問いかけてきた。
「悩みなんて!! そんな!!」
「その割には、深刻そうな顔をしてたけど」
「エイルさんがいるだけで毎日幸せハッピーライフ!! 生きてるだけで丸儲けですよ!!」
「そ、そうかい……」
ふと「この反応……やっぱり男色なんデスか……!?」と幻聴がしたが、ここはアニ研部室。エミリーがいるはずがないんだよなぁ。
つまり僕は幻聴が聞こえるほど彼女について悩んでいたことになるわけで……その事実に愕然とする。
「空元気は体に毒さ。ボクでよかったら相談に乗るから、少し話してくれないかな」
「……そんな、悪いですよ」
「遠慮しないでよ。キミの役に立てるなら本望さ」
そう言って、彼は目を細めて笑った。
これには思わず胸キュン。いやホモじゃないが? というかイケメンで性格いいとかこれもうチートだろ。外見が良くても中身が抜けてるエミリーには是非とも見習ってもらいたいものだ。
正直、あまり相談する気は起きない。話しても具体的な解決策が見つかるわけもないと思うし、逆にエイル君を暗い気分にさせてしまうかもしれない。
「実は……」
けど、彼にここまで言われて断るなんてことも僕にはできないので、正直に相談することにした。
「私の親友に彼氏がいるみたいで」
「へぇ」
「でも、彼女はそれを私に話したくないみたいなんです。聞いても、はぐらかされて」
「……ん?」
「別に彼氏がいるのは問題な……な、ないんです」
……なんかモヤっとしたけど。別に、エミリーが誰と付き合ってようが僕には関係ないし。まぁエイル君に彼女がいたら問題だが? 10時間ぐらい質問攻めにして彼に相応しい相手かどうか見極めるぐらいはしたい。
「でも私としては、隠し事をされたのがショックで──」
「ちょ、ちょっと待ってくれないか」
「はい?」
「その親友って……」
「あぁ、エミリーって言うんですけど」
「あー……」
彼は脱力したように天を仰ぎ、静かに目をつむった。しばしの沈黙。
「いいかい、ユウリさん」
「はい」
「それは誤解だ」
「ごかい」
「そうだ。誤解だよ。彼女に彼氏はいないし、家に男を連れ込んだこともない」
「やけに具体的ですね……」
「こういうのは理屈で語るものじゃないよ。そうだね……宙に投げられたボールには重力や空気抵抗、揚力などの様々な力が働く。けど、僕らは流体力学や物理学を知らなくてもその軌道をなんとなく予測することが出来る。それと同じことさ。あえて言語化するなら……男の勘ってやつだね」
「おとこのかん」
「そうさ」
「はえー……」
なるほど?
……よくわからないけどエイル君が言うんだから間違いないな!
「そうなんですね! 安心しました!」
「Gullible……」
「えっ」
「いやなんでも?」
「? そうですか……」
悩みも晴れ気分も爽快。いやー、やっぱ話してみるもんだね。
「この誤解は不味いデス……早急に対策を練らなければ……」
「どうかしました?」
「いいや? ところでユウリさん。この後の予定は?」
「もちろん空いてますデートですかいいですね早速出かけましょう渋谷なんてどうですか恵比寿ガーデンプレイスとか行ってみたいですね」
「いや待ってくれ。キミはなにか大きな勘違いをしている」
「勘違い……私と一緒に出掛けるのが嫌なんですか? わかりました、死にますね」
「死へのハードルが低すぎないかな!?」
「というのは冗談で」
「明らかに冗談の目ではなかったけど……」
「もう少しだけここに残るつもりです。他の皆さんとも話したいですし」
エイル君と話せるのが幸せすぎて忘れそうになるが、僕はこの部室に遊びに来ているわけではないのだ。今日のメインターゲットは昭人と接触し、どうにか話を聞き出すことにある。
「まぁ、夕食を作らなくちゃいけないので一時間もしたら帰りますけど」
「一時間……」
彼はそう呟くと、椅子から立ち上がった。
「そうかい。僕はこの後用事があるから、もう帰るよ」
「えっ……」
「それじゃあ、またね」
そう言い残し、彼は部室を後にした。呼び止める暇すらないスピード退出だった。
なんだ、用事があるなら仕方ない。残念だけど一人で待つことにしよう。
ついさっき昭人にLINEで連絡したら(もちろんユウリのアカウントで)「もうちょいしたら部室に行くわ」と返事があった。他のメンバーはアザラシは研究室の発表会があるとかで休み。翔平は案の条未読スルーだ。
……そういえば。ユウリとしてこのサークルに入ってから、一度もエミちゃんが部室に来たことがない。昭人は来ているのに。二人は繋がっているんじゃないのか?
『こっちの事情も知らないくせにっ──』
エミちゃんは何かを隠している。けど、それを推測するにはあまりに情報が少なすぎる。当人から話を聞ければ一番いいのだけど、昨日の一件があったからそれも憚られる。現状、昭人からどうにかして話を聞き出す以外に方法はない……そんなことを考えていたら、不意にポケットのスマホが震えた。
「もしもし」
『あ、ユウリちゃん? 昭人だけど──』
────────────
なんとも不幸なことに、昭人は急用でサークルに来れないらしい。まぁ、昭人が伝えてきたのは悪い知らせだけではなかったのでそこは良しとしよう。それでも今日彼と接触することは不可能となったので、すごすごと部室を後にし、少し早いが部屋に戻ることにした。エミリーはもう帰宅しているだろうか。
「えっ……」
そんなこんなで学生マンションの前を歩いていると、信じられないものを見た。
外廊下──206号室の前。エミリーの部屋の前に……男が、立っているのだ。
男。それも他人じゃない。僕は彼を知っている。目が覚めるような金髪に、すらりとした体躯。そのオーラは遠目で見ても色あせることが無く……
(え、エイル君!?)
見間違いじゃないか、と目をこするが、彼は健在。部屋番号も206のままだ。
なぜエイル君がそこに?
ふと、ある可能性に思い至る。
もしやエミリーには本当に彼氏がいて、その相手はエイル君なんてこと……。
いやまて。焦りは禁物だ。エミリーとエイル君は同じ学科、国際交流学部だ。もしかすると講義関連で用事があるのかもしれない。語学系の講義だと同じグループでプレゼンするとかままあるし……なんて考えていたら、エイル君は扉にカギを差し込み、そのまま室内に入っていくのが見えた。
カギ。カギか。まぁ……同じ学科だしカギの貸し借りぐらいあるよね。あるよね? いやないかも。
「どういうことや……」
あまりのショックで口調がおぼつかないが、とりあえず急ぎ足で階段を上り、206号室にたどり着く。
考えられる可能性は二つ。
一つ目はさっき考えたように、二人はデキていて、僕に隠れて交際をしている。
二つ目は……彼らは兄弟、あるいは親戚である可能性。思えば二人は外見と雰囲気が似ている。同じブロンドヘアーに紺碧の瞳。少し芝居がかった回りくどい喋り方も共通している。それに思い返してみれば、二人にはどことなく似通った雰囲気がある。エミリーは頑なに自分の家のことを話そうとしないが……もしかしたらそれに関連した複雑な事情があるのかもしれない。
呼吸を整え、扉を開ける。
玄関に入ると、違和感があった。
(おかしい……)
靴が一足しかない。女物の黒いエナメル靴。これは間違いなくエミリーのものだろう。
たった今、この部屋に入っていったエイル君の靴がない。わざわざ靴をしまった? なんのために。そんなことする必要あるのか?
不審に思いながら、リビングに続く扉を見つめる。床とドアの隙間から明かりが漏れている。間違いなく誰かがいるのだ。
息を潜め、音を立てないよう抜き足で廊下を進もうとして──ふと我に返った。
僕は何をしているんだ。コソコソ隠れて彼らの秘密を暴こうなんて、悪趣味にも程がある。遠回しにエミリーを裏切っているようなものじゃないか。
「戻りました!」
帰ったことを伝えると、がたがたっ、とリビングから物音がした。続いて、ばたん。扉が閉まる音。
音と状況から察するに……リビングにいる誰かが僕の帰宅に気付き、エミリーの部屋に移動した、のか?
リビングに入ると、そこには誰もいなかった。
「エミリーさん?」
そう呼びかけると……
『ゆ、ユウ? ずいぶん早い帰宅デスね』
案の条、エミリーの部屋から扉越しに返事があった。
「少し用事があるんですけど。開けてもらっても?」
『……だ、だめデス』
「どうしてですか?」
『そのぅ……いま、着替え中で』
たしかに、扉の向こうから衣擦れの音が聞こえる。
本当に一人なのか……いや、まて。音がするからって着替えているとは限らない。扉越しなんだからいくらでも誤魔化せるじゃないか。
「……あの」
『なんデスか』
「本当は着替えてませんよね」
『なに言ってるんデスか!?』
「わかるんですよ。女の勘ってやつです」
『意味フメーデスって! ワタシがこのシチュエーションで嘘つく必要ありマス!?』
なにやら御託を並べているが、僕の目は誤魔化せない。
この反応は間違いない。扉の向こうには──エミリーとエイル君の二人がいる!
「嘘つかないで下さい。ネタは上がってるんです!」
『だから! 本当デスって!』
「そうやって騙す算段なんですね! 私の目は欺けませんよ!」
『い、イカれてやがりマス。女装のストレスで頭がやられてしまったんデスか!?──って、ドアノブ回さないでください!』
「うるさいですね! 開けろッ!」
『だめデスっ。今はほんとに不味いデスって!』
正直、迷いはある。
彼女が嘘をついているとして、それは悪意ではない。それはきっと僕に気を遣わせまいとする気遣いからくるものだ。秘密を暴くことは、その気遣いを否定することになる。ここは黙って知らないふりをするのが正しい選択なのかもしれない。たぶん、いつもの僕ならそうしてると思う。
でも、これにはエミリーが絡んでいるのだ。彼女に一方的に気を遣わせて、それに甘えるだけなんて……ただの足手まといじゃないか。そんなのは嫌だ。例え好意を裏切ることになったとしても、彼らとは正直に話し合うべきだ。
「観念せいっ──」
意を決して体重を乗せて一気に押し込むと、がちゃ、という音とともに扉が開いた。
勢いにつんのめりながらも、どうにか態勢を戻し室内を見回す。
乱れたベッド。開け放たれたクローゼットの扉。脱ぎ捨てられた服。そして下着姿にYシャツを羽織ったエミリー。
「二人とも──って、あれ?」
おかしい。エイル君がいない。いるのは下着姿でYシャツを羽織ったエミリーだけで、男の影すらない。
ん? ……下着姿にYシャツを羽織ったエミリー?
おやおや。視覚連合野が情報伝達を間違えちゃったのかな? なんて思ったが、どうやらそうではないらしい。
「あぅ……」
エミリーは頬を染めたまま、サファイアのような瞳を大きく見開いて硬直していた。半端に開いた口だけがあわあわと動いている。その髪型はいつもと違って流しのロングヘアだった。
彼女の顔から視線を下にやると、すらりと整った純白の肢体が目に飛び込んでくる。精緻なレースに縁どられる黒い下着は、対照的に彼女の肌の滑らかさを際立たせ、妖しげながらもどこか高貴な魅力を演出している。
たらり、と白磁のようなふとももに、一筋の汗が流れるのが見えた。
一瞬、思考がフリーズし……
「なんで脱いでるんですか……?」
口をついて出たのは、素朴な疑問だった。
「…………」
瞬間、硬直していたエミリーの瞳が、氷のような冷たさを持った。
──なに馬鹿なこと言ってるんだ僕は!
落ち着け、落ち着け矢野悠也。まだ慌てるような時間じゃない。いや今は二階堂ユウリか。どっちでもいいだろ別に!!
……今、エミリーは硬直中。次のアクションまで猶予がある。どうにか思考を巡らし、この状況を打破するんだ。
1.無言で扉を閉める。
──ダメだ。これは問題を先延ばしにするだけで、後々気まずくなるのが目に見えてる。対症療法ではなく抜本的な解決が必要なのだ。よって却下。
2. 素直に謝る。
どうやって謝る? こちらは強引に扉を開けてしまったのだ。「男が入っていくのが見えて……」なんて話しても信じてもらえるかわからない。言い訳と思われるのが関の山だ。というか、自分が男を連れ込んでいると疑われたことに対してショックを受けるかもしれない。これも却下。
3. 脱ぐ。
ありかもしれない。彼女が脱いで僕も脱げばお互い下着姿で差し引き0。おあいこだね。なわけないだろクソバカ。却下。
──クソッ!全部ダメじゃないか!
詰み。その二文字が脳裏をよぎった瞬間──
『諦めないで下さい!』
この声は──もう一人の僕!?
ついに女装のストレスで精神分裂が──いや、そうじゃない。これは窮地に陥った僕の無意識が示した何らかのメッセージに他ならない。何か──この状況を打破する何かが──
(───これだッ!)
「ユウ、これは一体どういう──」
「何か問題でも?」
「も、問題って──なっ、何言ってるんデスか! 大ありデスよ!」
「ふふっ。エミリーさん、疲れてるんですか?」
「ハァ!?」
「女同士なんですから。慌てることじゃないですよ。ねぇ?」
「──ッ!」
彼女が息を吞む。
そう──今の僕は二階堂ユウリ(♀)。そう、♀。メスなのだ。
「それは──あくまでタテマエであって」
「建前? 何を言ってるんですか。この姿でいる以上、心も女に近づけるべし。これは貴女の教えですよ」
「そ、それは……」
「私は二階堂ユウリ。それ以上でもそれ以下でもありません。この前提を崩すことは全ての女装に対する冒涜───違いますか?」
「……そう、デスね」
いやそうじゃないだろ。反射的にそう口にしかけたが、お嬢様はそんな言葉遣いしないんだよなぁ……。
「わかればいいんですよ。それじゃあ、私は夕食の準備をしますから」
羞恥、葛藤、猜疑心やらで表情筋がスパークしたのか、呆然と虚空を見つめながら首をかしげるエミリーに背を向け、部屋を後にする。
ふぅ、なんとか乗り切ったな。危ない危ない。それじゃあ──
(よーし、死ぬか)
間違っていたのだ、何もかも。僕が外廊下で見たのはエイル君ではなく、エミリー本人。髪色が似ているから見間違えたのだろう。
それが意味することはシンプルだ。
つまり僕は──嫌がる友人の着替えを強引に覗いた性犯罪者、ということになる。
盗撮脅迫という僕の前科に強制わいせつという新たな歴史が刻まれてしまった。いや前の二つは冤罪だけども。最後のは言い逃れできないんだよなぁ。
と、そこまで考えて。
(いや……髪色が似ているからなんて理由で、エミリーとエイル君を見間違えるか?)
思わず納得しかけたが、冷静に考えればおかしい。
よく考えろ。ユウリの姿を解くことすら後回しにして、思考に集中する。
エミリーは服を脱いでいた。これは事実だ。しかし、それはエイル君の存在への反証にはならない。
それに、エミリーは面倒くさがりなので帰ってすぐ部屋着に着替える習慣はない。なので、そもそも彼女が着替えをしていたことに違和感がある。
それなら、あの状況は一体?
少し考えて。とある可能性が思いつく。
答えは単純明快。エイル君とエミリー、彼らが室内で服を脱ぐ行為をしていたからだ。
そしてその行為とはすなわち──
「イチャラブSEX……!!」
おいおい……。
(冴えてる……冴えてるぞ僕!)
エイル君の靴がなかったのは『ただいま、エミリー(突然の抱擁)』『あっ……そんないきなりっ……(メス声)』みたいな感じで、玄関に入るなり事をおっぱじめたから。靴ひもを外す暇がなかったのだろう。そして彼らはイチャついたままリビングに移動し──そこで僕が帰宅。事が露呈するのを恐れた彼らは、そのままエミリーの部屋に逃げ込んだ。
ここで疑問点が生じる。僕が部屋に入った時、エイル君の姿はなかった。彼はいずこへ?
ここは少し手間取ったが、IQ200(十の位切り上げ)を誇る灰色の脳細胞が答えを導き出した。
そう──窓からの脱出。これしかない。
少し前、ユイカさんが襲来したあの日。
『窓から飛び降りるんデス』
『僕が?』
『Yes』
『随分思い切ったね………無茶言わないでよ』
『無茶じゃないデス。ここは二階。植え込みに落ちれば無傷で済みマス』
そう。エミリーは僕に窓から飛び降りて逃げる提案をしたのだ。僕は高所恐怖症だったので無理だったが、エイル君なら難なくこなすだろう。
すべての謎は解けた。僕、推理の才能あったんだな。いっそのこと探偵でも目指そうかな。麗しの女装探偵二階堂ユウリ。覚悟しろ、世にはびこる犯罪者ども。
──あれっ。これじゃエイル君がいようがいまいが、僕が無理やり着替えを覗いた事実は変わらなくないか? 探偵どころか犯罪者じゃん、僕。




