45.Emily's view : 01
彼女は嘘をついているのかもしれない──一度でもそんな疑問を持ってしまうと、まるで巨大ダムが小さな罅から崩れていくように次々と彼女への疑いが頭の中を埋め尽くす。
彼女はハイスペックだ。外見もよければ愛想もいい。人間関係を構築するのも上手だ。
打算や利己心だけで人間関係が回ってる……そんな斜に構えた中学生のような考え、僕は持ってはいない。
でも、思わずにはいられなかった。
──ネット越しで数年接しただけの人間に、どうしてここまで入れ込むんだ?
僕と彼女は親友。その関係にいかなる対価も要求されることはなかったし、したこともなかった。それで上手く回っていたのだから一切問題はないし、この関係への疑いはない…………はずなのだが、やはりどこか、引っかかりを覚えてしまう。
僕はトラブルを抱え込みやすい体質のようで、学校や家庭環境で複雑な状況に置かれることが多かった。
そんな時、彼女のアドバイスに何度助けられたことか。あれがなければ、今頃どうなっていたか想像もつかない。
けれど。これまで僕が彼女を助けてあげたことはないのだ。
それは彼女が秘密主義で、悩みや抱える問題をひた隠しにするからというのもあるのだけど……もしかすると、頼りにされていないだけなのかもしれない。
そういえば一度だけ、彼女のために大きく立ち回ったこともあった気がする。けどあれは黒歴史なので思い出したくない。正直、空回り気味だったし。
こんな一方的により掛かるような関係、彼女はどう思っているのだろうか。やはり迷惑に思っているのだろうか。となれば彼女が僕を助けるのはただの情け?
だとすれば僕はどうするべきなのか──。
────
(……とか、考えてるんでしょうね)
ついさっき私に向けられた、彼の眼差しを思い出す。黒曜石のように美しい瞳は猜疑と不安に揺れていた。
──失敗した。
明かりの消えた部屋。目の前の姿見に映る自分は薄ぼんやりとしていて、どんな表情をしているのか自分でもわからない。
けれど胸中の焦りから判断するに、それはひどく歪んでいることだろう。
油断していたのだ。『神崎恵美は筋金入りのビッチ』──その話の裏を取り終えたのが昨日。
2Pカラーの同級生だった文学部のカナコからその話を聞き、彼女経由で高校OBにまで確認を取ったのだから間違いない。カナコは地雷から口止めされていたようで、聞き出すのには随分苦労したが。
神崎恵美はただの被害者ではない。恐らくアキトと共謀し、ユウを陥れたのだ。理由は──振られた腹いせ、といったところだろう。
その証拠を得るため、私はユウの前で地雷ビッチを追い詰めた。焦れば人は本性を出す。過去を暴かれれば彼女は冷静さを失い、必ずボロを出すはずだからだ。
流石に詳細までは聞き出せないだろうが、彼女がユウを追い出したことに加担していたか否かは間違いなく判断できる。
仮にうまくその場をやり過ごされ、彼女が報復を決意してもそれは失敗に終わる公算が高い。
なにせこちらは翔平とアザラシと和解しているのだから、前のようにサークルを味方につけることは不可能。
それに、過去をひた隠しにするような臆病な人間なのだから、自棄になってユウの冤罪をダシに警察を呼ばれる可能性も皆無。
そう踏んでのカミングアウトだったのだが──まさか、失敗に終わるなんて。
メンヘラビッチは、エイルに扮する私が部屋に戻る瞬間を目撃していたのだ。
いや、ただ見られただけじゃない。彼女はユウの死角でスマホを私に見せてきたが、バッチリ写真も撮られていた。エイル姿の私が206号室のドアをくぐる瞬間を。
2Pカラーはそれを私の彼氏と勘違いしていたようだが、この際そこは問題ではない。
ユウは勘が鈍い。私の男装に何年間も騙されていたのもそうだし、いつまで経っても私のことをただの友人だと思っているのもそう。私が毎晩部屋に忍び込んで寝顔を激写していることに気が付かないのもそうだ。そんなところも好きだけど。あ、そろそろ3台目のHDDを買わなくちゃ……思考が脇道に逸れた。
とにかく、いくらにぶちんのユウでも、あの写真を見せられれば エイル=私 という図式に気づく。間違いない。
そうなったら……きっと彼は本気で怒るし、悲しむ。彼は「危ないからサークルには近寄らないで」と私に言ったのだから。それを反故にされ、挙げ句前と同じ男装という手段で行われたと知れば、そうなることは想像に難くない。
彼に怒りをぶつけられるシチュエーションにはゾクゾクする魅力を感じるし、悲しみに暮れる彼を遠巻きにじっくり眺めたあと、優しい言葉で慰めて依存気味にさせる場面を想像するだけでスコーン5つはイケるけど。本気で彼を傷つけてまでそれをしたいとは思わ……思う、思わない、かも。
「意外とアリ、デスね……じゅる」
たぶん思わない。メイビー。
と、とにかく。あの写真をチラつかされ──私はビビってしまった。会話の主導権を相手に奪われてしまったのだ。
だからあんな間抜けな交換条件を飲まざるを得なかった。寺崎? バカ言え。いくら私が海外出身でも、神崎と寺崎を間違えるなんてミスを犯すはずない。
思い出しただけで腸がにえ……にえ、なんだっけ。思い出せない。
えっと……すごく腹が立つ。地雷2Pカラーと、彼女にやりこめられてしまった自分に対しても。
たかが女子大生相手に交渉事で遅れをとったと本家の人間に知られたら、なんと罵られることだろう。想像しただけで血の気が引いていくのを感じた。
が、ここは本国から遠く離れた地であると自分に言い聞かせ、なんとか心の平静を取り戻す。
……幸い、ユウはあの状況から地雷がビッチであることが真実だと判断したようだ。
だが不幸にも、彼は私に男がいると勘違いを続けている。
そして恐らく──彼氏のいる私がどうしてここまでして自分を助けるのか。そんな疑問を抱いていることだろう。長年の付き合いともなれば、目を見ただけで相手が何を考えているのかはなんとなくわかるのだ。
「さながら熟年の夫婦……」
そもそも私に男などいないし、作る気も一切ないのだけど。無論、彼が相手になってくれるなら喜んで応じるが。
それに私が彼を助けるのに理由などいらない。
嘘と謀略しか取り柄のなかった私がこうして前向きに生きていられるのは彼のお陰なのだから。そう彼に伝えるのは気恥ずかしいし、この状況では訝しがられるだけだろう。
現状、私に誤解を解くすべはない。仮に冤罪が晴れ、彼らの罪を暴いたとしても、私がエイルであることは明かせない。その事実は私の胸に重くのしかかった。この平らな胸に。泣けるデス。
流石にこの気分では彼の寝顔を撮る気にもなれない。今日は眺めるだけにしておこう……そう心に決め、私は部屋を後にした。




