44.本当の顔
日はすっかり暮れ、午後8時。
「…………」
「…………」
無言で夕食のパスタを食べる僕ら。カチャカチャとフォークが鳴らす音がやけに大きく聞こえる。
(気まずっ……!)
あの後、夕食の材料を買いに出かけたものの……いつものように会話は弾まず。ギクシャクした雰囲気を引きずったまま、僕らは食卓についている。
その原因は考えるまでもない。エミちゃんとの口論だ。あの場は丸く収まった(?)ものの、エミリーは機嫌を崩したままだ。あんな風に怒る姿を見た後じゃ、僕もなんて声をかけていいかわからず……なんというか、非常に困ってる。
……いや、”困ってる”じゃないだろ僕。エミリーがあそこまで怒ってくれたのは僕のためなのだから、彼女の機嫌を治すのは僕の義務だ。
よし、黙っているだけじゃなにも始まらない。とりあえず適当な話を振って様子を見るとするか。
「あのさ。エミr──」
「──エミ?」
「えっ」
「今エミって言いました?」
「い、いや。僕はエミリーって──」
「エミっ!? また言いました! 食事中にメンヘラ地雷系2Pカラーの名前を聞かせるとか、嫌がらせデスか!?!?」
……これ無理だろ。
「ごほん。……あのさ、チャーチルさん」
「なんでそんな他人行儀な呼び方するんデスか……」
「えっ」
「……あぁ、そうデスか。あんなキレ方をする女とはもう親友をやってられないと? あーハイハイ、わかりましたわかりました……」
うわ、面倒くさっ……!
「あのさぁ……そんな怒らないでよ」
「怒ってないデスが? 別に?」
「怒ってない人は椅子の足をガンガン蹴ったりしないんだよなぁ……」
なんて言ってたら矛先が机から僕の足に変わった。地味に痛い。
「まぁ、たしかにエミちゃんも言い過ぎだったけどさ……そこまで怒らなくてもいいんじゃない?」
「だから怒ってないデスって! まぁ……百歩譲ってそうだったとしても。ワタシはメンヘラに対してだけ怒っているわけではないのデス!」
「え、そうなの? じゃあ何に怒ってるの」
「ユウに対してデス!」
ぼ、僕?
「たしかに固結びはやりすぎだと思ったけどさ……」
「それじゃないデス。いやそれも腹立たしかったんデスけども!」
器用にツインテを逆立て怒りを表現するエミリー。あのツインテ、生物科学科の教授に渡したら喜ぶだろうなー……。
そんな僕の失礼な考えを見透かしたのかは知らないが、彼女は眉根を寄せ──
「ユウ……心の整理とやらはいつ終わるんデスか?」
「うっ……」
「すっごく焦ってましたね。『ち、違うんだ』とか言って。未練がないなら堂々としていればいいのに」
「それは……その」
「あの様子じゃ、まだ2Pカラーに未練たらたらみたいデスねっ」
「そ、そういうわけじゃないよ」
「Huh?」
「あれは……状況が状況だったから。エミリーだってヘンな誤解されたら困るでしょ」
「別に? 中高生じゃないんデスから、外野に何を言われたところで気にしませんよ」
「エミリーがそうじゃなくても僕は気にするの!」
「……どうでしょうかね。少なくともワタシは、ユウが地雷に嫌われまいと躍起になっているようにしか見えませんでしたが?」
「ぐ……」
僕としても男としてのプライドがあるわけで。そんな色恋バカみたいな言われ方をするのは心外だ。
ついカチンときた僕は……
「それを言うならエミリーだってさ」
「ハァ? ワタシがなんデスか」
僕は数年来の付き合いであるはずの親友の性別すら見抜けなかった鈍感人間だが、病的に鈍いというわけではない(はず)。ある程度の手がかりさえあれば正しく状況を理解できるぐらいの頭はあるつもりだ。ついさっきの二人のやりとりだってそうだ。あの場ではピンとこなかったが、後々考えたら状況が呑み込めてきた。
そう、つまり……
「エミリーだって、彼氏がいること隠してたくせに」
思えば妙だった。あそこまで怒っていたエミリーが、「寺崎と神崎を間違えたんじゃないの?」なんて言われて引き下がるわけない。仮に間違えたという心当たりがあったとしても、あんなスッパリ認めるのではなくもう少し食い下がるはずだ。
エミちゃんだってそうだ。エミリーが動揺していたのに、「もしかしたら見間違いかもしれない」なんて矛を収めるのは不自然だ。バチバチに火花を散らしていた二人の態度としては明らかにおかしい。
恐らくエミちゃんは言外で講和を持ち掛けたのだろう。「男を連れ込んでいたことを秘密にしてあげるから、そっちも高校のことは黙っていてね」と。そしてエミリーはそれを呑んだ。ここまでストレスを溜めておきながらすごすご引き下がったのが何よりの証拠だ。
そしてそれはエミちゃんの話していたことが真実であったことを示している。つまり──エミリーは男を連れ込んでいたのだ、ここに。
おいおい……冴えてる。冴えてるぞ今日の僕。
僕の灰色の脳細胞が導き出した隙のない結論。対する彼女の反応は──
「ハァー……」
めっちゃ深いため息つくじゃん……。
「まさか、あの女の言ったことを真に受けてるんデスか?」
長いため息の後、心底ダルそうに彼女は僕を見る。
「……え、何その反応。違うの?」
「神に誓って言いますが──ワタシはユウ以外の男を連れ込んだことはありませんよ」
そう言う彼女は、呆れながらも真剣な表情を向けてくる。紺碧の瞳はまっすぐ僕をとらえ、そこに嘘があるなんて微塵も思えない。
エミリーの言ってることは本当なのか? いや、それじゃあさっきの二人の態度はなんだったんだ。まさか本当に両者とも思い違いをしていて、普通に和解しただけ? それこそあり得ないだろう。
「嘘……」
「失礼デスね。本当デスよ」
「それじゃあ、さっきのやりとりはなんだったの? まさか本当に寺崎と神崎を間違えたなんて言わないよね」
「それは……その」
「ほらやっぱり。あれって『お互いこれ以上追及しない』って交換条件だったんでしょ?」
「め、珍しく勘が冴えてマスね……ほんとうにユウデスか? 影武者とかじゃなくて?」
「失礼だなっ」
別に鈍くないからな! 男装を見破れなかったのはネット越しだったからで、現実だったら絶対気づくから!
「とにかくさ。隠さなくてもいいよ」
「メンヘラとそういうやりとりをしたのは事実デスが……男を連れ込んでいた、というのは嘘デス」
「それじゃあ交換条件を呑む必要がないじゃん。矛盾してるよ」
「その……詳しくは話せません。でも、本当なんデス。信じてください」
彼女が嘘を言っているようには思えない。けど、それはこの状況と矛盾する。
「ユウ……」
わからない。彼女が本心で何を思っているのか、それが見通せない。
『お前に何がわかる。わたしのことを何も知らないお前に』
不意に、そんな言葉を思い出す。ついさっき、彼女がエミちゃんに言い放った言葉。
僕とエミリーは長い付き合いだ。ネット越しとはいえ、数えられないほど長い時間をともに過ごした。いや……ネット越し、だからこそだ。
お互い多くは語らなかったが、僕らはどちらも現実生活に大きな問題を抱えていた。海の向こうの相手に入れ込んだのはある種の逃避。僕も彼女も、どうしようもない現実から逃げたくてネット越しの人間関係にのめり込んだのだ。歪な関係かもしれなかったが、そこにはある種の信頼関係が存在していた……と、僕は思う。
けど──僕は彼女の性別すら見破れていなかった。彼女はいくつもの顔を持つ。大学での真人間モード、エスメラルダ、エーミールに……そして今日見せた、酷く無機質な顔。
エミリーとは誰だ? イギリス出身で、今は日本に住んでいて、皮肉屋で、人当たりが良くて、聡明で、実は少し天然で──それで?
僕は本当の彼女を知っているのか。これまで過ごした膨大な時間の中に、本来の彼女は存在したのか? 目の前の彼女の人格が嘘で塗り固められたそれでないと、どうして確信できる?
「……ユウ?」
彼女が心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。
嘘をついているようには思えない。紺碧の両の瞳も、美しく煌めくブロンドの髪も、すべてがいつも通りだ。
でも、僕は目を合わせることができなかった。…………ので、とりあえずツインテを凝視しておいた。




