43.遭遇(2)
何も言えずに見つめ合う僕ら。しばしの沈黙。
(このまま通り過ぎてくれないかな……)
そんな現実逃避じみたことを考えるが、現実は非常。彼女のぱっちりした二重の瞳は半裸の僕をしっかりと写している。
「なに……してるの?」
そんなの僕が聞きたいけど?
目の前のエミちゃんは、小動物のようにくりっとした瞳に猜疑心を溢れさせながら僕が答えるのを待っている。待っているんだが……
いや、どうしろっていうんだ。
まさか「倒錯した趣味のある友人に女装させられるところでさ……あぁ、チャーチルさんのことね」なんて話しても信じないだろうし、狂人扱いされるのが関の山だ。
これは……詰みか。
短い大学生活だったな。婦女暴行の冤罪をかけられたり、サークルから追い出されたり、女装させられたり、ナンパされたり、親友に脱がされたり……色々あったけど、なんやかんや楽しい生活……楽しい?
……これ以上考えるのはよそう。
「あ、どうも。カンザキエミさん」
「……チャーチルさん」
虚ろな目で沈んでいく夕日を眺める僕にだったが、諸悪の根源であるツインテ娘は僕のシャツに手をかけたまま何食わぬ顔で挨拶している。
その声音は普段より明るく、抑揚がついている。表情も花が咲くような笑顔。大学での──真人間モードの彼女だ。
「前にもここで会いましたね、すごい偶然デス。あ、神崎さんはこれから外出デスか?」
「私は今大学から帰ったところで……そんなことはどうでもいいのっ。それより、二人で何してるの。そんな格好で……」
「なにをしているか、デスか……」
エミリーはそう呟くと、なぜか頬を少し染め、いじらしそうに僕の方を向いた。
……え、なに。なんだよその反応。なんでそんな顔で僕の方を見るの?
何か言わなければ手遅れになる気がする、色々と。
が、必死に頭を働かせても、この場面を切り抜けられる一言は思い浮かばない。というか、何を話しても墓穴になりそうだ。
「……ユウヤくん」
そうこうしている内に、エミちゃんの顔は凍りついていき……
「ち、違うんだ。これは……その……」
「違うって、なにがちがうの?」
「それは……えっと……」
「ユウ、隠さなくてもいいデスよ」
「隠すに決まってるだろこんなこと! ……あっ」
己の失言に気づく。が、時すでに遅し。
今の僕の発言をどう受け取ったのかはわからない。
けれど、今のは決定的な一言だったようで……
「……そんなの、ないよ」
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
なんで泣くんだよ──と、喉の奥まで出かかって、すんでのところで飲み込んだ。
自分の告白を断った相手が、それから一ヶ月もしない内にぽっと出の白人美少女に半裸に剥かれているところを見たら泣きたくもなるだろう。いや、こっちはそれ以上に泣きたいんだけども。
「ユウヤ君。彼女いないって言ってたよね?」
「……」
「嘘だったの? 私、信じてたのに……」
「いやッ、それは勘違いだよ。僕とエミリーはそういう関係じゃない」
「えっ……恋人じゃないのに服を脱がせあってるの!?」
案の定墓穴だった。
「まぁ、そういうことになりマスね」
お前も火に油を注ぐな!
「体だけの付き合いって……ほんと最低。信じられない」
いや、そのまま信じなくていいよ。
そんな僕の心の叫びが届くわけもなく、彼女はずんずんと勘違いを進めていく。このままでは冗談抜きでこじれてしまいそうなので……
「い、一旦冷静になってよ!」
両手でエミリーを遠ざけ、エミちゃんに向き直る。
「仮に僕とエミリーが……その、そういう関係だったとして」
「そういう関係? どういう関係デスか」
「うぇっ? それはその……せ、性的に乱れた関係というか。とにかく! そうだったとして、学生マンションの廊下で服を脱がせて……えっと、事に及ぶことなんてあり得ると思う?」
「事に及ぶ……すみません。『事』とは? ワタシ、日本語が不自由なもので……」
「うっ……そ、それぐらい自分で考えてよ」
「知らないものを考えろと言われても。どんな関係で、どんな事に及ぶのか? しっかりしっぽりと説明してもらいたいデス」
「うぅ──って、なにその笑顔!? 絶対知ってるよねその反応!」
「照れるユウもいいデスね……This is Japanese 『尊い』……!」
心底幸せそうな笑顔を浮かべているエミリー。怒りのあまりツインテをねじってプロペラみたいに回転させたい衝動に駆られるが、エミちゃんの前なので抑える。
「それじゃあ、どうしてあんなことしてたの?」
思わぬ横やりで説得は邪魔されたが、エミちゃんは僕らの残念過ぎるコミュニケーションを見て何かを察したようだ。
僕に向けていた疑いの目が今度はエミリーに向けられている。まぁ、当の本人は視線をそらしてガン無視を決め込んでいるのだが。
「そんなの僕が知りたいぐらいだよ……とにかく、エミリーがいきなり脱がせてきたの」
「……そうなの? チャーチルさん」
「......I can't speak Japanese.」
「エミリー?」
「ワタシ ニホンゴ ワカラナイ」
「この前、日検準2受かったって報告してこなかったっけ」
「失礼デスね。準じゃなくて2級デス!」と薄い胸を張って誇らしげに自白するエミリー。
「つまり……チャーチルさんがユウヤくんを襲ったってこと?」
「お、襲うなんて。そんなはしたないこと……心外デス」
頬を染め、胸の前で両手を小さく握る。
「……ねぇ、チャーチルさん」
「なんデスか?」
「大学のみんなは気付いてないかもしれないけど、私は違うよ。猫かぶってるよね、いつも」
「……猫をかぶる? あぁ、日本語は話せますが、そういったスラングはまだまだ勉強不足で──」
「──そういう演技いらないよ。馬鹿にしないで」
「……ハァ」
張り付けたような笑顔を捨て、心底面倒くさそうにため息をつくエミリー。やれやれ、とでも言いたげに肩をすくめているが、バレるまでの過程があまりにも自業自得なので絶妙にダサい。
「ごめんね、ユウヤくん。私、勘違いしてたみたい……ねぇ、チャーチルさん」
「Yes」
「自分がなにしたのかわかってる? 嫌がってる相手の服を無理やり脱がすなんて……イギリスじゃ普通なのかもしれないけど、それって犯罪だよ!」
いや、向こうでも犯罪だと思うけど……。
「無理やりだなんて人聞きの悪い。日本には『いやよいやよも好きのうち』という諺があるんデス。知らないんデスか?」
「それ、上司がセクハラを正当化するときのお決まりのセリフだし……」
「ほんと最低っ……信じられない! ねぇ、ユウヤくん。これ、警察いったほうがいいよ!」
「ま、まぁまぁ。エミちゃんもそんなに怒らなくても……」
「なんでそんな平然としてるの!? 無理やり脱がされて……おかしいよ!」
「なんでって……」
そりゃ、エミリーは親友だし……多少のおいたは許してあげるべきなんじゃないかって……いや、待てよ?
「あれ、なんでだ……?」
いくら男友達みたいな距離感とはいえ、そこに性差があるのは事実。 最近こういうことが多かったから慣れてしまっていたけど……これ、性別逆だったら普通に警察案件だよな。客観的に見たらハチャメチャにイカれてるのでは?
そういえば「もう一回こういうことしたら絶交だからね」的な約束をした記憶があるけど、なんか有耶無耶になってるし。
おかしい……おかしいぞ僕。なんでこんな化け物を野放しにしてるんだ。
「ユウヤくんは優しいから、嫌だって言えなかったんだよね。でも、もう大丈夫だよ。私が止めるから」
「ハァ、何勝手にヒートアップしてるんデスか? そもそも、ユウは嫌だなんて一言も言ってないデスよ。ねぇユウ?」
「え、嫌だけど」
「……チャーチルさん」
「う、裏切りましたねユウ!? 信じてたのに!」
「その反応、めっちゃ心外なんだけど……」
「この犯罪者! ユウヤくんから離れて!」
「はっ──犯罪者デスって!?」
エミリーは怒りに拳を震わせているが……結構的を得ていると思うけどなぁ……うん。
「そもそも──これはワタシとユウの問題デス。部外者であるカンザキさんがとやかく言うことではありません!」
「部外者って──ぽっと出のくせに! 何様のつもり!?」
「ぽっと出……ぽっと出デスって!?」
なんというか……本人にそのつもりはないのかもしれないけど、犯罪者とかぽっと出とか、絶妙なラインを攻めるなぁ。
「そういうアナタは何様なんデスか! さっきから偉そうに!」
「私はユウヤくんの友達だもん! 4月から! ぽっと出のあなたと違って!」
「友達……友達デスか……ふっ」
エミリーはその言葉を噛みしめるように反芻すると、怒りで頬をピクピク震わせながら口の端を歪めて──
「アナタはその友達をサークルから追い出したと聞きましたが?」
「っ……」
エミちゃんは冷や水を浴びせられたかのように硬直し、言葉を失った。
……そうなのだ。ここまでの会話で彼女は僕を思いやるかのような発言をしていたが、そもそも──僕がサークルを追い出された一端は彼女にある。
彼女があのメッセージを真に受けて僕を犯人認定したせいで、僕は女装してサークルに潜入せざるを得ない窮地に追い込まれているのだ。女装うんぬんはエミリーのせいな気もするが。
その彼女が僕を心配するような発言をしているのだ。そもそも彼女は僕から性的な嫌がらせを受けたと信じ込んでいるはずで。こうして話しかけてくること自体、異常だ。
「……」
「おや、だんまりデスか。さっきまでの威勢はどうしたんデスか?」
エミちゃんは依然として黙っている。顔は伏せられ、小さく震えてすらいる。対するエミリーは高圧的な面接官のようにいやーな笑みを浮かべながら、さっきのお返しとでも言わんばかりに彼女を責め立てる。
エミリーは欧米人らしく背が高い。対するエミちゃんは150cmあるかないかだ。身長差は頭一個分ぐらいあり、つまり何が言いたいかというとエミリーの悪役感が凄い。
「ほら、何か言ったらどうデス?」
「っ……」
「自分が女だからって、黙れば許されるとでも思ってるんデスかねぇ……」
「ちょ、ちょっとエミリー。言い過ぎだって」
「うるさいデスね。今いいところなんデスから」
「最低だよほんと」
「…た…のせいじゃ……」
「ン? 声が小さくて聞こえませんねぇ……?」
「わたしのせいじゃないもん……っ!」
そう言ったエミちゃんは……肩を震わせ、泣いていた。
え、泣くの? おいおい……。
「そっちこそ何も知らない部外者のくせにっ! 偉そうなこと言わないでよ!」
「部外者……? ワタシはユウの親友デス! その発言、撤回──」
「うるさいっ! このエセ外国人!」
「アァ!? 馬鹿にしてるんデスかこの地雷系!」
「猫かぶりの腹黒のくせに!」
「そっちこそ似たような髪型と名前して! パクリ! この2Pカラー!」
「ぺったんこ!」
「チビ!」
「ぺったんこ!」
「二回言うのはレギュレーション違反デスこのクソ女!!!」
「まな板!」
「殺す!!!!」
額に青筋を浮かべたエミリーが胸倉を掴みかかろうとするのを必死に静止し、どうにか血みどろの大惨事を回避させんと頑張る僕。これが修羅場ってやつなのか、そうなのか。
「エミリーもおちちつ、じゃない落ち着いて!」
「お乳ついて!?!? AA75でどうやってお乳つけばいいんデスか!??!」
「そんなの知らないよ!? 反応に困る自白しないでよ……」
AA75なんだ……。
エミちゃんは泣き出すし、エミリーはあまりにも悲しいカミングアウトしてくるし。正直今すぐにでも逃げ出したいが、発端は僕にあるのでそういうわけにもいかない。
このままじゃ埒が明かない。ので、素早くエミリーのツインテを固結びにし、「なにするデス!?」と彼女がそれをほどくのに気を取られている隙にエミちゃんとの対話を試みる。
「ねぇエミちゃん。今のってどういうこと? 私のせいじゃないって……」
「……ユウヤくんにはわからないよ」
「わからないって……そりゃ、話してくれなきゃわからないよ」
「言ってもどうせ信じないもん。だから言わない」
「そんなことない。……というかそもそも。君は僕があのメッセージを送ったって信じてるの?」
「それは……」
彼女は気まずそうに目を伏せた。否定とも肯定ともとれる反応だ。
……いや、こうして話をしている時点で、僕が冤罪だと気づいてるんじゃないか? でなければ、自分にあんなメッセージを送ってきた人間と話すなんてこと、気の小さい彼女にできるとは思えない。
「何か言えない事情があるなら、隠してくれてもかまわない」
「……」
「でも、話せる範囲でいいから話してほしい。エミちゃんに何か悩みがあるなら……力になりたいんだ」
「ユウヤくん……」
「待つデスっ!」
「……なに、チャーチルさん」
「ユウ、そんな女の言うことに耳を貸す必要なんてありません」
「邪魔しないで。私は今、ユウヤくんと話してるの……あなたは関係ないよ」
「随分と偉そうな口調デスね。……ときにカンザキさん。ワタシはあなたと違って、大学には数多くの友人がいるわけデスが」
「なに、いきなりマウント? 向こうの人ってみんなそうなの? ほんと最低……」
「そんな凝り固まった偏見をもったカンザキさんは知らないでしょうが、彼らの出身地はバラバラなんデス。ホッカイドウからオキナワ、果ては海外まで。──とーぜんデスが、その中にはあなたと同じ高校の人間もいるわけで」
「……っ」
不意にエミちゃんの顔色が変わった。
どこか頼りなさげだった瞳が鋭い光を持つ。
「随分と楽しい高校生活を送っていたみたいデスね。うまく隠したつもりでしょうが、噂というのはそうそう消えないものデスよ。噓つきさん」
「……私が嘘つき? へぇ、そうかもね」
「アラ、認めるんデスか──」
「でも、それがなに? 人間なんだし、隠したいことの一つや二つあるでしょ。それに──あなただって嘘付きのくせに」
「ハァ? ワタシがいつ嘘をつきましたか?」
男のフリしてたり大学だと猫かぶってたり。それと昨日、僕が楽しみにしてたプリン食べたよね。「眠ってる間に食べちゃったんじゃないデスかねぇ……」とかごまかしてたけど、頬の端にカラメルソースついてたんだよなぁ。うわ、めっちゃ嘘つきだな……話の腰を折ってしまいそうだから口にはしないが。
「今だよ。ユウヤくんのこと、騙してるでしょ」
「まーたお得意の嘘デスか。日本だとクチハッチョウというんでしたっけ、そういうの。あんまり適当なことを言ってるとエンマ様に舌を引っこ抜かれてしまいマスよ。生意気な胸ごと」
多分その閻魔様は金髪でツインテールなんだろうなぁ。
……というか、待て。今なんて言った?
エミリーが僕を騙している?
「助けてあげるフリして、裏じゃ馬鹿にしてるくせに。本当は好きでも何でもないのに……ほんと、最悪」
「意味不明なこと言ってるんじゃないデス。喧嘩売ってるんデスか?」
「そんなつもりはないよ。だって事実だし。私、知ってるんだから」
「知ってる? なにを。今晩の献立とかデスか?」
「あなたの隠し事。多分ユウヤくんにも話してないでしょ、その様子だと」
「おい……それ以上適当なことを言うと、はっ倒しマスよ」
不味い。エミリーが本格的にキレ始めてる。
ただの虚言なのか。いや、彼女は何かを知っているらしい。それって──思考を巡らすのも束の間。彼女はエミリーから僕に向き直り──
「──ていうか。騙されるユウヤくんもユウヤくんだよ」
「え……」
「大学のアイドルさんにちょっと優しくされてからって、すぐ懐いちゃってさ……そんなまな板、じゃなくて嘘つきのどこがいいの?」
「そんなつもりは──」
「そんなにバカな人だと思わなかった。お人良しだとは思ってたけど、ただの間抜けじゃん。それじゃあんな目にも合うよ」
いきなりの辛辣な批判に、僕は何も言えず黙るしかない。
彼女の言うことは真実だったからだ。間抜け。ごもっともだ。
誰かのため、良かれと思ってやったことが裏目に出る。思い返せば高校でもそうだった。
それは大学でも変わらない。サークルのために彼女を振ったのだってそう。あんな決断をしなければ、僕は今頃平和に過ごせていたはずなのに。
僕はエミリーのように器用じゃない。それなのに自分の能力を過信し、他人を知った気になって、最終的には自滅する間抜けで傲慢な人間だ。
「それは……ごめん」
不意に、ゾッとするような感覚。
思わず横のエミリーを見ると──彼女は見たことのない表情をしていた。
真顔。顔のパーツをピンで縫い付けられたかのように、一切表情に動きがない。両の碧眼はどこまでも暗く、異様なまでに瞳孔が開いている。
「お前、何を言ってるんだ?」
その声は外向けの天真爛漫なそれでも、オフモードの少し気だるそうなものでもない。ただひたすらに冷たい。
まるで彼女が一瞬のうちに別人と入れ替わってしまったような──そんな錯覚を抱く。
「……あれ、怒った?」
「ユウを好きじゃない? バカにしてる? お前に何がわかる。わたしのことを何も知らないお前に」
「ううん、わかるよ」
「わかるわけない。ユウを馬鹿と決めつけるお前に、お前たちに。間抜けはお前たちの方だ。猿でも出来るような確認を怠り、挙句の果てに彼を責め立てる。アザラシ──あの男は愚鈍で救いようのない馬鹿だったが、お前はそれ以上の愚物だ。何かあれば男に寄りかかる。困れば泣いて同情を煽る。そして自分の犯した過ちには触れようともしない」
「え、エミリー……?」
「お前はユウを馬鹿にした。それは親友であるわたしへの侮辱でもある。許さない。絶対、償わせてやる」
いや、声だけじゃない。口調まで変わってる。エスメラルダのそれに似ているが、より無機質で、冷たい──まるで機械のような。そんな雰囲気を感じる。唯一、鷹のように鋭く焦点を結ぶ目だけが生物的な光を宿してた。
これまで彼女が怒る姿は何度か目にしてきたが──そのどれとも比較にならないぐらいの圧力がある。
彼女はエミちゃんに歩み寄る。
直感的に今の彼女とエミちゃんを近づけてはいけない気がしたが、止めることができなかった。
恐れてしまったのだ、僕は。だから咄嗟に手を出せなかった。それほどまでに今の彼女は異質だった。
「な、なに、今度は暴力?」
エミちゃんも流石にビビったようで、一歩後ずさる。あんな豹変っぷりを見せられて逃げ出さないのだから、彼女も本当は気が強いのかもしれない。
「いかにも貧困な頭だ。お前お抱えの男のように殴るとでも思ったか」
「……それ、昭人くんのこと?」
「それ以外に誰がいる。……あぁ、他にも男がいるのか?」
「別に、昭人くんはそういうのじゃないし……それを言うならチャーチルさんだって」
「わたしだって、なんだ? 言ってみろ」
「いいの? ユウヤくんの前だけど」
流し目で僕の方をちらと見る。
なにやらエミちゃんはエミリーの秘密を知っているらしい。そしてそれは、僕に知られると不味いもののようだ。
「またお得意の嘘か。言っておくが、さっきみたいな下らない問答はしない。もしもお前が嘘をつくのなら、ありとあらゆる手段を用いてそれを証明してやる。言い逃れはさせない。逃がしもしない。嘘を吐いた罪を償わせてやる。それでもいいなら言え。言ってみろ」
「へ、へぇー! よくそんな自信満々でいられるね。いいよ。可哀そうだから言わないつもりだったけど、そこまで言うなら言ってあげる。あのね──」
エミちゃんは小さく息を吸うと──
「少し前。確か──月曜日の午前11時だったっけ。私、見ちゃったの。チャーチルさんの部屋から知らない男の人が出てくるところ」
「えっ……」
あまりに予想外すぎる言葉に、一瞬、脳がフリーズする。
エミリーが──部屋に男を連れ込んでる?
会話の流れからするに、間違いなく僕ではない。僕以外の人間、となればそれは──いや、まさか。でも、ありえなくはない。彼女は一度も彼氏の存在を否定してはいないのだから。
……いや、待て。エミリーは否定しなかったが、肯定もしていなかったはずだ。それならエミちゃんがさっきの報復としてついた嘘である可能性の方が高い、気がする。
エミリーの表情をうかがうと──張り付けたような真顔。海のような碧眼は変わらずエミちゃんを睨んでいる。それは変わらない、が──
「……」
「え、エミリー?」
「……下らない嘘だ。わたしをお前のような尻軽と一緒にするな」
針のように鋭い否定。けれど今、彼女は一瞬とはいえ黙った。返答までに少しのラグがあったのだ。
エミちゃんの言うことが真っ赤な嘘ならそんな反応はしない、はず。
「あ、認めない。認めないんだ? へぇー……それで、どうやって証明するの?」
「……」
「ありとあらゆる手段を用いて証明する、とか言ってたよね? 手っ取り早く──そうだなぁ、守衛室に頼んで防犯カメラの映像でも見せてもらうとか、どう?」
「……監視カメラの映像には管理会社の守秘義務が働く。入居者の一存で軽く見せてもらえるものではない」
「ふぅん……」
エミリーの言う通りだ。監視カメラの映像というのはプライバシー保護のため、なんらかの事件が起こった時ぐらいしか確認できない。
「それじゃ、どうしよっか」
「……知らない、そんなこと」
「……ところでチャーチルさん。人の記憶って不確かだよね」
「唐突だな。まぁ、否定はしない」
「私がさっき言ったこと、実はうろ覚えで……あれって別の部屋だった気もするんだよね。チャーチルさんの部屋じゃなくて……そのまた隣だった気もするの」
「……」
どうやら……エミちゃんも確証があって言っているわけじゃないらしい。
「話は変わるんだけど。商学部の寺崎さんって知ってる?」
「あの軽い……いや、明るい性格の女子学生だろ。それがどうした」
寺崎栄美。確か商学部の一年で、化粧が強めの……なんというか、性風俗に乱れた感じの子だ。サークル入部2週間で全男子と直結したとかなんとか。翔平が彼女に言い寄られたショックで軽いノイローゼに陥ってしまい慰めるのに手間取った記憶がある。女苦手すぎでしょ……。
「あの子の名前、栄美っていうの。寺崎栄美ちゃん。私は神崎恵美で──けっこー間違えられることとか多くて」
彼女は確かにエミちゃんと名前が似てる。読みなら苗字一文字分しか違わない。
「……」
「チャーチルさんの友人、本当に私の同級生だったの? 寺崎さんと私、間違えちゃったんじゃない?」
微笑を浮かべ、そう語るエミちゃんに対し……エミリーは下唇を噛み、なにかを思案しているようだ。
そして小さく舌打ちをし……
「Better the purse starve than the body(背に腹は代えられない、か)......」
「え……」
「そういえばそうだったかもしれない、デス」
「だよねだよね。いやー、びっくりした。私、高校じゃネクラすぎて、彼氏どころか友達すらいなかったから。ありえないと思ったの」
二人の間に満ちていた、張り詰めるような空気が弛緩していく。
「ごめん、私も適当なこと言っちゃって。あれってやっぱ別の部屋だったよ」
「……ワタシの方こそ、すみません。よく調べもせずにカンザキさんの名誉を傷つけてしまって……」
「いいのいいの。あ、でももう誰にも言わないでね? ──私もヘンな噂立てられたくないから」
「……りょーかいデス。そちらも、頼みマスよ」
「もちろん。ふふっ」
「またねっ」とチャーミングに手を振りながら、エミちゃんは扉の奥へと消えていった。
ぽつんと残される僕ら二人。
エミリーは──悔しそうに眉間に皺を寄せ、205号室……エミちゃんの部屋を睨んでいた。
何が……起こったんだ? 彼女たちはお互い納得して和解したように見えるけど、言語外のコミュニケーションが多すぎて僕としては意味不明もいいところだ。
「……とりあえず、買い物を済ませちゃいマスか」
小さくため息をつき、彼女はそう呟いた。
その口調は元に戻っており、さっきまでの威圧感は消えている。消えているのだが……
「あの、さ。言いにくいんだけど……」
「……なんデスか」
「ツインテ、固結びのままだよ」
「ホワッ!?」
男を連れ込んでる(男とは言っていない)。




