40.尋問(1)
用事があるから、すぐに部屋まで来て欲しい──電話越しにそう伝えられた僕は、早足でキャンパスから寮に戻った。
用事とはなんだろう。急ぎの用、とあるから、恐らくサークル関係だとは思うけど……疑問に思いながら合鍵を差し込み、扉を開くと──
「……誰?」
見知らぬ美女がいた。
「えっと……」
部屋間違えたかな? と思い一旦外に出るが……二階。そして角部屋。間違っていない。
「あの、エミリーの知り合いですか?」
僕がそう問いかけると、彼女は不思議そうな顔をして──
「? 何を言ってるんだ。アタシこそ、あなたの愛する親友、エミリー・チャーチルだが」
エミリーそっくりの声で、よくわからないことを言い始めた。
なんだこの人。新手の強盗か? はたまた電波ちゃんか。どちらにせよ、まともじゃないエミリーを騙る人間がまとなわけない。狂人確定だ。
「ひゃ、110番……」
「おいまて! アタシはエミリーだって言ってるだろ!」
「いやいやまさか! そもそも顔からして違うし。第一、ツインテじゃないじゃん」
「アタシのアイデンティティって、顔よりツインテが優先されるのか……」
「あと愛してもいないし」
「あ、そこは流すところだ」
ポニテの美少女は目を細め、残念そうに肩をすくめた。
この大げさな感情表現……たしかにエミリーを彷彿とさせる。が、どこからどう見ても別人だ。
エミリーはサファイアのような碧色の瞳だが、目の前の彼女はルビーのような血赤色。切れ長の瞳は気が強そうな性格を想起させる。
服装も黒のパーカーにラインパンツというスポーティーな出で立ちで、白色で丈の長い清楚系の服装を好むエミリーとは真逆の印象だ。
髪型もツインテじゃなくてポニテだし……ツインテ……はぁ。
「仮に君がエミリーだとしてさ。どうしたのその口調。エロゲの女騎士みたいだけど」
「エロゲ言うな。……前に話しただろ。男口調じゃないと自然に話せないって」
「あぁー……」
ネット上での交流すべてを男口調で話していた彼女は、女の子らしい喋り方に慣れていない。あのエセ外人っぽい喋り方はそのせいで、まだまだ慣れるのには時間がいると話していた。
「ていうか……え、冗談でしょ。ドッキリじゃなくて?」
「いや、ガチだ」
「……ガチ?」
「ガチだ」
「ガチなんだ……」
この念の押し方。間違いなく彼女だ、と確信する。
よくよく考えてみれば、雰囲気が彼女にそっくりだ。シルクのような金髪も同じ。というか、声が完全に一致している。
「あ、あまりジロジロ見るな。恥ずかしい」
「随分なイメチェンだね……ツインテ無くすなんて」
「必要あってのこと。変装というやつだ」
「必要? それってツインテの価値と釣り合うの?」
「無論だ。昨日、アザラシから話を聞き出せないって嘆いていたな? あの後名案を思いついてな。ここにユウを呼んだのもそのためだ」
「なるほどね……ところで髪型は戻さないの?」
「どれだけツインテに執着してるんだ……というか、どうだ? こ、この髪型。似合っていないか」
おずおずと、顔を少し染めながら躊躇いがちに聞いてくる。
気の強そうな外見とのギャップにクラっとくるが、それも一瞬だけだ。失われた存在の大きさを実感し、今の僕は怒りしか抱いていなかった。
「──あのさぁ!!」
「ハ、ハイっ?」
「1と2,どっちが優れてると思う?」
「な、なんだいきなり。えっと……大きさで言ったら2じゃないのか」
「そうだよね。2の方が優れてるよね。こんなの小学生でも知ってることだよね」
「ど、どうしたんだ。そんなに怖い顔して……」
「ポニテは髪を1束にまとめるけど、ツインテは名前の通り2束。ポニテは1でツインテは2。2は1に比べて優れているわけだから、ツインテのほうが優れているのは自明だよね?」
「いや、知らないが……」
「──それなのにさぁ! わざわざ劣ってるポニテを選ぶなんて、なに、舐めプ? 人生に対する舐めプなの? それともマイオナ? 『あえてポニテにする自分、異端すか?w』みたいなこと考えてるの?」
「ユ、ユウはツインテのことになると面倒臭いな……」
「なんだよ! 僕が悪いって言うのか!?」
「そ、そうは言っていない。でも、たかが髪型程度で……」
「たかが!? おい、そこに正座しろ──」
「これはもう病気……現代日本の抱える病巣だ……うぅ」
エミリーは両腕でポニテを守るようにしながら、ゆっくり後ずさる。頬が引きつっており、本気で怯えてる表情だ。
ここまで言えば、次にこんな愚行をすることはないだろう。
「はぁ……ごめん、ヒートアップしすぎたね。それで、どうしてそんな舐めプしてるの?」
「ぐっ……詳しくは向こうで話す。とりあえず身支度を整えてれるか」
「身支度って……僕、さっきまで大学にいたから服装はまともだけど。あ、エミリーの髪型はまともじゃないけどね。ポニテ(笑)。人生舐め過ぎでしょほんと」
「…………」
「うん? ──あの、なんで僕のシャツに指をかけてるの。ちょっ、ボタン外さないで──だ、誰か! 誰か助けて──」
………………。
…………。
……。
「汚された……もうお婿に行けない……」
脱がされ付けられ着せられ塗られ。なんとも不幸なことに、僕は平日の真昼間から女装の憂き目にあっていた。
「ユウっ! そこはお婿じゃなくてお嫁さんだろ! もう少しプロ意識を持て!」
「どっちだっていいだろ!」
「よくない! 女装をナメてるのか!? なんども言うけどな、女装の本質は外見ではなく内面にこそ存在するんだ。いくら外見が良くても、心が変化しなければそれはただ女の格好をした男! けれども心が女の子であるなら、たとえ見た目がゴリラであっても男の娘! Do you understand!?」
「う、うん……」
「だ・か・ら!! ユウリの相槌は『うん』じゃなくて『はい♡』または『わかりました♡』だ! 何度言わせる気だ!? 簀巻きにしてジブラルタル海峡に沈めるぞ!?」
「これもう病気です……大英帝国の抱える病巣ですよぅ……」
たかが口調間違いぐらいでここまでキレるとか、明らかにおかしいだろ……。
先週の猛練習でなんとかユウリとしての立ち振る舞いはマスターしたが、外見を作る技能は身に着けられなかった。なので、ユウリとして行動する時には基本的にエミリーにメイクを任せている。
そう考えると昨日は危なかった。エミリーの見様見真似でやってみたのが成功したから良かったものの、一歩間違えたらユイカさんに見破られたかもしれなかった。
なのでこうして彼女が手伝ってくれることは有り難いのだが……
「ていうか、着替えまでやる必要ありました? ありませんよね?」
「わかってないな。ボタンの留め方や袖口の捲り方。そういった細かいポイントにこそプロの技量が宿る。職人の技、というやつだ」
「この話、前もしませんでしたっけ……本当は私の反応見て楽しんでただけじゃないんですか」
「9割ぐらいはそうだが?」
「男女逆なら事案ですよ……ほんと最悪です」
「あぁっ、その冷たい目。いいな。大好物だ……」
「うわぁ……」
罵られて嬉しそうにしてるあたり、僕の親友は末期なのかもしれない。
それから少しして、僕らはキャンパスの正門前に立っていた。
「エミリ……エメさん。……それで、結局何をするんですか」
変装なのだから、当然名前も変える。
この女騎士モードはエスメラルダと言うらしい。エスメラルダ・スプリングフィールド。略称はエメ。めちゃめちゃ厨二な響きなのでバカにしていたら、向こうじゃ珍しくない名前だと真顔で教えられた。バカは僕だったらしい。
「とりあえずアザラシを待つ」
「そうですか……でも、前みたいに逃げられてしまうんじゃないですか?」
「ノン。心配いらない」
「というと?」
「追いかけるから逃げられる。こんな時、日本にはこういう諺があったな。『押してダメなら──』」
諺というより格言だが、押してダメなら引いてみろ、ということか。
シンプルだが真理でもある。けど、問題はどう引くかだ。ただ距離を置くだけなら逃げられはしないだろうが、欲しい情報は得られないままだろうし──
「『──もっと押せ』」
「もっと押しちゃうんですか……」
脳筋だった。
「それは、なんですか。車で追いかけて手錠でもかけるんですか? 私、犯罪は嫌ですわ」
「心配いらない。犯罪を犯すのは相手の方だからな」
「……?」
「お、噂をすれば……」
キャンパス内から正門に続く並木道。縁の太いメガネをつけた巨漢──アザラシがのっそのっそと歩いてくるのが見えた。
「ぬっ、ユウリ嬢? それに、横にいるのは……」
向こうも僕らの存在に気がついたようだ。
僕に加え、隣には見知らぬ美少女。それもラインパンツに金髪ポニテという深夜のドンキ○ーテに生息していそうな風貌だ。
彼はあからさまに身構えた。が、エミリーはそんなこと気にもとめない様子で彼に近づいていく。
「Hello.アザラシ……でいいか?」
「そ、そうでござるが……何用で? というか誰でござる」
「それはだな。ユウ、ちょっといいか」
「はい? なんでしょう──」
「それっ」
むにゅ、という生暖かい感覚を胸に感じる。
ん? と思い胸元を見ると、なんとそこにはアザラシの腕が──腕が!?
「ひぇぇぇっ!?」「ぬぅぅぅっ!?」
二人揃って悲鳴を上げる。
それも仕方がない。あろうことか、エミリーはアザラシの腕を僕の胸に押し付けたのだ。
「お、ベストショットだな」
ぱしゃり。驚く僕らを無視し、彼女はその様子をスマホカメラに収めた。
「な、なななななにをぅ!?」
「おっと、逃げるなよ。もし逃げたらこの写真をばら撒く」
「ぬぅっ!? な、なにゆえ……ゆ、ユウリ嬢。これは一体何事でござるか!?」
「えぇっと……」
僕に聞かれても困る。
たしかにこうすれば逃げないだろうけどさぁ……もう少しマシなやり方はなかったのか。
「ユウ。わかってるよな?」
「ゆ、ユウリ嬢?」
しばし葛藤。目の前のアザラシは恐怖と困惑に支配されており、正直、今にも泣き出しそうな感じだ。いくら話を聞くためとは言え、流石にこれはやりすぎな気が──
『諸悪の根源は退部させたでござる。ふはは!』
………………。
……よーし。
「へ、変態っ……男の人っていつもそうですね…!私たちのことなんだと思ってるんですか!?」
「ユウリ嬢───!?!?」
まぁ自業自得だよね、うん。
「──という訳だ。それじゃあ場所を移そうか。ついてこい」
にこり、と惚れ惚れするような微笑を浮かべ、踵を返す僕の親友。
青ざめたまま立ち尽くすアザラシ。親友のあまりの手際の良さに、僕も恐怖を覚えずにはいられなかった。




